第六話 裏切られた想い
清水照道に連れまわされた次の日、要するに今朝、私は寝坊をした。
私の起きた時間は本当に遅刻ぎりぎり制服に着替えたり、お母さんからお弁当を受け取る間も走っていたし、お父さんとトイレのタイミングがバッティングしたりして、大変だった。
教室に到着すると、清水照道と河野由夏率いるクソキラ軍団は黒板の教卓のところに集まり、楽しそうに流行りの動画の転校生話をしていて、私に気づいた清水照道による「おはよ、今日もかわいい!」とふざけた発言はあったものの、以降、特に……言葉についてからかわれることはなかった。
清水照道は、もしかしたら昨日の私について、気に留めていなかったのかもしれない。
「本当今日眠い、っていうかチダリコ白目剥いてなかった?」
「いや剥いてないし!」
だから今、一時間目を前にして、机に伏せながら河野由夏らの会話を盗み聞いているけど、今なお私の話の仕方や、どもりについて話題にする素振りはない。昨日清水照道とを追いかけていた際、千田莉子が笑いすぎて飲み物を噴出した話や、駅前のハンバーガーショップで誰かがバイトを始めたから食べに行く話、寺田の姉が怖いという話や、寺田の住んでいる地区と清水照道の前に住んでいた家が近かったことの話をしているだけだ。
特に寺田の住んでいる地区は、話を聞いてる分で判断すると私が高校入学前にカウンセリングに向かうため使用していたバスロータリーがある場所みたいだ。もう二度と行けないし行きたくない。
そうしてウェイの奴らはどうでもよさそうな話ばかりしている。時折私とどこに行ったか清水照道は質問を受けているが、「ゲーセン」や「カフェ」など虚偽の報告を繰り返し、どんな様子であったかも話しているが「超かわいかった」「後もう少しで手を繋げそうだった」など幻覚を訴えていた。
昨日も、どもっていたことに気づいていなかったのだろう。
でも、もし気付いていたら、きっとあんなウェイでパリピの、リア充みたいな人間は秒で馬鹿にしてくるはずだ。私に対する受け答えを真似して、げらげらと下品に笑うはず。今までそうだったし、あいつだけ違う反応を示すことなんてありえない。現に今だって「樋口さんと行くのにおすすめの場所ない?」と半笑いで周囲に訪ねて、河野由夏らは馬鹿にした表情で清水照道を笑っている。
話の矛先が、こちらに向かう前に逃げよう。トイレにでも行こう。
顔をあげて、椅子の音を出さないように立ち上がり、教室を出ていく。
キラキラクソグループたちは清水照道と私の話題から流行りの写真が綺麗に撮れる場所へと変わっていて、私が動いていることに気付く様子はなかった。
◆
トイレの流し場で手を洗い、ハンカチで手を拭く。私の後ろに立つクソ共に頭を下げつつ、トイレから出ていこうとすると、私の後ろで会話を続けていた女子たちは鏡の前で髪をこね回すことを再開した。
その様子をちらりと盗み見て、自分のことを話題にしていないか確認してからトイレを後にする。
時間はまだ次の授業まで余裕がある。どこで時間を潰そうか考えながら歩いていると、ふいに生徒が校門のほうから校舎へと歩くのが見えた。
確かあの人は、二年の先輩で保健室で勉強をしていた人だ。何の気なしに見つめていると、その先輩は校舎を横切るようにして職員専用の昇降口へと入っていった。
もしかして、あの先輩は保健室に登校しているのだろうか。
そう考えると、僅かに昔の記憶が蘇りはじめた。私は廊下の端から視線を逸らし、教室から逸れるように歩いていく。図書室にでも行ければいいけれど、一度行ったとき二年生や三年生のギャルとかヤンキーみたいな集団がたむろしていた。だから行けない。
ため息を吐きながら廊下の隅をなぞるように歩く。すると、廊下の角、行き止まりの廊下に差し掛かったところで聞こえてきた声に、足が止まった。
「昨日はありがとね。話聞いてもらっちゃって」
「べつにぃ〜。だって由夏しぃの頼みじゃん?」
河野由夏の声と、そして、清水照道の声だ。
どうやら、空き教室で話をしているらしい。それなら、私は別に移動しなくてもよかったのに。
その場を立ち去ろうとすると、反対方向ではペットボトルを立たせ、テニスボールを使ったボーリングが始められていた。通れそうな気配がない。慌てて廊下の隅に置かれた掃除ロッカーの陰に隠れると、また中で話が聞こえてきた。
「チダリコにはそーいう話できないじゃん? 寺田も馬鹿だし」
「はは、言うねえ由夏しぃは〜」
「え、だって間違ってないでしょ?」
河野由夏は「え、間違ってる?」と半笑いで尋ね、清水照道はさっきからその受け答えが楽しいのかケラケラと笑っている。すると河野由夏は、「そーいえばさあ」と話を転換するような声を出した。
「樋口さんネタ始めたときびっくりしちゃった」
「なんで?」
「だってさあ、歓迎会のカラオケの時樋口のことあんなつまんなそーな奴見たことないって言ってたし」
聞こえてきた声に、体からすっと血の気が引いた。一瞬時間が止まったみたいになって、慌てて我に返る。
「ああ、言ったねえ」
「面白そうって推してたチダリコ引くくらい切り捨ててさ、あれはあれで超面白かったけど〜」
「なんか面白くできねえかな〜と思ってさあ。音読の時とか周り見た? えっ! なんで樋口と! みたいな顔してんの、超うけるよ。つううかチダリコの反応もすごかったじゃん?」
清水照道は、笑いながらすらすらと流れるように話をしていく。
さっき握り締めた拳に、さらに力が入って爪が食い込んだ。
……馬鹿にしやがって。
なにが「何が面白くできねえかな」だ。私はお前らを楽しませるお笑いコンテンツなんかじゃない。
奴は、笑いに生きているのだろう。他人を笑わせること、人と自分が楽しいと思うことが全てだ。趣味はお笑いとか、そう言っていた。そこに私の感情は絶対に入らない。あいつらにとって私は人間じゃない。玩具だ。
清水照道は、住む世界が違う。私は日陰で生活をする者で、あっちは太陽の下、光合成をして生きているような人種だ。
人生勝ち組が決定している奴が、ぼっちの負け犬の私を構い倒す光景。その様子は通常ではありえないことで、どこもかしこも異常で、変。だからあいつらは面白がって笑う。
でも、私にとってのそれは面白いことじゃない。全然楽しくない。笑いものにされ、玩具にされることが楽しいはずがない。
奥歯をかみしめていると、ホームルームを知らせる鐘が鳴った。二人は教室を出ていき、ボーリングをやっていた集団もいそいそと片づけを始める。私は全員が消えていくのを見計らって、ロッカーの陰から出た。
なんで私が、こそこそ隠れなきゃいけないんだ。
廊下でボーリングしてるやつもクソだし、人のこと馬鹿にしてる河野由夏もクソだし、人のことを玩具にする清水照道もクソだ。最悪だ。みんな死ねばいいのに。
教室へ向かって、一歩一歩踏み込む力が強くなる。音を立てて変に思われないように調整しても、思うようにいかない。
真っ新な廊下の面を睨みながら歩いていると、廊下の曲がり角のところ、ちょうど照明が落とされ暗がりが出来ているところから腕が伸びてきて、一気に捕まれた。
「……っ!?」
清水照道がこちらを私の腕を掴みながら、じっと見ている。その目はふざけているようにも見えず、でも何か強い意思を感じて逸らすと、奴は私の腕を離すことなく「……聞いた?」と呟いた。
「……な、な、な、何がだ」
「聞いてたでしょ。さっきの話」
まるで能面のように感情がない顔に、足が震えた。なんて返事をしていいか分からないでいると、「別にいいよ聞いてても」と、捨てるように言い放つ。
「……どういう、意味だ」
「意味が分かったところで、何も変わらないから。……じゃあ、先教室戻ってるな、萌歌ちゃん」
清水照道は昏い目でそう言ってから、一瞬にして表情をいつものふざけた顔に変えていく。そして私を通り過ぎ、軽やかな足取りで教室へと駆けていった。
何なんだ。あいつは。
私がそれを聞いたところで、あのふざけた振る舞いは継続するということか。
ふざけやがって。
お腹の奥が、煮えるようにむかむかする。いくら拳を握りしめても、奥歯を噛みしめても全然収まらない。
……復讐してやる。
今まで、人に何かをされてきて、死ねと思うこともあったし、殺してやると思ったことだって何度もあった。学校が無くなって、全員消えろなんて思うことはしょっちゅうだった。でも、今私は、明確に清水照道に対して、私が奴を苦しめてやりたいと思った。
あいつはウェイで、生粋の陽キャで、リア充の勝ち組にいる。だから、ぼっちで、生粋の陰キャで、何も得意じゃない私を馬鹿にして、見下しているのだ。何もできないと。
でも、いつかその甘さの隙をついて、苦しめてやる。人のことを玩具扱いさせた後悔をさせてやる。
飄々として、教室へと走る清水照道の背中を、思い切り睨む。
私は、私はいつかあいつに、最低最悪の、復讐をしてやる。