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第十二話  送り日

 照り付けるような太陽の元、線香が薄く香る長く空に伸びていくような坂をお母さんとお父さんの間に並んで上っていく。今日はお盆休みで、隣駅のお寺にあるお母さんのおばあちゃんとおじいちゃんのお墓参りに来た。額から汗を流れるのを感じながら、まだ辿り着かないのかとスマホを取り出す。地図を見れば目的地には近くこのまま歩いていればもうそろそろ着くらしい。安堵しながらアプリを閉じて、待ち受けに表示していたカレンダーが視界に入った。


 校外学習から、一週間が経った。今日を知らせる日付とその周りには赤い字が並びお盆休みに入ったことを示していて、すぐ近く……月末の学校開始の文字に胃が重くなった。


「どうしたの萌歌、疲れちゃった?」


 花を抱えたお母さんがこちらを見る。お父さんは「日傘を持ってくればよかったかもしれないね」と額の汗をハンカチでふく。私は大丈夫だと伝えるために頷いて、歩く足に力を籠めた。


 校外学習の日、私は結局清水照道とともに早退をした。保健室の先生や萩白先輩と下山して、他の生徒や担任とは会わなかった。あの大雨はどうやら一時的なものだったらしく、清水照道以外は皆山頂にいて、校外学習は継続だったらしい。私は山のふもとで迎えに来たお父さんやお母さんと帰ることになったけれど、奴は保健室の先生と帰ることになっていた。


 両親が来ない清水照道に同情をして私の両親は車で送っていくことを提案したけど、奴はへらへら笑ってそれを断った。


 そうして、校外学習から時間はどんどん過ぎて一週間。夏休みに入っていなかったら、きっと次の日には清水照道によって私は馬鹿にされていただろうけど、今私は清水照道だけじゃなく他の奴らにも会っていない。奴は夏休み前意気揚々とクラスの連中と約束を繰り返し「満喫する!」なんてぎゃーぎゃー言っていたから、今頃「樋口俺が助けてやった」みたいな話を武勇伝としてぺらぺら話をし、馬鹿にしているのかもしれない。


 でも私はその場にいないし、夏休みが終わるまでまだ二週間はある。きっとその頃にはその話に飽きていることだろう。


 安堵したいけれど、どこか気分に重しが残る。私が清水照道によって巻かれたハンカチを持ってしまっているからかもしれない。私はハンカチを巻かれていたことをすっかりと忘れ、奴と別れてしまった。だから夏休みが始まればあいつに私はハンカチを返さなくてはいけなくて、それが夏休み終了への鬱屈としたような、嫌な気持ちを増す要因となっている。


 黙々と坂を上っていると、線香の香りが濃くなってきた。顔を上げると落ち着いた色の瓦が視界に入る。


「ああ、やっと着いた。」


 お母さんが息を漏らしてつぶやいた。ここに来るのは毎年だけど、相変わらず特に変わりのないどこにでもあるようなお寺だ。門を潜り抜け、三人そろって本堂で挨拶を済ませて、ひしゃくと桶を借りて、水場で水を汲んでいく。準備を整え霊園に足を踏み入れると、一面敷き詰めるようにお墓が並んでいた。


 お墓には、花が供えられているところ、お酒が供えられているところ、何もされていなくて、土で汚れているところと様々だ。少し湿った土を踏みしめ歩き、ぼーっとただお墓を眺めていくと、おばあちゃんとおじいちゃんのいるお墓についた。


 お母さんとお父さんは手を合わせお墓の掃除を始め、私も慌てて手を合わせる。お墓はわずかに土や強い風で飛んできた葉っぱがついたりしていた。その葉っぱを取りつつ、漠然とお墓を見つめる。


 私は一昨年ここで、おじいちゃんとおばあちゃんにお願いをしたことがある。そっちに連れて行ってほしいというお願いを。


 少し口の中が苦くなるような錯覚を覚えていると、お母さんとお父さんは掃除を終え線香を焚き始めた。そして水をかけ始める。


 その水を見て、お風呂で昔、手首を切ろうとした時の光景が重なった。やり方はネットで調べて、切るものは家にあったものを使おうとした。お父さんが仕事に行くのを待って、お母さんが買い物に出かけるのを待って、二人がいなくなった時に部屋を出て、私はお風呂場に向かった。


 でも出来なかった。


 体に刃をあてることは怖いと思ったし、ほんの少し刃をあてただけなのに痛くて、これ以上は無理だと思った。その後は天井の照明のところにコンセントの延長コードをくくった。でもいざ近くに椅子を置いて、輪へ首を通そうとすると足が震えた。ベランダから外を見ても同じだった。ベッドに入っているときは出来ると思っていたのに、結局できなくて、私は今もここにいる。お母さんとお父さんが悲しむだろうと思うし、最近はしない。でもいつも頭の中には、早くここからいなくなりたいという気持ちは拭えない。今このまま生きていくよりずっといいと思う気持ちは、全然消えない。


 お母さんとお父さんが手を合わせる。どこか後ろめたい気持ちで私も手を合わせた。しばらくそうしていると、やがてお母さんもお父さんも手を合わせるのをやめ立ち上がり、来た通りの道のりへと歩みだした。


「おじいちゃんとおばあちゃん、萌歌とあえて嬉しいってきっと言ってるわよ」


 お母さんは、穏やかに笑う。曖昧に頷いていると、向かい側から男が歩いてきて、驚いたような声を僅かに漏らして立ち止まった。不審な仕草に目を凝らして、愕然とした。


 清水照道だ。


 校外学習の時のウェイみたいな服装とは全く異なった黒っぽい服を着て、手に花とおけと柄杓を持った清水照道が、道の向かい側に立ち尽くすようにしてこちらを見ていた。表情は驚いているのに、感情が欠落しているようにも見える。しかし奴は表情をすぐに変え、墓の周りではやや不謹慎な笑みを浮かべこちらに向かって歩いてきた。


「こんにちは! 樋口さん!」


 そう言って笑う清水照道に、父と母も好意的に「清水くん」と微笑み返す。


 二人は私が山でいなくなり、清水照道が私を探し山を下った話を先生から聞いていた。だから、奴をいいやつだと考えている。好意的な両親を見ると、奴を見る時とはまた異なったもやもやが胸に広がる。


「お墓参りですか?」


「ええ、そうなの。萌歌のおばあちゃんとおじいちゃんに挨拶に来てね、清水くんも?」


「はい、そうです。俺もおじいちゃんとおばあちゃんのお墓詣りに来て……」


 清水照道の手には、私のお父さんと同じようにひしゃくと水の入った桶、もう片方の手には三つの花束がある。


 けれど私のお父さんと違って奴の周りに人はいない。一人でここに来たらしい。こいつが熱を出した時もこいつの家族は迎えに来ていなかった。思えばこいつはクラスの中心でげらげら騒ぎ、その家族の話をしている時もつっこみ役、聞き役に回って何も自分から話そうとはしていなかった気がする。違和感を覚えていると、清水照道は「じゃあ俺は墓参りあるんでこれで!」と奥への方へ歩いていった。その背中を黙って見送っていると、お母さんが「お話しなくて大丈夫? 私たち、先に出てお寺の前で待っていようか?」と問いかけてきた。


「……いい」


 完全に、お母さんとお父さんは私と奴が友達か何かだと思っている。私に友達なんていたことがないのに。でも強く否定すれば、お母さんとお父さんを悲しませてしまう気がして、それ以上何も続けられないでいると二人は「待ってるわね」と、お寺の出口へと歩いて行ってしまった。両親とは反対の、地続きになっている通路では清水照道が奥の墓石の前で手を合わせていた。


 ……私はあの時、清水照道が山を下っていたときのお礼を、言っていない。


 頭の中のもやもやがまた増えて、ぎゅっと手のひらを握って、奥歯を噛みしめながら清水照道に向かって歩いていくと、奴はあまりに冷たい瞳で墓石を見つめていて鼓動が跳ねた。


「父さん、母さん」


 まるで、まるで子供が言葉を覚えるみたいな呼びかけ方だ。唖然としていると声の主である清水照道が、放り投げるように花を供える。墓石を見ると、清水ではない、奴とは異なった苗字が記されていた。奴は父さん、母さんと言った。でも校外学習の時母親は忙しから来れないと言っていた。一体どういうことだ。意味が分からない。


「あれ、萌歌ちゃんどうしたの? 夏休みに俺に会えて嬉しくなっっちゃったとか?」


 混乱していると、いつの間にかこっちを見ていた清水照道はくすりと笑って私を見た。その表情に腹が立ち、強い抗議を示すように首を横に振る。


「なんだあ、残念。っていうかお母さんとお父さんは? 待ってろって言われてどっか行ったとか? はぐれた系?」


「ち、違う」


 否定して、言葉を繋げようとして、自分はいったい何をしに来たのかを思い出す。そうだ。私はこいつにお礼を言いに来たんだ。お礼を、言わなければ。その前に山について言わないと、何のことだと話をする量が増えてしまう。そう考えるだけでもすっている酸素が薄くなるような気がして、振り切るように「や、やーま!」と発した。


「うん」


「……あ、あ、あり、ありがとう」


「お礼なんていいって」


 清水照道は、自然に、馬鹿っぽさが全く感じられない返事をした。どことなく落ち着かない感じがして俯くと奴の足が視界に入り、借りていたハンカチの存在を思い出した。


 今日、あれを持っていれば、返すことができたのに、今日、私はハンカチを持っていない。あのハンカチは洗って干して、紙の袋に入れて机の横の引き出しに入っている。次の言葉を考えていると、奴はじっと私を待っているようで、何も言わずただ私を見ていた。


「……家を、お、教えろ」


「なんで家?」


 咄嗟に出た言葉に、自分でも混乱する。私はハンカチをこいつの家に届けようと考えているのか……? でも言った言葉は取り消せない。清水照道はスマホ貸してと私に手を差し出してきた。ふざけるでもなく真面目に、感情の色が見えないその表情に押されるようにスマホを渡すと「メモに書いておくね」と勝手に操作し始める。何かを入力し終えると、私にスマホを返してきた。


「これでいつでも住所晒せるじゃん」


 言われた言葉の意味が掴めない。住所が晒せる? こいつは私が復讐をしようとしていることを知っている? というか晒さないし、そんなことまではしないし、そもそも何故こいつは晒されると思って住所を渡したんだ? 偽物だから?


「お母さんとお父さん、待ってるんじゃない? 行かなくていいの? それとも二人でどっか遠くにかけおちする?」


 清水照道はおどけながら笑う。なんだか住所だの偽物だのと考えていることが馬鹿らしくなった。「しない」と呟いて、奴に背を向け歩いていく。言葉がいつもよりすんなり出た。私はまた奥歯を噛みしめ、奴のもとから去っていった。

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