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プロローグ

 天気は曇っていたが、早朝から降っていた雨は既に上がっていた。

 薄暗い事に変わりは無く、たまに上から水滴が落ちて来るのはその名残だろう。

 地面も乾くほど暖かい訳ではないが、タイル敷きの地面が水捌けを良くして歩く分には問題ない。

 道を行き交う人も少なく、通勤ラッシュの終わった時刻とこの辺りの店が開くにはまだ早く、その間は商品の搬入に忙しそうな運送会社のロゴの入った、制服を来て荷物を載せたカートを走りながら押す人がよく目に入る者の殆どだ。

 そんな通りの中を眩しそうに空を目だけで見上げながら、黒いパーカーを着た男が欠伸をかみ殺し歩いていた。


 頬に触れ少しばかり伸び始めた髭を撫ぜながら、眠そうな表情をしている。

 見た感じは二十代半ばくらいで、広い撫で肩で背の高さもそれなりだが、痩せすぎで濃い眉をした平凡な容姿、髪も染めて無ければ単に短く整えているだけで、唯一目立つのは目の下の薄い隈だろうか、寝不足なのは誰が見ても一目で分かるだろう。

 その男が朝九時半でも開店中の、ファーストフード店へと入って行った。


「いらっしゃいませ~」


 元気の良い語尾が間延びした声が、自動ドアを潜った途端聞こえて来る。

 店内を見渡し開いている席を確認し、顔見知りの店員と目が合い頷くと向こうも了解とばかりに右手の親指と人差し指で丸を作った。

 今日も親が経営する漫画喫茶の店番が終わると、職場近くの『華卯』へ入り、入口の食券機に硬貨を三枚投入して『卵焼き定食・とん汁セット』のボタンを押す。この店のメインの一つ、関西風うどんは注文しない。

 なぜなら僕は、讃岐うどんの方が断然好みだからだ。

 家に帰ればご飯くらいは炊飯器に炊いてあるけど、職場近くに部屋を借り一人暮らしの僕は、自分一人分のおかずを作るのが億劫なのと、ここの店のとん汁がお気に入りなので、仕事帰りは必ずここで食べて帰るのが日課になっていた。


「ありがとうございました~」


 その声が耳に入りぼうっと眺めていたTVから目を離すと、立て続けに残っていた客が慌ただしく消え、店の中には店員と自分しか居ない事に気付き腕時計に目をやる。


「この時間になると、やっぱり一端客が消えるよね」


 誰に聞かせる訳でも無く、ポツリと呟いた声に反応するかのように返事が横から聞こえて来た。


「ご注文の目玉セット、お待たせしました~。……そりゃそうですよ~上代(かみしろ)さんだって、これがいつも通りだって知っているじゃないですか~。さっきも言いましたけど目玉セットばかりじゃなくて、偶にはうどんとかもどうです~? 一応オススメなんですよ?」


 腰に手を当てながらそう言ってくる店員へ苦笑いを浮かべながら、上代と呼ばれた男は箸を割って先ずはとん汁から口にしつつ答える。


「いやいや、川崎さんだって前に話したから知ってるでしょ? 僕が関西風うどんがあまり好きでないって、それに夜勤明けで朝からうどんは何か違うと思うんだ」


「はいはい、お仕事お疲れ様です。けど~漫画喫茶のお仕事って何か楽しそうなイメージを持っちゃいますよね~。何時でも漫画を読めそうだし~」


「楽しい……かどうかは別として、単に深夜の人手が居ないからって、親に無理矢理任されて働かされているだけだけどね。まあこの歳で職にも付かないで、一人暮らしで実家を離れていたら、呼び戻されても仕方ないわ」


 そう答え呆れた顔をされたが、堪えた様子は無く飄々とした風に目の前の目玉焼きに醤油を垂らし、旺盛にご飯と一緒に頬張るのであった。


 値段もリーズナブルで、凄く美味いと言う訳ではないけど、他にもその日の気分で一品追加したり出来るのが丁度良く、一応職場でも食べられない事は無いが、結局ここにほぼ毎日通っている。

 待ち時間も短く店内設置のTVでニュース番組を眺め、今の時間帯に居る女性の店員さんとは既に顔馴染みで、先程の合図のように決まって必ず頼むとん汁だけは出来上がるのが早いのだ。


 ある程度食べた所で聞き忘れた事が在るのを思い出し、店員さんに声を掛ける。パッと見は吊り目のせいで勘違いされやすいが、川崎さんと言う中身は至って普通の女の子。この前ご当地キャラの携帯ストラップをお土産に貰ったので、そのお返しをするいい機会だと考えたからだった。


「今大丈夫? 実は明後日から連休取って、ちょっとした小旅行に行く予定なんだけど、お土産は何がいい? あまり値段の張る物は無理だけどね」


「えっ? またご旅行ですか? そんなに簡単に旅行に行けて羨ましいな~。それで上代さん、今度は何処に行くんです? お土産って言っても、行く場所で色々変わりますよね?」


「ふっふっふ、今回はローマ十日間だよ。前回はインドに行ったけど、ちょっと場所を変えようと思ってね」


「ん~……じゃあ、是非何か食べ物以外でお願いします! 後、出来ればメールで撮影した写真とかを送って貰えたら、尚嬉しいです」


「え? 写真は承ったけど、そこは食べ物じゃないの? 何で?」


「……前に、学校の友人にお土産に貰って食べたら食中毒で、部屋の子皆救急車で運ばれて」


「川崎さんは、いったい何を食べさせられたんだい!?」


 そんなこんなで他愛も無い話をした後に店を出て、後は家に帰る前に軽く家電量販店と本屋を廻り、そこから帰りのバスの時間に合わせるだけ。

 パスポートと航空券も用意してあるし、今日を合わせてまだ準備時間も丸二日もある。普段であればいつも通りの日常が流れる筈だ……。





 予定通り家電量販店が在る駅前まで歩くと、何かのパフォーマーらしき人が歩く人に声を掛けているかと思って立ち止まり見てみると、「Help」と白い絵具かペンキで大雑把な太文字が書かれたダンボールの板を両手で持っている。

 明らかに日本人では無いと分かる見た目の男性が、行き交う人々の群れに片言混じりの日本語で「たスケてくだサーイ!」と最初の「スケ」と「サーイ」だけが、妙に滑舌よく聞こえた。

 舌を巻いて発音していて何より目立っていたので、ちょっと面白く感じ、困っている様子なのに不謹慎だが、“何をどう助けて欲しいのだろう?”と思って、少し離れて様子を窺う。


 偶に「Please help me!」と流暢な英語も飛び出すので、誰か同じ英語圏の人が対応してくれないかなとも思ったけど、不思議な事にかなり目立っている筈なのにも拘らず、耳を傾ける人や立ち止まる人が全然居ない。その内疲れたのか諦めたのか分からないが、ガックリと肩を落とし駅の建物に凭れ掛かかると、溜息を吐いていて項垂れていた。

 少しばかり面白がってしまった事に罪悪感が湧き、近くの自動販売機でコーヒーを二本購入して近寄る。


「あの、これどうぞ。え~と……I will give it to you」


「オー、アナたシんせツ。アリが……見ツケた!! 貴方のような人を探していたの! 何とか間に合ったか!」


 ちょっと怪しい英語で話し掛けた僕が、おずおずと差し出した缶コーヒーを見てほにゃっと笑ったこの人。

 最初は変な人かな~? 何て思ったけど、そんな事は無くて見た目はブロンドの髪は長くてボサボサでも艶はあり、不思議と汚れた感じはしない。近くで見ると無精髭を生やした『ジョン・レ○ン』って感じだった。でもこうして落ち着いてよく見ると、もしかすると僕より若いのかも知れない。何となく漠然とそう思う。

 けど、缶コーヒーから僕に視線が移った時、一瞬だけど信じられないモノを見たような、例えで言うなら夜中に道端でお化けでも見たような? 僕にはそう見えた。


「へっ? あれっ? 今、一瞬女の人の声が聞こえたような??」


「アー、コレ、モらてくだーサイ!」


 低めの男性の声で片言の日本語が聞こえたが、目の前のジョン(仮)が女性の声を出す筈も無く、何かの聞き間違いだと思いながらそう聞き返すが、やっぱりただの僕の勘違いのようだ。

 缶コーヒーを受け取ると彼は、紐を引いて鳴らすタイプの小さなベルが付いた、お洒落なアンティーク風な物を取り出して見せる。

 もしかして路上とかで銀細工の指輪や、アクセサリーを売ったりしている露天商の人で、これを買って欲しいのかな? と直ぐにそう思い浮かぶ。

 そんな予想が頭の中を横切ったけど、僕はあえて口に出さずにグイっと押し付けられたベルをマジマジと見た後、どう言った由来のものか分からず訊ねる。


「えっと? ナニコレ? ……小っちゃい呼び鈴?」


「きっと、こちら側の神の思し召しね。アーメン、仏様、アッラー、その他諸々纏めて感謝する!」


 だが僕の質問の答えは帰ってこないで、代わりにそんなふざけた祈りが聞こえたかと思ったら、缶コーヒーを受け取ったジョンは、僕がベルを受け取ると瞬時に女性の声を残しそのままスーッと、この衆人環視の真っ昼間の中で目の前から消えてしまった……。

 余りの出来事に思わず「えっ? ええっ!? ジョン!? 今のって!?」と口に出しながら、頭の中でよくある新手の通行人を捕まえ、助手に仕立てる新手の路上パフォーマンスだよね? ドッキリ成功でしょ? カメラは? 音声スタッフは何処だと、早鐘を打つ心臓の辺りを掴んで辺りを見回す。

 まさか実はあのジョンは幽霊で、僕にしか見えていなかったから誰も反応しなかったのかと背中や腋の下、それに額からも冷汗が流れる。


 そんな風に茫然としていても、ジョン(仮)の姿は跡形も無く消え、やっぱり周りには番組収録のスタッフもカメラも無く、代わりに来たのは人通りの多いこの場所で、あまりに挙動不審だったのか巡回中のお巡りさん。


「君、大丈夫かね? そんなにキョロキョロとどうしたんだ? 先ずは落ち着いて、そこの交番で少し話でもどうかな」


 慌てて逃げようとしたが、肩を掴まれパニック寸前だった僕はうっかり頷いてしまい、そのまま任意同行となってしまった。





 駅の直ぐ傍にある交番に着くとパイプ椅子に座る様に促され、先ず名前と年齢を聞かれ三十二歳、上代由衛(かみしろゆえ)と放心したまま答える。

 それから何が在ったのか聞かれ、起きた事を最初から説明して押し付けられたベルも見せてみたけど、返って来た返事は“寝惚けたか、変な物を怪しい外国人に買わされたに違いない”的な内容の話を聞かされ、犯罪とは全く関係なさそうだと分かると、また巡回に戻るようであっさり交番から追い出された。


 ……お巡りさんも訳の分からない問題に、これ以上構う程暇では無いらしい。

 去り際に「別段違法な品でもないから、安心して帰りなさい」と諭され、交番から数歩進み、持ったままだった自分で買った缶コーヒーのプルタブをカコッと開け、温くなったそれを一気に喉に流し込む。

 舌に伝わる仄かなコーヒー風味と、喉に絡む微妙な甘さ……白昼夢でも見ちゃったのかなと思いながら、飲み終わった缶を握りつぶす。

 たとえスチール缶でも、中身が空なら握力さえあれば簡単な行為、でも何だかそれでスッキリして日常に戻った気がした。

 だけど、不思議な事に僕の手には、目の前で消えてしまったジョンから貰った、あの小さな紐付きのベルが、今も鈍い輝きを放って存在感を表している。


 数秒の間コイツと睨めっこをした後、「まあ、いっか」と自分を無理に納得させて、気を取り直し当初の予定だった家電量販店と本屋を廻り、旅行中に使えそうな物が無いかと物色。

 これ以上旅行に持って行く荷物が増えたら不味いかな? と眺めながら、通販でも色々買った事を思い出して、適当な所で切り上げ家に戻るのにバスに乗った。


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