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第十三話  奇跡の日

 お盆が終わり、ほぼ平日になった電車内の中、閑散としながらもどこかに出かける子連れや、プールバックを抱えた同い年くらいの陽キャを横目に、素早く流れる車窓に目を向ける。


 お墓参りから一週間、私は清水照道の家へと向かっていた。


 出来ることなら、あいつの家の近くに、あいつに近づきたくない。今もそうだ。だからあいつに住所を聞いた後もハンカチを届けるか届けないか、ずっと悩んでいた。


 でも両親は校外学習の三日後くらいに、奴にお礼にとなんだかとても仰々しい箱を用意していたのだ。


 お母さん曰く中身は近くのお菓子屋さんのクッキーで、確かに見覚えのあるような包装紙だった。でも学校経由であいつに連絡を取った後、そんなことしなくていいと断られ連絡先も教えられなかったらしく、クッキーの入った紙袋はリビングに居場所の無いようにぽつんと置かれていた。


 両親は、私を助けに来てくれた人間がいたことが本当に嬉しかったんだと思う。今まで私は学校で何かされたと言えば、物を壊されるか服を汚されるか怪我をさせられるかだった。でも今回私は勝手に遭難して、あいつが助けに来た。いつもなら両親は学校に行くことを進めるような言葉は間接的にでも絶対に言わないのに、「あの箱、夏休みが終わったら清水くんに持っていってくれないかな?」と言ってきた。


 間違いなく学校で渡せばあいつらの言う「ネタ」にされると考え、私はそのクッキーを夏休み明け自分の部屋に置いておくと決めていた。


 それから日が経ち、お墓参りで奴と会い住所を聞き出したこともあって、あいつにクッキーを渡さないと決めたことが私の頭の中から離れなかった。


 そしてふと、別に直接届けなくても、ハンカチをポストに入れておけばいいことに気付いたのだ。


 直接届けず、クッキーの箱もポストに入れておけば、奴と出会わなくて済む。ハンカチを一緒にポストに突っ込んでおけば、私か、私の両親からだと分かるだろう。学校が始まって「クッキー届けられた」なんて言われる可能性はあるけれど、私は住所を聞いてしまっている。クッキーを届けても届けなくても何かしら言われる可能性はあるのだ。それならもういっそ届けるかと、そう思い立った。


 夏休み終了まで、おおよそ十日。お墓参りをして約一週間後の今日、私は奴の家のポストにクッキーを届けに行くことにした。


 両親には清水の家に行くと言ったときついてこようとしたけど、一人で行きたいことを伝えて一人で家を出た。


 私の家から奴の家までは駅で五つほどの距離がある。迷わなければ誰かに話しかける必要もないし、迷ったとしてもスマホの地図アプリがある。


 奴の家は住所を検索にかけたけど、本当に普通の家に住んでいた。地図アプリでポストの位置も確認した。クッキーの紙袋が入るかは微妙だけど、きちんと包装紙に包まれているし、袋から取り出してそのまま箱を入れればいい。


 大丈夫だと心を落ち着けていると、奴の家の最寄り駅にたどり着いた。電車から降り、人目を避けるように改札を潜り抜け駅を出る。


 駅の何番の出口から出ればいいかは調べ済みだ。


 レジに行く必要もないし、買い物をするより確実に楽なはず。なのに緊張は溶けなくて、視線を落としがちにしながら地図アプリを頼りに歩いていく。


 駅を降りてすぐは、大通りになっていて、大きな会社や同じようなコンビニが等間隔に並んでいた。そのせいか人通りも多い。ぶつからないように、間違っても話しかけられないように歩いていくと、徐々にそびえたつようなビルは減り、木が増えて、アスファルトの地面もレンガ造りのようなものに変わっていく。


 地図アプリと景色や周りの建物を何度も見返し歩いて行って、電柱や掲示板にのっている住所とあいつが書いてきた住所を見比べるように歩くと、少し奥まった通りに出た。


 多分、清水照道の書いた住所が偽物でなければ、正しいはず。


 あいつが住所を書いたときに言った言葉は何となくおかしなものだったけれど、嘘をついているような気はしなかった。住宅街へと足を踏み入れ、清水の表札を探していくと、アプリで見た白塗りの壁が視界に入った。恐る恐る名前を確認すると、ガラスのプレートにローマ字で清水と記されている。


 アプリで見た時よりも、大きく感じる。


 とにかく、さっさと用事を済ませよう。……このままここに居たら、知らない奴に馬鹿にされて嫌な目に遭うかもしれないし、もしかしたらあいつが家に帰ってきたり、家から出てくるかもしれない。あいつの家族と鉢合わせる可能性だってある。


 私はさっさとポストにハンカチを入れた袋を突っ込んだ。そして次に、クッキーの箱を入れようとする。でも、蓋の幅がぎりぎりのところで擦れてつっかえてしまった。ほんの少し、箱を潰せばいけるかもしれないけど、中身はクッキーだ。どうしようか迷いながらもう一度潰れないように入れることを試みる。もう少し、あと少し、潰さないように角度を変えていると、ふいにぽんぽんと肩を叩かれた、振り返るとぶす、と頬に指が刺さった。


「なあにしてんの?」


 振り返ると、清水照道が私の頬に指をさして、にやにやとした顔で笑っていた。格好はウェイのクソパリピ感も無く、いつかのお墓参りのときみたいな真っ黒な、烏みたいな服で、白っぽい住宅街も相まって、こいつだけ嫌に浮いたように見える。


「お、お……おお、お母さんが……く、クッキー、お礼に」


「まじ? 超嬉しい。じゃあポストくんじゃなくて照道くんが受け取っとくわ」


 そう言って清水照道は、私がポストに入れようとしていた紙袋を掴んだ。そしてあたかも自然な流れとでもいうように門を開くと「ほら」と入るように促す。


「……は?」


「何か飲んできなよ。せっかく家まで来たんだし、今日は暑いし」


「い、い、いや、……か、か帰る」


「帰るときは送ってくから、ほら」


 とん、と押されてそのまま後ろを歩かれ門の中に入れられる。奴は紙袋を持ちながら私の肩を掴みどんどん歩かせる。そして玄関の扉を開くと、そのまま私を軽く押し込むようにしてその中に入れた。


「親さあ、海外に居て、家にいるの俺だけだしあんま緊張しなくていいよ」


 玄関で靴をスリッパに履き替えさせられ、長い廊下、よく分からない広間を色々抜け、一応リビングっぽいところに出てきた。けれど、家と言うには広すぎると言うか、今いるここが、おそらくダイニングキッチンか、いまいち自分のいる場所がよく分からないし、立っていていい場所もよく分からない。


 それに、異常なほどここには物がない。リビングってもっとこう、棚とか机とかテレビとか、色々あるものだ。でもそれがない。生活感がまるで感じられない。引っ越しをするからすべて荷物をまとめて出て行って、テーブルとソファだけ邪魔だから置いてきたみたいな、そんな部屋だ。


「適当にしてていいよ、座ってて」


 そんな部屋でまるで場違いな笑顔を清水照道は、する。


 ソファがあるからそこに座っていろという意味だろうけど、何となく座りづらい。ソファを人差し指で少し触ってみると、ふかふかと指が沈み込んだ。しばらくそうして床に座るかと考えていると、今度は奴は台所に向かって行き冷蔵庫の前に立った。


「オレンジジュースでいい?」


 奴が冷蔵庫からパッケージが英語で書いてある瓶を取りだす。見たことが無いけど、色がオレンジだし、オレンジの断面が描かれているから、まぁオレンジジュースなのだろう。いらないと言ったら、じゃあ何がいいかと聞かれそうだ。黙ってうなずくと奴はグラスを二つ食器棚から取り出した。


「じゃあ、萌歌ちゃんから貰ったクッキーも開けちゃおっかな」


 清水照道は、いそいそと手土産の紙袋を開く。その姿にそこはかとなく、不安を感じた。


 だって、こいつはきっと、いっつもキラキラしたようなものを食べている。写真とかをネットにあげて、たくさん評価されるような。そんなこいつに家の近くのお菓子屋さんのクッキーを渡して、馬鹿にしてこないだろうか。


 お母さんと、お父さんが、喜んで買ったクッキー。


 笑われたりしないだろうか。


 ぎゅっと手のひらを握りしめると、奴が不意にこちらを見た。


「これさ、萌歌ちゃんのお母さんとお父さんに、清水がありがとうって言ってたって言っておいて」


 清水照道は箱を手に取り、目を細め、大切そうに箱を掲げてこちらに笑いかける。


 何なんだ。こいつは。


 手土産なんかを、そんな変な目で見て。キラキラウェイのくせに。変な色のお菓子とか、写真たくさん撮られるようなものばっかり食べてそうなのに。何だこいつ。


 奴の顔が見ていられなくて、視線をそむける。


 じっとテーブルを見ていると、グラスを両手に持ちながらも器用にクッキーをのせた皿を持った清水照道がこっちへやってきた。不安定そうな持ち方に慌ててお皿を支えて取ると奴は「ありがと」と笑ってテーブルにグラスを置く。


 奴はへらへら笑いながらクッキーを口にした。


「うま。萌歌のパパとママからのクッキーすげーうまい」


 また軽い口調で話す奴に疑惑の目を向けると奴は「こんな美味しいの食ったことねえから、マジで」と軽薄な笑い声で話す。


「ほーら、座って。別に立たせたいわけじゃねえし。ジュース飲んでクッキー一緒に食べたらちゃんと帰してやるから」


「……わ、分かった」


「学校なんか行かずにずっとここにいたいなら、それでもいいんだけど」


 ソファに座ると、奴は怖がらせるようにこちらを見る。私は顔をそむけ、皿に出されたクッキーを一枚手に取る。かじると、苦みもなく、ちゃんと甘い味がした。







「こっちの道のが日陰多くて涼しいから」


 清水照道は私を先導するように歩く。あれから一緒にクッキーを食べ、私がジュースを飲み終えたころ、奴は「じゃあそろそろ人質解放の時間かぁ」なんて、私を解放した。


 一緒に玄関を出て、送っていくと聞かないこいつに促されるまま、私は行きとは異なる木々に囲まれた公園の通りを並んで歩いている。


「なー、夏休みの宿題終わった?」


「お、お……終わった」


「まじ? お疲れえらいじゃーん、っていっても俺もなんだけどね」


「……い、い、いやだ」


「いや褒めてくれよ。えらいじゃん照道くんとか言って、優しくしてやって」


 けらけらと、奴は私なんかといて何が楽しいのかさっきから笑いっぱなしだ。心から楽しそうにしているように思えて、変な感じがする。また新しい違和感が出てきた。


 こいつは、私が言葉が出なくなっていたり、連続しているとき、丁寧に言葉を待っている。


 奴とクッキーを食べている間、会話もあって、私はこいつに一方的に親のことを聞かれたり夏休みは楽しく過ごせているか聞かれた。


 話すことが好きなら自分だけ勝手にしゃべっていてくれればいいのに、こいつは私にいちいち質問をしてくる。


 渋々答えていたけれど、そういう時間を過ごして気付いた。


 今まで何となく違和感を覚えていただけだったけど、こいつは私がどもっている時、私の言葉を笑わずに待っている。


 先取りをしてきたり、馬鹿にしてもこない。私に顔を向けて、待っている。早くしろと急かす雰囲気も出さず静かに私の次の言葉を待っているのだ。


 意味が分からない。馬鹿にされたいわけじゃないけど、何でこいつがそんな風に待つのかわからない。


 確かにこいつは私をつまんない奴だと考えて、「面白くしてやろう」という気持ちで私に対して、嘘の好意を向けて馬鹿にする。人前以外で私に対して、言葉を待ったり、オレンジジュースを飲ませたりする意味なんてどこにもない。


 山を下ってきたことは、後々「俺が助けた」と周りに話をすることができる。オレンジジュースも、もてなしをしたと話せる。でも、私の言葉をこいつが待つ意味は、どこにあるのか分からない。


「もうすぐ、夏休み終わるなあ」


 独り言をつぶやくように、清水照道は空を見上げる。そこには雲一つなく、澄み渡るような青色がべったりと塗られたように広がっている。


「こーして萌歌と外で会えるならさあ、学校なんか、消えればいいのに」


 全く温度の感じない、呪いのような声に反射的に視線が向いた。奴はまるで晴れ渡った空を憎々しげに見つめている。私の視線に気づいて変えたのか、にっこりと音でもするような笑い方をして「なんちゃって」とおどけた。


「何でそんなビビってんの? 照道くん傷ついちゃうんだけど」


「……本気、みたいな、……こ、こ、声だったから」


「あはは」


 清水照道は、否定をしない。「そんなわけないじゃん」と笑えばいいのに、どこか乾いたような笑いをして歩いていく。私はその横顔にどこか危うさを感じながら、奴の隣を歩いていた。

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