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第二話   知らない顔

 教室の座席が増え、一週間が経った。


 その席の主である清水照道は、私の、そしてクラスの大方の想像通り、あっという間に教室に馴染み、カースト上位の立ち位置を確立させていた。


 初めこそ河野由夏に取り入るようなそぶりをみせていた奴は、転校初日の体育のバスケで活躍をし、その一時間で男子たちの輪の中に入り込み、今ではバカ騒ぎが好きな男子たちと騒ぎながら、河野由夏含む教室の中心にいる女子をいじりつつ笑わせる日々だ。


 二カ月前からいた私より確実に周囲の信頼度も人望もあり、驚くべき速さでピラミッドの上部へと上がっている。


 そして今といえば、休み時間ということもあり教室の後方でへらへらと笑っていた。


 私は清水照道の、あの人を馬鹿にした、うすっぺらい笑い方が好きじゃない。どことなく偽物のような、うすら寒い気持ちがする。会って一週間も経たない相手にこんな風に嫌悪を抱くのは、きっと転校初日にこっちを不躾に見られたことや、あの馬鹿のような明るさが、中学二年のあの時を思い起こさせるからだろう。


「あっ! 照道とまだ動画撮ってないじゃん。撮ろうよ、曲何がいい?」


「えーじゃあこれかこれ?」


 五時間目の授業も終わって、残り一時間の辛抱だと机に伏せていると、後ろから河野由夏と清水照道の声がした。動画を撮ろうとしているのだろう。


 また、動画に映り込んでいることについて言われたら嫌だ。かといって移動するのも嫌だ。でもこの間みたいに、あいつらに話かけられそうになるのも嫌だ。


 うんざりとした気持ちで立ち上がって、奴らのいる反対方向、黒板側の扉へ向かおうとすると、馬鹿にしたような声が聞こてきた。


「もしかして、この間の聞こえてたり?」


 千田莉子の焦ったような声が後ろからかかった。


 河野由夏がすかさず「刺されるんじゃない」と皮肉を込めるように言う。清水照道は「いやそんなことしねーだろ」と馬鹿にした笑いをした。周囲は「怖い」と同調している。


 くだらない。お前らなんか、どうせ私のこと虫けらくらいにしか思ってないくせに。


 私は聞こえていないふりをして俯いた。反応したら終わりだ。少しでも聞こえているそぶりを見せたら、明日からあいつらは玩具感覚で私で遊び始めるのだから。


 そのまま教室を出ると、廊下には暗い、私と同じような人間がスマホ片手にやり取りを交わしていた。


 おそらく隣のクラスだろう。


 隣のクラスは、比較的オタクと呼ばれる人種が多いと聞く。アニメやゲームが好きだったりする人間が多く、体育祭では七クラスある学年の順位で最下位を取り、河野由夏がこれみよがしに馬鹿にしていた。


 廊下には人がいる。かといって、トイレも行けない。あそこは鏡の前で髪形だのなんだのを気にする奴らが集まっている。階段は他の学年の生徒がたむろする場と化しているし、どこにも行き場がない私は、あてもなく歩き始めた。


 くそ、なんで私がこんな、彷徨わなきゃいけないんだ。


 河野由夏は、今の座席になったことを喜んでいた。今だって安堂先生がお伺いのように「そろそろ皆席替えしてみる?」と尋ねると、「まだいいよね?」と周囲に同調するよう圧力をかけるほどだ。授業中寝ててもバレなそうだし、ロッカーに近いところがいいと言っていた。だから動画の邪魔だとか、ぐだぐだ言わないでほしい。そもそも学校は動画撮影の場所じゃないし、悪いのはあっちだ。


 ――むかつく。


 でも、河野由夏腹が立つけど、不満を言ったら最後だ。


 この三年間、きっと手酷いいじめを受けるに違いない。小学校、中学校とそうだった。私は高校に入学してから、今に至る六月までの平穏を続けていかなければいけない。中学と違って、高校は休みが多ければ留年か退学になってしまう。酷い目に遭いたくないからと休むことはできない。我慢、しないと……。


 腹の底で少しずつ沸くような気持ちから目を反らしながら、各教室の時計を確認して授業の開始を待っていく。


 けれど時間の流れは長く、さっきから時計の針が動いている気がしない。階段を下り、上って、結局廊下を一周するような動きをしていると、「きみ」と後ろから声がかかった。心臓が、大きく脈打つ。どうせ私のことじゃないだろうと歩みを止めずにいると、また後ろから声がかかる。


「きみだよ。君。隣のクラスだろう?」


 振り返ると、隣のクラスの担任の蔵井先生が立っていた。


 先生の冷たそうな目は、まっすぐにこちらを向いていて、呼びかけていたのが私だったと理解すると同時に、額に汗が滲んだ。


「実は、君のクラスの担任の安堂先生にね、君のクラスの時間割が変更になるってことを伝えたくて……代わりに伝言してもらえないか?」


 蔵井先生の言葉に、頭が真っ白になった。


 私が、伝言……? どうすればいいのだろう。黒板の隅にでも、書いておけばいいのか。でも誰が書いたのか探し出すような話になったらどうしよう。安堂先生が黒板を見たとき何か言うかもしれない。そうしたら、クラスの人間の前で私は話をしなきゃいけなくなる……。


 周囲の視線が私に集まり、その中で自分が話をしている姿を想像して、どっと汗が噴き出した。すると私の異変に気付いたのか、蔵井先生が首を傾げた。


「どこか調子が悪いのか?」


「……い、い、いや」


 言葉を、出したい。出したいけどうまく話せない。


 駄目だ。だから話なんてしたくなかったのに。教室を出たらいけなかったのか


 ぐるぐると頭が回っていく感じがして、頭が痛い。何とか言葉を口から出そうと小刻みに腕をゆすっていると、私の肩に誰かの手が置かれた。


「先生何してるんすか?」


「おや、君は確か転校してきた……」


 顔を上げると、私の肩に手を置いたのは先生ではなく、清水照道だった。


 奴はそのまま私の前に立つと「清水でーすっ」と軽い調子で答えながら、ちらりと伺うように私を見て、また先生に向き直った。


「それで、先生何してたんですか? 用事なら俺がやりますよ、俺早く打ち解けたいんで。こんな時期に転校してきたわけだし!」


「いや、時間割が変更になる、という言葉だけ君たちのクラスの担任の先生に伝えてもらいたかったんだが、どうやら彼女、体調が悪いようで……」


「あっ! じゃあ俺が保健室連れて行って、そんで安堂先生に伝言しておきますよ」


 てきぱきと、最初から決めていたような会話のラリーが続いていくのをただ眺めていると、いつのまにか清水照道が私を保健室に連れていく流れに変わっていた。でも、多分蔵井先生の手前そう言っているだけかもしれない。先生は「じゃあ頼んだよ」と踵を返し去っていった。


 きっと、清水照道は伝言くらいならしてくれるはずだ。蔵井先生は鋭い目つきと、何かあったら必ず怒ることで有名だし、それは奴も知っている。


 しかし安堵する私とは裏腹に、清水照道は私の顔を心配そうに覗き込んできた。


「すげえ顔色悪くね? 吐きそう?」


 奴の言葉に、黙って首を横に振る。しかし奴は私をじっくりと観察し、「いやこれ保健室行きだろ」と呟いて、私の背中を軽く押すように歩き出した。


「え、え」


「保健室まで連れてくわ。冷や汗出ちゃってるし、顔真っ青だし。……あれ、もしかして俺のことわからない? 俺同じクラスで一週間前転校してきたんだけど……知らない?」


 全部違う。


 顔色が悪いのは、先生に伝言を頼まれたからだし、体調不良じゃない。それに、別に顔と名前が分からないわけじゃない。逆らうように足を止めると、清水照道が私を見た。


「もしかして保健室に行きたくない? 何か嫌な奴とか先生でもいる?」


「……ち、ち、違う」


 なるべく自然になるよう意識して話す。でも、全然駄目だ。馬鹿にされるかもしれないと様子を伺うと、奴は黙ったまま私を見て、「じゃあやっぱり行ったほうがいいって」と、私の肩を支えるように歩き出す。


 まるで、私の話の仕方に何も思っていないみたいだ。でも、そんなはずない。聞こえていなかった? でも、私の言葉に確かに奴は返答をしていた。


「……あ、あー。ま、待って、わ、私はほ、保健室に行かなくて、だ、だー、大丈夫……」


「そんな顔色悪くて何言ってんだよ。顔色真っ青で見せてやりたいくらいだし。このまま放っておいて教室で倒れましたなんてなったら、俺すげえ最悪な奴じゃん?」


 清水照道は「だから却下」と付け足して、私を保健室へと連れて行く。私は戸惑いながらも、奴に引かれるように保健室へと向かっていた。


「失礼しまーす、体調不良の生徒でーすっ」


 保健室に到着すると、清水照道は先陣をきって中へと入っていった。


 転校生にも関わらず、奴はすいすいと泳ぐように保健室へと最短ルートで辿り着いていた。おそらくクラスの人間の誰かが案内をしたのだろうと思う。


 奴の後を追うように保健室に入ると、部屋の中は中学の時と変わらないような、奥のほうにカーテンで仕切られたベッド二つほど並び、棚が部屋全体囲むような感じだ。


 窓際には先生が作業をしているであろう事務机があって、中央にも大きな丸い机が鎮座している。そこを縁取るように椅子が点々と置かれていて、丁度中央の位置にマスクをつけた中性的な生徒が座っていた。


 テーブルには、その生徒のものらしき教科書が置かれている。二年と書かれているから先輩だろう。清水照道はその生徒に近づいていくと、「ちょっと体調悪い生徒いるんすけど、先生どこっすか?」と尋ねた。


「ああ、先生なら今職員室で電話をしているよ」


 先輩は立ち上がり、何か金属がこすれるような音とともにこちらへと歩いてくる。制服はズボンをはいているけど、この学校では男子の制服のズボンの他に、女子と男子共用のズボンがある。それらは柄で分けられ、先輩が履いているのは共用カラーで性別の判断が出来ない。声色も高いとも低いとも言える声だ。


「体調が悪いのは君かな? 確かにあまり顔色がよくないね」


 先輩は私の顔を覗き込む。そのくるくると宙に円を描くように絡んだ前髪は長めで、瞳こそ見えるものの、マスクと同じように顔全体を隠しているような印象を受ける。恐る恐る頷くと「なら君は寝ていてもいいよ」と私をベッドへと促した。


「保健室ではいつから体調が悪かったか、またどんな症状があるのかを記入するシートがあるけれど、そこまで顔色が悪いのだから、まぁ後でもいいはずだよ。先生が来たら僕が話をしておいてあげるね」


 先輩の言葉に、少し迷って清水照道の方を向いてしまうと、奴は安心したようにうなずき「次の授業の先生には言っとくな」と笑った。


 完全に、私が保健室で休む空気が作り上げられている。でも、言葉に甘えた方がいいのだろうか……? そこまで私はひどい顔色をしている?


 保健室の流し台の壁に貼られた鏡に目を向けると、確かに冷や汗を流し血色が失せたような私の顔が見えた。


「あ……、じゃ、じゃ、じゃあ」


 恐る恐るベッドへと歩いていくと、先輩が「ベッドに上がるときは上履きを脱いでね。ああ、カーテンを自分で閉じるのも忘れないで」と付け足した。


「じゃあお大事に。樋口のこと、よろしくお願いします」


 そう言って清水照道は保健室を去っていった。先輩は席について勉強を再開していく。


 私は戸惑いつつも、ベッドのそばにあるカーテンを閉じて、上履きを脱いでからベッドの上に横たわった。天井はシミ一つなく、ただただ白い。そしてそれを四角く切り取るように、薄ピンクのカーテンが囲っている。


 耳を済ませると、先輩が何かを記入する音と、時計が針を刻む音が聞こえてきた。足音は何も聞こえない。きっと清水照道は保健室から完全に離れたのだろう。


 目を閉じると、さっきまでの廊下での出来事が蘇る。


 もしかして、いやもしかしなくても、私は今、清水照道に借りを作ってしまったのだろうか。あんな、パリピみたいな人種の奴に。というか、教室では馬鹿にしていたくせになんなんだあの態度は。


 というか、奴はそもそも動画を撮るとか言ってなかったか? そのせいで私は、教室から出て行ったはずなのに。


 不思議に思っていると授業開始を知らせる鐘が鳴り響く。私は身体をベッドに預け、真っ白な天井をただただ見上げていた。

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