ツクリモノ
洞窟内を再び調べ、敵の存在がないことを確認すると、三人は裸の少女にいろいろと聞いていた。
「あなたの名前は?」
とは言っても。直接話を聞くのはルミナで、ファランとゼロは離れたところで周囲を警戒しているのだが。男のファランに、幼いゼロ。二人にこの少女の事情は知らせないほうがいい。そう判断したルミナの配慮だった。
「私? エレナ。苗字は忘れたわ」
「私はルミナよ。忘れたってあんたねぇ。」
「いいじゃん苗字なんて。それで、あの二人を遠ざけて、私に何を聞きたいの?」
「あなたがどうしてここに来て、ゴブリンどもに……その」
「マワされた?」
ルミナはぎょっとする。
「そんな、直接表現……辛くない?」
「ぜーんぜん。私、というかエレナは家じゃいっつもこれに近いことされてるし。気にしないで」
「……」
ルミナは内心今すぐ帰りたい気持ちに見舞われた。
エレナという少女、気のいい返事に明るい受け答え。
しかしその内容は底が見えないほど深い闇に包まれている。
「……父親、に?」
「だけじゃないよ。兄さん大兄さん。他にも貴族連中数人か」
「な、なんでそんな悲惨なことに」
「え? そりゃ私がドラゴンだからでしょ?」
今度こそ、ルミナは絶句した。
「……ドラゴン形態に、なれる?」
「なれるし火も吹けるけど……死にたくないからやだ」
「は? 死にたくない? どの口が言うの?」
ルミナは耐えきれずに、いつもの調子で返していた。
ドラゴンとは、この世界でいう絶対者だ。いかなる武器も魔法も通らず、彼らの炎は消すことは叶わず、一説には不老不死なのでは、とさえ囁かれるほどだ。
「この口がいうんだよ。ドラゴンってこの世界で一番弱くて、人間に従って、性奴隷になるくらいしか生かしてもらえないんでしょ?」
ルミナは、限界だった。
「エレナ。あなた、どこに住んでるの?」
「え? 確かね、畑がいっぱいあって、父さんの家だけめちゃくちゃ大きくてね」
「畑? どれくらい?」
「一面」
「うーん。わかんないわ。脳筋に聞けばわかるかもね。じゃ呼ぶわね」
エレナは頷いた。
「おーい、脳筋族のファランさんやーい!」
ファランはゆっくりとルミナの方へとやってくる。ゼロも警戒を緩めず彼について歩く。
「誰が脳筋だ魔力バカ」
「うるさい。話聞いたらね、この子ドラゴンなんだって」
鎧の奥のファランが、目を見開いたのをルミナは感じた。
「ドラゴン? ……まぁ、そうだったら、そりゃ死なねぇわけだ」
「へぇ、エレナさんってドラゴンになれるの?」
ゼロの質問に、エレナは頷いた。
「でも殺されたくないからドラゴンになったことはないけどね」
ファランとゼロ、二人して顔を見合わせる。ドラゴンとはこの世界で最も『殺される』という危険から遠い種族のはずなのだ。
「まぁ、そこらへんの事情はあとで説明するとして。ファラン、この近くで畑いっぱいあって圧政しいてるところって心当たりある?」
「そりゃ間違いなく菜園伯爵のところだな」
ファランは即答した。
「菜園伯爵? なにそれカワイイ!」
ゼロが無邪気にはしゃぐと、ファランは首を横に振った。
「可愛いのなんて名前だけだぞ。あそこは黒い噂が耐えないなぁ。農民の村から女を攫っては手篭めにしてるとか、拒否した家には死にたくなるような重税が課されるとか」
「なんでそんなクズが伯爵やってんのよ。高貴なる者の義務はどうしたのよ」
ルミナの不満げな顔に、ファランは肩を竦めた。
「つってもなぁ。菜園伯爵のところともう一つ二つくらいしか畑持ってるところないしなぁ」
「なんで、他のヤツが畑作らないのよ! そんなクズに畑握らせるとかバカでしょ!?」
「イヤ、それが菜園伯爵の上手いところでな、菜園伯爵は確かに外道でクズだがあんまり金には興味がない。だから本来なら釣り上げられるはずの野菜の値段を釣り上げねぇんだよ。だから、王宮内での菜園伯爵の心象はそんなに悪くない。むしろ、さっきいった悪行は『おちゃめ』とか『イタズラ』レベルで片付けられてるのが現状かな」
「おかしいでしょそれ! なんで一人のドラゴンの価値観グチャグチャになるまで洗脳して、イタズラで済ませるなんて!」
まあなぁ、とファランはため息をつく。
「だけど、あの国で菜園伯爵の存在はもはや必須だよ」
「なんで」
「だから言っただろ? 菜園伯爵は釣り上げれるはずの値段を釣り上げないって。それのおかげで他の競争相手も私利に走って値段を上げるなんてことしねぇし」
「……もし、私らがそのクズのところに、乗り込んでいったら。どうなるの?」
「はぁ? お前そんなことする気だったの? 菜園伯爵に牙剥いたら間違いなく国全体を敵に回すぞ。で、あんたはどうしたいんだ」
ファランは聞き手に回っていたエレナに聞いた。
「私? 私はもういいよ。父さんに見捨てられたし、あとは野垂れ死ぬだけ」
「ドラゴンが野垂れ死ぬわけないだろ。空気中のマナ吸ってエネルギー供給できるんだから」
「?」
「はぁ。ルミナ、こいつどうする?」
「菜園伯爵のところに引き渡したりしたら、またこの子歪まされるだろうし」
「パパがいるんでしょ? パパのところに連れて行ってあげようよ!」
「はいはいゼロはちょーっとの間だけ黙っててね」
ルミナはゼロをの口を塞いだ。
「またゼロみたいに俺らのパーティか?」
「エレナは、冒険者ってわかる?」
「あ、まあね」
「私たちの仲間にならない?」
「私弱いよ?」
んなわけあるか、と内心つぶやきながら、ルミナは頷いた。
「いいのよ。弱いのなら、強くなれば。ね?」
エレナは、しばらくして、頷いた。
「おっけ、了解。私、エレナ。よろしくね」
こうして、エレナという伝説級の仲間がまた一人、ルミナの仲間となった。
それから、一行は再び国を目指して夜になるまで歩き通した。怪我人のゼロと旅慣れぬエレナがいるため、行きよりはかなり遅い行軍となっていた。
「よし、とまれ! 今日はここで野宿よ!」
ルミナの号令で、一行は立ち止まり、その場に腰を下ろした。
「ゼロ、エレナと一緒に木を集めて来て。ファランと私はここでご飯の準備しとくから」
はーい、と二人は頷いて一緒に歩いて行った。
「いいのかよ?」
「いいのよ。エレナだって強いはずだし、ゼロも弱くはないし。ここ障害物もないし、最悪悲鳴が聞こえてから駆け付けても間に合うわ」
「そういう意味じゃねぇんだけどな」
「じゃあどういう意味だってのよ」
ルミナは背負い袋から携帯食糧を取り出す。往復分の食糧は、だいぶ少なくなっていた。それを人数分取り出すと、ファランに渡す。
「ゼロもエレナも、大変な目に遭ったばかりだろ。それにエレナは……その、性に奔放だし」
「そうなるように育てられたんでしょ。哀れで物も言えないわ。まぁ、ゼロに余計な知識与えるかもしれないけど、いつか知ることよ」
ファランは自分の背負い袋から器を取り出すと、それを地面において、器の中に携帯食糧を入れた。
「だからってさ、いきなり仕事振り分けることないだろ」
「エレナは同情されて喜ぶタイプじゃないわ。仲間として接するのが普通よ。『ウォーター』」
微量の水が器に注がれ、携帯食糧はその体積を増した。
「本当にそうかよ?」
「うるさいわね。私だって戸惑ってんのよ。性被害に遭った人を見たの、初めてだから……」
「なんでも知ってそうなのにな」
「……うるさい。あんたが知らなすぎるのよ。清めよ『ウォッシュ』」
ルミナが指を振ると、彼女とファランの体が、洗浄される。冒険者に魔法使いが重宝される理由のひとつに、この魔法の存在がある。風呂など入れないことの方が多い旅路で、垢や汚れなどを洗い落としてくれるウォッシュの魔法の存在は、非常に貴重だった。
男所帯のパーティならそれを気にしないことも多々あるのだが。
ルミナにいわせれば、そういうデリカシーのなさが女っ気を無くす原因なのだが。
「ま、なんとかなるでしょ」
「楽観的だなぁ」
ファランは不安そうに呟いた。
一方、薪集めをしている二人は、お互い無言だった。
「……」
ゼロは、何を話せばいいのかわからず、エレナはエレナでなにを話していいのかわからなかった。というかエレナは他人に気を遣うことなどできないのだ。
「……」
話しかけようか、とゼロはちらりと思った。だが、さきほどルミナに口を押さえられたことを思い出し、言いよどむ。手つきこそ優しいものだったが、有無を言わさぬ強さだった。何かマズイことを口走っていたのは、頭があまりよろしくない彼女でもわかった。
「あなた、いくつ?」
「え? 私、七だよ」
「あなたも、私と同じように仲間になったの?」
あなたも私のような事情なの? といった意味だった。
「うん」
しかしゼロはそうとらなかった。あなたと私と同じようにあの洞窟で仲間になったの? という意味にとった。
「へえ。仲良くしようね。えっと……」
しかし常識を歪められているエレナに、幼い子供がそういうことを経験していることがおかしいというとに気付かない。
「ゼロだよ。よろしくね。エレナ」
うん、とゼロは頷いた。
「ねえ、ゼロってここに来るまでなにしてたの?」
「パパとママと一緒にいろんなところを旅してた」
落ちている木を拾いながら、二人は話す。
「好きなの、二人が」
「好きだった。あいつらに、殺されちゃった」
エレナは口をつぐんだ。
「ご、ごめん」
「いいよ。もう気にしてないから。エレナは?」
「私? 私はお父さんたちの性奴隷だったよ」
「『せいどれい』? なぁに、それ」
「エッチなことするの」
「……お父さんと?」
エレナは頷いた。
「へんだよそんなの。
『父親とは弱き家族を守る者だから家族の中で一番力があるのだ』ってパパがいつも言ってたよ」
エレナが、動きを止めた。
「……変? ウソ。だってみんなそれが普通だって……」
「家族に無理矢理エッチなことさせることが普通なんて、誰が言ったの?」
「みんなよ」
「みんなって、誰?」
「それは……お父さん、大兄さん兄さん、屋敷のメイドたち……」
「そのみんながおかしいんだよ。家族ってもっと暖かいものだよ」
それなら、とエレナは小さく呟いた。
「それなら私の人生は一体なんだったの?」
「わかんないよ、そんなの。でも、エレナは、力があるでしょ?」
怪訝な顔を、エレナはゼロに向けた。
「力? 私に?」
「そ。どんな理不尽だって、どんな仕組みだってエレナなら力づくでなんとかなるよ。『はっくあんどすらっしゅ』って、いかにも冒険者じゃない?」
「でも、私に力なんて」
「エレナの周りにいた人はみんなおかしかったんだよ。ドラゴンに力がないなんて、よく言えたよね、本当」
ゼロは苛立ち紛れに地面に落ちている小さな枝を踏み折った。
フォリナ族はドラゴンを最初に発見した種族で、最初に信仰の対象とした種族でもある。
力と速さ。その象徴とも言える彼らを、フォリナ族は敬ったのだ。竜信仰は廃れたとはいえ、まだまだ浸透している。偉大な竜をたかが『言葉』で無力な存在に貶めたエレナの周りの人間に、ゼロはほのかな憎悪を抱く。
「今度そのお父さんにあったら、脅かしてやりなよ。ドラゴンの姿になって全力で吼えるだけで、きっと全てうまく行くよ」
「そんなバカな」
エレナは苦笑した。しっかりしててもやはり子ども、まだまだ夢見がちなのだな、とエレナは思う。
自分は何をやってもダメだと言われ続けて来た。そんな自分がどうして吼えただけで何かを成せようか。
人為的に自意識を低下させられた彼女は、ゼロの言葉を完全に戯言だと切り捨てた。
「……さ、そろそろ薪も集まったし、戻ろうかゼロ」
エレナはゼロの頭を撫でながら言った。
「私子どもじゃないよ」
ははは、とエレナは笑った。
「私から見ればまだまだ子どもだよ」
「すくなくとも、このパーティじゃエレナより先輩だもん」
「それは失礼しました。では行きましょう、ゼロ先輩」
笑顔のまま、エレナはファランたちのところへと歩き出した。
「わかればいの、ってあれ、あしらわれてる?」
「さすがはゼロ先輩、それがわかるとは」
「むー。からかわれてる感じがするから敬語はいいよ。私のこともゼロでいい」
エレナは優しげな顔で頷いた。
「ありがとう、ゼロ」
エレナの笑顔は、同性であるゼロでさえ惚れかけるような愛らしいものだった。
「へえ、これが携帯食糧、ねえ」
自身の前の器には、山盛りの携帯食糧があった。
四人はゼロとエレナが集めた薪にルミナの魔法で火をつけ、その焚き火の周りで円になって座っていた。ファランは重たい鎧を頭だけ外して、食糧を食べている。
「そうだぜ。量が少ないって思ってたろ? このタイプは水で体積を増すんだ。大食らいでも満足できるほどの量だぜ」
「だから女の子組はあんまり大きくしてないから、ちょうど良い量だわ。限界まで戻して食べ切れるのなんてファラン達脳筋族くらいよ」
「うるせえなぁ」
「ねえねえルミナ、脳筋族ってどんな種族なの?」
「自分の腕力に絶対の自信があって、野蛮で粗野でバカで鈍感でとにかく鈍くて、女の子とかなり交流広い上にいろんなこと知ってるくせに肝心なことは読みとることができないし、ちょっと優しくしてもなんか病気かどうか疑うし、とにかく鈍感なヤツなの!」
「……あれ、種族じゃ、ない? 個人? というかファランのこと?」
「当たり前だよ。ったく、ルミナもエレナに変なこと吹き込むなよな」
「うるさいこの鈍感野郎!」
「俺は感覚鋭敏だぜ? ほら、今だって範囲十メートル以内の生物を探知できる」
「そういうこと言ってるから朴念仁なのよ!」
ファランはやれやれと肩を竦めた。
「それしたいのはこっちよ、もう!」
「ふうん、それで、ルミナ」
「何よ?」
「私、夜のご奉仕しなくていいの?」
ファランとルミナの動きが止まった。
「ば、バカね。そんなことしなくていいに決まってるじゃん」
「でも、男の人って色々溜まっちゃうよね?」
「なんでそれをあなたが解消しなきゃいけないのよ」
「ドラゴンだから?」
ルミナは自身の堪忍袋の緒が切れる音を聞いた。
「ファラン、この仕事が終わったらパーティ解散しましょ」
ごふっと、ゼロがむせた。
「な、なんで? ごほ、ごほ、ルミナ、なにが嫌なの? 私、一生懸命頑張るから、解散なんて言わないで」
「いいえ。菜園伯爵とコトを交えたら国を敵に回す、ってんなら仕方ないわ。私だけでもそのクズにも劣る人間をひねり潰すわ。いくらなんでも、ここまで刷り込むのはやり過ぎよ」
はぁ、とファランはため息をついた。
「あのな、落ち着けよ」
「なによ? 説得するつもり? 無駄よ、例えどんな目に遭ったとしても、私は菜園伯爵を潰すわ。ヤツは女の敵よ。ヤツの屋敷にも被害にあった女の子がいるはずよ、だから」
「だからその子もパーティの仲間に、か? 無茶言うなよ。珍しいな、お前が冷静な判断できないなんて」
「うるさいわね! 冷静でなんかいれるか! エレナみたいのが何人もヤツによって作られてるのよ!? この事実聞いて冷静でなんていられるわけないでしょ!」
「落ち着けよ。お前、何がしたいんだ。女の子を助けたいのか、エレナを解放したいのか、それともマジで菜園伯爵とやりあうつもりか。まぁ、お前がどれを選んでも、俺はついていくけどな」
キョトンと、ルミナは目をしばたかせた。
「え? 降りるんじゃないの?」
「俺が降りたら一体誰が無防備なお前を守るんだよ」
「国を敵に回すんでしょ?」
「お前に恨まれるほうがよっぽど怖い」
「うるさいわね、私そんなに怖くないわよ! あんまりガタガタ言うんだったらフレアぶつけるわよ!」
「お前は俺をやるのにここ一体を焼け野原にするつもりか」
「ふん!」
そう言いつつも、ルミナは目に見えて安心したようだった。しばらく、沈黙が降りる。その沈黙は、ルミナに睡眠を促した。
「眠そうだな。寝ちまえよ。見張りは俺がやっとくから。三時間したら起こす」
「ん……ありがと」
うなずくと、ルミナはすぐに寝息を立て始めた。
「あの、ファラン。ルミナってさ、なんで私のこと気にかけてくれるの?」
エレナが不思議そうに声をかけた。
「わかんねぇよ。俺はルミナじゃねえからな」
「でも、長い間一緒にいるんでしょ?」
「まあな。子供の頃から数えてだいたい七、八年か。
でもあいつの考えてることはちっともわからねえ。気難しいとこがあると思ったら能天気だし、バカやってるな、と思ってたら実はよく考えてるし。本当、難しいヤツだよ」
「でも、優しい人、だよね」
ゼロの言葉に、ファランはもちろん、エレナも頷いた。
「ああ。ルミナは優しいよ。俺に対してもうちょい優しくしてくれたら言うことなしなんだがな」
「それは無理じゃない?」
「即答かよゼロ」
「だって、ルミナがファランをいじめるのはもはや習慣だもん」
「そういうもんか? はぁ……」
さて、と。と、エレナは言って伸びをした。
「じゃ、ファラン。しようか」
「何を?」
「エッチ」
ゼロは目を丸くし、ファランは絶句する。目を細めて、エレナを睨む。
「ルミナはああ言ってたけど、ファランはどうなの? したい?」
「お前は仲間だよ。仲間はそんなことしなくていいんだよ」
「きもちーよ?」
「それでもだ。エレナ、もう寝ろ」
「で、でも」
「どっちにしろゼロの教育に悪い。寝ろ」
ぐい、とファランは無理矢理エレナを横にならせた。
「いいか。お前がしなきゃいけないと思ってることも、自分が弱いと思ってることも、全部まやかしだ。お前はもっと自由なんだ。お前は自分のために生きていいんだ」
「私の、ため?」
ファランは頷いた。
「そう。誰かのためじゃない、お前はお前の道を行け。できるはずだ、お前なら」
「でも、私、弱い」
「弱いなら、強くなれ。弱いままでいるのも、強くなるのもお前の自由だ」
「……うん」
そう言って、エレナも目を閉じた。しばらくして、寝息が聞こえるようになった。
「……ねぇ、ファラン」
「なんだ、ゼロ」
「エッチなこと、しないの?」
「しねぇよ!」
ファランが怒鳴っても、ゼロはひょうひょうと笑う。
「ふうん。じゃ、私とは?」
「しねぇ」
「ルミナとは?」
「……うるせぇ、このマセガキ」
顔を赤くしたファランに、ゼロが語りかけるように言った。
「ルミナもファランも、優しいね」
「お前だって優しいよ」
ファランはそう言って微笑む。
「えへへ、ありがと。私ね、二人にすっごい恩を感じてるんだよ? だって、もし二人がいなかったら、私たぶん死んでるから」
ファランは何も言わない。
「……私、冒険者になって良かったって思ってる。だって、二人と一緒にいれるから」
ファランは照れ臭そうに頬をかいた。
「そりゃ、ありがとよ。でも、やっぱ、いつかお前はこの道に来たことを後悔するんじゃないか?」
「しないよ!」
「でも、もう傷拵えてる。一生残る傷だ」
ファランがゼロの手足を指した。血は止まっているが、ぎざぎざの切れ味の悪い刃で切り付けられた肌は、醜い傷跡が残るだろう。
「……いいよ、別に。こんな傷程度で怖がるような男の人と結婚する気、ないし」
「もう結婚とか考えてるのか」
「そりゃ、フォリナ族、数少ないもん」
そりゃそうか、とファランはつぶやいた。
「……まあ、いい。お前も寝ろ。次の見張りお前なんだから、寝とかないと辛いぞ?」
「え? あ、そうだ! じゃお休みファラン! 交代の時間になったら起こして! それから、大好きだよ、二人とも。……それだけっ!」
そう言って、ゼロは地面に寝転がった。
「ふっ」
ファランはそう薄く笑うと、周囲を警戒しはじめる。
で、そんな風に時間をかけて帰っているうち、エレナに関してさらに詳しいことがわかった。
エレナは長い間菜園伯爵の元で幼竜の頃から飼われ、欲望の捌け口になっていた。捌け口にするにあたり、邪魔になりそうな価値観や意識は歪められ、最強の生物はトカゲにも劣る自意識を植え付けられた。
そのことをエレナの口から語られたルミナは怒り心頭だった。もう伯爵ぶっ殺すと言ってはばからなかった。
「……は? ドラゴン? 正気ですか?」
依頼を完了させて、ギルドに報告したファランに、受付嬢が一番に言ったのが、そのセリフだった。ファランが報告するまではいつもの喧騒を保っていたギルドも、ドラゴンの一文字でしんと静まり返った。
「ど、ドラゴンだよ。殺さないでね」
「ドラゴン殺せるヤツなんているわけないでしょ……」
受付嬢はため息をついた。
「あなたたち何者ですか? フォリナ族の次はドラゴン? 今度はヴァンパイアでも仲間にするつもりですか?」
「そんなわけないだろ。というかさっきの話、どうなんだ?」
ファランが机に乗り上げて聞いた。エレナを歪めた張本人、菜園伯爵のことだ。
「そのことなのですが、確かにドラゴンをその……」
「性奴隷?」
エレナがこともなげに言う。
「……に、したのは確かに重罪です。しかし……」
「その菜園伯爵ってのが重役なのはわかってるわ。でもだからって女の子の人生」
「私人じゃないよ?」
「ドラゴンライフを歪めていい理由にはならないでしょうが!」
「その、それは」
「許されるのだよ」
後ろから声がかかり、ルミナ達は振り向く。
そこには騎士隊を山ほど引き連れた一人の恰幅のよい、ぶっちゃけ豚に見紛うかというほど太ったいかにもな男がいた。
「……あんたが、菜園伯爵?」
「小娘よ。確かに私か菜園伯爵だ」
ルミナは失礼を承知で上から下まで彼を見回す。ブクブクと太っており、豚でももう少し綺麗なんじゃないかという顔。そして、綺麗なのは着ている服だけであとは上から下までみっともなく太っている。口からのぞく歯は真っ黄色で、その口臭はまるで腐った肉のよう。目は据えていて、エレナだけでなくルミナやゼロにさえそういった欲の対象にしているきらいがある。
観察が終わったルミナは頷くと、おもむろにエレナを抱きしめた。ぎゅっと、痛いくらいに抱きしめて、深い愛情を伝える。
「可哀想に、可哀想に。もう大丈夫、大丈夫よ。こんなのにヤられて、痛くて怖かったでしょうに」
もしその菜園伯爵が美形なら少しは、百万歩譲ってまだ傷も浅くて済むだろうが、こんな豚もどきにヤられたのではおかしくもなろうというものだ。
いや、豚に失礼だ、とルミナは心の中で思う。
「でも、ほら、私食べさせてもらってたし。せーとーなる対価ってヤツだよ、ルミナ。ね、父さん」
優しい抱擁が珍しいのか、戸惑ったようにエレナは伯爵を見た。
「その通りだ」
「なにがその通りだ」
ファランが突っかかる。
「何かな、脳筋くん」
「お前に脳筋言われたくねぇよ変態野郎」
「私は変態ではない」
「ドラゴンでしかも娘でその上子どもであるエレナに手を出して変態じゃないならどんな人間だって変態じゃなくなるわ」
「うるさい! とっととエレナを引き渡せ! 今ならそこのフォリナ族一匹で許してやる」
「私は二人から離れない!」
ゼロが菜園伯爵を睨むと、彼はくっくっく、と低く笑った。
「いいのか? お前とエレナが来なければその二人は私が殺す」
「……そんな」
力強かった瞳から、どんどん活気が抜けていく。彼女はためらうように視線を彷徨わせる。彼女は自分が菜園伯爵のところに行くかどうか、を悩んでいるのではない。自分が彼のところに行った時どんな仕打ちをうけるのだろう、ということを考えていたのだ。だから、迷っているわけでもないのに、体が動かなかった。
「は? 私を殺す? やってみなさいよ。ゼロとエレナ引き渡すくらいなら死んだ方がましよ」
「そうか。ならば仕方ない。そこのエレナだけでも返せ。そうすれば少しの罰で許してやろう。安心しろ、今後の冒険者業に差し支えるようなことはしない」
にっと、彼は笑った。これで絶対に手放す。そう思っての笑顔だった。
事実、彼はこのような手法で何人かの女奴隷を取り返していた。拾って保護したとはいえそんな安い正義、菜園伯爵の名の元では霞のようなものだ。彼は本気でそう思っていた。
「は? 何言ってんの? エレナは我がルミナ冒険団の大事な仲間なの。エレナが欠けるってのはそれだけで冒険者業に差し支えんのよ!」
ルミナは気丈に、睨み返した。
「……エレナは、ただの女奴隷だ。何の力もない。それでもか?」
「その理屈が通じんのはエレナにだけよ」
「エレナ!」
菜園伯爵はルミナとの会話を一方的に切り、エレナへと怒鳴る。
「来なさい。お前を育ててやったのは誰だ? お前に生きる術を教えたのは誰だ? 恩を仇で返すのか?」
「……あ……」
菜園伯爵の目の奥が、光った。
すると、エレナは光に惹かれる蝶のようにふらふらと、菜園伯爵へと足を進めた。
「……」
それを、ゼロ、ファラン、ルミナの三人が支えた。
「なんてあくどいことを……」
ルミナはエレナの前に立ち、彼女の目を覗き込む。
「……暗示魔術? いえ、傀儡? 違うわ、もっと業が深い。洗脳……よりも構成が強力ね。…….ちょっと待ちなさいよ。これより強い魔法って」
驚愕に、ルミナは震える。バッと、菜園伯爵を見る。
「ソーサラー初級のくせによく操作魔法を知っている。お前の予想通りだよ、小娘。私がエレナに使った魔法は『人形化』の魔法だ」
ルミナは目を見開いて、それから軽蔑の眼差しを菜園伯爵に送った。寒いわけでもないのに、彼女は自身の体を掻き抱いた。あまりにもおぞましく、あまりにもあさましいその魔法に、彼女は全身の毛を逆立てた。
人形化。それは--
「最低! そんなにドラゴンが怖いなら手ぇだすな!」
「ドラゴンはそれだけしてもまだ完全支配にはいたらなかった。何て素晴らしい! それを支配し使役する人間はもっと素晴らしい!」
人形化。それは人を文字通り人形にする魔法。魔法を受けたものは『意思を残したまま』使用者の意のままに操ることができる。人格から思考方略まで操作が可能だが、元の人格はそのままのこっている。魔法にかけられたものは自分という籠に閉じ込められたように感じるという。解呪には相当な時間がかかる上、あまりに長い間人形状態が続いた状態で解呪すると、元の人格が失われていることがあるため何もできない廃人ができあがり、泣く泣くもう一度人形化を使って人としての体裁を整える必要がある、という処刑にも使われる魔法だ。故に一般では使うことが禁じられ、使用を許されるのは伯爵以上の地位のある者の許可がある場合のみである。
「それじゃ、おまえ……」
ファランは、苦々しい顔をしてエレナを見た。
「……」
菜園伯爵の顔以外何も移していない瞳は、本来のエレナのものではない。
昨日までのエレナも、同じく作られたエレナ。
「……ど、どういう、こと?」
「ゼロはまだ知らなくていいの」
ルミナが優しくそう言うと、菜園伯爵が高笑いした。
「仲間外れは可哀想だろう? いいかフォリナ族。人形化とは何から何まで操ることのできる魔法だよ。君が昨日まで話していたその奴隷は本来のものではなく、私が魔法で作ったものだ」
目に見えてショックを受けたゼロ。
「人を……あやつ……?」
「そう。ドラゴンが弱い? 股を開くのが仕事? そんな腐った常識!
人形化でもなければ信じるわけがないだろう! あっはっはっは! 最高に楽しい余興だった! 今度はまた術を掛け直して、何も知らない無垢な娘を作るかな? 新しいオモチャも手に入ることだし」
ぞっと底冷えのするような冷たい視線を向けられ、ゼロは思わず鞘からフォリナンダガーを抜く。
菜園伯爵の周りの騎士が、手にした武器を構える。
「……」
無言で、ゼロは犬歯をむき出しにして睨む。
「おお、怖いなぁ。大丈夫。全部終わったあとには私や私たちに仕えるのが何よりの喜びな女に作ってやるからな」
「ひ、人は、人はオモチャじゃない!」
「オモチャだよ」
常識が通じない。ゼロはたやすく悟った。捕まったら、終わりだと。
「る、ルミナ。あの人に捕まったら、私は死んだものだと思って」
ゼロの年齢不相応の判断力に、ルミナは苦笑で返す。
「あいつに捕まったらね」
捕まえさせやしないけど、とルミナは杖を構える。
「ここにあんたが欲しがるものは何もないわ。とっとと帰れ豚もどき」
菜園伯爵はこめかみを引きつらせる。
「よく言った、小娘。お前は自ら死を望むような目に遭わせてやる」
「あんたと会話してるだけでも人生の汚点なのに、触られたりするの? 死にたくなるわね」
さらに、菜園伯爵はこめかみ引きつらせる。
「……命が惜しくないのか?」
「どうせ二十歳まで持たない命、せいぜい楽しくあがいてやるわ。ファラン、私はエレナの解呪をやってみる」
「ふん」
菜園伯爵は鼻を鳴らして小馬鹿にする。人形化は解呪も難しい。初級の、しかもソーサラーに解けるものではない。
「解呪できんのかよソーサラー初級」
「うっさい脳筋! やってみなきゃわかんないでしょうが!」
「そういう根性論は切羽詰まってるときにやったら破滅しか招かねぇぞ。ほら、解珠だ」
ファランはポケットから小さな宝玉を取り出し、ルミナに持たせる。
「は? なんであんたこんな高価なもの……」
「家と引き換えだ、これくらい手に入らないでどうする」
「は?」
ルミナは怪訝な顔をした。
「それの出処とかどうでもいいんじゃねぇか?」
「……あっ、そうね」
ルミナは慌てて解珠を某然とするエレナの眼前にさらす。目に見えて、先ほどまで余裕だった菜園伯爵の様子が変わる。
「まずいまずいまずい! おいお前ら、あの女をやれ! なんでもいい、あの解珠を使わせるな!」
解珠とは、あらゆる魔法、呪術を解呪する対魔法最高の効力を持つマジックアイテム。これを買おうと思えば大きな家が一つ楽に建つ。
「させねぇよ」
たくさんの槍がルミナのところに向かったが、その全てはファランの盾に防がれた。
「くっ。ならば、魔法使い! ヤツを」
「させないよっ」
ファランにばかり気を取られていた菜園伯爵の魔法使いは、地を這うようにして走るゼロに対して反応が一瞬遅れた。
「なっ、子ども?」
発動しかけていた魔法が、ゼロに意識を移したせいで霧散する。
ゼロは流れるような動作で魔法使いの背後に周り。肝臓がある脇腹を思い切り刺した。
「……っ」
返り血が顔にかかり、ゼロは顔をしかめる。罪悪感に体が凍りつきそうになる。が、それを他の仲間のために振り切って、彼女はダガーを魔法使いから抜いた。
たくさんの血が、魔法使いから流れた。
「……」
色々な思いが渦巻いたのも一瞬、ゼロは菜園伯爵を睨んだ。
「この人殺し」
彼の何気ない一言は、ゼロの心を抉り取った。
「……うる、さい」
震えながら、ゼロはダガーを菜園伯爵に向ける。
「ふふふ。おい、お前ら。この娘を殺せ」
四人の騎士が、ゆっくりとゼロに向かってくる。逃げようと思えば逃げることができる。ゼロは菜園伯爵よりも出入り口に近いし、出入り口とゼロの間に阻むものはない。
ちらりと、槍の攻撃を防ぎ続けるファランに視線を向ける。彼はずっとエレナを治療するルミナを守っている。 助けには来てくれそうもない。あと少しで治療が終わる。ゼロが逃げたら、四人の矛先はファランに向かうだろう。彼らの槍は『特別製』だ。穂先が紫色に変色している。それは『腐敗毒』。竜さえ殺すと言われる強力な毒薬である。金属を腐食させ、あっという間に人体を侵し、死に至らしめる。ファランの鎧も役に立たず、そうなればルミナは無防備になり、最後に残るのは、自意識を取り戻したばかりの竜と幼いゼロ。
ゼロは状況を一瞬で読み切った。ここで、身を挺して二人を守らなければ、解呪を成功させたとしても、瞬く間にやられてしまうだろう。
「……私はね、菜園伯爵」
「ん?」
「ここで殺されて、良かったと思う。あなたの、ううん。お前みたいな『ぶたもどき』のオモチャになるくらいなら」
「……やれ」
菜園伯爵の一声で、ゼロに槍の尖端が向かってくる。
「……みんな、大好き」
四本の穂先が、ゼロの四肢を貫いた。
「ゼロっ!」
叫んだのは、はたして誰か。