聖乙女生まれる2
私が生まれてから5年と5か月と11日が過ぎた。 この世界の一日は地球と同じで24時間、一か月はおよそ30日で、それが13月で一年となる。 太陽は一つで月は三つあった。 三つの月はそれぞれ色が違い一番大きいものが青く、残りの二つはうっすらと赤い。 どういう理屈で色が違うのかは分からないが、魔法があり、魔物や魔獣などがいるこの世界ではそういったことを深く考えることは止めよう
現在私は5歳になるわけだが、この世界の言葉は分かる。 別に必死になって覚えたというわけではなくこれも女神の力によるものだった。 何せ女神は私に憑いているのだからな。 そう、あの方は私を依り代のように内に眠っている。 時折少しだけ目を覚ましては世間話のように私と話し、また眠りにつくのだ。 存外それは楽しいもので、実は彼女が目覚める日が楽しみになっていたりもする
私は鏡を見て改めて自分の姿を確認した。 輝くような金色の瞳に水のように透き通る青い髪、5歳ながらもいずれ絶世と呼ばれるであろう整った顔立ち。 既に近所の同じくらいの年の少年たちに幾度となく求婚される当たり、やはり標準以上なのだろう
「リィリア、リィリア、どこへ行ったの?」
この声は私の母、メィル・ロマネルだ。 鈴のように美しい声を持ち、かつては歌い手としても活躍し、国外にまで名をとどろかせていたほどだ。 私はどうやらその声をしっかりと受け継いだようで、喜んだ母は私に様々な歌を教えてくれた
「ここです母様」
別に貴族と言うわけでもなく、母に敬称などつける必要などないのだが、これは私の生前からの癖のようなものなので抜けることはないだろう
母は私を抱きかかえた
「私の可愛い小鳥ちゃん。 今日はお父さんの帰って来る日よ。 一緒に出迎えましょうね」
「お父様がですか! ではごちそうですね! 私も手伝います」
「あらあら、小鳥ちゃんにできるかしら?」
母はそう言って笑った。 こんな何気ない母との会話も生前にはできなかったことだ。 私はこれを望んでいたのかもしれない。 そんな幸せを奪っていた私はやはりひどい奴なのだろうな
「できます! 私だってもう5歳になったんですから!」
確かに赤子の頃よりは動きに不自由さはなくなったが、まだまだ走ると転ぶこともあるし視野が広く持てずに体のどこかをぶつけることもしばしばある。 そんな私を母は心配してくれているのだろう
「それじゃぁリィリアには野菜を切ってもらおうかしら? 今のうちに包丁を使えるようになっておくのもいいかもしれないわね」
そう言うと母は果物用の少し小さな包丁を取り出した。 それはどこにでも売っているような一般家庭に普及しているもので、何の特徴もない。 世界には関の刀匠が打った刀のように業物の包丁もあるそうだが、聞くところによると達人の打った包丁はそこいらの剣よりも鋭く切れ、刃こぼれ一つしないものがあるのだと言う。 さすが異世界だと思うが、実物を未だ見たことがないため眉唾として聞いていた
「まず指を切らないように、手は石にするの。 それを野菜に宛がって、こう、引くようにすると切れるのよ」
前世では子供に猫の手と教える包丁の扱い方だが、今世は石と教えるのか。 言われた通りに手を石にして野菜を切る。 このくらいならば料理をあまりしなかった私でも簡単に出来ることだった。 まぁ技術は大したことはないが…。 そう思って切った野菜を見ると驚くべき光景がその目に映った。 包丁はたやすく野菜を両断し、その下の錆びない合金製抗菌まな板(魔法の技術によるものだろう)をさらに切り裂いた
「え? か、母様…」
「あらあらあら、だ、大丈夫!? 怪我はない?」
私のしたことに驚くでもなく母は私の手を見た。 かなり心配しているようで狼狽している。 何が起こったのか分からないが、私はちょっとやそっとでは壊れることのない合金まな板を簡単に切り裂いた。 母に気味悪がられると思ったが、そんなことよりも私を心配してうろたえる母にホッとした
「よかった。 怪我はないみたいね」
母も安心したのか。 私を抱き寄せて頭をさするように撫でてくれた。 その温かさに私もなぜか涙を流した。 人のぬくもりとは、こうも心を射て感情を揺さぶるものなのか、それとも私は精神まで子供に戻ったのだろうか?
「あらあら、怖かったのね。 大丈夫よリィリア。 もしかしたらあなたは早くに神力が発現したのかもね」
聞き覚えのある言葉が出てきた。 女神が言っていた神力。 それはこの国の住人ならば誰でも発現する能力のことだった。 母が言うには、この国の人間は女神に対する信仰心が強いため、その加護がある。 加護は生まれながらに秘めていて、早い者で6歳、遅いものでも10歳には能力が発現するのだそうだ。 どうやら私は特別に速かったらしい。 能力自体がどのようなものなのかは教会で見てもらい、お告げを聞くことで判明するそうだが、私にはその必要がない。 そのお告げをする女神自体が私の中にいるのだからな。 私の中にいるのだから教会でどうやってお告げをしているのか気になるが、後々女神に聞いたところ、力を失う前に半永久的に自動で作用する術式をくみ上げてお告げをしているそうだ。 当然女神の声でである
「もしかしたらリィリアはすごい人になれるかもしれないわね」
と母は喜んでいた
それから二人で再び父への料理を作り、私は部屋に飾り付けをして愛しい父の帰りを今か今かと待った