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有須inワンダーランド!<9>

「そう、それよ。とてもいい表情よ」

軽く頭を下げた蔵斗に、女性はお茶を差し出した。マグボトルの蓋に注がれたそれを手で包み込むと、暖かさが身に沁みる。

「では、アリスさま。私は失礼して踊って参ります」

和田がホールの中央へと歩み出ると、踊っていた一組の男が女性の手を和田へと渡す。

そう背の高いほうではない和田だが、女性の腰をホールドし、背筋をピンと伸ばして滑るように踊り始める姿は様になっている。

「和田さん、カッコいい」

口の上手い方では無い蔵斗に思いつくのは素直な感想の言葉だ。率直であるだけに、嘘や偽りは無い。まるで舞踏会に出て来る貴族のようだと蔵斗は思った。

「早川さんのお客さんなんだって?」

和田とパートナーを交代した男が声を掛けてきた。年の頃は四十くらいだろうか。

背が高くすらりとしていて、スーツが似合っている。

「はい。有須です」

「アリス?」

「いえ、有る無しの有に須らくで、有須」

聞き返された呼び名に、蔵斗は如実に反応していた。今はその名で呼ばれたくない。

ワンダーランドのアリスなどと呼ばれていい気になっていた自分が恥ずかしい。浅ましい勘違いだ。

「そうか。私の店だと、若い人は珍しくてね」

「こちらのマスターなんですか?」

スーツの男がにかりと笑いながらうなずく。その仕草はよく言えばダンディだが、悪く言えば軽薄さが滲み出る。きちんとしたスーツなのに、何処か堅気っぽくない雰囲気があった。

「そう、ここの持ち主で茅場壮士。よろしく」

すっと差し出された大きな手に戸惑いはしたものの、蔵斗も手を差し出す。茅場はにやりと笑うと握手をしてきた。

「大きい手だね。ガタイもいい」

握手したまま、茅場が蔵斗の手を引いた。何をされるのか不審には思ったものの、素直に立ち上がると、茅場は蔵斗の腰をホールドし、一歩踏み出した。

「あの……」

「君、タンゴかワルツ、やる気無い?」

戸惑いを顔に貼り付けたままの蔵斗に、茅場が問い掛ける。

「また、先生のナンパが始まったわ。本気にしちゃ駄目よ、この人は誰にでもそういうことを言う、不良中年だから」

蔵斗にお茶を勧めた、初老の女性がくすくすと笑い声を立てた。それに茅場が頬を膨らませる。

「真美子さん、随分私に手厳しいね」

「当たり前よ。先生の手口なんてお見通し。そうやって男も女もお構いなしなんだもの。忠告しますよ」

「失礼な。私だって、純粋に面倒みたいときもあります」

「ときもある、っていう所が信用出来ないわねぇ。先生もお菓子いかが?」

真美子に勧められるまま、茅場がソファへ座った。いい中年男の筈だが、人生経験豊富な初老の女性には適わないといった風だ。蔵斗は丁々発止のやりとりに、目を丸くしている。

「でも、せっかく背が高いんだし、もっと背筋をしゃんと伸ばして、堂々としてればいい。恵まれた体格なのに、勿体無い」

茅場が腰を下ろした蔵斗の背を叩いた。それに真美子も大きくうなずく。

「珍しく先生の意見に同意よ」

「でも、怖くないですか?」

おずおずと蔵斗が訊ねる。恐々とでも発言したのは、むしろそこが誰も知らない場所であるという安心感もあったのかもしれない。

「え?」

「何が?」

二人が同時に蔵斗を見上げる。その勢いに蔵斗は身体を引いた。

「まぁ、確かに顔はそうかも」

「あら、そう?」

マジマジと二人共に見つめられ、蔵斗は居心地が悪くて、ついっと視線を外して下を向く。

「あ!」

茅場と真美子が異口同音に声を上げた。

「駄目よ。それだわ」

「うん。目線、逸らさないで。こっち見て」

叱り付けられる様な二人の調子に顔を上げると、茅場の大きな両手が頬を覆う。じっと覗き込まれて、見る見るうちに血が上るのを感じた。

「可愛いうさぎちゃんだな」

囁かれて逃げ出したい衝動に耐える。この体勢から逃げ出すには、二人を突き飛ばすことになってしまうからだ。

「駄目よ。もう、これだから先生は!」

「はいはい。あのね、君何時でもそうやって視線を逸らしてたでしょう?」

真美子に怒られた茅場が真剣な顔になる。

「え? ええ、でも」

「身体も大きいし、目つきも鋭いからね。その君が見られると視線を外すでしょう。何か後ろ暗い感じに見えるんだよ」

「あっ……」

茅場に言われて、自分の行動を辿ってみる。確かに言われた通りだ。単に慣れないだけなのだが、そう思われても仕方がない。かといってどうすればいいのか。

「笑ってごらん」

「わ、らう?」

『アリスが笑うと、俺も嬉しい』

美作の声が蘇り、蔵斗の胸が痛む。急に暗い顔になった蔵斗に茅場が怪訝そうな顔をした。

「笑うの苦手? それとも何か嫌な思い出でもある?」

「皆が笑ってって言うんですね。俺が笑ってもいいことなんか無いです」

「そうかな」

「そうです」

半ば意固地になった蔵斗が言い放つ。真美子がそっと蔵斗の手に触れた。

「さっきは笑顔でお礼を言ってくれたわね。とてもいい笑顔だったわ。見ているこっちも幸せになるわよ。それとも、こんなおばあちゃんに言われても嬉しくないかしら?」

小首をかしげる真美子に、蔵斗は慌てる。そんな意味では無かったのだ。

「い、いえ。あの真美子さんじゃなくて」

否定をする言葉もしどろもどろになる。そこへ馴染んだ声が掛かって蔵斗はほっとした。

「おや、もう真美子さんと親しくなられたのですか?」

「和田さん」

和田は蔵斗の表情が硬いことには気付いたが、そ知らぬフリを押し通す。

「どうでしたかな?」

和田が気取って胸を反らした意図を蔵斗は正確に読み取った。

「素敵でした。格好良かったです」

自然と笑顔が浮かぶ蔵斗の表情に、和田もまた笑顔で応える。主人である早川が言っていた。蔵斗は人とのコミュニケーションに慣れていないのだ、と。関わりを増やし、言葉を増やし、自然に浮かべる笑顔を待てばいい。

何があったかは知らないし、知るつもりも無い。

そういう主人を傲慢だとは思うが、蔵斗を見ていると間違いではないとも思える。

和田の携帯が鳴った。

「失礼」

通話をしつつ、廊下へと出ようとした和田の耳を打ったのは、主人である早川の珍しく焦りを滲ませた声だった。

「何処にいる?」

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