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魔女の憂鬱

作者: 葉琉

 かつて、私の世界は、曖昧で退屈で色あせたものだった。

 主が望むがままに仕事をし、それ以外は自由にしてもよい―――だが、それは建前で、実際には屋敷の外に一人で出ることは許されない。

 それが、この屋敷にいる私たち魔女の日常で、おそらく一生続くはずの毎日だった。

 いずれは、主の望むままに誰かと結婚し、子供を産むのだろうが、それさえも、退屈な日々の延長にしか過ぎない。どうせ、どこにも行くことは出来ないのだ。

 そんな私の世界に変化が訪れたのは、長い冬が始まる、少し前。

 男が一人、屋敷に雇われたことがきっかけだった。



 今日からこの屋敷で働くことになった男だと紹介されたときの、彼の印象は薄い。

 だから、名前も覚えていなかったし、こちらも名乗らなかった。

 護衛兼監視で雇われている彼らにとって、私たち魔女は皆同じ。つかず離れずの関係でしかないと、思い込んでいたから。

 それなのに。

 その中に一人、おかしな男がいた。

「名前で呼んでもいい?」

 私に会うたびに、彼は言う。

 外へ仕事で出るときの護衛の時も、廊下ですれ違ったときも、どこでもいつでも顔を合わせるたびに鬱陶しいくらい繰り返すのだ。

 あまりにしつこいから、私は正直あきれてしまう。

 これまでの男たちとは、必要最低限のことしか話さなかった。

 名前を呼ばれることもあったかもしれないが、彼らはどこか『魔女』という存在を恐れているようで、こちらに踏み込んでこない。

 なのに、この男は違う。

 私が魔女であることなど気にせずに、笑顔を浮かべ話しかけてくる。

 どうしてそんなに名前にこだわるのかと尋ねてみれば、『好きになった相手の名前を呼びたいと思うのは当たり前だ』と言い切った。

 好き、という言葉が、頭の中で意味をなすまでに、わずかに時間がかかったと思う。

 今まで、自分にそんなことを言うような相手はいなかったのだから。

「……変わり者?」

 思わず呟いてしまったのは、魔女などという胡散臭い存在を好きになる人間がいるとは考えもしなかったからだ。

 ここにいる魔女たちにも、既婚者はいるが、全て主の命で一緒になった者ばかりだ。同じ屋敷に暮らしていても、彼女たちは夫とは別の部屋だし、そこに愛情があるのかと言われれば、わからないとしか答えようがない。

 あくまで、私たちは、主のもの、なのだ。

 己の意志よりも、命令が優先される。彼だって、雇われた時にそのことを聞いているはずなのに。

「いやいやいや、どうしてそうなるんだよ。確かに俺はあんまり誇れる経歴はもっていないけど、変わり者っていわれたのは、初めてだ」

「私は、魔女だから。普通の人間は好意など持たない」

「魔女とか、関係ないだろ。好きになった相手が、たまたま魔女だったってだけで」

 そう言って、彼は熱っぽい眼差しで、私を見た。

 その時初めて、私は男を一人の人間として認識したのかもしれない。

 それまでは、ただの鬱陶しい男程度だったのだから。

 同時に、人なつっこい笑顔を浮かべるくせに、どこか油断のならない目をしていることも、男のくせにさらさらの髪だということも、ようやく気がついた。

 そして、私は、彼に向かって尋ねたのだ。

 もう少し、この男のことを知りたいと願ってしまったから。

「そういえば、あなたの名前は何?」

 彼は、かなり衝撃を受けたような顔をしていた。

 それはそうだろう。

 まさか、口説いている相手が自分の名前を知らなかったとは思いもよらなかったはず。

 一応、彼は初対面の時、名前を名乗っている。私が覚えていなかっただけだ。

 そこからなのかよ!と彼は叫んでいた気もするが、ぶつぶついいながらも、ちゃんと教えてくれた。

 ついでにいえば、その日から、自分を印象づけてもらうためにと、贈り物まで渡されるようになってしまった。

 


 そのしつこさに負けて、私は結局名前を呼ぶことを許した。

 すると、今度は、私に触れたいと言う。

 どんどん貪欲になっていく男を、何故か私は拒めなかった。それどころが、少しでも姿が見えないと、落ち着かない気持ちになった。

 こんなのはよくない。

 そう思うのに。

「あんたが、触れてもいいって言うまで、俺は我慢する」

 そう囁きながら、全てをほしがる目をする男に、どんどん心を奪われていく。

 どんなに望んでも、私は魔女で、彼はただの雇われ剣士に過ぎない。

 心を近づけても、一緒になることなど出来ないのに。

 お互いの思いが主にわかれば、引き離されるとわかっているのに。

 それなのに、彼に名前を呼ばれると、嬉しいのだ。



 いつまで、この状態は続くのだろうか。

 私に触れたいという彼と、それを許してしまいそうになる私と。

 日常が壊れてしまうのは、それほど遠い未来のことではないのかもしれない―――わずかな恐れとともに、私はそう思い始めていた。

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