夢ではない……?
雪乃はアクアの姿であるにも関わらず、鼻歌でも歌うのではないかというほどの上機嫌で部屋を出る。
ミントグリーンの髪のメイドは、一瞬もの珍しそうな表情をしたが、すぐに先程まで見せていた微笑みに戻った。
雪乃は意気揚々と部屋を出たが、すぐに立ち止まった。アクアの情報はよく知っているが、アクアの住んでいる、ルーデスト家の屋敷の構造などは全く知らない。何となくわかるなどという感覚もなく、夢とはいえそこは親切ではないらしい。
しかし、困った。メイドは主人の前を歩くようなことはしないため、食事をとる場所には自分で行かなくてはならない。急にそんなことを聞いたら、おかしく思われるよね。夢ってすぐ変な感じに変わっちゃうからおかしなことはしたくないんだけど……いきなり、悪夢などに変わったら最悪だ。まだ本命にもあっていないのに。
数分、いや数秒前とは打って変わって部屋を出て立ち尽くすアクアの姿にメイドが心配そうに声をかけようとしたその時、雪乃の待ち望んでいた可愛いらしい声がアクアを呼んだ。
「お姉様〜!これから朝食をとりに行かれるのですか?でしたら、ローズと参りましょう?」
その声の主は、満面の笑みでアクアのもとへ走ってくる。幼い頃から立派な淑女となるべく普段から教育を受けている妹ローズは、全力疾走こそしていないが、小走りで近寄ってきた。
その姿を見た瞬間、アクアは顔を喜びに輝かせた。
普段から大人びた言動をとることが多いアクアにしてはオーバーリアクションなのだが、雪乃の感情によっていつもよりもアクアの口角は上がっていた。
もちろん、アクアもローズのことは双子の妹として非常に大切にしている。しかし、現在アクアの体を支配している雪乃は、ローズ、ことローゼライト・ルーデストのことをゲームキャラクターとしてかなり愛している。要は、かなり推しているのだ。その愛の重さは尋常ではなかった。
なんて最高な夢なの!?こんな夢見るとか、起きたら私、死ぬんじゃないの?
雪乃は内心、これまでにないくらい興奮していた。
「……ローズ!おはよう!」
あまりの喜びに、叫びたい衝動を抑えるのにやっとだったが、それで返事をしなければローズが悲しむことはよく分かっていたので、それはいけない!と何とか返事を返した。その時、雪乃はアクアらしくを心がけた。夢とはいえ、ローズが相手となれば少しでも長く話したい。変な夢にならないためにも姉としてのアクアを演じた方が良さそうだった。
やはり喜びは隠しきれなかったが……
「お姉様、今日はとても上機嫌ですわね!もしかしてやっと街に行けるのが楽しみだからでしょうか?」
「うん、実はそうなんだ。ローズは鋭いね。」
「でしょう?お姉様のことだったらなんでも分かりますわ!それに私も今日はお姉様の用意してくださっている誕生日の贈り物が楽しみですわ。」
隠しきれなかった上機嫌さに気づかれ、思わずどもりそうになったが、アクアらしく……アクアらしく……と言い聞かせ気になることもあったが、何とかこの夢が続くようにと適当に話を合わせ取り繕った。
そのまま、食事をとる場所への移動もローズについて行くことで何とかなりそうだと雪乃は安心した。しかし、階段を数段下りた時、ローズの体がガクッと傾いた。ローズは、階段でバランスを崩してしまったのだった。
「きゃっ!」
ローズは小さく声をあげた。
「ローズ!?」
小さな体が転倒する様子がスローモーションのように流れ、雪乃は咄嗟に、ローズを庇うように自分の体を下にしローズを抱きしめて、衝撃に備えて目を強くつむった。夢だと思ってはいたが、やはり恐怖があった。もうこの夢も終わりかぁ……
子供とはいえ、もう8歳の体であったため、ドンッと大きな音を立てて2人の体は屋敷の床には叩きつけられた。その瞬間、雪乃は強い衝撃と痛みを感じた。
「ッー!痛ぁ〜、?」
ん?痛い?
雪乃はその感覚に違和感を感じる。
……だって、これ、夢でしょ?
ついてきていたメイド達も悲鳴をあげ、慌てて2人の安否を確認しようと駆けつけ、他にも人が集まってきて騒がしかったが、雪乃はそれが夢ではない様子に困惑してそんなこと全く頭に入らなかった。
その後、朝食をとるどころではなくなり、アクアとローズの2人は急いで屋敷にいる医者に看せられた。
奇跡的にどちらも怪我はなかったが、ローズは気を失っており、アクアも呆然として何も応えないため、それぞれを一度部屋で休ませることになった。
部屋に運ばれ、ベッドに寝かせられたが雪乃はまだ困惑していた。
まさか、本当にこれが現実なの!?だとしたら、アクアと話したあれはどっち?どうなってるの……
寝かされていた体を起こし、ベッドの上で今までのことを考え始める。
「お嬢様!まだ起き上がってはいけません!大きな怪我がなかったとはいえ、かなりの高さから落ちて背中は腫れているんですよ!」
ずっと困惑していたが、メイドに大きな声で注意され、それが少し吹き飛んだ。人がいて、見ているという事実から取り乱すのは不味いと思い、一旦考えるのは止めた。メイドは朝とは違い、微笑みは浮かべていない。かなり心配してくれているようだ。アクアの日頃の行いがいいのだろう。
「あはは……まだちょっと痛いけど平気だよ。腫れているといっても少しだし。……セリア、私、何か飲み物が欲しいな。果実水とか……」
正直、1人で考える時間が欲しかったので準備に時間がかかる飲み物を頼んだ。
あれ?なんで時間がかかるって分かるんだろ?
それに、このメイドの名前も……
先程まで全く分からなかった屋敷や周囲のことがスっと頭に入っていた。これまでのアクアの記憶が蘇ったようだ。転倒の衝撃のおかげだろうか?そんなことを考えていると、
「全く……お嬢様は軽く考えすぎです。分かりました。果実水をもって来ますので、くれぐれも起き上がっかりしないでくださいね!絶・対・安・静です!」
少し頬を膨らませ、不満そうなではあったがしょうがないという風にセリアはアクアの部屋の扉の方へ向かった。最後まで釘をさされたが、果実水を持ってきてくれるつもりなのだろう。優しいな……
バタン
メイドが部屋を出ると、雪乃の頭の中はこれが夢ではなさそうであることに対する考えを整理し始めた。セリアのおかげで落ち着いた、感謝だな。
真っ暗な空間でアクアと話した。あれは間違いなく夢だろう。夢の中のアクアはそのようなものだと言っていた。
しかし、アクアの姿で目覚めてからは妙に色々なものの感触がリアルだった。極めつけはさっきの転倒、あれは本当に痛みを感じた。怪我はなかったが、今も痛みは残っている。夢ならばそろそろ覚めているはずだ。
夢と思われる暗闇の中でアクアは雪乃がアクアになる、というようなことも言っていた。その通りだとすると、
――私、高橋 雪乃は今朝からアクアになったということだ。
こんな考えに行き着くのは本当ならおかしいのだが、おかしいといえば最初に見た暗闇の夢から今に至るまで何もかもがおかしいのだ。
正直、何が夢で現実なのか、情報があまりにも少なすぎる上、全てが非現実的で判断できない。
だが、簡単に夢で片付けてしまうのは恐ろしかった。
もし夢ならば、なんだ〜やっぱり〜、と流してしまえばいい。危険なのは、これが現実だった時である。
これが現実だった場合、ここはゲームの世界ということになる。しっかりと決められたストーリーがあるのだが、ゲームで取り上げられている部分だけで考えることはできないのだ。雪乃はこのゲームのエンディングを知っているが、その後がどうなるかは知らない。自分の人生のことを考える必要がある。
現実だと思って行動した方が後から後悔する可能性は低そうだ。幸いなことに、この世界は『PolirBijou』という雪乃がよく知るゲームの世界である。
よし、とりあえずこれが現実の可能性があるうちは現実だと思って、雪乃ではなくアクアとして生活しよう!それで被害は最小限になるはずだ!
グッと頑張るぞ!っと意気込んで思ったが、これはセリアを部屋から離れさせて正解だった。
セリアがいて、こんな頭抱えてる姿とか見たら頭おかしくなったと思われるよね……
あの様子と思い出したアクアの記憶から察するに、もっと動くな、と言われるに違いない。
_______________________
やっと雪乃がアクアに転生した?と気づく所まで書くことが出来ました!ダラダラと長くなってしまい、すみません(._."ll)
次の話では生前の雪乃、『PolirBijou』についてのお話になります。