聖乙女生まれる21
男がだんだんと距離を詰めて来る。 その目からは殺意しか汲み取れず、我々はただ死を待つばかりの哀れな小鹿のように佇んでいた
男の手が私に伸び、二回目の死を覚悟した瞬間、目の前で爆発が起きた
「ぐ、おお! 誰だ!」
男の顔から煙が上がり、その顔にやけどの跡ができていた。 何者かに攻撃されたのだろう。 男はその攻撃が飛んできた方向を睨んだ
「よかった、間に合ったみたいだね」
誰だろうか。 会ったことのない青年だが、なぜだか妙な安心感がある
「勇者様、そいつが例の」
「ああ、魔人だ。 ここまで強大な力を持ち始めているとは思わなかったけどね」
勇者だと? なぜこんなところに…
一瞬偽物かとも思ったが、女神様を通して感じる力と私達を助けてくれた手腕から、この青年が確実に勇者だという認識をさせた。 それに、あのミューシュさんが傍らにいるとあっては疑いようもない
「さてと、お嬢ちゃんたちはちょっと下がっててもらえるかな? 結構危険だからね」
言われるまでもなく私達は急いでその場から茂みへと下がった。 ライラとナリヤは腰が抜けて立てなかったためセリセリと担いでだ
「さて魔人のおっさん、何をたくらんでいるのか洗いざらい吐いてもらっておうかな」
「ふん、まだなり立ての勇者風情が、魔王様の幹部たる俺に勝てる気でいるのか?」
魔人はその腕から獣の牙のような槍を生み出した。 恐らく魔人たちが使うと言う生体武器と言うやつだろう
生体武器とは、体の一部とも言うべき武器で、魔力を極限まで練り上げて作り出す。 体の一部だけあって自らに最も適して扱いやすい武器が出現するらしい
魔人以外にも生み出せる人族もいるらしく、鬼人や獣人にはその扱いに長けた者もいるそうだ
人間族の中にもいるそうだが、あまりにも少ないため世間的には使っている人間を見る機会はほぼないと言っていいだろう
「なるほど、槍ね。 それなら」
勇者はその手に弓を作り出した
驚いたことに、その生体武器を扱える数少ない人間がこの勇者だった
「彼はどんな武器でも生体武器として生み出すことができ、その全てを達人のように操ることができるんですのよ」
女神様の説明で勇者の能力が分かった。 まぁそれ以外にもあるらしいが、今はいいだろう
「ミューシュ、援護をお願い」
「はい」
久しぶりに見るミューシュさんが魔力を練り、呪文を唱え始める。 その速さは私の詠唱破棄には及ばないものの、詠唱短縮にまで至っている。 つまり短い詠唱時間で魔法を完成させるのだ
これができるのは聖国でも彼女を含めて10人程度しかいない(ちなみに聖王様は詠唱破棄である)
「フレアドライブ!」
火の上位魔法をあっさりと放つあたりやはり天才だなこの人は
彼女の放った火は地面を這い進み、魔人に絡みつく
「この程度の火で俺を捕らえられたとでも?」
魔人はその火をあっさりと弾き飛ばした
「少し足止めできればいいんだよ」
いつの間にか魔人の足元にいた勇者。 彼は至近距離でその矢を放った。 生体武器であるがゆえに魔力で出来た弓だが、魔人の腹部に深々と刺さる
「ぐおっ!」
たまらず槍で薙ぎ払うが、ひらりとかわし、再び弓を射る
「クラッチ!」
勇者がそう叫ぶと、体中に刺さった矢が弾けた。 恐らく最初に魔人が顔面に食らったのはこの弓だったのだろう。 魔人の腹部は弾け飛び、そこからは臓腑が吹き出ていた
「ぐ、おお、俺が、こんなガキに…」
驚いたような目で勇者を見ると魔人は生体武器をしまった
「おい勇者、お前の名前は?」
「レギルスだ」
「そうか、勇者レギルス。 この勝負一旦預ける。 今日の所はおとなしく引き下がるとしよう。 そこの聖獣は返すぞ。 それと、俺はザルフだ。 お前がもっと成長したらまた会いに来るとしよう。 それまで精々あがけよ」
む、魔人の傷が治り始めている。 逃がしてはならないと考え、私はすかさず魔法を放とうとしたが、それはミューシュさんに止められてしまった
それにより魔人は気絶した仲間の女を担いで消えた
「何故止めるのですか! 今なら魔人を討てるのですよ!?」
そう聞くと、ミューシュさんは首を振った
「あの男の傷を見なさいリィリア、あそこまでの深手にもかかわらずあの再生力。 あの男はまだまだ余力があるのです。 あなたがもし今攻撃をしていたなら、あの男があなたに攻撃をしていたかもしれません。 それに、勇者様ではあの男に勝てません」
「え?」
何を言っているのかと思ったが、どうやらあの男は勇者の力を測っていただけらしい。 つまり、ちょっとした戯れと気まぐれだったと言うことだ。 勇者に成長性を見出し、再び楽しませてくれる好敵手として本気を出さなかっただけなのだ
その証拠に魔人が去った後、勇者はどっと冷や汗をかいて倒れ込んだ
「危なかったー。 まさかあんなのがこんな人里近くに現れるなんて思いもしなかったよ」
「あ、あの、勇者様」
私は思い切って声をかけてみた
「あ、ごめんね。 大丈夫だった?」
「勇者様、この子がいつも言っていた」
「え? そうなの!? いやぁ、可愛い子だね。 話しはいつもミューシャから聞いてるよ」
どうやらミューシャさんは私のことを話してくれていたみたいだ
「すごく優秀なんだってね。 その歳で詠唱破棄までできるんだろう? すごいなぁ。 将来は聖女だね」
フィニキアちゃんを湖に返す道中、勇者レギルス様との話ははずみ、久しぶりにミューシャさんとの会話もできた
それにしても勇者とはなんとすごい職業なのだろう。 神から認められ、人々を守るために駆け回り、命を賭す。 それに彼の人柄も尊敬できる。 誰にでも優しく、柔らかな物腰に甘いマスク。 私でも思わず見惚れるほどだった