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有須inワンダーランド!<4>

「いえ、美作さん、俺は客ですから」

小さな声だが、それでもおずおずと申し出る蔵斗に、美作は好感を持つ。今まで付き合った中には、美作が店のオーナーだと知ると、一切料金を払わないような相手もいた。

「了解。でも、その一杯だけは奢らせてくれない? 後はお金貰うよ。それともビールは嫌い?」

「いえ、好きです」

美作に勧められるままに、蔵斗は冷えたビールを口にする。ほろ苦い味が汗ばんだ身体に染み渡るような気がして、仕事が終わった後のビールはたまらない。

「でも、これ黒いんですね」

「黒ビールだよ。ドイツから直輸入してる店があってね。これ、ソーセージに合うんだ。うちのコックの倉田の焼いたソーセージは素晴らしい焼き加減だよ」

話を聞いただけで、蔵斗の腹が鳴る。

「じゃ、ソーセージもいいですか?」

遠慮がちな注文に、美作はうなずいて厨房へと声を張り上げる。

それを聞いた倉田が、ケッと聞こえるように舌打ちしたのを、カウンターのこちらにいる蔵斗は知らなかった。

「はい。素晴らしい焼き加減のソーセージの盛り合わせっす」

しばらくして、いい匂いのソーセージの皿を抱えて現れた倉田が声を張り上げた。

「嫌みったらしいね。お前も」

「マスターが俺の料理を褒めてくれるのも珍しいんですけどね。『アリス』なんて甘い呼び名で誰かに囁いてんのも気持ち悪いっすよ。いくら、ココがワンダーランドでも」

吐き捨てる倉田に、蔵斗は小さく疑問を口にした。

「ワンダーランド??」

「このビルのことだよ。界隈の連中にはそう呼ばれてる」

にっこりと美作が笑う。甘さをふんだんに含んだそれに、見ていた客や倉田は処置なしとばかりに肩をすくめた。

「不思議の国。楽しそうですね」

ストレートに受け止めた蔵斗に、美作は笑いを返すのみだ。不思議というよりは、可笑しな連中の集う場所だと認識されているのだが、それを蔵斗に伝える気は美作には無い。

「美味い!」

ソーセージにかぶりついた蔵斗の満足そうな顔を見て、美作は益々笑顔を深くした。食事が美味しいときに見せる顔は、幸せそうだと美作は思う。叔父から譲り受けたバーをパブに代えたのは、美作の趣味でしかないが、こういうときには正解だったと思うのだ。

好みの相手の幸せそうな顔は、見ているだけで自分も幸せな気分になれる。

もっと美味いものを食べさせてあげたいと考えて緩む美作の顔を、不気味なものを見るように常連たちが眺めていたのに気づいてはいたが、常ならばひと睨みで黙らせるそれを美作は綺麗に無視をした。


閉店前の一時間は、商品の補充とレジでてんてこ舞になる時間帯だ。特にこの店は駅前とあって、帰宅のついでに寄る客が多い。

その日、蔵斗が引き受けたのは、新しくコーナーを作ったライトノベルのBOX補充だ。人がいなさそうな場所を見計らって、棚にある本の下のBOXに在庫を補充していく作業である。思いダンボールにぎっしりと詰められた本を運ぶのも、中腰でBOXに補充するのも、キツイ作業のため、あまりやりたがる人間はいない。

「やあ、アリス」

「はい?」

同僚の割りには爽やかな声の掛け方に、不審な思いで振り返る。そういう顔がより一層『不服そうだ』と言われる元になっているのだが、蔵斗に自覚は無い。

そこに立っていたのは、絵に描いたような英国紳士風の男だった。気障なくらいにかっきりとしたスーツと茶の髪と茶の瞳をしたダンディな中年男だ。

本社からの人間かと、蔵斗は緊張して直立した。

「アリス、覚えてないかい?」

にっこりと笑った顔に、見覚えがあるような気もするが、一体何処でだっただろうかと考えていると、その男はやれやれと肩をすくめる。そんな仕草もハリウッドスターかと思うぐらいにキマっていた。

「すみません」

蔵斗は素直に頭を下げる。

それを見咎めた店員の一人がさっと駆け寄ってきた。

「何かございましたでしょうか? お客様」

「ああ。いやいや、仕事中に悪いね。ちょっとした知り合いなんだよ。つい話し掛けてしまって」

柔らかな物腰で身なりのいい紳士に頭を下げられ、店員が慌てて居住まいをただした。

「とんでもございません。何かありましたらお声をお掛けください」

「そうだな。パソコンの新しいものが欲しいんだが。案内を頼めるかな?」

「はいッ」

本来ならば、売り場への誘導はしても、案内など行わない。だが、いかにもお金持ちそうな紳士の要請に、店員はさっと前へ立って歩き出した。

「じゃ、アリス、また『将』で会おう」

店員に誘われながら、紳士が蔵斗に会釈を返す。そこで初めて蔵斗はあの店の客だと悟った。


「お前、あの人とどういう知り合い?」

先程、紳士を案内していった同僚が蔵斗に話し掛ける。

「どういうって……」

問われても、蔵斗自身覚えていないのだから、答えようが無い。だが、それを同僚は別の意味に取ったようだ。考え込む蔵斗は眉がより、いかつい顔がより一層の怖さを増している。

「悪かったよ」

聞かれたくないことに口を挟んだらしいと勝手に解釈した、同僚がさっと蔵斗から距離を取る。それを潮に、周囲の同僚たちも各人がさっさと帰り支度をはじめてしまい、気がついたときには、ロッカールームに残っているのは眉間に縦じわで考え込んでいる蔵斗だけになっていた。

蔵斗が我に返ったころには、周囲には誰も存在してない。蔵斗は、またやってしまったと考えつつ、のろのろと着替え、店の入り口に施錠した。警備室に鍵を渡し、とぼとぼと駅までの道のりを辿る。

すると、目の前にあの紳士が立っていた。

「やあ、アリス。思い出してもらえたかな?」

帽子をちょっと上げ、会釈をする紳士を、蔵斗はあっけに取られて眺めていた。

「すみません。やっぱり思い出せません」

「まぁ、仕方が無い。君は『将』のマスターばかり見つめていたからね」

笑顔は綺麗だが、美作のように見とれるような感じではない。紳士は蔵斗と身長も体格もそう変らないが、柔らかな物腰や滲み出る品の良さがあった。

蔵斗もこういう風ならば、怖がったり遠巻きにされたりすることは無かったのだろう。育ちの良さが顔立ちにあらわれ、外国人特有のごつい顔も気にならない。思わず羨ましいと感じた。

「早川だ。『将』には倉田くんの料理が目当てで通っている。あの格好の愛好者という訳では無いので、そこは誤解しないでくれないか」

一瞬、店の常連と聞いて、この体躯にふんどしを締めた姿が頭の中を廻ってしまったが、まるで蔵斗の頭の中を覗いたかのように、すかさず訂正が入った。

「あ、はぁ……」

「今日は店には行かないの?」

「毎日は、ちょっと」

店の払いは外食するのと変わりが無いし、行こうと思えば通えない店では無いが、美作にうっとおしいとは思われたくない。せめて、三日に一度くらいの割合にしようと蔵斗は考えていた。

「そうか。じゃ、僕の店に来ないか?」

「早川さんの店、ですか?」

「『将』の下でレストランをやっているんだよ。倉田くんには適わないが、うちのコックも腕はいいよ。ぜひ、来てくれたまえ」

言うなり、早川は蔵斗のバッグを肩に担ぎ上げた。自然すぎる動作に蔵斗は何が起こったか解らなかった。

「ぜひ君に、うちにも来て欲しいんだよ」

促すように背中に手を置かれて、強引にあの雑居ビルまで連れて行かれてしまう。

一階がどうやら早川の店らしい。

重厚な鉄製の扉に取りつけられた古式ゆかしいノッカーが鳴らされる。

ギィと重い音を立てて扉が開き、細身のスーツを着こなした老齢の紳士が頭を下げた。

「おかえりなさいませ」

「和田。お客様だ」

和田と呼ばれた老紳士の背後には、白いエプロンドレスを身に着けた若い女性が立っている。そこにいるのはどう見ても映画などで見るメイドという人種に他ならなかった。

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