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家事手伝いの魔法使い  作者: 銀月


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3/5

衛生担当の魔法使い

 気がつけば定時を回り、空はとっぷりと暮れていた。


 転職前と違い、残業があるといってもせいぜい一時間程度のものだ。それも、社長の方針で「明日でいいなら明日にしなさい」と言われている。

 以前なら考えられなかったことだった。

 机上を片付けて、引き出しを施錠して、荷物をまとめて「お先に失礼します」と挨拶とともにハナは職場を出た。


 今日は何を食べようか。自宅もよりの商店街で惣菜をつらつらと眺めて、「あ」と唐突に思い出す。

 そういえば、今日はひとりではなかったのだ。

 彼はまだ部屋にいるのだろうか。どこかに消えてくれれば面倒臭くないのだが。

 なんてことを考えながら、揚げ物をいくつかに、おにぎりと、サラダ用のミックス野菜と……あれこれ買いながら、顔見知りになった商店の主人に軽く挨拶をしてアパートに戻った。


 ガチャリと鍵を回して、ハナはおそるおそる玄関から中を覗き込む。


「あなたの帰還を待っていた」

「まだいたんだ」


 朝、残していったままの格好で、彼は未だ部屋にいた。どことなくホッとしたように表情を緩ませると、ぺこりと会釈するハナへ小さく頷いて見せた。


「タ……ええと、タロさん、ただいま、です……って、なんか……」


 なんでまだ居るの、などと言うこともできず、ハナは部屋に上がり込む。

 彼がいるせいなのかなんなのか……自室なのにどことなく違和感を感じてきょろきょろ見回して、ハナは「あ」と声を上げた。

 モノで埋め尽くされているはずの床が、少しだけ見えている。


「床、見える。うちにも床があったんだ」

「こちらの家は、床があったりなかったりするものなのか?」

「え? 普通はあるものだけど……うちの床、もうずっと見えてなかったから」


 タスティの眉が寄る。

 ずっととは、いったいいつからなのか。


「婦女子の部屋を勝手に触るのはどうかとも思ったのだけど、どうにも我慢ができなかった。すまない」

「へ? あ、べつに、それは……」


 もごもごと、あまりはっきりしない返答をするハナの目に、部屋は見違えるようだった。なんと、一部なりとも床が見えるのだ。

 よく見ると、床にうっすら積もった埃も、あちこち溜まっていた綿埃その他も消えていた。


「すごい。靴下が汚れない」


 思わず溢れたハナの言葉に、タスティの顔がわずかに引き攣った。


 少し動くだけでたちまち埃が舞い上がる。

 ちょっと床やモノに擦れただけで、マントや長衣(ローブ)の裾に得体の知れない埃その他がへばりつく。

 ――タスティにしてみれば、この部屋の有り様は悪夢だった。

 使用法を教えられたトイレや水道にしたって、本当にここを使わなければならないのか、考え込んでしまうような有り様だったのだ。

 未だにモノは積み上がったままだし、散乱しているものも多い。

 それを差し置いて何よりもまず、水場の衛生状態の確保をしなければ、おちおち家主の帰りも待っていられない。

 そのくらい、酷かった。

 自分が“清浄化”を覚えている衛生担当の魔法使いでよかったと、この時ほど実感したことはなかった。

 ついでに、魔法使いに不可欠といわれる杖が折れてしまった今、杖無しの非常事態に対応する訓練もしておいてよかった。

 しみじみと、心の底からよかったと思う。


「衣類は汚れているのかどうなのか判断がつかなかったので、軽く“清浄化”して寝台に置いたままだ。あなたが自分で確認してほしい」

「清浄化? 洗濯ってこと?」

「そのようなものだ。それから……申し訳ないが、そろそろここがどこなのかを教えてくれないか」

「どこって……」


 住所を言ってわかるだろうか。

 どう見ても外国人だし、土地勘は期待できそうにない。


 ――と、そこまで考えて、ぐぅ、とふたりのお腹が鳴った。

 タスティが気まずげな表情で目を逸らす。


「お腹空いたし、食べながらでいい?」

「あ、ああ、まあ……」


 そういえば、食べるものもろくにない場所に置いていって悪いことしたかな――などと少しだけ考えたものの、まあ仕方ないかとハナは立ち上がった。

 仕事に遅刻しそうだったし。

 小さな座卓の上のものを適当に退かすと、ハナは手に持ったままだった袋をガサガサ探って、惣菜を並べていった。




 住所を述べても県名を言っても、それどころか地方や国名や、世界的に知られているだろう「東京」という単語を出しても、タスティは首を傾げるだけだった。

 もちろん、タスティの口にしたアルなんとか国とかユーほげほげ国とかなんて聞いたこともないし、ましてや魔法使いと名乗られても痛い中二病患者にしか思えなかった。

 それでも魔法の事故とかなんとか、タスティの説明によれば、ハナの部屋に現れたのは事故が為せる偶然だったらしい、ということは理解した。


「つまり、異次元生命体」

「――そうとも、言える」


 真偽不明ではあるが、つまり、フィクションでは珍しくない定番のネタである。ファンタジーのみならず、SFだってワープ事故で座標不明な場所に出るなんて定番だろう。事実は小説より奇なりとも言うものだからと、口の中のおにぎりを飲み下しながらハナは納得することにした。

 何より、タスティが嘘を言ってるようには見えなかったというのもある。


 だいたい、外国に来て、こんなボロいアパートにコスプレ決めて住居不法侵入した上、居座って掃除するとか意味がわからない。

 もし嘘だとしても警察に突き出すのも面倒だし……ハナに対して不埒な行いをする様子もないならまあいいか、で済ませてしまおうと思ったのだ。

 明日も明後日も仕事があるのだから。


 タスティはタスティで、頭を抱えたくなっていた。

 今、ハナから聞き出したこの日本という国の社会システムによれば、戸籍か外国人登録証……いわゆる市民権と身分を証明するものがなければ何をすることもできないし、最悪そこにいるだけで犯罪者として捕らえられ、その後どうなるのかがわからないという。

 この国の王か上位貴族に繋ぎを取って……などというのも、どうやら無理らしい。そもそもそんな身分などないということも知った。

 国元なら王宮魔法師団の一員で優秀な魔法使いであり、それさえ証明できればどうとでもなったのに――ここでは折れた杖を直す手立てもままならず、ゆえに帰り道を開くこともできず、身元不明の浮浪者以外の何者にもなれないとしたら、どうすればいいのか。


「あのさ、別にここにいてもいいよ」

「は?」

「追い出して、私の名前出されて警察来たりしたら面倒だし、まんいち会社に迷惑かけちゃったりしたらまずいし」


 洗ってあったコップにペットボトルの麦茶を注ぎながら、ハナが言う。

 そう、不法入国とか犯罪とか、そんなの疑われて警察がハナのところにまで来たりしたら、面倒くさい。うまく説明できる気がしない。


「けれど、ハナは独身かつ妙齢の婦人だというのに、それでは……」

「別に、ここ同居禁止ってわけじゃないし。物置にしてる四畳半もあるし、狭くていいならそっち使って構わないから」

「はあ……それは助かるけど」


 でも、とあまりにも気前の良すぎる申し出に、タスティが怪訝そうな表情を浮かべる。どう考えても、ハナにタスティを助ける理由がない。


「ええと、掃除とかやってくれればいいし、そのまま紐ニートになられるのは困るから……社長にどこかいい引き取り先がないか聞いてみて、なんとかなるまでなら、まあいいかなって」


 そんなに軽く決めてしまっていいのだろうか。

 タスティのほうがちょっと引いてしまうほど、ハナの調子は軽かった。猫拾っちゃったし、捨てるのも忍びないから仕方ないよね、くらいの軽さだ。

 タスティも逆の立場ならと考えてみたが……男女逆だとしても、さすがにもう少し慎重にことを進めようとするのではないだろうか。

 とはいえ、この申し出を辞退したとして、タスティには後がない。


「――わかった。ありがたく、世話になる」

「うん」


 食べ終わったパックゴミを袋に突っ込みながら、ハナは頷いた。


「じゃあ、コンビニ行こっか」

「こんびに?」

「だって、着替えないよね。替えパンくらい買ったほうが良くない? 身長とウエスト何センチ? 服のサイズわかる?」

「かえぱん? せんち?」

「えーと、ここ立って。確か、扉の高さって一間で百八十だから……百八十弱ってとこか。男子の服サイズってどんなんだっけ」


 タスティを柱に沿って立たせたまま、ハナはネット検索を始める。

 あと買ったほうがいいのは歯ブラシなどの洗面具だろうか。


「じゃ、一緒に行こう」

「あ、あの、ハナさん?」


 問答無用で、今度はタスティの腕を引いて玄関に向かう。


「タロくんは……何か言われたら、私の親戚ってことにしとこうか。説明するの面倒くさいし――て、ああっ!」


 そうだ、履物は突っかけでなんとかなるかな……と足元を見て、ハナは素っ頓狂な声を上げる。

 タスティは、長靴を履いたままだったのだ。


「タロさん靴履いたままだったの!?」

「その、まずいのだろうか」

「ダメだよー! 日本は靴脱いで家に上がるものなんだからさあ」


 え、とタスティもハナの足元を見る。

 もちろん、裸足だ。


「それは、すまなかった」

「まあいいや、タロくん外国人で仕方ないし、次から気をつけてね。

 あと、日本円持ってないよね? 明日以降はお金置いてくから、何か必要ならコンビニで買って。場所は、今から教える」

「非常に助かる」


 買うという言葉から“こんびに”とは商店のことかとタスティは見当を付ける。

 が、もうひとつ気になった。


「と、ハナさん、私の名前はタスティで――」

「それ、タロくんでいいじゃん。なんか覚えにくいし」

「――そうか」


 自分の名前はそれほどまでに覚えにくい音と長さだろうか。

 だが、ハナの有無を言わせない口調に押されて、タスティは愛称みたいなものだと思えばいいか、と納得することにした。

 


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