最終話:作りかけの盲目少女のお話。
サクラは一頻り泣いた後に私を家まで送った後、その足で警察署に向かったらしい。
私を逆恨みの後殺そうとした事を自首した時に動機として言ったそうで、夜中に警察が自宅まで訪ねてきて私にその真意を問いた時に「確かに刺されそうになりました」と証言した事により訴訟。そのまま服役する事となったそうだ。
相当両親の事は心配させてしまったのだけれど、私は正直そんな事はどうでも良かったのだ。
それ以上に、私は自分の中のある二つの異変に感情も意識も行動も混ぜられてしまっていたからだ。
◇
「あ、あの」
「……おー、お隣の」
「あ、はい……あの、えっと、」
「ああ、話したいんだろ? 待ってろ……おおい、ユウスケ! お隣さん来てるぞ!」
春の訪れをその風が知らせてくる、三月中旬。
この四月から小等部に上がる予定の私は、三月に入ってから毎日のようにこの家に通っていた。
理由は一つ。新しく引っ越して来たお隣さんの、今年から同じ小等部に通う同い年のユウスケくんに会うためだ。
何故か今までに感じた事ない胸が詰まるような、それでいて何かが焦げて焼け付くような、そんな感情を抱いてしまう彼がどうしても、意味も無く知りたくて知りたくて仕方がないのだ。
「トモカ」
「ユウスケくん」
「……さんぽ。しよう」
「う、うん」
栗色の髪をふわりと揺らめかせて玄関に現れた彼は、私を一目見ると何処か楽しそうに笑って、靴を履き始める。
彼の真意はわからない。その笑みの意味合いもわからないのに、何故か胸がきゅっと苦しくなった。苦しくなって、冷静を保てなくなる。何故だか彼の前ではいつもの自分でいられなくなってしまう。
そう、私はいつの間にか心の声が聞こえなくなっていたのだ。
◇
声が聞こえなくなったのは数日前。朝起きると、何も聞こえなくなっていた。
何処までも広がる静寂の中、戸惑ってお兄様の所へ駆けた。
「どうした、トモカ?」
「おにい、さま、」
「……ん、トモカ」
「おにいさま……」
「大丈夫、大丈夫だぞ、トモカ。心配することは何もない。兄ちゃんが守ってやる」
「っ……うん……」
お兄様に抱き締められ、背中を撫でられて数十分。ようやく落ち着いた私が、声が聞こえなくなったというとお兄様は凄く複雑そうな表情をした。
「俺はトモカがこれ以上変な声を聞いて苦しんでいる姿を知っているから、治ってくれて嬉しいけど……慣れると逆に怖いもんな。一応医者にかかるか? 何も分からないとは思うけど……」
「……ううん、だい、じょうぶ」
声が聞こえるようになってから何度も医者にはかかった。だけど、理由はわからなかった。
聞こえなくなった今も、医者にかかった所で原因はわからないに決まっている。そんな事でお兄様や両親の手や時間を煩わせたくはなかった。
お兄様はそのまま私をあやすように背中を摩ってくれ、皆が起き始める時間になると一緒に手を繋いで両親の部屋まで連れて行ってくれた。
寝起きで働かない頭に先程の事を告げると、やはり二人もお兄様と同じように驚いた表情をするものの、すぐに複雑そうな顔になってしまった。お兄様の言う通り、二人も同じような事を考えてくれていたのだという。
私は目一杯自分に出来る今最大限の笑顔を浮かべて、「大丈夫よ、お父様、お母様、お兄様」と言うしかなかったのだ。
◇
それから私は声が聞こえない生活を何処か不便に、しかし安心も抱きながら生活していった。
勿論今の時点で私にはあの頃の声が聞こえるような兆候は戻ってきていない。
そして、今思えば、多分こうやって声が聞こえてしまい、また聞こえなくなってしまったのは必然なのではないかと思っている。
人の心の声が聞こえてしまった一年間。それは、私に「カミサマ」がいなくなってしまった、一年間。
「トモカ、おれのいうことはいつだって、ようくきいてよ」
「うん、ユウスケくん」
「トモカ、きちんとはなしを聞いて」
「…うん、ユウスケくん」
「トモカ、トモカはいい子だね。そうやってきちんと俺の話をいつだって聞くんだ」
「うん!ユウスケ」
「…トモカ、俺のことが好きなんだろ?」
「当たり前よ、ユウスケ」
「トモカ、トモカ」
「なあに、ユウスケ。」
何度でも私の名前を呼んでくれたユウスケ。
ユウスケはいつだって神様のような人だった。
いつだって、私に色んな「言う事」をくれた。
ユウスケは、「言う事」をよく聞く私を沢山褒めて、可愛がってくれた。
でも、そう言ったユウスケは、私が高等部に上がる頃にいなくなってしまった。
何でも言う事を聞く私が気持ち悪いんだと、ユウスケは言った。
ユウスケがいなくなってから、私はいつかユウスケが帰ってきた時に、また褒めてくれると信じて、「言う事」を守り続け、待ち続けた。
しかし、数ヶ月後に街中で見たユウスケは、別の女性と歩いていた。
ユウスケは私に、「こいつが新しい彼女」だと言い、「お前みたいな何でも言う事を聞くような人形みたいな女は必要ない」と言った。
それから、「もう付きまとわないでくれ」と私との思い出のアクセサリーや小物を押し付けて、その女性と歩いて行ってしまったのだ。
私は、ただユウスケの「言う事」を守っていただけなのに。
ただ、それだけで愛す権利も、愛される権利も貰えると思っていたのに。
私は、高校生になって、九年間恋い焦がれた「神様」を失ってしまったのだ。
だけど、私はその「神様」を失ってしまってわかったのだ。
(私が愛した人は、誰だって私の「神様」になれるのなら。私はこれからも「神様」を追い求め続けるわ!)
「ああ、本当……なんてくだらない感情なのかしら!」