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移り気の庭  作者: ながる
3/3

移り気の庭・後

「……やめなさい」


 我に返って、大人ぶる彼の頭を胸に抱え込み、私はその耳元に囁きかける。


「私、もう高校生じゃないんです。誰にも、何にも、文句は言わせません。あなたの家で……雨宿りさせてください」


 体温を彼に預け、彼が観念するのを待つ。雨は静かに降り続き、すぐに私もずぶ濡れになった。

 こんな状況でなければ、彼は力ずくで私を引き離しただろう。けれど、今は。

 ……やがて、冷え切った両腕が、おずおずと私を抱きしめた。




 お互いを温めあった後、彼がコーヒーを入れてくれた。インスタントだったけど。

 着替えはまだ洗濯機の中だ。

 乱れたベッドで、流石に少し気恥ずかしくなって布団を引き寄せた。

 彼はバスタオル一枚腰に巻いたまま、ベッドに腰掛ける。


「名前を、教えてくれないか」

「母が、名乗りませんでしたか?」

「下の、名前……いや、ごめん。憶えてない」


 それもそうかと、一口コーヒーをすする。


高城(たかぎ) 揚羽(あげは)

「あげは」


 ふふ、と笑いを含む声にくすぐったい気持ちになる。特にこの先を期待しての行動ではなかったのに。


「なるほど。花に寄せられるはずだ。ありがとう……慰めてくれて。今は、何を? 差し支えなければ」

「庭師をしています。と、いっても、まだペーペーですけど。私、この庭に手を入れたくて庭師になったんです。まだ、ここをどこの業者が管理してるのかもわかってませんけど」


 見つめる瞳に驚きを乗せて、彼は苦笑した。


「本当に? じゃあ……いや……どうしよう……これ以上は……もう、充分甘えさせてもらったのに」

「なんですか? 今日のうちなら、聞きますよ」


 わざわざ時計を指さして期限を切ったのは、自分のためでもあり、彼のためでもあった。きっとこういう関係は彼は続けたがらない。その時計はもう止まっていたから、本心では未練たっぷりだったけど。

 彼はコーヒーをサイドテーブルに置くと、慎重に私を抱き寄せた。


「いっとき、私の婚約者になりませんか。久我……いえ、もう旧姓に戻すので崋山院(かざんいん) 皐月(さつき)の名と共に好奇の目にさらされることになるかもしれませんが……でも、少し我慢すれば、この家をあげます。まだ相続手続きをしていないので、少し時間はかかりますが……もちろん、所有者の変更を終えれば、婚約は解消します」


 今度は私が驚いた。別れありきの無味乾燥なプロポーズにもだが、久我や崋山院は街中の看板でも、ウェブ広告でも嫌と言うほど見る名前だ。


「か……崋山院!?」

「本当に知らなかったのですね。怖気づきましたか? あげはさんにはチャンスでしょう? 私が持っていても、たかってくる有象無象が増えるだけです。でも、あなたなら……この庭を酷いようにはしないでしょう? 私があげられるのはもうこの家と庭くらいしかないので、結納金としてなら誰も文句を言えないはずです」

「ままま、待って。私は、その跡取りを誘惑したの?」

「正確には跡取りの一人だった、です。もう競争からは弾かれましたから」


 『稀代の悪女!』などという週刊誌の見出しが頭の中に乱舞した。くらくらしてくる。


「いや、私、知らなくて……ここが欲しかったわけでもなくて……」

「はい。驚きました。有名だなどと、うぬぼれていて恥ずかしい。やはり、荷が重いですか? ……そうですよね」


 諦めきった笑顔が、まだ付け入る隙があるのだと知らせて、悪女でもいいかと思わせる。言いたい奴には言わせておけばいいのだ。


「なんの理由もなく婚約解消はできませんよ。どうするつもりです?」

「まあ、手っ取り早く、女性スキャンダルでも起こせば、あとは簡単ではないですか? こう言ってはなんですが、落ちぶれても寄ってくる人はいるので」


 そこまで解っていて、どうしてうまく立ち回れないのだろう。


「許しません」

「え?」

「婚約指輪代わりにこの家を私に譲ったら、あなたは会社を辞めてください」


 いっそ、得心したというように頷いて、彼は唇の端を引き上げた。


「……そうですね……若いあなたの経歴に傷をつけるのですから……そのくらい必要ですね」

「そして、造園業にかかわって、私と一緒に資格を取ってください。なんなら、ほとぼりが冷めるまで外国で勉強するのもありですね」

「……どういう?」


 困惑で瞳が揺れる。


「『緑の指』を埋もれさせるなんてしませんよ」

「緑の指?」


 彼は、不思議そうに自分の手を見下ろした。


「植物を育てる才能のある人のことですよ。あなたがいた間、この庭がどんなに素敵だったか」

「あの時は……ただ、無心になりたくて……」


 私は頷いた。


「才能ですから、そこに努力もくそもありません。それを、私にください。いつか、あなたと共に私は独り立ちします」


 マダムたちに好印象だったのだ。ギスギスと人を蹴落とすような仕事より、絶対に彼に合っている。

 どうしてか、確信があった。


「私には何もなくなるばかりか、煩わしいことばかり残るのに……こんな、おじさんで……」

「私から見れば、最初から何もありませんでしたよ? ああ、アルマーニのスーツくらい? あと、人の好みにケチをつけないでください」


 むぅっと分かりやすく膨れてみせると、彼はパチパチと瞬いて、さっと頬に朱を乗せた。


「……どうしよう……君は、本当に……飴玉一つ出せない私なんかが? いまさら……何もかも諦めたのに……あの夏が戻ると?」


 絡む視線の奥で彼の瞳に温度が戻る。


「夏は、これから来るんですよ。気に入った花には綺麗に咲いてほしいじゃないですか。そうしたらきっと、甘い蜜も吸えますから」


 私は彼の首に腕を回して微笑むと、ゆっくりと目を閉じた。




* おわり *

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― 新着の感想 ―
[一言] こんにちは。 ツイッターで短い感想を書きましたが、こちらでも感想を書きます。 まず雨の中の紫陽花の描写が艶っぽくて、とても綺麗でした。庭全体も雰囲気が伝わってきました。 そこで、運命的な出…
[一言] 年下が押せ押せなの、とてもいいですね! 「気に入った花には〜」って台詞がとにかくかっこいい。 あげはさん、イケメンに育ったなぁ。庭だけじゃなく人も整えちゃうんだから…。 たじたじだったおじ様…
[良い点] 初めまして。 楽しく読ませていただきました。 読みやすく、分かりやすい文章だと思います。 良いお話をありがとうございました!
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