第3章 最初の職業2 (機動隊)
弘章が向かった先は機動隊であった。彼は、第二機動隊へと異動になったのである。はて? 彼は警察学校初任科で特別ズバ抜けて運動ができて体力があった訳でも何でもないのに…。とにかく彼には、この異動が不思議で仕方がなかった。
神奈川県警察には本部執行隊として警備部に第一機動隊と第二機動隊の二つが置かれている。第一機動隊は、特に緊急を要する突発的な事案の発生に対処する為の部隊であり、主に重要事件現場への突入などをその任務とする。弘章が異動になった第二機動隊は、この第一機動隊を二次的に補佐する役割を持ち、他に雑踏警備やデモ規制などの任務もあった。
異動で新たに機動隊へ加入した者たちは、最初に新隊員訓練なるものを熟さなければならない。これは一週間に渡る、連日のハードなものであった。完全着装、略して完着と言われる、上はライナー付きの重いヘルメットを被り顎紐をしっかりと絞め、胴体には鉄板入りの重みのある防弾チョッキを纏い、両腕には小手のようなものを着装し、腰には同じく鉄板入りの重いタレを身につけ、防炎服を着て、下は両足に鉄板入りの脛当てを付け、分厚い警備靴を履く、そんな想像もつかない格好であった。
そして新隊員訓練は、これに加えてどっしり重い盾を持って長距離を走るところから始まった。上り坂有り、下り坂有りのロードワークの野外訓練で、かけ声と共に走り盾は左右交互に持ち替えながら、というものであった。当然、途中から遅れをとる者も現れてくる。余力のある者が遅れていく者の盾を一時的に代理で持って、という長距離走であった。約15キロの走行であった。
目的地に到達すると、そこはだだっ広い野外訓練場のようになっていた。それぞれに少しの間、水分補給をし終えた後、今度は火炎ビン訓練なるものが行われた。これは、ほぼ全員が初体験であった。訓練指導者たち数人がゲリラに扮し、覆面姿で石を投げ火炎ビンも投じる。新隊員たちは、これに対し三列警備横隊を組み、盾を左斜め前に構えてジワリジワリと前進して行く。投じられた火炎ビンを盾で受け流す際には、その瞬間に同時に身を伏せて横たわり、盾を自分に覆い被せるようにして身を守る。防炎服着用なので火が燃え移ることはない。暫しの間、この小競り合いを繰り返しながら前へ出る。前方で伝令と共にいる小隊長が「前へ! 前へ!」と盛んに声をかける。小隊長の状況判断で彼の「検挙!!」の一声と共に、部隊は列を解き一気に前方へと駆け出しゲリラたちの身柄を確保する。そんな一時間半に渡る訓練が継続された。
その日の訓練を終了し、もちろん新隊員の誰もがクタクタになった。この種の訓練が、7日間ぶっ続けの休日無しで実施された。
新隊員訓練が終了し、弘章は正式に第2中隊第1小隊第3分隊へ配属となった。機動隊は年齢や拝命に関係なく、入隊順という古いしきたりや決め事が昔から残っている。弘章は次の新隊員が入って来るまでの半年間、これに耐えなければならなかった。小隊バスの掃除やワックスがけ、先輩達の警備靴磨きや勤務中の買出し、食事の準備と後片付け、使用拠点の清掃など…。 弘章は他3人の小隊内の新隊員と一緒に、これらの雑務を手分けして頑張った。
一方、在隊期間中で弘章にとって最も印象に残っている警備事案は、次の二つである。
入隊一年目の正月に行なわれた、滅多にない制服着用での川崎大師初詣参拝客の雑踏警備が一つで、これについては車両の通行規制と歩行者の誘導が主な任務であった。4日間連続の体力や神経を使う激務で、一日当たりの勤務時間も長いものであったことから、彼には未だに忘れられない。
またもう一つが、あの忘れもしない、横須賀米海軍基地反対運動デモ行進の規制警備であった。いつもの機動隊の服装、いわゆる完着でのデモ規制だった。デモ隊は「横須賀米軍基地反対!!」の言葉をスローガンに、叫びながら行進する。第2中隊は有事に備えて各々の盾を隙間なくガッチリと組み合わせ、横一列になってこの行進に合わせ横歩きで並行した。途中から、勢いづいたデモ隊が急に蛇行し始め、渦巻き行進へと変化し、歩調のピッチも急激に上がっていった。こうなってくると規制警備をする側は、特に油断禁物である。行進は二列の縦長となって激しく機動隊の盾に体当たりしてきた。盾のスクラムが乱され崩れる。弘章とその右隣りの盾の組み合わせ部分の所に大きく穴が空き、デモ隊がそこに突入してきた。こうなってしまうと全く収集がつかない。両者入り乱れ、乱闘にこそ至らなかったが、本来ならば公務執行妨害で検挙すべきところを、その場は中隊長の裁量で強制権は用いず、便宜を図り最善策を講じて丸くデモ隊を元の軌道へと戻し、事なきを得た。警備を終え機動隊宿舎に撤収した後、弘章は反省点でいっぱいだった。「自分さえもっとシッカリしていれば…」との後悔の念が、しばらく彼の頭からずっと離れずに苛まれた。
弘章が第ニ機動隊へ異動になってから二年半が経過した。彼は25歳になっていた。その頃には既に先輩格となっていて、休みの日にはよく後輩たちと酒を飲んでカラオケも歌った。勤務明けの非番のとある夜、ついつい彼は勢いに任せて深酒をしてしまった。よくあるパターンでビールの乾杯から始まり、日本酒からウイスキーや焼酎の水割りへと移行していった。その日は睡眠不足であったことも手伝って、アルコールが強い方であった弘章も、この日ばかりは流石に酔いつぶれてしまい、翌朝目が覚めた時には昨晩の記憶が全くなかった。不思議と自分のベッドで布団もちゃんと被って寝てはいたが、何か嫌な予感がしてならなかった。案の定、これは後ほど分かった事だが、彼は大失敗をしていた。法に触れるような事ではなかったが、出先の居酒屋の帰りに彼は何故か単独行動を取り、途中の路上で倒れて寝込んでしまい、110番通報で駆けつけた派出所の警察官らを相手に大暴れしたのち、保護され宿舎に送り戻された…という内容のものであった。
若さに任せて自分の限界も心得ずに大酒をかっ喰らった弘章に、懲戒処分とまでは至らなかったが、後日第二機動隊長より厳重注意が下された。これを機に、彼は当分の間、自ら禁酒を誓った。こうして機動隊員としての月日が流れていった。
弘章の在隊期間が三年半経過した時点で、それまでに派出所勤務等の外勤警察官(現在は名称が変わって地域警察官という)の実務経験がない若手の機動隊員を対象に、第一機動隊・第二機動隊合同で現任教養というものが隊内で実施された。弘章は、以前の飲酒での失態を取り戻そうと、この教養期間中、彼なりに一生懸命勉学に励んだ。そしてこの終了時の表彰で、表彰状を貰えたのはトップ7迄であったが、弘章は惜しくも8位で、ギリギリの1つ違いでこれを逃した。直後に、第二機動隊長から、「髙田、惜しかったな…」と慰められたが、そのとき彼は、「隊長、これが自分の皮肉な結末なんですよ。これまでいつもそうだった…。もう一歩のところで、ギリギリ何かが及ばない…。これが自分の、昔っからの運命なんですよ…」と言いながら、隊長の目の前で、ガックリとうな垂れた。
隊員四年目となる春の異動で、弘章は川崎中央警察署外勤課(今でいう地域課)への異動を申し渡された。それでも以前の大失態以降、ずっと真面目に職務に従事していた矢先の人事異動であった。