逆鱗の移植
「……辛くないはず、ないわよね」
隣の部屋で話していたルミナたちの耳に、壁越しのくぐもった鳴き声が届く。押し殺したようなその声に、エレナは今にも泣きそうな顔をしている。エレナは今ファラン、ダンタリアン、ルミナの三人から離れ、扉のそばでじっとしていた。
今、この場にブルーメはいない。公務があると言って王城に帰っていった。
「まあ、九才で両手足動かなくなったら誰でもああなるよ。むしろよくエレナに当り散らさなかったと思うぜ」
小声でファランが言う。とは言ったものの、うな垂れるエレナの表情は暗かった。
いっそのこと罵ってくれたらどれほど救われただろうか。そう思わずにはいられない。
「なぁ、ダンタリアン、ホントに逆鱗じゃないとダメなのか?」
「あのなファラン。腐敗毒の損傷ってのは普通の魔法使いなら黙って首を横に振るレベルなんじゃぞ?」
「でもほら、ダンタリアンだし?」
「ワシは便利アイテムじゃないわい。むしろゼロの治療が成功すれば勲章ものじゃぞい」
「ロードドラゴンの逆鱗が必要な治療方法に何の意味があるんだよ」
ロードドラゴンとは、世界で最も強力で、最も個体数が少ない種と言われる。そして、逆鱗は竜族にとって大切な鱗。エレナのような例でもなければ腐敗毒の治療はまさしく雲を掴むような話だ。
「まぁの。じゃがどうするんじゃ? 治療方法があると知ったあの娘っ子が『助けて』の一言を我慢できるとは思えんが」
申し訳なさそうな顔で食い入るように扉を見つめるエレナを見据えて言った。
「おいジジイ、女の子イジメんじゃねえ」
「いじめとらんわ」
「仲間助けるために大切な物を差し出せ、なんてイジメ以外の何物でもねぇよ」
「お主は家を差し出したではないか」
ピク、とルミナはファランを見た。
「ファラン、家ってどういうこと? おじさまとおばさまは?」
ルミナの戸惑うような声に、ファランはこともなげに答えた。
「ああ、親父とおふくろは死んだ。家は鎧と解珠に替わった。それだけだ」
「そ、それだけって、大事じゃない!」
「ほっとけよ。もう過ぎたことだ」
「あんた鎧のために家売ったの!? おじさまとおばさまの家を……」
「ルミナ嬢ちゃん、鎧というよりは解珠じゃな」
は? とルミナは口を挟んできたダンタリアンを見た。
「ファランの家のほとんどは解珠の代金じゃ。鎧はオマケじゃ」
「ジジイ、余計なこと言うなよ」
「何が余計か。事実じゃろうて」
ファランはため息をついた。
「その事実がどれだけエレナを苛むと思ってんだよ」
ファランは顎でエレナの方をしゃくった。先ほどの会話が聞こえていないが、もしその事実が彼女に知れれば。
『か、解珠が、そんな高価ものだったなんて』
と慌てふためき、より罪悪感を増すだろう。
「ん? もうあれ使ったのか?」
ダンタリアンは不思議そうに聞いた。
「ああ。エレナに魔法がかけられててな、それを解呪したんだよ」
「ロードドラゴンに効く持続性の魔法? ……人間の姿を取ったときに人形化でもかけられたか?」
二人はとも、黙りこくった。
「誰がかけた?」
「菜園伯爵だよ」
ファランが静かに言った。
「あのブタめが、ついに手を出してはならんものに手を出したか。いつか王族に手を出すのではと思っとったが、まさか竜王とは思わなんだ」
はぁ、とため息をついた。
「まぁ、ヤツの処分はあとで王と話すとして。今は娘っ子と竜王じゃな」
「やっぱ、介護ギルドか?」
ファランの言葉に、ダンタリアンは頷いた。
「ワシの名前で依頼を出せば、人が集まらんということはあるまい。じゃが、身の回りすべてを世話されることにフォリナ族がいつまで耐えられるか」
フォリナ族は好奇心旺盛で活発な種族だ。ひととこに縛り付けられるだけでも嫌悪感を抱くフォリナ族が、四肢が動かない状態で満足に日常を過ごせるとは思えなかった。
「『聞き分けのよい可愛い子』が一ヶ月保てばいい方じゃね? ゼロはお世話されるのが我慢ならないはずだからな」
「じゃな。まぁ、我慢してもらうしかないじゃろ」
そう言って、ダンタリアンは魔道エレベーターへ向かう。
「ま、待って、ください」
「なんじゃ?」
震える声で、エレナはダンタリアンを呼び止めた。
「その、どちらに?」
「竜王は介護ギルド、というものをご存知かの?」
「い、いえ」
「老人や体に不自由がある人に介護者を付けるのじゃ。歴史が浅い上に異界から来た勇者が設立したギルド故不安ものこっちょるが、まぁ便利なものじゃよ」
エレナは頷いて、それから一度深呼吸をした。
「介護者を呼ぶ必要は、ありません」
「お主がするから、というのはなしじゃ」
「わかってます。私の逆鱗を、ゼロにあげます」
ダンタリアンはゆっくりとエレナに近づいて行く。
「どんな心境の変化じゃ?」
「私は、恩に報いたいです。私、ずっと自分のことしか考えてなくて……」
自分が逆鱗を渡す渡さないで葛藤していたのは、全て自分のためだった。婚姻できない、魔力が減る。そうした不利益が、エレナを躊躇わせていた。しかしゼロが自分を守ろうとしたとき、そんなことを考えていただろうか? いいや、違う。夢中だったはずだ。とっさに飛び出してしまったに違いない。それだけの行いに報いねば、竜王の名が廃るというものだ。
いいや、違う。エレナは頭の中で自分の考えを否定する。
エレナが逆鱗を渡したいのは、助けたいから。
「ゼロのために、大切なものを渡します」
「後悔せんな?」
エレナは頷いた。
「そうか。こっちへ」
ダンタリアンはエレナの手を掴んでゼロのいる部屋に入った。
「お、おじさん、誰ですか?」
入るなり、ゼロが警戒心を露わにする。
「ワシはダンタリアン。魔法使いじゃ。お前さんの体を、治してやれる」
「エレナの『げきりん』がいるんでしょ? エレナの大切なものを奪ってまで、私、元気になんか……」
「ゼロ、勘違いしないで」
エレナは笑顔でゼロのそばまで歩き、ゼロの顔を覗き込む。
「婚礼にはいるけど、もう私は結婚なんてしないわ。男なんてうんざり」
三年の人形生活はエレナに男に対する認識を大幅に書き換えるのに十分だったが、彼女はまだ男を見限ったわけではない。菜園伯爵のような男もいればファランのような男もいる。認識の幅が広がっただけにすぎない。
けれどエレナはゼロのために嘘をつくことにした。
「魔力に関しても大丈夫よ。ファランが言ってくれたわ。弱いのなら強くなればいい。弱くなったなら強くなればいいのよ。……あら、逆鱗ってそんなに大切なものじゃなかったわ。だから、ゼロにあげる」
そう言って、エレナはゼロの頭を撫でた。
「……エレナ」
「そんな不安そうな顔しないで。大丈夫よ。全部うまくいくから」
スリープ、とエレナは唱えた。竜族にのみ許された単語による魔法詠唱だ。これができるのも最後かもしれないと思いながら。けれど、最後の魔法が仲間の安息をもたらすのなら、それで十分だ。
エレナの魔法にかかり、ゼロは抵抗の余地なく眠りにつく。
「ダンタリアンさん、お願いします」
そういってエレナは魔道エレベーターに乗ろうとする。
「そうじゃな」
ダンタリアンも、彼女に続く。
二人が乗った瞬間魔道エレベーターが起動し、一瞬で二人を一番下の階に転送された。
外に出ると、エレナは二メートル前後の大きさの竜になった。
「さぁ、ダンタリアンさん、逆鱗を」
そう言って、エレナは少し首を上に上げた。ちょうど喉があるところに、一枚だけ逆向きに生えた一際大きな鱗があった。
「……本当にいいんじゃな?」
「構わない」
ダンタリアンは頷くと、恐る恐る鱗に手を伸ばす。
「かのものの鱗を我の手に。『剥離』」
ピリ、ぴり、と逆鱗が少しずつ剥がれて行く。
「ぐっ……うぅっ……」
エレナは暴れまわりたい気持ちを必死で抑えながら、自分の魔力が抜けて行く感覚を味わっていた。
「……よし」
ダンタリアンの声に触発され、エレナはダンタリアンを見る。彼の手の中には金色の逆鱗があった。大きさは手のひらにおさまるくらいで、裏は血のような赤色。
「これでゼロが助かるんですか?」
「もちろん」
そう言って、ダンタリアンは塔の中に戻ろうとする。
「よろしくおねがいします」
しかし、エレナはついてこなかった。
「ん? お主は戻らんのか?」
「ええ。力を失った体がどれほどのものか、試してみたいので」
「そうか。ではな」
そう言って、ダンタリアンは塔の中に入り、魔道エレベーターに乗った。
ダンタリアンがゼロの寝ている部屋に入ると、ゼロは悲しそうな顔をして出迎えた。
「剥がしちゃったの」
「ああ。いらんと彼女が言うのでな。娘っ子や、もらっておけ」
「私、ゼロっていいます。いらない、なんて嘘だよね?」
ダンタリアンは首を振った。
「大切なものだろうがそうでなかろうが、今のお主には関係ない。これはお主の体を癒す唯一の薬じゃよ」
そう言って、ダンタリアンはゼロの首、喉があるところに逆鱗を当てた。抵抗しようにも、両手両足が動かないのだから抵抗しようがない。
「よし」
ダンタリアンは得意げに頷いた。
ゼロは大量の魔力が自分に流れ込んでくるのを感じた。
「あっ……んっ……」
喉が熱くなって、思わず両手で喉を抑える。
「ぐっ……あ、う、ううう、あ、あ……」
四肢が動くようになったにも関わらず、ゼロにはそれを喜んでいる余裕もない。膨大な魔力に呑まれないようするので精一杯だ。
「……光よ、幼き者を癒したまえ『キュア』」
実は、逆鱗を移植するまでなら別にダンタリアンは必要がなかった。必要なのはこれから。逆鱗から送られてくる魔力に耐えきれるかどうか。そのためには何十回と回復魔法を打てるほどの魔法使いが必要不可欠なのだ。
「ふぅ、ふぅ……ううっ……」
キュアの魔法のおかげで顔が安らぐがそれも一瞬のこと。すぐに苦しそうに呻く。
「光よ、幼き者を癒したまえ『キュア』」
しばらく、ダンタリアンの魔法詠唱の声が響いた。




