表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
えいえん。  作者: ワルツ
1/3

第1話:始

はらり、ひらり、薄桃色。


桜の薄い花びらが、吹雪のように乱れる月。


灯が終の王手をかける。破れないえいえんが築き上げられる物語。


哀しき恋の始まりは、あの並木の道でした。



あの当時の私は常に狭い箱に閉じ込められていました。閉じ込められられているという点では今も変わりないのですが、その頃居た箱は常に私を外へ追いやろうとする箱でした。

黒い髪と瞳が並ぶ中、一つぽつんと金髪と青の瞳があるというのはその地域の人々にとって奇怪に見えたようです。

おまけに飛びぬけて高い背のせいでどこに行っても目立ってしまうので、こちらの国に移り住んでからずっと私は周囲の人々からひそひそ冷たい言葉を浴びせ続けられてきました。

半年もすればそんな陰口にも慣れたのですが、ヒリヒリ痛むような感覚が完全に消えたわけではありませんでした。


あの子と初めて出会ったのは高校に上がった年の4月です。

その日私は珍しく寄り道をしました。同じ学校の人はまず通らない踏切を越えた先にある丘の近くの並木道。

私はこの季節のこの道が好きでした。薄桃の花が霧のように辺りを取り囲み音も無く散っていく姿は私の心を癒やしました。

ここは人の声がしません。夢かと疑うような儚い世界に一歩一歩足を踏み入れ、現実だと確かめていく恐怖感が私は好きです。

たくさんの桜の中でもとりわけ立派な樹の横を通った時、枝が不自然に揺れるのが聞こえて私は天を見上げました。

大筆で墨を置いたような強い存在感を忘れたことなどありません。桜の大木の枝の上、少女が一人この樹の飼い主のように座っていました。

色白で繊細な顔を引き立てるように、髪は漆のような黒色で、三つ編みに結っていました。着ているセーラー服も黒く、頭には大きな赤いリボンが咲いていました。


「君も、逃げてきたの?」


黒い瞳が私を見つけました。

私は突然言われたその一言に慌てたり俯いたり、とにかくろくな答えを出せなかったのですが、少女はそれでも私の答えを待ち続けました。


「そう……だな。そんなものかもしれない。」


すると少女は薄く微笑んで枝から飛び降りてきました。

少女が私をまじまじと見つめるものだから、私は少し気恥ずかしくて目を背けてしまいました。

それから少女は手に持っていた袋から何か取り出して私に突きつけました。


「あげるわ。本当はみたらしがよかったんだけど売り切れてて。でもこれも美味しいのよ。」


差し出されたものはパステルカラーの三色団子でした。私は言われるがままにそれを受け取り、恐る恐る一口食べました。

私がそうするまでの間に少女はもう一本団子をとりだして食べきってしまっていました。

少女がもう一本団子を取り出そうとした時、急にこちらを見ました。その時になって私はようやく団子そっちのけでその少女を見つめていたことに気づきました。

少女は私に言いました。


「その制服、私と同じ学校ね。君、名前は?」


「名前……? ルナだ。ルナ・セプテンヴァー。」


「ルナ、か。綺麗な名前ね。私は、佐倉はな。」


「はな……あ、いや、佐倉さんと呼んだ方が……いいんだろうか。」


「やだ、やめて。はなでいいわ。」


どうにも落ち着けない私を見てはなは笑いました。品のいい落ち着いた笑い方でした。


はなは不思議な人でした。私の髪や瞳を見て不快な表情をすることもなく、臆せず私に話しかけてきました。

今日初めて会った人のはずなのにごく自然に私の隣に居ました。

はなの顔を見たり声を聞いたりする度にどぎまぎして照れくさくなってしまうのに、なぜかはなと居る時間が不快だとは感じず、むしろこの時間がずっと続けばいいのにと思うようになっていました。


「ルナはどうして逃げてきたの?」


不意にはなはそう尋ねました。私は思わず目を背けてしまいましたが、はなの言ったことが事実だと理解はしていました。

私は人で溢れる世界から逃げてきたのです。


「ちょっと……息苦しくてね。」


素直な気持ちを言うと、はなは一言「わかるわ。」とだけ返しました。


陽が陰り、薄桃の花達が心なしか薄い橙色の光を帯び始めてきました。

私がそろそろ帰るから、と言うとはなも同じだったようで、私達はこの桜並木の終わりまで一緒に帰ることになりました。

はなと二人並んで終わりを目指しながら私はこの時間が終わってほしくないと願っていました。

薄く繊細な花びらが重い焦げ茶の地面を自分の色で染めていきます。

花びらはしばしば私にまで餌食にしようと髪や服に張り付いてきました。

はなも同じで、ふと私ははなのセーラー服の襟に花びらが一枚ついているのに気づきました。


「ちょっと、いいかな。」


私はそっと花びらをすくいあげました。すると花びらは指からすぐ離れ、ふわふわと自由に宙を舞って飛んでいってしまいました。


「くっついちゃってたのね、ありがとう。」


はなはそう言って、また歩き出しました。並木道の終わりはもう目の前でした。


夢が覚めるのは一瞬でした。最後の桜の門をくぐり抜けるともうそこから先には鈍色の町しかありません。

はなの家と私の家は逆方向でした。踏切を渡った後、私は右に、はなは左に行かなければなりませんでした。

別れる間際に私は言いました。


「あの……、また明日、会えるかな。」


「同じ学校だもの。会えるわよ。」


「そう、よかった。また明日。君と会えてよかったよ。」


「うん、また明日。」


はなは少し嬉しそうに頬を染めるて笑うと、私に背を向けて帰っていきました。

はなの笑顔は暖かい日だまりのようで可愛らしく、その笑顔を見て私も嬉しくなりました。

私も自分の道を帰っていきました。が、ふと我慢できなくなって振り向いてみました。

すると、はなが誰かと話しているのが見えました。遠くてはっきりとは見えないのですが、背の低い老婆らしき人に説教でもされているように見えました。


はなが実は名家のお嬢様で、説教をしていたのは所謂「ばあや」だったということを、私は翌日はなと会って話した時に知るのでした。





鈍色に陰る町はいつもどこか冷たくて、私は常に息苦しいと感じていました。重たい足取りで夕暮れの空の下を歩いていきます。

魔法にでもかかったような暖かく和やかな気持ちは長くは続きませんでした。

木造の汚い平屋が見えた時、私は疲れたため息を吐き、何事もないことを願いました。

玄関に向かい中に入ろうとした時、近所の主婦と思われる女性がやってきて私に言いました。


「あんたのとこの母親、また昼間おかしな声あげてたんだけど。」


「……すみません。母に気をつけるよう……言っておきます。」


私が謝るとその女性は不愉快そうに舌打ちして去っていきました。去り際に「さっさと国に帰ればいいのに」と呟くのが聞こえました。

私は喉まで出かかったため息を飲み込み、戸を開けて家に入っていきました。


私の家はどういうわけだか庶民の家にしては贅沢な方である木造の平屋でした。

けれどお世辞にも管理が行き届いているとは言えず、部屋は埃と蜘蛛の巣にまみれていて、せっかく庭まであるというのに雑草の住処になっていました。

私が靴を脱ぎ中にあがっていくと女のすすり泣く声が聞こえてきました。

私は鞄を置いて家中の部屋を回ってその声のする場所を探しました。

そして六畳程の畳の部屋でようやく母、文アヤを見つけました。母は襖にもたれかかるように座り、手はだらんと下に垂らして声をあげて泣いていました。

そんな光景ももう日常と化していました。私は母の隣に座り声をかけました。


「ただいま。また泣いてたの?」


その声を聞くなり母は私の頬を叩きました。そして襖に突っ伏して唸るような声を出したり甲高い声で叫びながら泣いています。


「来るな! 来るな来るな来るな来るな! 返して、返してぇ……! キィェェァァァァァァア!」


「落ち着いて。何も、しないから。」


すると急に母は泣きやみ私の顔を見つめました。そして急にぱあっと笑顔になり底抜けに明るい声で言いました。


「ハイド! ハイド! 帰ってきてくれたのね! 私ずっと待ってたの!」


母は急に立ち上がって舞い躍るようにふらふら歩き始めました。

ハイド・セプテンヴァー――私の父の名前でした。父の名を嬉しそうに言う母の目は虚ろで光を映していませんでした。

まるで年頃の少女のように無邪気であるかのように喜ぶ母を見て、私はいつものように俯いて言いました。


「母さん、私はハイドじゃない。ルナだよ。」


明るい声が消え、開けっ放しの縁側から風が勢いよく吹き込みました。

母はだらしなく腕をぶら下げて、首の座らない子供のように頭を傾けたまま私をじっと見つめました。


「る……ナ……?」


「そう、ルナだよ。」


首は傾げたまま、脚だけ崩れるように母はその場に座り込みました。

私は静かに立ち上がり母の傍に行きました。母は少し落胆している様子でしたが、ようやくしっかり私の顔を見てくれました。


「おかえり、ルナ。」


「ただいま。」


母は立ちあがって台所の方へと向かいました。私も上着を脱いで慌てて後を追いながら母に言いました。


「遅くなってごめん。今、夕飯作るから。」


「大丈夫よ。夕飯ならもう作っておいたから。」


「……母さんが?」


私は思わず聞き返しました。こちらに引っ越してきてからというもの、食事の支度は私がやることの方が多かったのです。

母は居間を指さしました。居間には小さなちゃぶ台がぽつんと置いてありました。そしてその上に今日の夕飯が置いてありました。

ご飯と、味噌汁と、焼き魚。酢の物が少々。どれも美味しそうにできていました。

母の料理というものを随分長いこと食べていなかったので、私は少し嬉しく思いながら床に座りました。

が、並んでる茶碗と皿の数を見て私は愕然としました。


「ちょっと早いけど夕飯にしちゃいましょうか。いただきます。」


後からお茶を持ってやってきた母が言いました。母は一番最初に誰も使わない茶碗の横にお茶を置き、その後に私と自分の分のお茶を置きました。

ちゃぶ台の上に置いてある茶碗の数は三つでした。どの茶碗にもご飯が盛られ、茶碗の横には味噌汁も魚も酢の物もありました。

母はそれが普通のことであるかのように箸を持ち、味噌汁のお椀を持ち、夕飯を食べ始めていましたが、私は三人目の分の夕飯を見つめたまま箸をつかめないでいました。

それが誰の分かはわかりきっていました。


「母さん。」


「どうしたの?」


「父さんはもう帰ってこないんだよ。」


箸とお椀の落ちる音がして、熱い味噌汁が床の上で弾けました。

私は母の顔を見て諦めたように頷き、布巾と雑巾を取りに立ち上がりました。

母は時間が止まったように箸とお椀を持っているような恰好をしたまま動きませんでした。

こぼれた味噌汁を拭き取り、夕飯を食べ終わり、片付け始めてもまだ母はその姿勢のまま言葉一つ発しませんでした。


母と一緒にこちらの国に引っ越してきたのは2年ほど前。きっかけは父、ハイドの死でした。

父の死を聞いた母は突然「ハイドを捜しに行く」と言い出して、私をつれてこちらの国にやってきたのでした。その時すでに母は正気ではありませんでした。

その状態で一体どこから人脈とお金が沸いて出てきたのかわかりませんが、それから母と私はこの町でこの家を借りて暮らしているのでした。


陰鬱な気分を引きずりながら、私は自分の食器と誰も食べない夕飯を片づけて、放置したままの上着と鞄を片づけに畳の部屋に戻ってきました。

私が上着を拾い上げると、ふわりと何かが舞い落ちました。

夜の色立ち込める部屋の床に指の先ほどの大きさの薄桃色が咲きました。あの道の桜の花びらがどうやら上着についてしまっていたようです。

それを見て私の憂鬱は少しだけ和らぎました。そして、今日出会ったあの少女のことを思い出しました。

はなの暖かい笑顔を思い出し、私も思わず少し笑いました。


明日また、あの子に会える。


そう思うと希望が持てる気がして、私は落ちた花びらをすくい上げました。

暗い畳に、外からぼんやりと光が射し込みました。左半分の欠けた上弦の月でした。

私は縁側に出て月を見上げました。どんなに暗い夜でも月は常に明るくそこに在りました。

突如風が吹きました。私の手の平にあった桜は風に乗って、月に向かってふわりと飛んでいきました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ