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第十九話  砂時計

「じゃあ今日は合唱コンクール本番ね! みんな今まできちんと練習してきたのだから、きっと努力は報われるはずよ!」


 合唱コンクール当日、図書館のホールの座席で、安堂先生がぱんと手を叩く。


 ホールの席順が歌う並びだったらどうしようと思っていたけれど、普通に出席番号順だった。


 いくつか開けた席に寺田が座っている以外は、周りは吹奏楽部の人間で喚いたり騒いだりもない。安堵していると、後ろのほうでは保護者が入場しはじめ、私のお父さんやお母さんも座り始めた。


 お母さんとお父さんは、今日の行事を楽しみにしていた。お父さんは普段本当に仕事が忙しく休めている気配がないのに、休みをもぎとったと喜んでいた。私が学校の行事に参加することは、やっぱりお母さんとお父さんにとって嬉しいことらしい。


 安堂先生は「じゃあトイレに行きたい人は行ってきて」と皆に声をかける。私の座席は一番端だし、座っていれば邪魔になる。別にトイレになんて行きたくないけど、お母さんやお父さんたちの手前、何か詰まっているような姿を見せたくはないし、立ち上がって出口のほうへと向かっていく。


 お父さんとお母さんは私に気づいて手を振ってきた。控えめに返しながらホールの外へ出ていくと、ホールの外も生徒や生徒の保護者で賑わっていた。三浜木宋太の出現に警戒しつつそのままトイレに行こうとすると、つんと背中をつつかれる。振り返ると、清水照道が特に表情も作らず立っていた。


「今日、無い日だから」


「……え」


「……ボランティア」


 単語だけ簡潔に言われた言葉の意味を徐々に理解していく。清水照道は「じゃ」と人の群れへと踵を返した。もしかして、私が思い出して吐いたりしないように単語だけ言ったということか。


「お、おい」


「ん?」


 呼びかけると、清水照道はすぐに振り返る。何か、言わなきゃいけない。お礼を。そう考えている間にも、奴はは自然なように私を待っている。そうして一言、言葉を何とか言おうとすると、「あ」と何かを見つけたような、軽い声が横から響いた。


 清水照道を、真っすぐと見る大学生くらいの、女の人。


 女の人は清水照道を見て驚くように見ている。清水照道も、驚くようにしている。そして女の人はゆっくりとこちらに顔を向け、さらに大きく目を見開いた。


「あ、あの時の」


 女の人は、清水照道を見た時の数倍私を見て驚き、唇を震わせている。その様子に清水照道は何かを理解したらしく、驚くこともなく平静な状態に戻った。意味も分からず私が混乱していると、女の人は私の手を掴み、ぎゅっと握りしめた。


「私、バスを待っているときに、去年の冬ごろ、えっと……すみませんちゃんと説明しますね。去年の冬ごろ、雨の日にバス待ってるとき、立ちくらみ起こしちゃって、それで荷物道路にまき散らして、でも私ふらふらしたままの時に、あなたに拾ってもらって……覚えてますか?」


 去年の、冬。確かに覚えがある。雨の中ペンケースやノートが散乱して、私は拾った。拾って、ありがとうと言われて「どういたしまして」が上手く言えず、逃げるように立ち去った記憶がある。そして、どうして一言すらまともに言えないのかと思った。その記憶が強い。


 頷くと女の人は嬉しそうに私の手をぎゅっぎゅと握る。何とか声を出したくて、でも出なくて困っていると、清水照道が「すいません、ちょっとトイレ行こうとしてるとこなんで」と割って入った。女の人は「あっごめんなさい」と私の手を離す。


「実は、私の弟がこの合唱コンクールに参加していて、見に来てるの。あなたのような子と仲良くなってもらえたらうれしいんだけど……。ああまた話を長くしちゃったわね。ごめんなさい。じゃあ」


 そう言って女の人は頭を下げた。私も頭を下げトイレに行こうとすると、女の人はつとむ、と遠くへ手を振る。すると遠くに寺田の姿が見えた。寺田は女の人を見て「姉ちゃん」と呟く。


 まずい。


 とっさにトイレへと逃げ込むように入る。中は列をなしていて、私が並ぶとすぐに二人、三人と並んだ。その様子にほっと安堵しながら、さっきの光景を思い返す。あの女の人は、寺田の姉……? 頭の中がこんがらがってきた。


 突然前に拾いものをした相手が出てきて、その人が寺田の姉で、そして寺田の姉は、清水照道を知っている?


 情報が多すぎてわからない。思えば、清水照道は転校当初、私を見て驚くような、睨むような変な目で見ていた。となると、寺田のお姉さん経由で、私は清水照道に会ったことが……、寺田のお姉さんと会ったのは、バス停だ。そのバスを、清水照道が利用していたりして、そこで会ったことがある、とか?


 考えながらトイレを済ませ、また自分の席へと戻っていく。遅れて戻ったから、座席はほぼほぼ埋まり端である私が空席でいる必要ももう無さそうだ。私は席に座り、ほどなくして始まったほかのクラスの合唱に耳を澄ませながら、以前清水照道と会った記憶を頭の中で探していた。





 案外、合唱コンクールはあっけなく終わった。


 順位の発表も終わり、先生が座席に座ったままでいいからと、簡単な諸注意の説明をしていく。けれど帰りに寄り道しないだとか、そういう話ばかりだ。明日は他の学年は文化祭の片付け、一年生はそれの手伝いをするらしい。


 どうして参加してない文化祭の片付けをしなきゃいけないんだと不満がそこかしこから飛んでいく。音読や朗読、指名をされるんじゃないかとひやひやすることよりもましだ。適当に話を聞きながら、千田莉子のほうを見る。


 結局合唱中も、舞台裏で待機をしている間も、河野由夏が千田莉子に話かけることはなかった。


 文化祭で劇的に、何かが変わるんじゃないかと期待したけれど、そうじゃなかったらしい。千田莉子については、好きか嫌いかでいえば嫌いだ。でも一人が仲間外れにされている状況は見ていていい気がしない。だからといって、助けようと行動は出来ないけど。


 でも、きっと千田莉子にとっては、私も、私のほかに千田莉子の状況を良しとしない人間がいたとしても、全員が敵に見えているんだろうと思う。


 昔、私はそうだった。今も、そうかもしれない。学校の人間は、全員敵。積極的に加害してこないやつらも、きっと手を出してこないだけで私の敵だと思っていたし、今も思っている。自分は、昔あんなにも憎んでいたそちら側に、今は片足を突っ込んでいるのかもしれない。そう思うと喉が詰まった。


 俯いていると「さよなら」という先生の号令の声の大きさにはっとして顔を上げる。気付くと生徒たちは皆帰るべく動き出していて、私も慌てて座席から去ろうとする生徒の邪魔にならないようにどいた。


 今日は、お父さんはこのまま仕事に行って、お母さんと帰る。お母さんは駅の裏手の喫茶店で待ち合わせをしようと昨日約束をした。


 さっさと帰ろうと図書館を出て、人の群れを外れるように人気のない道路を通っていく。普段の六時間授業よりも遅い時間に終わったせいか、あたりは日暮れを超えて街頭の光を強く感じるほどに暗くなっていた。気のせいか人の顔も街頭に近くならないとよく見えない。この調子じゃ別に遠回りせずとも大通りを通るだけでよかったと考えながら道を歩いていると、ぱっと後ろから腕を掴まれる。驚きで大きな声が出そうになると、ぱっと口元を塞がれた。


「危ないよ萌歌ちゃん。こんな暗い道通ってたら危ないやつにぱーって捕まって、そのうちぱーって連れ去られるかんな」


 清水照道はそう言って、すぐに私の口元から手を離す。どう考えても道端で人の口をふさぐお前のほうが危ないやつじゃないのか。睨みつけると奴はぽんぽんと私の頭を無遠慮に撫で、私の腕を引く。


「お母さんかお父さんと待ち合わせしてるっしょ。送ってく。暗いし、放っておいたら秒でキャリーケースとか詰められそうだし」


「……な、なんで、そーれを、し、し、知ってるんだ」


「照道くんの名推理。萌歌のママとパパは萌歌と仲良しだし、萌歌もママとパパが好き。こんな暗い時間に解散になって、ママパパだけほいほい萌歌残して帰宅なんて、考えにくいし」


 確かに、奴がそう考えるのは、自然かもしれない。お父さんとお母さんの私への態度を見ていれば、そう考えるほうが自然だ。納得していると奴は思い出すようにこちらに顔を向ける。


「萌歌のお父さん、新聞社に勤めてるんだってね。担当は基本事件系」


「そ、そ、それも、す、推理か」


「まぁ、そんなとこ? だから多分萌歌のお父さんが、俺の本当のご両親がいたいけな照道くんにあげたのはその名前だけ。あとは貧乏しんどすぎて二人仲良くあの世に行って、照道くんがその死体を発見して連絡したってことは、もう萌歌のお父さんは知ってるのかなあ」


「あ……」


「やっぱり、なんか萌歌の俺を見る目が変だと思ってたけど、俺についていろいろ知ってたわけか。名前検索でもした? それとも俺の事気になって、俺みたいに調べちゃったとか? 萌歌ちゃん隠し事下手すぎ。かわいー」


 清水照道の言葉にはっとした。今私は、奴にかまをかけられた。そして、引っかかってしまった。街灯がちょうど少ないところを歩いているため、奴の顔は見えない。じっと黙っていると奴は何かを知った被るような口調で笑いだす。


「あれ、もしかして萌歌ちゃん、同情しつつ俺のこともっと好きになっちゃったとか?」


「……す、す、好きになるわけないだろ! ……き、きーらいだ。……お、お、お前なんか」


「えぇ〜」


 言葉のわりに確認をされているように感じるのは何故だろう。


 というか今、いいように利用された気がする。私は奴に、奴の過去を知っているか聞かれ、そのあと私からは、踏み込ませようとしない。話をすり替えられた気さえしてくる。


「でもまぁ安心してよ。今はいいところの養子に貰われて、前と比べて超いい暮らししてるし。だから安心して嫁に来ていいよ」


 清水照道はけらけら笑う。また、この笑い方だ。何が楽しいのか、分からないような笑い方。前までこの笑い方を聞いていると、苛立った。でも今はもしかして、本当はこいつは、ものすごく傷ついて、どうしようもないくらい辛い中で生きてて、笑うしか出来ないから、笑っているのか。そんな風に思えてくる。


「お? 俺に同情しちゃってる感じ? 超騙されやすいじゃん! 駄目だって、そんなんだったらすぐ俺にさらわれて閉じ込められちゃうよ?」


 その笑い方に、声色に、胸がぎゅっとした。こいつは最低な人間で最悪のクズだ。だから、私は復讐をする。そう確かに決めたはずなのに、最近では全くこいつに復讐をしようとなんて思わない。馬鹿にされていることは続いている。それですら理由があるように思えてきてしまう。洗脳されてるのかもしれない。でも。


「萌歌……?」


 なんとなく、奴に掴まれている手を、握り返す。そうしないと、こいつがどっかに飛んでいくような、砂みたいに一気に崩れるような、そんな気がする。いっそどっかに吹き飛べとか、思わなくもないけど、今はこうしていたほうがいい気がする。奴は私が手を握るのを見て、試すみたいに握り返してきた。


「手、繋いでてくれんの?」


 どこか、安心するような、言い聞かせるような、そんな声だ。


「ほ、ほーねを、お、……折ろうとしてる」


「萌歌ちゃんなら、折ってもいいよ」


 鼻で笑うみたいに、清水照道は笑う。私はその皮肉めいたような笑い方が、限りなくこいつらしい気がして、なんとなくもう一度握る力を強めた。

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