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第5章 最初の職業4 (昇任と警察大学校)

翌年の春がやってきた。神奈川県警察では、毎年この春の時期に巡査部長昇任試験が行われる。巡査部長というのは別名、初級幹部ともいわれ、一般の会社企業でいうところの主任にあたる。警察社会では試験で上がっていく階級がこの巡査部長からであり、これと始まりの巡査との間に正規の階級ではないが巡査長というのもあり、これは当時勤続10年が過ぎれば自動的に上がった。また巡査は、警察学校初任科入学から一箇月の条件付採用(仮採用)期間を経過した時点で、同じく自動的になった。


弘章は、とにかく半年間、それまでの半生で最も集中して受験勉強というものをした。その勉学の基礎となるのは、もちろん初任科で学んだ各種の法律等であった。神奈川県警の場合、最初の関門がマークシート試験と呼ばれる五者択一の簡易テストであり、受験者数が相当にあることもあり、その処理は全てコンピューターにより管理されていた。そしてその合否の境目(さかいめ)は、80点と通常いわれていた。

マークシートの試験当日がやってきた。制限時間は2時間で、問題は100問であった。弘章は元来、慎重派だったので、この2時間を目一杯フルに使って試験に挑んだ。20日後、この結果が出て、詳細までは分からなかったが、彼は80点ぎりぎりのラインでクリアだった(むね)、その日の午後に上司の警部補である外勤係長から聞かされた。「半年間、必死の思いで勉強したのに、それでもやっぱりギリギリか。誰もが皆、見えないところで頑張っているんだな」と弘章は現実の厳しさを知らされたような気がした。人生はそんなに甘くない! と思い知らされた気がした。でもそんなことを考えている暇はどこにもない。一ヶ月半後には、今度は刑法をはじめ刑事訴訟法や警察法や警察官職務執行法や道路交通法その他各種科目の筆記試験が(せま)っている。彼は引き続き、勉学の手を休めなかった。

筆記試験の日がおとずれた。弘章は試験会場の椅子に座り、まずは深呼吸をした。「第二関門だ!」と。試験は型通り、刑法から行われた。各科目の制限時間が45分で、2日間連続で実施された。この試験が終わって、弘章は「出来が良くない…」と内心不安状態で結果を待っていた。

二ヶ月後、また外勤係長から「髙田、筆記試験通ったぞ! 今度は最終の面接試験だ! 頑張れ!」と言われ、発破(ハッパ)をかけられた。なんとか無事通ったのである。弘章は「生まれつき、悪運の強さのような運勢を、自分は持ち合わせているのかな?」と感づいていた。彼のそれまでの半生の中で、そう思わせるような出来事が何回かあったからである。「(わざわ)い転じて福となす」とか「雨降って地固(ぢかた)まる」といったような傾向の持ち主という自覚が彼自身にはあった。

三次試験と一般にいわれる最終面接試験の日がやってきた。弘章には、それまでに面接試験の経験は、大学の時の夜間二部から昼間一部への編入時の二次面接と、神奈川県警を受けた際の筆記試験の後の二次面接の、僅か2回しかなかった。試験会場に来ているここまでの合格者たちは、面接室の外で順番を待ちながら皆、緊張している。最終関門!である。

弘章の番が回ってきた。彼は深いため息をつき、ひと呼吸置いたあと、ドアをノックし室内へと進んだ。中には3名の男性面接官がいた。弘章は「きっと明るく元気良くハキハキと振舞った方が良い」ととっさに判断し、メリハリのある姿勢態度と言葉遣いでこの面接に対応した。

面接官の一人が質問してきた。「キミはもし巡査部長になったら、何がしたいですか?」。弘章は本音をぶちまけた。「はい、私が警察官になろうと思った動機が、刑事になりたいという願望だったので、それを貫きそのステップとして、巡査部長になれたなら、その責務を(まっと)うしていきたい、とそう思っています」とややチグハグな回答をしてしまった。他の質問も合わせて、概ね15分位の面接であった。

約一ヶ月後、この結果が出た。弘章はまた外勤係長に呼ばれ、「合格だ! おめでとう!」と申し渡された。弘章がそれまでの半生の中で、一番嬉しい瞬間であった。係長は引き続き彼に伝達した。「2ヶ月半後の11月1日が、おまえの関東管区警察学校初級幹部科の入校日だ」。

初級幹部科は40日間の入校期間となっていた。弘章は気合いを入れて、この警察学校の門をくぐった。関東管区警察学校は東京都小平市に位置し、警視庁を含む関東地方にある各県警察からの巡査部長昇任試験の合格者たちが集まった。交流が持てて顔つなぎもできた。一件書類といわれる、いわゆる一つの事件の被害届の受理から始まり実況見分調書、裁判官の発した逮捕状に基づく通常逮捕の手続書、その後の被害者ならびに被疑者からの各々の供述調書等、事件の流れ一式を作成し綴ったモノを作り上げることが、入校中で最も大変な作業であった。A-4サイズの各種書面が、長編小説並みのものになる。成績は下位の方であったものの、弘章は無事この初級幹部科を卒業した。

川崎中央警察署に戻り、次の春の異動で弘章は横須賀警察署外勤課の京浜急行横須賀中央駅前警察官派出所へと異動になった。これもまた持って生まれた運勢か、またまたその署で最も忙しい交番であった。そして時を同じくして、かつての初任科で彼の担当助教官であったあの吉川隆洋も、警部補に昇任して神奈川県警察本部警務部教養課に異動となっていた。

弘章には昔から、物事が一時(いっとき)に集中して固まって押し寄せてくる傾向が随時に見受けられた。この時も(まさ)しくそうであった。吉川警部補は初任科以来ずっと、弘章が大学で英語を専攻し機会があればその分野に進みたいと思っていることを知っていた。ちょうど教養課では、警察大学校国際捜査研修所語学研修科英語長期課程への派遣入校生を選抜する時期に差しかかっていた。吉川の脳裏に弘章の存在が浮かび上がった。そして元助教は弘章に声をかけた。「髙田、巡査部長昇任おめでとう。俺はいま警部補で教養課にいる。おまえの中にまだ、大学時代に学んだ英語を職務に生かしたいという希望は残っているかい?」。このとき弘章は問答無用(もんどうむよう)で " Yes ! " と答え、まずはこの課程に選抜されるための英語検定試験にも似た英語のみの試験を受験する運びとなった。それまでの彼の半生において、そのときが最も素晴らしく輝いた時期であったといっても過言ではない。

弘章は、今度は一転して、主に過去の実用英語技能検定2級の出題問題に絞って、心新たに英語の勉強に励んだ。大学卒業以来、久しく英語から遠ざかっていた彼にとって、この学習は非常に新鮮なタッチに感じられた。というより、あれ以来忘れてしまっていたという方が正しい。吉川警部補からこの話を聞いてから、ちょうど一ヶ月後がその試験日であった。

試験当日、本部の試験会場に集まった人数はザッと50名位であった。弘章は「うわっ! けっこう競争率が激しいな」とそのとき思った。選抜されるのは、その中から前期派遣者1名と後期派遣者1名の2名のみであった。制限時間が90分。みな真剣な表情でこれに挑んだ。パッと見て、英検2級と3級の問題が混ざって出題されているふうに見て取れた。弘章は2問目で「あっ、これ俺が過去の英検2級問題で振り返ってやっていたのと全く同じ問題だ…」と気づいた。それは、そのままそこから抜き取られた設問で、彼はその瞬間、「俺の着眼点は、まんざらハズレでもなかったようだな」と内心ニヤリとした。ただあとの方になって、どうしても解けない難問が2問。うち1問は半ば第六感でヒントを得て解答したものの、もう1問がどうしても(わか)らない? 彼はこの最終問題にはメクラ印を押したような形で、そのあと答案を提出した。

10日後、この結果が出た。吉川が弘章に警電(警察電話)で連絡してきた。「おめでとう。髙田、おまえが前期の派遣入校生に決定した。次の秋の異動、10月1日付けで、キミは本部警務部警務課付に異動となる。入校日は、そのあとすぐだ」。何度も言うようだが、この頃が弘章にとって、それまでのいわば最高の(はな)の時であった。


ただ、この課程に入校まで半年近くはあった。それまで引き続き、弘章は横須賀警察署において交番の職務に従事した。通常は警察大学校というのは、上級幹部といわれる階級で警部以上でなければ入校することはなかった。この国際捜査研修所語学研修科だけが特例であった。当時は国際犯罪が従来からみて急激に増加し始めた頃であったのも重なって、の措置であった。またこれには、英語だけでなく中国語や韓国語やロシア語やタガログ語のコースも設置されていた。更には東京都中野区所在(現在は東京都府中市所在)の警察大学校内では、これらの研修課程を受け入れられるだけの容量もなく、したがってこれらのコースはすべて異例の措置で関東管区警察学校内に置かれた。そして彼は、何を隠そう半年後からのこの入校の6箇月間、初任科の時ほどの地獄を味わうこととなる。


弘章はそれでも残りの横須賀警察署での半年間、頑張って派出所の職務を熟す一方、半分は半年後に備えての英語の学習を(おこた)らなかった。そんな時、彼は一人の女性と出逢った。その女性は24歳、弘章はそのとき間もなく30歳になろうとしていた。赤い糸などというキザなものではない。運命…の一語(いちご)()きる出逢いであった。

所管区内で、ある日ひったくり未遂事件が発生した。弘章ほか1名の警察官で現場へ急行したところ、被害に()ったと見られる女性1名が、半ば泣き崩れた状態で(うずくま)っている。被疑者は女性のバッグを路地裏でひったくろうとしたのだが、彼女に抵抗され何も盗らずに、そのまま小走りにて逃走!という事件であった。

弘章は、その場で直ちに被害者の女性から犯人の人相着衣等を聴取し、目の前にあった公衆電話から『飛び越え110番』を行なった。

「被疑者は、年齢20歳前後の男1名。身長180センチ位で()せ型。黒っぽいメガネをかけ、上衣緑色の半袖シャツ、下衣ブルージーンズ。履き物不明。市内本町方向へ逃走です」。

本部の通信司令室より周辺各位にそれが伝達され、不審者1名が国道16号沿いで職務質問され犯行を認めたため、任意で身柄確保となった。

弘章サイドは、被害者の女性に本署まで同行を願い、刑事課で被害届を提出してもらいたい旨を彼女に伝えねばならなかった。女性はショックで心が折れ意気消沈しており、到着したPCに弘章も一緒に同乗して本署に向かった。

刑事課で一通りの詳細事情聴取が終了し、彼は彼女が自分の受持区である米が浜通2丁目所在のマンションの居住者であることを知った。この事件の処理終了後も、弘章は彼女があのショックから立ち直ってくれたか? と心配で仕方がなかった。

半月後、弘章は忙しさの中、滅多には実施できない巡回連絡を行う機会に恵まれた。その日は、日曜日の日勤補助勤務であったため、たまたまそれが可能であったのである。そして彼は気になっていた被害の女性のマンションを訪れた。運良く彼女が在宅していた。弘章にはもちろん下心などない。彼女は「お茶でも…」と中へ入るよう言ってくれたが、玄関口だけで話をした。「その後どうですか? 心の傷は()えましたか?」と彼が尋ねると彼女は「ええ、ありがとうございます。大丈夫です」と答えてくれた。このときに弘章は初めて彼女が市内のデパートに勤務する独身女性であることを知った。これを機に、何の躊躇(ためら)いもなく、ごく自然に二人の交際が始まった。今の言葉でいうと、このとき生まれて初めて弘章は本当の彼女というものをゲットした。

イノシシ年で、以前から猪突猛進(ちょとつもうしん)に近い性格の持ち主であった弘章は、彼女とお互い意気投合し相思相愛となり盛り上がったこともあって、それから三ヶ月後には入籍して彼女のマンションで同居し始めた。挙式・披露宴無しの婚姻届の提出のみ、という形で。もちろん上司をはじめ周囲はこれに反対したが…。警察という組織は、特にこういう型破りな体質を嫌う傾向にある。形通り、きちんとご媒酌人を立て、その当時は皆、神前式にて挙行のあと披露宴を行うというのが警察社会の通例であった。

弘章がこの手段に出たのは、彼の持ち味もさることながら、それ以上に彼の中に「男女の出逢いやその後の結婚は、これすべてそのときのフィーリングとタイミングだ!」とする信念のようなものがかねてから存在していたからである。もちろん彼には、一旦思い込むと後には引かず、周りが見えなくなってしまう悪い(くせ)みたいなものも当然あった。でもそれは、彼にとって先天的な要素でもあり、なかなか変えることが難しかった。

弘章がこの行動に出たもう一つの理由は、「警察大学校入校前に、既婚者(所帯持ち)だという既存理由(ステータス)みたいなのが欲しい」との発想であった。何故(なぜ)かしら彼はそのときそう考えてしまったのである。


やがて月日が経過し、いよいよこの課程の入校日も迫ってきた。その前に、元吉川助教の予告通り、弘章は10月1日秋の異動により、神奈川県警察本部警務部警務課付となった。そして入校日の一週間前、弘章は事前に自分の荷物を私有車両にて関東管区警察学校内に運搬する為、高速道路に乗った。彼の心中は、ワクワク・ドキドキであった。「俺はスゴいコースに入ってしまった!」と。「今度は初級幹部科のときとは違う。警察庁(本庁)の管轄下にある警察大学校の研修課程だから全国単位だ! 各都道府県警察から()りすぐりの警察官たちが集まるんだ!」と。

英語長期課程の入校生たちが使用する部屋に着くと、そこは合計3室となっていた。その最初の番号の部屋入り口を見ると、そこに貼られている紙の室長名のところに「神奈川県警察・巡査部長~髙田弘章」と記入されていた。他の2部屋を同じく見ると、どちらも「大阪府警察・巡査部長~~」、「静岡県警察・巡査部長~~」と室長名が書かれており、真ん中の部屋に「総代~兵庫県警察・巡査部長~大川康弘」と記載されていた。これを見て弘章は益々、「あゝ、やっぱり凄いコースだ! 俺みたいなのが、はて…? これについていけるのだろうか?」ともはや不安むき出しの状態になってしまった。


それから一週間後、弘章はこの部屋の中にいた。この201号室には彼を含み計8名の研修生が入り、弘章以外は皆、巡査であった。もう2部屋も同様に、総代と室長以外は全員巡査で、この課程の合計人員は23名であった。前述の通り、彼はこの6箇月間で、神奈川県警での初任科時代に引けも(おと)らぬ地獄の日々を味わうこととなる。

入校式でそれぞれの所属と階級と氏名が読み上げられたあと、諸注意が告げられた。それは非常に厳しいものであった。「君達は、全国各都道府県警察から選ばれてきた者たちだ。この課程の期間、精一杯必死の思いで各々の課程の習得に、全力で精進し励む覚悟で努力してほしい」。

その翌日から、さっそく授業開始となった。英語課程を教える先生方は、警察庁所属の英語のベテラン教官や外部へ委託の警察関連の講師らによって編成されており、在日米軍基地からのアメリカ人のネイティブ・スピーカーも3名含まれていた。

その日から、全員が寮生活での私語のときも極力英会話で話すよう指示され、一日中英語一色漬けの日々へと一変した。聴くラジオ放送は、FEN(Far East Network)のみとなった。弘章に限らず誰もが、この環境に順応し慣れるまで四苦八苦した。入校から一週間後、弘章は夕食後、新妻あて電話をした。当時はまだ携帯電話などというものは存在しない。彼は食堂の(すみ)にあった公衆電話を使った。「典子(のりこ)…、考えていた以上に大変なコースだよ。俺みたいなのが、これについていけるのだろうか?」。妻は優しく夫を(ねぎら)った。「弘章さん、大丈夫。あなたなら、きっとできるわ」。

連日、睡眠不足状態が続いた。その日の復習などより、むしろ翌日の準備のための予習を終えるのに、みな朝方まで机に向かい、睡眠時間が平均2時間という毎日が続いた。当然、クラスの何人かは授業中についウトウトしてしまい、その都度注意を受けた。弘章もその一人であった。また同時に、弘章は室長でもあったことから、「201号室のまとめ役」という役割も(にな)っていた。厳しい英語漬けの毎日で皆イライラし神経がピリピリしており、些細(ささい)なことから室内でトラブルも発生する。どうでもいいことが原因のけんか口論とか、彼は上手(うま)く収め処理する側の人間でなければならなかった。それを先行させ、それから自分の勉学に励んでいたものだから、部屋内で朝方いつも最後に寝るのが弘章であった。

また大川総代(総合代理)は、この英語長期課程が使用する3部屋とも、見回って指示したり時には相談役になったりもする立場の人物でなければならなかった。兄貴肌で、研修生らからの信望が厚い男であった。彼のこの研修での任務は、(まさ)にその一点に絞られた。なので総代は、自分の勉強などしている時間はどこにもなかった。

こうして月日が経過していった。徐々に、実力のある者とそうでない者の格差の開きが生じてきた。研修生のほぼ全員が実用英語技能検定2級を取得しており、研修期間の三分のニを終えた段階で、同英語技能検定準1級試験の日がおとずれた。2級と準1級とでは、それこそ天と地の差がある。みな真剣に受験した。だが合格したのは、全体のほんの4分の1だけ…。実力のない弘章は当然、不合格…。結局、最終的に彼は卒業時に、何の賞も貰えなかった。風邪で体調を崩し、1日だけお休みしたため、皆勤賞すら貰えなかった。そして卒業成績は、クラス23人中のちょうど真ん中であった。弘章は、また痛感した。「この愚か者めが!」。

卒業の間際、授業の合間(あいま)に、それぞれの将来進みたい方向について尋ねられる時があった。弘章は、このとき迷わず「刑事部門で、いずれ国際犯罪捜査の分野に進みたいです」と意気込みをもって回答した。


こうして英語長期課程が終了し、弘章は仮所属の本部警務部警務課付へと戻った。そして間近に迫った次の4月1日の異動を待った。その間、僅か一週間であった。本部というのは階級が巡査の者は(ほとん)どいない。彼はこの一週間、一番下っ()の巡査部長につき同じく巡査部長の女性警察官1名と共に、主に警務課内の掃除やゴミ捨て、お茶入れや電話番を担当した。

一週間後の異動発令により、弘章は藤沢警察署外勤課へ異動となった。職務内容は、今度は本署内での外勤庶務主任であった。この署の特長として、江の島が一望できる湘南海岸の絶好のロケーションが一番のお(すす)めであった。夏場は、この湘南海岸一帯が、特に若者たちを中心とする海水浴地へと一変する。また藤沢から鎌倉までを結ぶ江ノ島電鉄(通称・江ノ電)も人気のスポットであった。

県警内での刑事養成専科の入科生選考の時期が差し迫っていた。言うまでもなく、警部補の外勤庶務係長から弘章に声がかかった。その前に彼は知っていた。「大元(おおもと)の警察庁の課程を卒業してきているんだし、最後の進路希望についても卒業時に明言(めいげん)してきている。俺が選ばれない訳がない!」。正に「鶴の一声(ひとこえ)!」の一語に尽きる世界!。型通り、彼は形式上、選考試験だけ受け、問答無用で専科入校となった。初心に戻る!の(ごと)く、彼は神奈川県警察学校に帰った。初任科以来、もう8年ちょっとが経過していたことから、それは新校舎へと変わっていた。


だがしかし弘章にとって、警察官で物事が集中し押し寄せ、尚かつ最高の時は、これを頂点に少しずつ下降していくこととなる…。









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