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「なるほど。ではやはり〈冒険者〉の方々が、天上へと帰還する術を無くされたというのは真の話なのですね。そして、その原因は樹里殿たちにも明らかではないと」
ガウディウスと名乗った司祭――聞けばイヌガミではなくハチマンの寺院の住持だという――の言葉に樹里はうなずいた。
ステータスを確認したところ、確かにガウディウスという名前と、職業が〈施療神官〉であることを示す情報が表示された。
レベルを見て、肩の力を抜く。
レベル五十八の施療神官。けして低くはない。一部のイベントに登場する、一群のインチキくさいNPCたちを例外とすれば、通常のNPCとして非常な高位だと言える。
それでも樹里を害しうるほどではないのもまた事実。
ゲームの画面越しならばともかく、こうして顔を付き合わせた状態での閲覧は、なにやら滑稽な感じがして、また盗み見をしているようで、プライバシーを侵害するような罪悪感があるのだが、背に腹は替えられない。小市民的な良心の疼きには目をつむる。
彼を知りである。
臆病に寄った考えかもしれないが、ここは異世界である。親切めかして近づいて来た相手が――現代日本だって見知らぬ人間に誘われてほいほいついて行くものではないが――強盗や人買いだったりしては目も当てられない。女としてもっと不快な想像もできる。
滅多なことはあるまいが、レベルと装備、職業の相性次第では、痛い目を見ないとも限らない以上は、慎重に行動したい。
長々と述べたが、要するに怖がっていたのだ。
不思議なもので、モンスターを相手にする分には、戦って方をつければ済むやと気楽に構えていられたのだが、人間を相手にするとなれば、やはり勝手が違ってくる。
言葉が通じるというのは、話が通じるというのと同じではない。常識や法律、倫理道徳という社会規範は、少ない労力で他人と接するために存在するのだ。気分は『異民族との交渉』あるいはもっと進んで『異星人との第三種接近遭遇』に近い。
それを考えれば、むしろ、相手が冒険者だと承知の上で、泰然とした態度を示す司祭こそ、只者ではなかった。
実際のところ、伝聞の形で変事を知るがゆえに、ガウディウスも内心で非常に緊張していたのだが、彼の終始穏やかな態度は、内面を覆い隠すのに充分なものがあって、それを樹里に分からせなかったし、押して虎穴に踏み入った勇気は並みのものではない。
それは出会いの時の振る舞いからも見て取れた。
目が合うや、ガウディウスはにこやかに微笑むと、ゆっくりと樹里に近づいて来て、優雅な所作で非礼を詫びた。
「これは失礼。お美しい方。思わず見惚れてしまいました。ぶしつけな視線をお許しください。ところで冒険者の方であるとお見受けします。お詫びの印に、お茶を御馳走させていただきたいと思うのですが、どうでしょう、お付き合い下さいませんか」
そしてウィンクをすると(気障な所作が妙に板に付いている)。
「いや、やはり、こう言い直させてください。貴女のように美しい女性と同席できるのは男子としての誉れ。どうか一時、御一緒させていただけませんかな」
あれよあれよという間に樹里はお茶に誘われていた。
最終的にガウディウスが一枚上手であったのは、人生経験の差という言葉に集約できるかもしれない。
場所はトヨサトの大通り。中々趣味の好い喫茶店だった。
厳密には喫茶店とは違うのかもしれないが、ひとまず喫茶店に類した物と考えることにした。
建物はコロニアル様式に似た建築で、ジョージアン風のアンティークな内装で調えられた――この世界的には当世風の、まさしくモダンなしつらえなのかもしれないが――店内は居心地が良く、どこか懐かしさを感じさせる。
常雇いの楽隊[バンド]がしっとりとした楽曲を奏でている。店の雰囲気的にクラシックかと思いきや意外とポップな曲調だ。
耳を澄ませる。けして押し付けがましくないのに、軽妙でいて心に迫る、後々まで印象に残る優れた背景音楽である。と考えてふと気づいた。どこかで聞いた覚えがある。それもそのはず。演奏される楽器の編成の都合によると思われるアレンジが多少加えられているようだが、これはゲーム中のNPCショップなどで流れていた曲だと思い当たった。
そうかあれは店舗お抱えの楽隊が演奏していたのか。そんな冗談を考えながら、くすくす笑った。
「素敵なお店ですね」
「そうでしょう。拙僧の気に入りの茶房でしてな」
我がことのようにガウディウスは喜んだ。
樹里は懐かしい記憶を喚起されていた。耳が記憶しているのも道理。聞いたどころか演奏したことさえある。とあるお祭り好きの音頭取りで急造された、素人バンドのキーボードとして、大学の学祭で拙い演奏を披露したのだ。
懐かしくも、昨日のことのように思われた。
そしてもう二度とアイツの声を聞けないのだなとふと思った。
例の能天気な声で、絶対自分はヴォーカルをやるんだ(なぜなら目立つからだ)と主張して、赤羽君から「BGMメドレーだ! つってんだろ」と叱られていた言い出しっぺ。編曲は彼女の恋人(その後旦那さん)が担当してくれた。
現実世界にいた時点で、卒業以来、時折電話やメールを遣り取りするくらいで、何年も会っていなかったが、無性に向かい合ってとりとめもない世間話がしたかった。
それからしばらくの間二人は音楽に没入した。
樹里の言葉は社交辞令でもなかった。実際、喫茶店など成り立つのかと不思議に思ったのだが、どうして、悪くない。
肝心の『茶』はハーブ・ティーが揃っているようで、色とりどりの液体が、これまた品数豊かなカップに淹れられた。といっても供されるのは例によって、色のついた水(この場合はお湯)なのだが、そこは最初から白湯だと考えておけば、ダメージも少ない。
そして軽食の類は一切なかった。代わりに底の浅い姫小鉢に盛られた野苺があった。少し若いようで酸味がちょっと強かった。それがかえって心地よかった。
この世界における喫茶店というのは、目にも美しい茶器に注がれた万色の水と、耳を楽しませる音楽とを楽しめる寛ぎの空間を提供する商売なのかもしれない。
音楽に一区切りついたところでガウディウスが口を開いた。
「ところで樹里殿。つかぬことをうかがいますが、貴女の姓はグリーンフィンガースと仰るのではありませんかな……おお、やはり! 男装――『神主』風の装束をされた〈神祇官〉殿ということで、もしやと思い声をお掛けして正解でした」
目をしばたたかせ、小首を傾げた樹里の姿に、司祭は我が意を得たりと手を打ち合わせ、嬉しそうに話を続けた。
「六十年前にこの地を襲った災厄を退けられた〈冒険者〉の方々、その中でも主導的な立場におられた方のお名前が、樹里・グリーンフィンガースであったと聞いております。あるいは方々にとっては、ありふれた小さな事件であったやもしれませんが、我ら〈大地人〉にとっては驚天動地の凶事変じての一大慶事。この地の人々は、今でも皆様への感謝の念を忘れてはおりませんよ」
そこで一旦言葉を切り、軽く笑って言い添えた。もっとも、かく申す自分はこの土地の人間ではありませんが。
楽しげに笑うガウディウスを前に、樹里は困惑した。
六十年? 自分の名前が知られているというのも驚きだったが、六十年前という言葉は、まったく頭の中にない響きだった。
いかにエルダー・テイルが長寿コンテンツだとはいえ、流石にそんなには古くない。そもそもインターネットは元より、ロール・プレイング・ゲームという遊びが誕生していない。
第一、孫のいる老師ではあるまいに、自分はその半分しか生きていないと考えて、六十年の半分も(実際には半分以上である。この期に及んで無意識に鯖を読んでいる)生きているのかと、いまさらのようにショックを受けた。
ああ、そういえば、その老師の孫であるところの姫ちゃん(中学生)とか、「高校生活にも馴染んできたんで、そろそろ解禁です!」って張り切ってた新一年生(ロノウェ君)なんかにとっては、エルダー・テイルって生まれる前からの存在なのか。
考えればすぐ分かることだからこそ、分かりきった話だとして捨ておいて、いざそれが話題になった時に愕然とするのは、それはそれで、ありがちではあった。
自分が始めた十年前で、既に定番とも言うべき歴史あるMMORPGだった。しかし、存在自体はもっとずっと前から知っていて、日本語版がリリースされる前後のゲーム雑誌などでの特集記事の盛り上がりを覚えている自分(細かい内容は流石に忘れたけれど)。
いつかは「両親がこのゲームで出会ったんです」という子――実際の年齢は知らないが、それが事実なら確実に未成年である――に出会ったこともある。
彼ら彼女たちの若さあふれるトークには、何度心をえぐられたことか。
現実逃避気味にそんなことを考える。
「どうかされましたかな」
「いえ少し記憶をさぐっていたのです」
真面目な表情を作って誤魔化すと(まあ嘘でもない)、改めて事件の記憶をさぐった。
六十年前の記憶ではないが、確かにトヨサト(イヌガミ)の危機に際して自分は動いた。
あれは、五年ほど前のイベントだ。
2013年の春……いや桜もとっくに散って、たしか紫陽花が咲いていたように記憶している。だとすれば初夏、そう、六月か七月のことだったかと思う。
高宮の北東に存在するウェストランデ屈指の大洞窟〈カワチ・ウィンド・ケイブ〉から突如湧き出したモンスターの大群が、高宮とその門前町トヨサトを襲った。もはや滅亡は避けられぬと人々が覚悟したその時、一人また一人と、いずこからか駆けつけた冒険者たちが、激戦の末に街を守り抜き、返す刀で怪物たちを追い散らして、ついには大元である大風穴にまで攻め上り、洞窟の奥深くで王国を築いていた怪物たちの母である女王を打ち倒した。
その冒険者の中に自分も居た。居たというか率先して動いていたので、主導的といえば確かに主導的な立場だったかもしれない。
裏を明かせば、運営から出た突発イベント開催のアナウンスに応じて、プレイヤーが参集しただけなのだが、故郷を救われた大地人の視点で見れば、確かに昔話にもなるかと納得できた。
いつまでもNPCと言い続けるのもそぐわない気がしていたので、司祭の言葉を借りて今後は大地人と呼称する。たしか彼らが自らを指して呼ぶのに用いる自称の言葉である。
一回限定の攻防であり、プレイヤーたちが防衛に失敗していたら、今頃はモンスターの徘徊するダンジョン〈イヌガミの廃神殿〉が存在していたに違いない。
後日追加されたとあるダンジョンについて、防衛が成功した結果、使われなかった〈廃神殿〉のモデリングを流用したものだと、スタッフがゲーム情報サイトのインタビューで開かしていた。
とはいえ、自分も欲に駆られて馳せ参じた口であり、諸手を挙げて英雄よと称えられてはこそばゆい。正直「大規模戦闘イベント来たー。レアアイテム獲得のチャンス!」としか考えていなかったので、申し訳のない気分になってくる。
それはそれとして。
「六十年前か」
これは朗報であるやもしれない。
実のところ、樹里は早くからこの世界と地球とで時間の流れが異なる可能性を考えていた。そして怖れていた。というのは、過去の御伽噺の中で異界を訪れた人々――ヘルラ王や晋の王質、リップ・ヴァン・ウィンクルなどだ。彼らが帰ってきた時、人間の世界では数十年、ともすれば数百年が経過していた。
それと同様に、地球では何十年も経過しているのではないかと疑っていたのだ。
だがここにきて逆の可能性が浮上してきた。
五年が六十年。これが逆にも適用されるのであれば、一年が一ヶ月である。もしも地球への帰還が叶うとして、その際浦島太郎になることを免れるかもしれない。