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第十五話  馴染みある距離

 夏休みが明けて、一週間が経った。


 音楽の授業は合唱コンクールの練習に代わり、ホームルームも練習だ。並び順は、最悪のままだ。練習のとき私は大抵最初に並んでいて、あとから河野由夏と千田莉子がやってくる。歌の練習を始めると大抵二人は私の頭上で会話をしていた。練習の時くらい黙っていればいいものを、私のことなんて放っておけばいいのに千田莉子はちょくちょく私に対して「声小さくない?」と河野由夏に指摘をする。河野由夏は「え? どうでもいいから全然聞いてないんだけどナスリコこういうのガチのタイプなの?」という話題を繰り返されている。


 とにかく放っておいてほしい。自分たちだけで楽しくしていればいいのに、どうしてあいつらは私を巻き込もうとするんだろう。


 うんざりとしながら、放課後の廊下を校舎から出ていこうとする流れに逆らって歩いていく。目指しているのは保健室だ。目的は萩白先輩に鍵を返すため。


 本当は始業式の放課後に渡すほうが良かったのかもしれないけど、先輩のあの様子を見て、一週間が過ぎた今日にした。すぐに保健室が見えてきたけど、扉には先生の不在を知らせるプレートがかかっていた。


 駄目もとで扉に手をかけても、開く気配はない。


 今日は、もういないのかもしれない。


 踵を返そうとすると、鍵が開かれる音が響く。振り返るとマスクをつけた萩白先輩が手招きするように手を振っている。促されるまま私は保健室に入った。


「どうしたの? 体調が悪い?」


「……こ、こ、れ」


 鍵を差し出すと、先輩は「ああ」とどこか複雑そうな表情で鍵を受け取った。


「ありがとう。もしかして、恥ずかしいところを見せてしまったのかな」


「い、いや」


 返事をして、沈黙が訪れる。


 何か言ったほうがいいとは分かっているけど、何を言っていいかが分からない。そもそも、どういう言葉を話せばいいのかわからない。何も言えず、そして先輩も何も言わずただただお互い黙ってると、がしゃんと扉に何かがぶつかる音がした。先輩は目を見開き、私も急いで振り返ると清水照道が立っている。


「その子どこか悪いんですか?」


 血相を変えて、息を切らしている。なんでこいつはこんなに急いでいるんだ。萩白先輩も目を見開いている。首を横に振ると、先輩は「彼女は私の落とし物を届けに来てくれたんだよ」と説明をする。清水照道はほっと気の抜けたように「なんだ、そういう……」と息を吐いた。


「彼女は体調不良じゃない。安心しなよ」


 萩白先輩は少し笑い声を交えながら、私のそばに寄る。そして「良かったね、こんなに心配してくれる人がいて、大事にしたほうがいい」と私を見た。誤解をされていると否定する前に、清水照道は途端に「うん、俺のこと末永く大事にしてやって」とおどけだした。


「……じゃ、じゃあ。これで、か、帰ります」


「今日はありがとう」


 先輩に挨拶をしてから清水照道を放置し保健室を出ようとしたら、奴もついてきた。驚いたのが顔に出ていたのか、奴は「いや俺もおうち帰るから、照道くんも保健室から出してあげて」と私の肩を軽く叩く。保健室を出てからすぐに足を止めると、奴も足を止めた。


「帰んないの? 何今日残りとか?」


「ち違う」


「じゃあ帰ろ。もうこの間みたいに寄り道しまくったりしないし」


「きょ、今日は……予定が、ある」


「どんな?」


「……が、が、がっ、合唱の、とっ、図書館ホール、に、下見を」


「じゃあ俺も行く」


 清水照道は私の言葉に即答すると、私の肩を掴んでさっさと歩いていく。振り払おうにもさっき私の肩を叩いたような力じゃなく、強い力が込められていて振りほどけない。その力の強さに切迫したものを感じていると、流されるまま下駄箱に連れていかれる。


 ホールに向かうのは、合唱コンクール当日、緊張しておかしなことにならない為だ。歌うときは普通に歌えるけど、今は最悪の並び順。


 ただでさえ千田莉子が難癖をつけてくる。当日緊張して変な声が出たり、逆に全く出なくなったりしないように、せめて会場の雰囲気をさっと見て、会場だけには慣れておこうと考えたからだ。買い物をするわけじゃないし、図書館は静かにしなきゃいけない場所だから話をしてくる人間もいない。コンビニよりも行くハードルは低い。


 でも、それは一人で行くからだ。


 なんでこいつはついて来ようとしているんだ。今まで「樋口さんと帰りたいけどさそえなーい」なんてふざけたことをこいつは言い続けてきたけど、どうしてそれがよりによって今日なんだ?


 混乱している間に奴は勝手に私の上履きを履き替えさせてどんどん歩いていく。校舎にも、校門のほうにももう人はいない。私は奴に引っぱられるままに図書館まで歩かされていった。





 本がぎっしりと並ぶ棚に沿って人が立つ景色を横目に、清水照道の隣を歩く。


 結局奴は図書館に着くまで私の肩を放すことはなかった。流石に図書館の中で無理やり人を連行するのはよくないと思ったのか、図書館にたどり着くと奴は私を解放した。帰ってやろうと思えば察したのか瞬時に腕を掴まれたため、渋々一緒にいるけど、本当にこいつのことが良くわからない。


 人のことを壊れ物を扱うみたいに変な触り方をしたと思えば、こっちを無視するように強引に運ぼうとする。


 隣を歩く奴を睨むわけにもいかず、館内の寒いくらいの冷房に身震いしながらあたりを見回す。


 図書館の中は、司書さんや、ボランティアと書かれ腕章とエプロンを付けた人たち、そして図書館の利用客でそこそこ混んでいた。


「待てって、そっち男子トイレ。トイレ行きたいならこっち」


 黙々と進むと、清水照道が私の腕を引いた。無性に恥ずかしくなって、トイレの横にあったカレンダーを指さして睨むと「あ、俺勘違いしちゃった感じ?」とへらへらしてくる。


「つうかさ、合唱コンの次の日の一か月後って萌歌誕生日だよな。まじでめでたい。祝日になんねえかな」


「……な、なんだそれは」


 誕生日は、教室に貼っているカードを見たのだろう。でも、何でこいつは図書館の中について知っているんだ?


 思えば奴は、図書館に行くまで強引に私を連行した。私は一度も道を奴に伝えていない。


 六月に転校してきて地元の人間じゃないはずだ。でも前に、そうだ、前に清水照道が私をこうして連れまわした時、薄暗い、今にも潰れそうな団地みたいなところに連れていかれたことがあった。


 あの道はすごく奥まった道や入り組んだ道を通って、こいつに変な気を起こされて捨てていかれたら終わると思った道だ。


 転校してきたということは、引っ越しもしたわけで、何でこいつはあんな道を知っているんだ。こいつの最寄り駅は、学校の最寄り駅から七つくらい離れて、引っ越してきたから道を見回って知ったような場所でもないはずなのに。


 河野由夏たちと、一緒に行った?


 その可能性が一番高いはずなのに、どうしてもそう思えない。奴に腕を引かれるまま考えていると、いつの間にか図書館に併設されたホールの前まで来ていた。


「ほら、ここだよ。俺らが合唱で行くホール」


 清水照道が私の腕を掴んでないほうの指で指し示す。ホール自体は何も開催されてなくて、準備期間中の立て札が掲げられ入れないけれど、手前には案内図がある。そこには内部の写真が何枚か乗せられていて、一つ一つ視界に収めていく。


 広くて、明るい場所だ。学校の合唱で使うホールだから、もう少し体育館っぽい場所を想像していたのに。


 コンサートとか、舞台とかそういう言葉が似合うようなホールで、少し胃のあたりがぐるぐるする。それに隣のホールのスケジュールに書かれたスピーチコンテストの文字が見えて、喉が詰まった。


「冷房きつい? なんか下に飲みに行く? 休憩所あるみたいだし」


「こ、ここから、は、はーなれれば、……平気」


 清水照道は「おっけ」と呟いたあと、スケジュールの表を睨むように見る。そして私の腕を引き、場所を移すように図書館の奥へと入っていく。


 やっぱりこいつは、この図書館について知っているらしい。奴につられるままに進むと飲食可能な休憩所に出てきた。隣は古い新聞を保管する場所らしく、おじいさんやおばあさんが虫眼鏡を使ったり、分厚いレンズの眼鏡をかけながら新聞を見ていた。お父さんが手掛けた新聞も、あっちにあるのかもしれない。


 なんでもない景色を見て、段々と中学の記憶薄れていく、静かに息を吐いていると、清水照道は自販機にお金を入れお茶を買い、それを私に差し出してきた。


「ん。あったかいお茶」


「で、でも」


「いいから、萌歌ちゃん今日あんま水分取ってなかったし、最後に飲んだの昼の飯食うときくらいっしょ? 水分とっとけって」


 奴は私に押し付けるようにお茶を差し出してくる。というか何で私が最後に飲み物を飲んだことをこいつは把握しているんだ。


「なー、んで、飲み物、飲んでないって、し、し、知ってるんだ」


「萌歌ちゃんのことなら、何でも見てるから」


 清水照道の言葉に自然と眉間に皺が寄る。奴は「本当だよ」と付け足した。私は別に疑ってなんかない。なんでこいつに把握されなきゃいけないんだと思ってるだけだ。でも真面目に取り合ってるとこっちの気が変になりそうでお茶を受け取る


「お、お、お金」


「絶対受け取んないから。っていうかただのお茶だし」


 真剣な眼差しに委縮する。視線を彷徨わせながら私は頭を少し下げた。


「……あ、あ、ありがとう」


「どーいたしまして」


 清水照道は笑った後、懐からスマホを取り出し、「あいつらもう駅のほうか」とぼそりと呟いた。あいつらもう駅のほうかって何だ。こいつは誰の居場所を把握している? こいつに対して、知らないことが多すぎる。怪訝な顔で奴を見てると、奴はにやにやした顔で笑い始めた。


「なに萌歌ちゃん、俺のことじーっと見ちゃって。見とれてる?」


「そ、そーんなわけ、……な、ないだろ」


「何だ。てっきり俺のこと好きになっちゃったのかと思ったのに」


「……あ、ありえない」


「知ってる」


 清水照道は私の言葉に、なんだか突然真面目そうに、何かを全て知っていて、諦めるみたいな顔をして答えた。その表情が全然さっきまでと別人みたいで、時間が止まったような感覚に陥る。けれど奴はすぐまたテレビのチャンネルを切り替えるみたいに「なんちゃって〜」とおどけ始めた。


「ほら、俺のこと気にしてないで水分取んな? まだまだ熱中症は全盛期まっさかりなんだし、倒れでもしたら俺泣いちゃうからね?」


「た、た、倒れたのは……お、お前だろ」


「その節はどーも」


 奴は軽口を叩くようにして笑う。何となく、こいつ相手だと話をすることが、そこまで嫌な感じがしない。そう考えてはっとした。


 いや、それはこいつの存在が嫌すぎて、言葉に対しての嫌悪が紛れているだけだと思い直す。こいつにいつもさんざん馬鹿にされていることを忘れたのか。私は咳ばらいをして、やたらこっちを見て不思議がる奴から顔をそむけるようにして、奴から貰ったお茶を飲んだのだった。

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