side:Lumina 洞窟内で、記念すべき初遭遇
非力な私は、どうやって荒くれ業を営むかを真剣に考えた。考えに考えた末、私は魔導に魅入られた。
でも私には魔力がなかった。ただの農民出に戦闘で使えるほどの魔力があるわけがなかった。
だから私は
『それ』
に手を出した。今から、十年ほど前の話だ。
◇◇◇
紆余曲折あったけれど私はなんとか力を手に入れ、冒険者になっていた。今回はその記念すべき初依頼なのだが。
「助けて? タダで?」
しばらく、フォリナ族と思しき幼女の懇願からほんの二呼吸ほどおいて、私はそう言った。
「おいおい。この子、たぶんフォリナ族だろ? フォリナは保護すべきだって騎士学校でも……」
相変わらず、この男は愚かだ。そんなことはわかっている。だが、この幼女に見える人間が私たちをだまそうとしている可能性がないわけではないのだ。私がファランの、ひいては冒険者パーティの頭をやっている以上、『敵』には常に気を配っていないといけない。
――その苦労も知らないで、気楽なものね。でもまぁ、そんな能天気なところも、嫌いじゃないんだけど。
「だからって関係ないわ。冒険者に仕事頼むんなら報酬支払うのが道理ってもんでしょ?」
私の冷徹な言葉に、ファランは呆れたようにため息をついた。
「あのな、俺らそんな金いらねえだろ?」
ファランのあまりにもあまりな言葉に、つい私は彼を睨んでしまう。
「あ? ふざけてるとファイアぶつけるわよ? 魔法使いがどんだけ金のかかる技能かわかってんの? 鎧と盾買ったらあとは生活費だけ稼げばオッケーなガードナーとは違うのよ!」
「んなことわかってるよ! だからってこんな可愛い子から金取るほど」
私の燻っていた怒りの焔は一気に燃え上がった。言うに事欠いて可愛いから!?
「あんた依頼人が可愛かったら依頼料取らないわけ!? メテオぶつけるわよ!」
「使えない癖に言うなよ!」
「あんたが信じられないこと言うからでしょうが!」
助けを求めたフォリナ族っぽい幼女は、少し不安そうな顔をしていた。
『この人たちに命を預けて本当に大丈夫かな?』
彼女の心の声を表すならこうなるだろう。
「……ったく、いつからこんな守銭奴になったんだか」
「あんたがしっかりするようになったらやめてあげるわ」
「しっかりって?」
「少なくとも相手によって報酬を要求するか否かを判断しなくなるまではね」
「はいはい、俺が悪うございましたよー」
ったく、とファランは悪態をついた。それから、一転して柔らかい雰囲気になったかと思うと、少女を見て口を開いた。
「……それで、君、助けてってどうしたの?」
猫撫で声で、ファランは少女に聞いた。
「キモイ」
反射的に言葉が口を出ていた。気色悪いったらありゃしない。何そのみょうに半音高い声! いつも私に向かって罵詈雑言吐くときのドスの利いた声はどこへいったのかしら!
「うっせぇな!」
「てかフォリナなんだから、その子私らと同年代くらいじゃない?」
「あ、あの!」
ファランが何かを言い返そうとしたところで、少女が叫ぶように呼び止めた。
「は、早くして! 私にできることなら何でもするから! パパとママを早く助けて!」
涙目で叫ぶ彼女に、二人は再び顔を見合わせた。
なんでも、ねえ。危ういなぁ。そう思いながら。
少女の案内で洞窟の前まで走って来ると、私、バカ、少女の三人は洞窟の入り口近くで息を潜めた。
「急いでるならそう言いなさいよ」
「で、でも、私、もし、機嫌を損ねたらパパとママを助けてくれないって思って」
随分頭が回る子供だ。というか、子どもじゃない可能性もあるのか。
「それで黙ってたのね。ったく。ファランもこうやって人を気遣ったら?」
「は? そりゃこっちのセリフだ」
言いながら、二人は洞窟の中へと侵入していく。私は最後尾で、ゆっくりと周囲を見回しながら進む。魔法使いなんだから、後方につくのは当たり前なのだ。だが、ファランの隣に誰かがいるということに、言い知れぬ不安を感じる。
きのせいきのせい。
洞窟に入ると、その瞬間から鼻につく嫌な匂いが漂ってきた。
「……血の匂いね」
「魔物のか?」
「耄碌するにはまだ早いんじゃない、ファラン。魔物は血なんて流さないわ」
「いちいち罵倒しなきゃ説明ひとつできないのか」
「うるさいわね。今更なこと聞くからでしょうが」
軽い調子で進む私たちだったが、内心は冷や汗をかいていた。
少女がいる手前言わなかったが、私が嗅いだのは『大量の』血の匂いだ。それはもし人類種が流せば致命傷になる得るほどの量。二人分とか関係なしに、相当な血の量だ。
「ねえ、あなた」
「ん、なんだ?」
ファランが答える。
「お前じゃない」
「え、じゃあ、わ、私?」
フォリナの少女は、涙目で言った。フォリナ族は鼻――嗅覚に限らず五感全般――が、人間と比べ鋭いはずだ。きっと私が感じたのよりもっと克明に、血の匂いを感じただろう。
同族の血の匂いを。
今にも泣きそうになって、瞳を潤ませている少女には悪いけど、質問をする。
「名前は?」
「あ……ごめん、自己紹介、してなかった。私、ルーナー家の一人娘で、ゼロだよ」
ゼロ・ルーナー。たしか、フォリナ族は名前に数字を入れるのだったっけ。確かゼロとはわかりやすいが、たまに異国の数字も入っているからわかりづらい。それにしても、さっきまであった丁寧語が抜けている。よほど緊張、あるいは動揺しているのだろう。気の毒に。
「それじゃ、ゼロ。あなたから報酬はもらわなくていいわ」
「へえ、守銭奴らしくないな」
ファランの嫌味は無視したいけど、まあ、ゼロちゃんにも事情を話してあげないといけないし。
「二重取りはルール違反よ。ギルドからもらってこの子から貰ったことがギルドにばれたら、『狩り』の対象よ。まだ私は死にたくないわ」
ここに入った時点で、この話はするつもりだった。私はもともとここの洞窟に用があったのだ。ここの魔物を殲滅し、調査できる状態にするのが今回の依頼。古典的殲滅依頼と分類される依頼で、多くは新人に回される仕事だった。新人も新人、なり立ての私たちにはぴったりの依頼だ。
そもそも、ゼロちゃんがするであろう依頼は、きっと両親の救出。そんなもの、神様でもきっと不可能に違いない。だって、ゼロちゃんの依頼は……。
その言葉は、いくら思ったことが口をついて出てくる私といえ、憚られた。
「俺もだ」
ファランがそう言うのとほぼ同時、少し開けた広間のような所に出た。
そこでは、五体の子どもほどの背丈の汚らしい格好をした人型生物が、笑いながら囲っている何かを攻撃していた。
「ゴブリン」
ゼロちゃんがつぶやいた。囲われて、攻撃されている何かはまだ見えないが、それでも想像はできる。ゼロちゃんなんかは両親の無事を神に祈り始めた。
「勝てるか?」
ファランが耳打ちしてくる。
「余裕よ」
私たちは頷き合うと、行動を開始した。
恐怖で体を強張らせているゼロと、魔法の発動媒体である樫杖を構えた私の前にファランは出た。
「くらえ!」
と、五体のゴブリン達に近づき、中央で笑っているゴブリンに左手の槍で一突きした。てかなんでその威嚇にもならないような屑槍で突撃するの!? バカじゃないの!? いや、馬鹿よ!
「げきゃっ!?」
背中を痛そうにさすりながら、戦闘態勢に入るゴブリン。貧相な彼の槍では目立ったダメージは与えられないってことわかっていたでしょうに!
「ゲギャ、グゴガ!」
まだ呑気に何かを虐める他のゴブリン達を呼ぶと、彼らは渋々戦闘体制に入った。
「ゲーガ! ググガッ!」
彼がズタズタに刃こぼれした剣を抜くと、天井に向かって掲げた。
「ギギッ!」
ひゅん、と彼はその剣をファランに向かって突きつけた。他の四人が、ファランに向かって殺到する。
「効かん!」
が、刃こぼれした剣が堅牢な甲冑を貫けるわけもなく。そこばかりは、私、彼を信頼してるのよね。考えながら、私は呪文を唱え始める。魔力が少ない私は、できるだけ多くの呪文を唱えて魔力を節約しなければならない。こうしてファランが敵を引き付けてくれていると、その詠唱が非常に楽になる。
ファランは斬撃を受けながらタワーシールドを頭上まで持ち上げると、ゴブリンの一人に向かって振り下ろした。
ぐしゃ、と凄惨な音がして、ゴブリンが潰れた。その瞬間、思わず私は目を閉じた。さすがに詠唱を切らすというへまはしないけど、ゼロちゃんなんかはびくりと大きく震えて、ファランのことをバケモノでも見るような目で見ている。さすがにショックが強すぎたかな?
内臓と血液をまき散らしてグシャグシャになったゴブリンは、しばらくするとそれらすべてが光の粒になって消えてしまった。魔物の特徴である『消滅』。あまり魔物胎児が冒険者に好かれない理由の一つだ。魔物自体にうまみがほとんどないのだ。
「ファラン、動くな!」
呪文が完成し、鋭く支持を飛ばす。彼は疑いもせずに動きを止めた。
樫の杖の先端を、一体のゴブリンに向ける。
「炎よ、我が敵を焼け! 『ファイア』!」
ボン! とゴブリンの体が燃え上がり、あっという間に彼の体を燃やし尽くした。
「ゲ、ゲゲ?」
指示したゴブリンも、ようやく不利を悟ったようだった。一歩、二歩と後ずさり、逃げようとする。
「!」
それを目ざとく見つけたのが、ゼロちゃんだった。彼女は恨みや憎しみといった感情を胸に、ダガーを引き抜いてゴブリンへとむかう。
「ゼロちゃん!」
私の叫びも、今の彼女の耳には入らない。
腰だめにダガーを構え、ゴブリンの心核――人間でいう心臓――めがけて突進する。
「ギャッ!?」
まさか怯え、震えていた少女が向かって来るとは思っていなかったのか、ゴブリンがひるんだ次の瞬間には、ゼロちゃんはすでに彼の眼前に迫っていた。
「やぁぁぁぉぁぁああ!」
ドン、と彼女の刃は狙い違わず、指揮をとっていたゴブリンの心核を貫いた。それでもゼロちゃんは勢いを止めず、ゴブリンを押し倒した。
「ゲグ……」
痛そうに顔をしかめ、そして彼は光の粒子となった。
「ゲギヤァァァ!」
リーダーをやられたことに怒っているのか、やけくそになってゴブリンの一体がゼロちゃんに向かう。
「させないぜ!」
カン、とゴブリンの短剣はカバーに入ったファランの巨大な盾に阻まれた。私は駆け出して、ゴブリンの後ろに回り込む。
「大丈夫か、ゼロ!」
「カッコつけるのはいいけど、ね!」
何度も何度も盾に攻撃を加えるゴブリンの後頭部に、振り上げた樫の杖を思い切り叩きつけた。
「グゲャ」
ゴシャ、と頭蓋が砕ける嫌な音が洞窟に響く。ゴブリンは力なく倒れると、他のと同じように消えた。
「ったく、防御ばっかじゃなくて攻撃にも目をむけなさいよね、ホント。我に刃向かう敵を沈めよ。『アクア』」
魔法の標的にされた最後のゴブリンは、急に苦しそうに喉を抑えた。もがけどもがけど一向に彼を苦しめるモノは外に出ていかない。やがて、彼は陸にいながらにして溺れ、光となった。
「えげつねえことするなぁ。お前の性格みたい」
「あんたはちんたらしすぎよ。ま、その鉄壁さは認めるわ」
「……うるせえな」
恥ずかしそうに、ファランは頬を……兜の頬の部分を掻いた。全く、バカ丸出しよ。
「うう……ううう……パパァ……ママァ……」
ゴブリン達がいなくなってから、すぐに、ゼロちゃんの泣き声が洞窟内に響く。
予想通り、ゴブリン達が嬉々として嬲っていたのは彼女の両親だった。事きれてからも斬られ続けて、もはや肉の塊にしか見えなかったが……それでも、顔だった場所には苦悶の表情が張り付いていた。もっとあいつらを痛めつけてやればよかった。こんなことをしていたなんて。
「まあ、あいつらには相応の報いだったんだな。よくやったよ、ルミナ」
「褒めてもなにもでないわよ」
「……わかってるよ、そんなこと」
悲しげに、ファランは言った。その声色に、胸がざわめく。
「うう、ぐすっ。パパ、ママ、大丈夫、大丈夫だよ、安心してね。すぐ私もそっちに逝くから」
スッと、彼女はフォリナンダガーを自身の喉元に突きつけた。は? と、止める間もなく、彼女はそれを自身の喉に突き刺して――!?
「ぅおおおいっ! 何してんだよっ!」
ダガーがゼロちゃんの喉を切り裂く寸前、ファランが彼女からダガーを取り上げた。力一杯握りしめていたようだが、彼にかかればそれを引き剥がすなど、造作もないことだった。
「な、何するの!?」
「それはこっちのセリフだ!」
はー、はー、とファランは荒く息をする。私も同じように呼吸が乱れていた。まさかいきなり自害しようとするとは思わなかった。
「ふ、ファラン、よくやったわ。ほんと、こういうときは素早いんだから……」
私の顔もきっとひきつっているだろう。それだけ、彼女のとった行動は衝撃だったのだ。私はゼロちゃんに近付くと、両親の血に塗れる彼女の両手を掴んだ。
「び、びっくりさせないでよ。ゼロ、死ぬのはよくないわ。そうでしょ?」
「放っておいて。私、早くパパとママのところに逝かないと。二人が待ってるの!」
「待ってない!」
思わず、私は怒鳴りつけるようにして叫んだ。
「あ、あなたにパパとママの何が」
「わからないわ。でも、後を追おうとするほど好きなんでしょ?」
ゼロちゃんは頷く。
「そうだよ、二人ともきっと寂しがってる!」
「さびしがってなんかないわ。子供にそれだけ好かれる親ってのはいい親なの。いい親は、自分の後を追って欲しいなんて思わないわ。あとは、わかるでしょ?」
「う、で、でも、でも……うう……うう……」
答え代わりに彼女の瞳が濡れ、やがてそれは大粒の涙に変わった。
「えっ」
ゼロちゃんにギュッと抱き締められて、戸惑いの声をあげた。それもすぐに胸に慈愛の情が生まれてきて、私はゼロちゃんを包み込むように抱きしめ返した。
「……よし、よし」
涙が止まり、彼女が落ち着きを取り戻すまで、私たちはそうしていた。
「依頼はこれにて終了、あとはゼロをどうするか、だな」
一段落がついたところで、とでも言いたげにファランは言った。
「んなわけないでしょ」
「は?」
「まだ終わってないわ」
私は当然のように彼に答える。まあ、説明していない私が偉そうに言えることじゃないんだけどね。
「依頼は洞窟の中にいる全魔物の排除よ」
「こいつらだけじゃないってか?」
「こいつらだけなら騎士団や、もっといえば調査団だけで事足りるわ。調査団のスカウトが『無理』って判断したから、私らにお鉢が回ってきたんでしょうが。説明したでしょ?」
少なくとも十体のゴブリンが住み着いているらしい。私たちが倒したのはまだ五体。全然足りないのだ。だが、今周囲にそれらしい影がないのも事実。どこかに隠れているのか? それとも別に部屋が? 暗いからよく見えない。
「されてねぇよ」
「寝てたんじゃない?」
「んなことは……しないと思うぞ?」
「そこは言い切ってよ」
はあ、と二人してため息をつく。
「あの、二人は仲悪いの?」
ゼロちゃんは不思議そうに聞いた。
「仲? いいんじゃない? 下僕と主人って感じで」
冗談めかして、説明する。
「へえ、自分で下僕を自認するとは、ルミナらしくない殊勝な心がけじゃないか」
ほう、ファランの癖に私を下に置くか。じろりと彼を睨む。
「あんたが下僕よ」
「それはどうかな? 実は俺の方が主人なんだよ。ほらルミナ、三回回ってワンと啼け」
ガツン!
ファランの兜を杖で叩いたのだけれど、まるで微動だにしない。くそっ!
「効かねえよ」
「ムカつく! そのしたり顔がむかつく!」
「え、どんな表情かわかるの?」
当たり前よ、とルミナは答えた。
「表情くらい読めないと、主人はつとまらないでしょ?」
ファランのことだもの。なんでも知ってるしなんでも知っておきたい。
「でしょ? とか真顔で聞くな。ゼロ、こいつの言うことは戯言だ。ていうかその主従ネタ引きずるのそろそろやめね?」
「あんたがそんなにどうしても、死よりも辛いっていうんなら、仕方ないからやめてあげるわ。感謝しなさい」
これ以上続けるとマジになりそうなので、やめる。ダメダメ、主従関係なんて冗談じゃない。
「いや、感謝も何も始めたのお前だし」
「感謝しなさい?」
「強制かよ。アリガトウゴザイマスー」
「気に食わないわね。まぁいいわ。じゃ、茶番も終わったし奥に行きましょうか。ゼロちゃん、スカウトできる?」
彼女は頷いた。
「あ、うん」
「そう。なら、よろしくね」
ゼロちゃんは頷いて、洞窟の奥へと歩き出す。
「茶番って、そりゃ酷くねえか?」
「茶番でいいのよ、こんなの」
ファランと主従関係なんて、絶対にヤ。私は誰にも聞こえないくらい小さく呟いた。だって、私は――
「ん? どうした?」
「――なんでもないわ! は、早く行きましょ!」
顔、赤くなってるだろうな。私はそれを隠すように駆け出した。
「お、おい!」
ファランも私に続いて走り出した。