教育という名の洗脳。
次の日から聖女教育が始まった。
こちらの世界の常識に今の状態。歴史に礼儀作法。そして魔法と魔物と戦うための戦闘訓練。
戦闘技術が身についたら、迷宮に潜っての戦闘訓練。
成人したら魔物の討伐や瘴気の浄化をしながら旅をすること。
ここまではどの聖女も同じ。
ここから先は各個人のスキルによって教育が変わる。
戦闘特化のスキル持ちには騎士団の精鋭部隊が。
魔法特化には専門の国立魔術師が。
鍛冶特化には国一番の鍛冶師が。
個別に最高の教育が用意され、点数が付けられて順位が発表される。
その順位によって離宮での扱いが変わるそうな。
最低は普通の部屋に侍女が1人。
そこから部屋のランクや侍女やメイドの数。ドレスや部屋の調度品。用意されるお茶やお菓子が変わる。
最高の順位を得れば10数人にかしずかれ、部屋数も増え、個人の浴室も完備される。
そんな説明がされると聖女達が色めき立つ。
こんなところまで競争か…。
ああ、でも、管理をすることを考えたらいいのかもしれない。競争させておけば団結されて国に離反されたり、謀反を起こされる可能性が減る。
ん?もしや、昔、そういうことがあったからこその競争なのかな?
「これから聖女様方にはご自身で名前を考えて頂きたいと思います。この世界では真実の名前を真名と呼び、その名前を使えば相手に魔法をかけることが容易になります。なので聖女様方には仮名を決めて頂き、その名前でお呼びしたいと思います」
ん?魔法が簡単にかかる。
ちょっと待って、それって操ることが可能ってことじゃない?
それって昨日の名前を聞く時に説明しておくことだよね?
既に全員分の真名握ってるくせにしれっと何を言ってるの、この人達。
ますますこの国への不信感が強くなる。
目が覚めてから何度目かの、これが夢ならいいのに…と現実逃避をしたくなった。
拉致られて、閉じ込められて、監視されて。
今、逃げ出しても子供だからロクなことにはならない。
今も奴隷とか言ってるし。
外は危険。ここにいれば安全とか言ってるけど洗脳だよね?これ。
それで国のために戦って死ぬことを幸せだと思うようになることを教育を施していくなんて…。
言ってることに寒気を覚える。
でも、逃げ出したとしてもよくて連れ戻されるか、悪かったら国よりもひどい待遇で同じように奴隷だろう。
死ぬことができれば幸せな方かも知れない。
「それでは皆様のお名前が決まりましたら、ステータスのスキル名を教えて頂きたいと思います。それによりお教えする内容が変わりますのでよろしくお願いします」
名前…うーん…なるだけ本名からも岬の名前からも遠いヤツ…。
えーと…。
連想ゲームの末にたどり着いたのはエジプト語の猫。マゥだ。
いつか逃げてやる。自由になってやる、という想いを込めた名前。
「お名前決まりましたでしょうか?」
1人ずつ付いている教育係が聞いてくるので頷く。
「ではお名前とステータスをお教え下さい」
「名前はマゥで。ステータスは…」
このステータス、召喚された人間にしかないスキルだそうです。
でも、めっちゃ大雑把。
体力 普通
魔力 沢山
スキル 治癒魔法【上級】
特殊スキル 特殊結界【悪意】収納魔法
ただ、これだけ。レベル表記も名前もない。
「治癒魔法と結界とありますね」
収納魔法を言わなかったのは、それがあると答えた女の子のところへ昨日の美形が来てわざわざ話しかけていたからだ。
持っていることを知られたらまずい魔法な気がする。
使い方はこの魔法を使える子に聞きながら独学だな、と心の中で決心する。
「それだけですか?」
「ええ」
「治癒魔法の後か前に初級とか中級とか出てませんか」
「出てませんけど?」
キョトンと言った感じで言葉を返すと教育係は信じたようだ。
「体力や魔力は?」
「両方とも普通になってますね」
「わかりました。マゥ様には先程の説明以外に魔法学と治癒魔法を学んでいただきます」
「…スキルにないものとかでも教えて欲しいと申し出た場合、教えてもらうことって可能ですか?」
「可能ですが…例えばどんなものでしょうか?」
「昨日、お風呂に入った時に石鹸は見かけたんですが、シャンプーやリンス…えーと髪の毛を洗うために特化したものや化粧水…湯上りに肌に水分を補給するものがなかったので、こちらの素材で作れたらな、と思いまして…」
「どのようなものが必要ですか?」
オリーブオイルやシアバター。精油も欲しいし、保湿には蜜蝋に蜂蜜。重曹とかってあるのかしら?
「植物由来の油やハーブ、蜜蝋などが必要なんですがありますか?」
「…それだと薬調合、薬師の仕事になりそうですね」
「では、それを。あと先程の説明でよくわからなかったのですが、生活に便利な魔法ってなんですか?」
「それは生活魔法というものです。他の魔法は代表的なところでは火、水、風、土、雷、氷、光、闇、植物などになってまして。
一応、これは基本的に攻撃魔法を含むものなのですが、一切の攻撃魔法がないものが生活魔法なのです。
火種にコップ一杯の水。洗濯や入浴の代わりに服や身体を浄化したり、乾かしたり、部屋を綺麗にしたり。上級までいくと湯船より多いお湯を作り出すことも可能です」
日本でいう家事する能力が生活魔法で補えるわけか。
あの部屋にあった台所設備には冷蔵庫も冷凍庫もなかった。勿論、電子レンジも。
ガス台の下はオーブンとして使えるみたいだったけれど使い方がよくわからない。
朝はリズがやってくれたし、後で聞いてみよう。
「それは便利ですね。是非、覚えたいです」
「一応、皆様に学んでいただくことにはなってますが、上級まで覚えたい。ということで申請は出しておきます」
話を畳もうとされたので慌てて要望を追加する。
「それと出来たら料理もしたいんですが…」
「…食堂で食べることが出来ますが…」
「向こうの世界の食事というか。お母さんの味というか。自分で作ったものが食べたい時があるんですが、そのためにはこちらの食材や調理方法を知りたいのでよろしくお願いします」
「…わかりました。料理長に頼んで調整してみます」
困った顔になりつつある教育係に更に畳み掛けていく。
「あと街に出ることって出来ますか?」
「それは…」
「今すぐでなくてもいいのですが、こちらの普通の方の生活が見てみたいんです。昨日見たところ火には薪。水は井戸とかですよね?」
「ええそうです。聖女様のおかげでポンプなるものがもたらされたので水汲みはずいぶん楽になりました」
ポンプ…手押しのやつかな。あれってどういう原理なんだろう。
あれ?でも、部屋のシャワーとシンクは手をかざしてるだけだったような…。
「そうなんですか。それは普通の方にも広がってるんですか?」
「ある程度は…」
なんでそんなことを聞くんだ、というように警戒を強める教育係に、とりあえずは逃げるつもりのないのことを伝える。
「別に逃げ出そうとしているわけではないんです。向こうでは私は庶民…貴族や王族ではありませんでしたから、自分と同じくらいの生活をしている人を見たいんです」
「…わかりました。街への視察や、治癒魔法が使えるなら治癒院での奉仕活動が出来るかもしれませんので上司に打診しておきます」
「よろしくお願いします。それから魔法で体力を強化したりするものってありますか?」
「それは重いものを持つという意味でしょうか?」
「それだけでなく、長時間走ったり、素早く動けたり、とかですね」
「生活魔法に軽量化の魔法と身体能力を上げる魔法があります」
詳しく聞くと、どちらも役に立ちそうだった。ただし、覚えるのにはかなり苦労しそうだ。
それでもやるしかない。
これが本当に夢ではなく現実ならば成人までの2年間は有意義に使うしかない。
出来る限りの知識の吸収。それと生きていく手段の確立。
逃げる手段も合わせて考えなくちゃならない。
夢だったらいいのに…。
夢ならばここまで冷たくも、酷くもないことをわかっていながら考えてしまう。
この世界の人達が当たり前に自分に強いてることがどんなことかわかってないことが、これが現実だという裏付けだ。
とりあえずは黙々と勉強して、テストがあれば良い点はとらずに、面倒だけどなんとかなる程度のお願いをしつつ、扱いにくいけど、排除は出来ない。というところを目指すしかないけど、なんて面倒なのだろう。
長い長い道程に私は深いため息をついた。