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第4章 最初の職業3 (外勤警察官)

その年の4月1日、弘章は引っ越した川崎中央警察署の独身寮から、赴任先の署二階にある外勤課へと向かった。彼は思った。「なぜここに異動となったのだろう? その理由は?」と。

しかし人事異動の最終決定権だけは、神奈川県警察本部警務部警務課人事係にあるのだから、これについては警察官として()っていく以上は、嫌でも絶対に(さか)らえないことであり、また同時に異動理由に関する不可解な点も数多く認められるというのが実情であった。

弘章が外勤室に入ると、そこには同様に異動でやってきた他の十数人の者たちが既に待機しており、その中に女性警察官1名も含まれていた。十数分後、外勤庶務係長の指示で異動者全員が一階の署長室へと、異動の申告(しんこく)のため(はい)った。

弘章の署長申告の順は5番目であった。彼は元気良くハッキリとした口調で申告した。「この度の異動により、第二機動隊からきました髙田弘章です! 宜しくお願い致します!」。署長は全員の申告が終わると、「諸君、心機一転、新たな気持ちで職務に励んでください」と簡潔に挨拶した。

外勤室に戻り、今度は庶務係長からそれぞれの警察官派出所等の勤務地が申し渡された。弘章の勤務場所は、JR川崎駅前派出所であった。京浜急行川崎駅前派出所と同様、署内で最も忙しい交番といわれていた。「そういえば、初任科実務修習のときも、俺は忙しい上大岡駅前派出所だった。何か、そういう運命やめぐり合わせにでもあるのかな?」と弘章は、そのとき一瞬、思わず考え込んでしまった。

1日空いて、いよいよ初出勤の日となった。弘章には、当然これまで実務修習時のほんの(さわ)りだけしか実務経験がなく、全くの初心者に等しかった。3人体制で3日に一度出番の三交代という、朝から翌朝までの24時間勤務シフトは、実務修習のときと全く同じであった。(かしら)の巡査部長と弘章より4つ年上の先輩巡査とのトリオであり、彼は当然いちばん下っ端。警察は、特に上下関係の色濃い組織であるから、彼は掃除やらお茶汲みやら、とにかく当初片っ端からこき使われた。初任科実務修習生のときは、まだお客さん扱いだったと悟った。


そして3回目の当務の時、弘章にとって生涯(しょうがい)忘れることの出来ない、あの衝撃の交通人身事故が発生した。

深夜の午前0時25分頃、110番通報入電。交通人身事故発生という。その日は土曜日で忙しい夜ということもあり、勤務員3名とも在所勤務をしていた。現場を所内に備付けの動態図(どうたいず)で確認するに、派出所から300mほど離れた地点であった。直ぐさま3人とも立ち上がり、交番のバイクに飛び乗り現場へと急行した。現地でトラックの運転手1名が慌てた様子で立ちすくんでいる。傍にペシャンコになった普通車が一台。車内に虫の息状態で若者4人が横たわっている。(ただ)ちに携行無線機で部長がレスキュー隊を要請。到着と同時に救助活動がなされ、一人ずつ救急車で搬送となった。

署の交通課事故処理班が到着するまでの間、現場保存に当たっている中、立て続けに無線報告が入った。「救急1号、1時24分、被搬送者死亡」、「救急4号、1時36分、被搬送者死亡」、「救急3号、1時49分、死亡」、「救急2号、2時ちょうど、死亡」……。

弘章は職務を忘れ、呆然とその場に立ちすくんだ。目からは涙が溢れ出ていた。そんな弘章に巡査部長は言った。34歳の交番一筋キャリア15年のベテラン部長であった。「髙田、長く勤務する間には、こういう悲惨な事故もある。まだ若いおまえには、きっとショックだろうな…」。

事故原因は、変則の交差点での普通車側運転手の勘違いによる信号無視…。救急車内で、若い命が一つずつ次々と散って行った。弘章には返す言葉もなかった。ただ、無念だった…。

後の調べで、彼らは某一流大学の二年生4人組だと分かった。将来有望な若者たちが、救急車の中で次々と息絶えていった……。弘章は、この事故を、いまだに忘れることができない。

一方、片やトラック運転手の方には、4人とも死亡との事実は、その場では伝えられなかった。運転手は、「国道の見通しの良い直線道路で前方の信号も青だったので、普通に走っていました。まさか右側から普通車が横切って交差点へ入って来るとは…、まさか? 考えてもいなかった。死角になって、全然見えなかった…」と供述した。そして事故処理班の実況見分が一通り終了した段階で彼が、「お巡りさん、このトラックに積んでいる冷凍食品を何がなんでも朝4時半までに築地に届けなければならないんです。もう行っていいですか?」と言ったときに、未だかなり動揺していた弘章が「運転手さん、あなた若者4人が全員、救急車の中で亡くなっているんですよ! よくもそんな事が…!」と言い切る間もなく、部長がこれを(さえぎ)った。運転手はこれを聞いて、たいへん驚いた様子を示した。それでも彼は、この事故の場合、第二当事者であり、供述調書作成等の詳細な事情聴取は、後日当人が本署交通課あて出頭にて、という形を取り、彼はそのまま築地へと向かうことになった。

弘章は今も尚、この衝撃の交通人身事故を、忘れ(ぬぐ)い去ることができないでいる…。


弘章が派出所(交番)勤務に漸く慣れてきた頃、夜間やたらと酔っ払いの取扱いが多いことを肌で感じるようになった。110番通報のものもあれば、住民からの直接苦情で連絡が入るものもあった。

JR川崎駅の周辺は、居酒屋やスナックなどの集まる繁華街となっており、その酔っ払い達はサラリーマンであったり、土木作業員やトラック運転手であったり、はたまたホームレスであったりもした。

一般に、酔っ払いの種類は次の二つに分けられる。ある程度の酔い状態でまだ記憶や意識がはっきりとした状態の者を酩酊者(めいていしゃ)、それ以上の(きわ)めて酷い状態の者を泥酔者(でいすいしゃ)という。

弘章はこんな取扱いをした。夜11時過ぎごろ、スナックのママから本署当直あてに一本の電話が入った。無銭飲食という。現場に急行したところ、年齢50歳位の男性1名が(なか)ば眠った状態でソファーに腰かけていた。未払い金額が13,000円。直ちに職務質問を開始した。男は泥酔状態で言葉にならない。この種の取扱いは、やたらと時間がかかる。漸く事情を聴取し、市内の外れに所在する土木会社の日雇い作業員であることが判明した。

一方、初老のスナックのママは、「飲食代は結構ですから、早く連れて行ってください」と言う。この場合、無銭飲食は親告罪的な要素が多分にあるので、警察は無理やり即検挙したりなどはしない。正式な被害届の受理があってこそ初めて論ずる、というのが実務上のやり方であった。

結局、PCを一台派遣要請し、同人を作業所まで送り戻すということで収まった。到着すると、男はそこで親方から平手打ちを一発食らった。

またその他にも、わざわざ交番にやって来て、職務中の警察官に言いがかりや因縁をつけてくる酔っ払いも沢山(たくさん)いた。弘章が平日の深夜、部長と先輩が前半の仮眠中で独り在所勤務をしていた時に、泥酔者とみられる中年の男1名がJR川崎駅前派出所の戸をガラッと開けた。その男は、いきなり弘章の胸ぐらをつかみ、「貴様ら警官がシッカリしてないから、こんなご時世になってしまったんだ!」などと泣きわめいた。かなり飲酒した様子であり、意識が朦朧(もうろう)とした状態だった。また本人の(しゃべ)っている話の内容が、シドロモドロでまったく意味不明で的を得ていなかった。弘章は、この種の酔っ払いの対処方法を、それまでの実務経験から身につけていたので、男の言い分を一通り流して聞いてやり、なだめるようにして納得させて、同人を自ら帰宅させた。

このように、時にはここで勤務中の警察官に暴行・傷害を加えてくる者もいる。その場合、本人の刑事責任能力の問題も(から)んでくるため、これも同様に実務上、その場で直ちに公務執行妨害で現行犯逮捕というわけでもない。

このようなことのないように、上司は朝礼などにおいて「受傷事故防止!」という言葉を、口を酸っぱくして部下に(さと)す。ただ状況により、こういった例の場合は、彼らは警察署の保護房に、一晩だけ保護といったケースも頻繁にあり得る。

弘章は、かつて第二機動隊にいたときに、自分も記憶を失くして同じような経験をしたことがあったものだから、つくづく感じた。「飲酒して我を忘れてしまうようなことには、くれぐれも用心したい!」と。


ところで当時の外勤警察官は皆、捜査関係書類の作成提出に追われていた。派出所では、主として窃盗の被害届の受理やその実況見分、交通物損事故の処理あるいは交通人身事故発生時の現場保存を行う。その他にも、一応警察には「民事不介入の原則」というのがあるものの各種苦情や願出(ねがいで)への対処、また遺失届や拾得物の受理、それから巡回連絡や地理教示などの職務もある。

その中で大半を占める職務が、窃盗被害届の受理とその実況見分である。多発するのが乗り物盗の被害届である。最も多いのが自転車盗で、派出所内で被害者が車体番号の控えを持って、列を作って順番を待っていたりすることも頻繁(ひんぱん)に起こった。その次に多いのがオートバイ盗であった。そのほとんどが少年による犯行である。少しだけ利用されて乗り捨てられるといったケースも多いのが実態であった。

乗り物盗以外で多いのは、車上狙い(車上荒らし)だった。車の窓ガラスが割られるか鍵穴をこじ開けられるかしてやられる。もちろん、主に車内からの指紋採取等の現場鑑識活動も、すべて派出所員の方で行う。その程度で、本部機動鑑識班の出動要請まではしない。

また侵入盗で多発するのが、空き巣ねらいと忍込みであった。この二つの相違点は、ただ日中家人が不在の時に行われるか深夜家人の就寝中に行われるかの違いだけである。交番員にとっては、この実況見分がまた大変(たいへん)である。全ての捜査活動を終えるのに、被害届の作成から通じて約二時間はかかる。但し、これらの侵入盗の場合は、機動鑑識を要請することに内部で決まっている。

交番に戻り、今度はその実況見分調書の作成に当たらなければならない。これがまた時間がかかる。まず白紙に、現場見取図5枚は書かなければならない。現場の詳細な地図から入り、物色されたタンスの引出しが何センチ開いていたかまで、測定してきた内容通り、こと細かに図面上に書き表さなければならない。

それが完了すると今度は、その図面の詳しい説明報告書を作成しなければならない。大きな事件だと短編小説並みの厚さにもなる。この作業がそう簡単に終わるはずもない。まずもって、交番員は24時間中一睡もできない。一晩中この調書を書き続けたところで、朝の交代時までには書き終わらない。

勤務交代を終え本署に引き上げてきてからも、皆が当時の外勤室において尚も継続して書き続けていたものである。午前中いっぱいはずっと書き続ける。署内の食堂で昼食をとると、やがて疲れ果て、みな帰路につく。そして、この調書は自動的に自宅へ持ち帰りとなる。みな非番・休日の自分の時間を()いて、自由時間をもこれに費やす。少なくとも当時の外勤警察官たちは、多かれ少なかれ皆そうであった。

だが現在は、パソコンやインターネットの急速な普及に伴い、これらの実務処理はその当時から比較すると、きっと随分と合理化されるに至ったことだろう。これに費やす時間や手間は、大きく削減されたことだろう。また当初、縦書きであった各種報告書は、供述調書も含めて全て横書きへと変貌(へんぼう)している。とすると言い換えれば、その分いまは他の警察活動へと別途力を注げるよう、日々進化しているものとも認められるであろう。

また余談になるが、当時の外勤警察官に限らず、特に交通課に所属する主に交通人身事故の処理に当たる警察官は、連日の激務に苛まれる。ほぼ同時多発的に、所管区内においてこの人身事故が発生する。同事故処理班は、現場から現場へと間髪を入れずに渡り歩く毎日が続く。

交通人身事故に限っていえば、名称が変わって業務上過失致死傷から自動車運転過失致死傷になり、現在は過失運転致死傷となっているが、この罪名が絡んでくるがゆえに、一件一件の取扱い事故に関し係員は、こと細かな事故現場見取図ならびにその報告書を添付することが義務となる。この作成については大変な労力と時間を費やす必要がでてくる。事故処理だけでも忙殺(ぼうさつ)される中、係員はこれらを処理し切れない実状がそこにある。交通裁判となって、これらは全て裁判所へいく重要な書類である。実態を明かせば、精神的ストレスが充満した係員が、時たま発作的に自殺を試みたりもする! と弘章が語っているのを聞いたことがある。


弘章が派出所勤務に従事し始めてから、約半年が経過した。ある夜の9時30分頃、本署の当直から緊急連絡が入った。11階建てビルの屋上に不審者が1名いるという。即座に現場へ急行すると、40歳代前半くらいの女性が放心状態で突っ立っている。場所は屋上の(さく)を越えたいちばん(はし)、という局面であった。明らかに飛び降り自殺を試みようとしている。

この種の対応は緊迫を要する。決して相手を刺激してはならない。まずは落ち着かせること。同行した巡査部長が、心穏やかに、静かに話しかけていった。「どうした? 急ぐことはないと思うよ……」。「借金まみれで、もう生きては()けない。夫の借金の肩代わりで、いまサラ金に350万円もの借りがあります。夫は行方不明。もう駄目! 取り立てに追われるし、これ返せないし……」と女性は呟いた。

1時間近くに及ぶ説得が開始された。こちらは答える。「けど生きていれば、またきっといいことだってあるよ。お子さんはいないのかい?」。このとき彼女は泣き崩れ、その場にうずくまった。しかし、これで安心と安易に判断してはならない。一変し、気変わりして飛び降りる危険性だって十分にあるわけである。だから油断や予断は許されない。

少しずつ相手に近寄る。優しくひと言ふた言話し掛けながら歩み寄る。目の前に来たと同時に、素早く弘章が柵を乗り越え保護に当たった。部長は彼女の腕を引き寄せ、二人で柵の内側へと移動させた。これで一件落着、ひと安心である。


弘章がJR川崎駅前警察官派出所に勤務してから、おおむね8ヶ月が経過した当務の日、先輩が風邪を引いて欠勤した。弘章が勤務し始めてから初めてのことだった。

その夜は、平日ということもあり、たまたま時間が空いて、(めずら)しく部長と共に仮眠のとれる日であった。

仮眠室にて休憩中、深夜の2時過ぎに電話が鳴った。本署当直からで「SGS(Security Guard Systems)の異常感知」という。これは一般家屋でいうところのホーム・セキュリティーの作動にも似たもので、不審者の侵入時などに発報するものである。

部長は、いつも通り非常に立ち上がりが速かった。この種の感知は、いつも瞬時を争うものであった。即座に着替え、派出所のバイクに2人とも飛び乗った。

現場に到着(現着)したと同時に、先を走っていた部長がバイクを乗り捨てた。弘章には何が起こったのか察しもつかない。

スーパーマーケットの裏手にはしごが掛かっている。部長が先にはしごを上がった。弘章も後に続いた。

目の前に犯人(被疑者)が2人いる。罪名が窃盗、手口で金庫破りの現行犯! 向こうのうち1人がこちらに気づいた。あとの1人は暗がりで動きが読めない。

最初の1人が屋上から飛び降りた。部長も同人を追って飛び降りた。僅かのタイミングの差で弘章はその場に(とど)まり、もう1人を捜索したがどこにも見当たらない。捜し回ったあげく発見には至らず、弘章ははしごを使って再度、地上へと戻った。そのうちに警備会社のガードマンも現場に到着、そして共に被疑者の捜索に当たった。

しばらくして向こう側で1人の男が飛び降りるのを現認! 距離にして約15mであった。逃走し始める同人を、弘章は直ちに追尾。「止まれ!」の警告とともに警棒を投げたが届かない。またこの程度のことでは、けん銃を使用するわけにもいかない。

そして裏通りへと入り込んだ。街灯もなく、暗過ぎて何も見えない。弘章の詰めが甘く、遂に失尾してしまった……。

弘章は直ぐに携行の無線機を使用し、本件の詳細を本署当直あて緊急報告した。110番(本部通信司令室)を経由し、本件は周辺各位の刑事部機動捜査隊等へも伝達された。

弘章は付近を隅から隅まで捜し回ったが、結局、失尾した被疑者については逃走を図られ、最終的に逮捕には至らなかった。

一方、部長の追尾した被疑者については、彼が見事に現行犯逮捕し、手錠をかけられ現場に連れ戻され、別途PCにより本署刑事課へと連行された。

部長ははしごから飛び降りた際に、右足首を負傷してしまったが、彼は後日、これに対する公務障害の申請は一切行わなかった。部長は意外と性格が明るく、人懐っこいタイプの人であり、庶民的で部下の面倒見が良くて慕われる頼り甲斐のある男だった。

この申請を拒否したのは、彼のプライド…、と認められる。


概ね当時の外勤警察官が派出所勤務に就いてから1年が経過すると、再度警察学校において現任補修科というものに入校せねばならなかった。期間は一ヶ月半であったが、神奈川県警の場合、それでも採用人数が多かったこともあり、一度に150人位の入校生がいた。弘章は、その時さほど気合いも入っておらず、成績も下位の方で終わった。それでも想像していたより遥かに悪かったため、彼は愕然(がくぜん)としてしまった。


こうして弘章の派出所勤務の日々は流れていった。時が()つのは本当に早いもので、川崎中央警察署に赴任してから、既に一年半が経過していた。臨時の秋の内部異動で、彼は同じ外勤課内のPC乗務員へと昇格した。交番勤務時、弘章にとって最もイヤで積極的に取り組めなかった分野の職務は、交通違反取締りで青切符を切ることであった。赤切符はまだ、無免許運転や酒気帯び運転などの重い悪質な違反であったから特に抵抗は感じなかったが、青切符に関しては何だか無理矢理に弱い者いじめでもしているようで、いつも疑問を感じていた。PC勤務員の職務内容の実態を明かせば、事件事故の補助に当たるとき以外の通常時は、(もっぱ)らこの交通違反取締りをしていた。

専門用語で、赤切符処理される違反のことを非反則行為といい、青切符で処理されるもののことを反則行為といい、一般に道路交通法などの法令にあまり明るくない違反者たちは、その納付金のことを総称して「罰金! 罰金!」と言う。これは厳密にいうなら、罰金とされるのは赤切符違反処理されたもののみであり、青切符処理によっての納付金のことは、正規には反則金という。

ところでPC勤務員となった弘章は、それでも職務だから嫌でもこれに従事しなければならなかった。色々な取締り事例があった。停止線での一時不停止や踏切での不停止などでは、違反者と「止まった! 止まらない!」の激しい押し問答になったりもした。当時の青切符反則金でも1万から13,000円はして、同時に点数のこともあったから、違反者も食い下がってゴネたりもした。否認という取扱いもしょっちゅうあった。この場合は交通用略式の供述調書を任意同行して作成し、のちに簡易裁判所での交通略式の事情聴取から開始、という事にも成りかねない。その他にも右折禁止の三差路で、勿論それを表示した道路標識もあるのだが、その違反を見越して少し離れた位置で違反を待つ、などという半ば騙し討ちに近いような取締りもやった。これも後に弘章から聞かされたことだが、警察組織の内部事情を明かせば、警察官たちには毎月こなさなければならない交通違反検挙件数何件とかいうノルマみたいなものもあるらしい。それらの違反に伴う反則金や罰金は、税金と同様に公費となってゆく。

そして弘章は、この三差路右折禁止の取締りの時に、違反者から次のような苦情を受けたことがある。まずその違反者の男が「そんな標識、ほんとにありましたか?」と言うので、弘章は同行を求めて標識を指差した。「この三差路交差点は右折違反車両による事故が多発しています。それで我々は取締りをしています」と弘章は説明した。男は不平不満を言い出した。「だったら何も取締りじゃなく、ここでお巡りさんが交通整理みたいなことをすればいいでしょう。こんな形で、善良な市民から罰金を巻き上げるんですか?」。男はそのあと、渋々と弘章の作成した青切符に署名押印した。このとき弘章は内心、「まったく、この人の言うとおりだ」とつくづく痛感した。元来、彼は「この種の青切符取締りは、警察活動の中でも邪道(じゃどう)ではないだろうか?」との疑問を心の中に(いだ)いていた。そもそも彼が警察官になったきっかけは、誰からも感謝され愛される正義の味方「刑事になりたい!」との発想からきている。

こんな出来事もあって弘章は、このパトカー勤務の仕事から、いち早く脱出したいと思い始めた。それには二つの方法があった。一つは刑事課や警備課などの別の課の専従員に変わること、そしてもう一つが昇任して階級を上げ、その後の異動でこの署から抜け出すこと、であった。

弘章は大卒であったから、巡査部長への昇任試験は拝命の年の初年度から受けられ、もう過去に4回受けていた。それまで彼は、特別力を入れてこの試験に(いど)もうという気は更々なく、したがってこれに向けての勉強とかの下準備は全然したこともなかった。それ以前に、多忙な交番の勤務であったので、()まった侵入盗を主体とする実況見分調書の作成提出に追われ、昇任試験のための勉学どころではなかった。

しかしここにきてPC勤務員となっていたため、これらの実況見分調書の作成提出等の職務は一切無くなっていた。また幸い、半年後には5度目の巡査部長昇任試験というタイミングであった。弘章は(ひそ)かに(たくら)んだ。「ようし! 今度の巡査部長試験、必ずとって絶対にここから脱出してやる!」。


彼はそれから半年間、勤務の傍ら独身寮で、これの猛勉強をやり始めた。










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