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有須inワンダーランド!<5>

「いらっしゃいませ」

メイドは早川の手から、恭しくビニール製のカバンを受け取ると、蔵斗に向って頭を下げた。

「こちらへどうぞ」

メイドに案内されて、早川と別れ個室へと通される。さっき知り合ったばかりではあるが、顔見知りの早川と別れて、高そうな個室へと案内された蔵斗は落ち着かないことこの上無い。

凝った細工の施された丸テーブルと椅子の置かれた個室はちょっとした小部屋といった感じで、根が田舎モノの蔵斗はあちこちを見回してしまう。

「お荷物はこちらへ置きますので。すぐにお茶を用意させていただきます。お好みはございますか?」

メイドが笑顔を見せたのに、漸く蔵斗は口を開くことが出来た。

「あの、ここってお店なんですよね?」

「はい。早川創玄がオーナーを勤めますレストランです。調度は全てゴシック様式で整えられております。お客様は早川の招いた客のみですので、安心しておくつろぎを」

それを聞いて、蔵斗はますます安心出来なくなる。そんな店に入るような資金は無い。

「あ、あの、早川さんには悪いですが、俺ッ、帰らせてもらいます」

「そのようなことをなされては、わたくしが早川に叱られてしまいます。どうか落ち着いてくださいませ」

メイドに懇願されて、蔵斗はしぶしぶと腰を下ろした。

「お茶は何をお召し上がりになりますか?」

蔵斗が腰を下ろすと、メイドはころりと態度を翻し、にっこりと最上級の笑みを浮かべた。

「日本茶でも?」

「はい。緑茶でしょうか? ほうじ茶でしょうか? お仕事帰りならば、冷たい麦茶もございます」

おずおずと申し出た蔵斗に、メイドはすらすらと並べ立てる。

「じゃあ、ほうじ茶で」

ここで何も注文しないのは悪い気がして、蔵斗は一番安そうなものを上げた。上品にメイドが会釈をして出て行く頃には、蔵斗はぐったりと疲れて果て、テーブルへと顔を伏せた。

「はー、何だ。ここは」

早川に良いように言いくるめられて連れ込まれてしまったが、このぐらいなら『将』へ行けば良かったと溜息を吐く。豪華な調度に囲まれた部屋も落ち着かないし、何よりも連れてこられた訳が判らない。

「すまない、アリス。待たせてしまって」

扉の開く音に驚いて顔を上げると、早川はすっと優雅な仕草で蔵斗の向かい側に腰を下ろした。

「何だ、まだお茶も出してないのか」

「あ、いや、俺が頼むのが遅かったんで」

早川の咎めるような言葉の響きに、慌てて蔵斗が言い募る。

「ここがどんな場所なのか気になって、それで、」

「ほう。少しは僕に興味を持ってもらえたのかな?」

色っぽく流し目を送られても、蔵斗は戸惑うばかりだが、取り合えずうなずいておく。

「ここは、中世の調度を模して作った僕のお気に入りの場所だ。ビルの中だとは思えないだろう?」

「そうですね。レストランだと聞いたんですが」

「ああ、予約制だ。今様に言えば、『執事レストラン』とでもいうのかな。お客様はすべて僕が招いた客ということになっていて、先程の和田と数名のメイドが給仕をするように申し付けてある」

蔵斗の田舎にもメイド喫茶くらいはある。そういう類の場所かと合点がいった。ここはクラッシックな服装に拘っているのだろう。

「あの、ここってメニューは?」

「ないな。お客様のお好み次第。どのようにでも」

「失礼いたします」

メイドがしずしずとほうじ茶を運んできた。それをいかにも英国紳士といった風情の早川が美味そうに飲んでいるのは、蔵斗には何だか奇妙に思えた。

「旦那様。お客様のお食事はどのように?」

「僕としたことが。アリスは何が好きかな?」

早川に訊ねられて、蔵斗は店を出て行くのを諦めた。口下手な蔵斗に上手い言い逃れなど出来る筈も無い。早く食事を終えることを蔵斗は選んだ。財布が軽くなる覚悟も決める。

「何でもいいんですよね? あの、蕎麦とかでもいいですか」

「もちろん」

それでもなるべく財布が傷まないようなものを注文する。メイドが会釈をして出て行くが、早川は留まったままだ。蔵斗はまだ何かあるのかと身構えた。

「アリス。というのは本名かな?」

「あ、はい。有る無しの有に須らくと書きます」

説明してから、蔵斗は相手を見た。早川という名が本名ならハーフかクォーターだろうとは思うが、漢字の説明は余計だっただろうか。

だが、早川にはその戸惑いが判ったようだ。

「ああ。祖父はイギリス人だが、僕自身は日本育ちだよ。有須。いい響きじゃないか。まさしくワンダーランドに迷い込んできたアリスだね」

蔵斗だって、最初から大人だった訳では無い。小さな頃には童話も読んだことがある。『不思議の国のアリス』くらいは知っているが。

「いくら、俺の姓が有須でも、あんな可愛い女の子にたとえられるのはちょっと」

可愛い少女のアリス。早川や美作のように男が見ても見惚れるような顔立ちの二人に呼ばれるのは、蔵斗には気恥ずかしい以外の何者でもない。

「いや、君は今どき珍しいくらいの気持ちのいい子だ。僕が保証するよ」

早川の真っ直ぐな視線と手放しの賛辞に、蔵斗が頬を染めて下を向いた。そんなことを言ってくれる人は、今まで誰もいなかった。

「お待たせいたしました」

見つめられる視線から逃れるように、ひたすら下を向いていた蔵斗が顔を上げる。扉を開いて入ってきたのは、ワゴンを押した和田だった。

「お蕎麦とのことでしたが、それだけではお若いアリスさまには物足りないのではと、こちらで勝手に春野菜のてんぷらを付けさせていただきました」

丁寧に頭を下げた和田に、余計なことをと思っても口には出せない。ますます財布が軽くなるのを感じながら、蔵斗はテーブルに乗せられた色鮮やかなてんぷらの盛り合わせを恨めしげに眺めてしまう。

「では、アリス。ゆっくりとしていってくれ」

早川が席を立ち、一通りの給仕を終えた和田が出て行くと、個室中に広がるてんぷらのいい香りが蔵斗の鼻腔をくすぐった。盛大に腹が鳴る。

「せっかくだしな」

こんな豪華な飯など、次は何時口に出来るか判らない。正社員とは言え、高卒の蔵斗の給料などたかが知れているのだ。

腰のある蕎麦を楽しみ、春野菜のしゃきしゃきとした歯ごたえのあるてんぷらで腹を満たす。田舎モノでグルメなどとは縁の無い蔵斗には、それが美味いか不味いかの区別しかないが、今まで食った蕎麦やてんぷらとは比べ物にならないくらい美味いことだけは確かだった。

食事を終えると、メイドがタイミングを計ったかのようにあらわる。

「ご満足いただけましたか?」

「ええ。すっごく美味しかったです」

「それは良うございました」

満面の笑顔の蔵斗に、メイドも笑顔を浮かべる。

「あの、お支払いは」

「700円でございます」

覚悟を決めて訊ねた蔵斗に、メイドはあっさりと告げた。

「え? でも、俺」

「ご注文はお蕎麦としか承っておりません」

狐につままれたような心地で、蔵斗が何度訊ねても、メイドは頑なに蕎麦の分しか料金を受け取ろうとはしない。

和田も早川もいないのでは固辞しようも無く、蔵斗はメイドに送り出されるまま、店を後にした。

もう一度礼を言いに来なければ。と蔵斗が考えるであろう事を見透かされているとは、蔵斗には思いも寄らないことだった。

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