第二話:嘘を吐いた少女のお話。
「ねえトモカちゃん」
「なに?」
「どうしてトモカちゃんってずっとひとりぼっちでいるの?」
五月の暮れに、一人の少女が転入してきた。
記憶は定かではなかったが、父親の転勤だとかで引っ越してきたその少女は名前をマキと言い、その持ち前の明るい性格からすぐにクラスに馴染んでいたような覚えがある。
それだけ人気な少女なのにも関わらず、何故か彼女は基本的に一人行動を取り続けていた私にしきりに話しかけてきた。
所謂「皆誰かと居るのに一人だけ溢れているなんて可哀想」精神だったのか、それとも「友達が沢山いる私だったらこの子とも友達になれる」精神だったのか、そのどちらも聞こえていた私だったが、彼女の本当の心の底にある小さな声には当時まだ気が付かなかった。
どちらにせよその頃の私にとって激しく迷惑甚だしかった彼女を疎ましく思っていたので、まともに干渉することはほぼ無かったのだが。
そんな、誰にでも分け隔てなく優しくする、『いい子ちゃん』だったマキの外面キャラクターが崩壊したのは僅か一ヶ月後、七月に入る直前の雨の日だっただろうか。
その日は元々幼稚園に併設されていたグラウンドで遊ぶ予定だったのだが、生憎の雨だったが故に室内遊びに予定が切り替わっていた。
外で遊びたい盛りの同級生はわあわあと文句を言っていたものの段々と静かになり、気付けば文句を言う者は他の遊びに興じていた。まるで元からその予定だったかのように。
私としては外だろうと室内だろうと変わらず本を読んでいるだけの子供だったので、いつも通り教室の端っこに積まれていた本を一冊ずつ引っ張り出しては読み漁るだけだった。
確かあれは、童話全集の「嘘をつく子供」の項目を読んでいた時だったか。ふと、何時ものように聞こえていた波の様な沢山の心の声の中に、掠れた様な、だけど変にざりざりとノイズの様な気持ち悪い声が聞こえた。
大抵私はその声が人間の妬みや怒りなどの負の感情であることを知っていたから、特に関わらないようにと視線を本に向けたまま、だけどやはり気になるからか耳だけはそのノイズ混じりの声に傾け続けていた。
(ばかだ)
(やっぱりこのこはだめね)
その声がマキだということは視線を向けていない私でもようく分かった。
やっぱり最初から警戒もせず善意だけを振り翳して近づいてくる子なんて腹の中はたかが知れているわね。なんて思った私は、そのままその声を聞き続ける。
そもそもこうやって聞き耳を立てている幼少期の私自体も、何とも腹が黒い性格であるとは今振り返ると思うのだけれど。
(ヒロトくんはわたしがすきなのに)
(わかってないなんてだめなこ)
(そんなんだから、プレゼントもうけとってもらえないのよ)
成程、と私は一人ごちる。
ヒロトというのは私のクラス内で一番格好良いと噂されている綺麗な顔立ちをした男の子だ。
小等部で編成されているサッカーチームに所属しており、運動神経抜群で優しく爽やかな性格も高く評価されている。
女は幾つであろうとこういう色恋沙汰には敏感で、傲慢で、狡賢い。
そして、自分の想いが一番強いと信じ込んでいる。
「なぁ、マキ」
「……ヒロトくん? なあに?」
その声はよく通って、鮮明に聞こえた。
それが本当に口から発した声だとすぐに気付いたが、私はそのまま顔を上げずに聞き耳を立てることに徹する。
この後の展開が簡単に予想出来るからだ。
「ちょっと来て」
「……いいよ」
からから、ぱたん。
教室を出て行く二つの足音が扉を開け、閉める。
そのまま廊下を歩いて行く音は、隣の空き教室の扉を開けて入っていったようだ。
マキにとって、場所を変えれば大丈夫という慢心でもあったのだと思うが、そんなちゃちな工作で女という生き物から好奇心の下で晒される真実を隠せる訳がない。
私が予想した通り、マキと良く一緒にいる子達は隣の教室の扉が閉まる音を聞いた瞬間にそそくさと教室を出て行った。
行く先はおおよそ、隣の教室の扉前だろう。
そして数分後、声が上がる。
「マキ!」
「っ、なんで」
「なんで! どうして、」
「……なにが?」
「わたしたち、マキのこと、しんじていたのに!」
ほうら、始まった。
壁を一つ挟んだ位じゃ隔てることの出来ない、ノイズだらけの声の波。
そこに含まれる声は裏切り者への弾糾だ。
まるで自分が正しいかの様に罵詈雑言を浴びせかける、まだまだ幼い顔立ちをした意地汚い女達の顔。
(うそつき!)
(うそつき、わたしたち、しんじていたのに)
(ずっとおうえんしてくれるって)
(ヒロトくんのことは、なんにもおもってないって、いってたのに)
(おうえんするねっていったのに)
(ちからになるって)
(うそつき)
(うそつき!)
女達の醜い論争は『裏切り者』と称されたマキが泣き噦る声とそれでもなお叫び潰そうとする他の子の声を聞きつけた担任の先生が駆けつけることでその場は一度終息した。
しかし嘘を吐かれた子達のマキへの弾圧は留まる事を知らない。
次の日には同じクラスの男の子達や他クラスにまでその話は広がり、一週間も経たないうちにマキの居場所は既に無くなっていた。
自業自得と言えばそれっきりでしかないのだが。
◇
「ねえトモカちゃん」
「なに?」
「どうしてトモカちゃんってずっとひとりぼっちでいるの?」
それからまた一ヶ月後の七月下旬。
夏休みに入る幼稚園が、今期最後の登校日を終わらせた日の昼過ぎ。
最初に話し掛けてから一度も私を気に掛けすらしなかったマキが、ふらりと本を読む私の横に座って問い掛けた。
以前と同じく何も答えないでいようかと本に視線を向けたままだった私だったが、とある声を聞き、顔を上げる。
そこには、真っ白で何処か物憂げな、一人の少女がいるだけだった。
「あなたみたいなめんどうなこと、なかよくしたくないからよ」
「……そっか」
私の返答に、へらりと零したようなマキの笑みは何時ぞやかの元気だった頃の彼女の笑みとは似ても似つかない。
それからゆっくり立ち上がったマキは、何も言わずに私から遠ざかって行った。
夏休みが開けた日の最初の登校日。
マキが父親の転勤で転校していった話を担任の先生から聞いた。
お別れ会はしなくて構わない、というのがマキの意向だったと言う。
(どうせなら、トモカちゃんみたいになれたら良かったなぁ)
「ああ、本当……なんてくだらない感情なのかしら。」