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 一柳院の管主ガウディウスは子爵家の生まれであった。

 幼くして聡明で、長じては都の大学寮に進んで諸学を修め、白皙の面差しに体付きは優美であり、また弁舌は修辞をきわめて爽やかで、詩歌管弦の遊びにも通暁して、キョウの宮廷に、文武兼ね備えた理想的な貴公子として令名をほしいままにした。

 そのまま行けば宮廷貴族として辣腕を揮い、末は大臣職のいずれかを占めるのは確実と誰もが疑わなかった。若者もまた自らの栄達を確信していた。

 しかし転変は常に急である。

 三十が目前に迫ったある年の冬。キョウを流行り病が襲った。

 施療神官たちの奮闘もあって、流行は早くに終息したが、被害は皆無ではなかった。少なからぬ人間が死出の旅路に就き、ガウディウスの竹馬の友も鬼籍に入った。無二の親友を失い、死に接した一個の若者は、菩提心を発して信仰の道に入った。

 治癒の女神よ我を導きたまえ。

 都を去った男は、キョウの東北にそびえる霊山の僧院に学んだ。その際、俗名のジョイ[Joy]より取ってガウディウス[Gaudius]を法名とした。

 嗚呼、神の恩寵に我は浴せり、生あることの喜ばしき哉。

 世俗にあって有能であった彼は、聖界にあっても有能であった。師に就いて学び始めるや、わずか半年で十レベルに到ったのを皮切りに、すぐさま宗門の内で頭角を現した。

 五年十年と経過するうちにも情熱は冷めやらず、倦むことなき修業は彼の身に着々と法力を蓄え、五十歳を過ぎる頃には、宗派を代表する高司祭の一人と目されていた。

 この聖者は不世出の学僧であり、特に薬学に並々ならぬ興味を示し、〈薬師〉と〈施療神官〉を職能とした。

 彼は高徳の司祭であり、湛然とした賢者ではあったが、世間嫌いの隠者ではなかった。それどころか彼は世俗を愛していた。

 貴族出身の高僧ではあったが、若い時分には一通りの悪所に通った粋人でもあった彼は、様々な年齢階層の人々と交際することを無上の喜びとして、よく遊び、よく歌った。管区の祭りで披露される田舎踊りは、いまや司祭の十八番であった。

 かつまた知識を得ることにかけては貪欲であった。

 若い頃にはしばしば旅を行った。異国の薬草薬石を求めてコウベやサカイの港に仮寓し、果ては自ら南はナインテイルに北はエッゾにまで臆することなく足を運んだ。

 多くの書物を紐解き、多くの論稿を物した。

 古の賢者が遺した本草書に、諸版を校合して、現代的な注釈を施したのも彼である。世に名高いガウディウス版がそれだ。

 齢を重ね、本山より対岸のハチマンに建つ古刹を任されて以降は、流石に異国にまで旅することはなくなったが、ウェストランデ領内の社寺や教団とは、まめに文を交わし、時には訪問した。

 だからその日、高宮をガウディウス司祭が訪れていたのは、見たところ何も特別なことではなかった。

 ハチマンの一柳院からイヌガミの高宮までは、馬をのんびりと歩かせれば二時間もかからない距離であり、特に高宮の宮司とは遊び仲間で、歌留多[カード]や盤双六[バックギャモン]をやるために、お互いに月に一度は訪ね合う仲だった。

「あそこで先方に二回も続けてゾロ目が出ようとは、神々だって与り知るまい。ええい、忌々しい、大巫女殿には悪魔でも憑いているのではなかろうか」

 愛用の黒水晶で出来た賽子[さいころ]を、両の掌でこねるようにしてもてあそびながら、苦りきった表情でガウディウスは吐き捨てた。最後の最後で逆転を食らい、持参した黒砂糖を巻き上げられたのである。もっとも先月は司祭の方が宮司から煙草を勝ち取って返ったので、これはまったくおあいこであった。

 その時の――そして過去にあった――騒動を覚えている宮仕えの神祇官たちこそ好い迷惑であったろう。世に聞こえた高僧と宮の頭たる大巫女が、遊戯の勝ち負けを巡って子供っぽい言い合いをする様は、横で聞いていて、おかしくてたまらないのだが、さりとて笑うわけにもいかず、込み上げる衝動を噛み殺すのに難渋していた。

 とはいえ本当に双六だけをやりに来ていたわけでもない。

 未明に水晶球を通してもたらされた案件に関して、界隈の巫女と神職、芸人たちを取り締まるイヌガミの大巫女と膝を突き合わせて協議がしたいと思ったのだ。

 昨日、ミナミを中心にウェストランデの各地で、そして恐らくはヤマト全土で起こった(あるいは現在進行で起こり続けている)変事についてである。

 伝えてきた本山も未だ混乱の中にあるようで、情報は曖昧模糊として錯綜し、今ひとつ要領を得ない物であったが、かえってそれが事態の容易ならざることを感じさせた。

 理由は不明であるが、冒険者たちが天上へと帰る神通力を失ったらしいのだ。この世の終わりと言わんばかりの形相で、地に伏せているその姿は、あたかも悪疫に冒された末期の病者の如くであると報告者は述べたらしい。

 伝聞である。しかし根も葉もない与太話だとは思われない。

 とある冒険者の小隊は数日前から遂行中であった依頼の最中に突如として錯乱し、意味の不明瞭な――もともと彼らの話すことは大概大地人には理解不能なのであるが、それにもまして意味不明な発言を残して去っていったという。またある冒険者たちは互いに感情がこじれた口論の挙句に刃傷沙汰に及び、その余波は大地人にも飛び火した……らしい。

 狂乱であった。

 されど、注意せよと言われたところで、本気になった冒険者を制止するのは、土台が無理な話である。

 イセやイズモ、ヤサカとも繋がりの深い、イヌガミの高宮ならば、あるいはそちらから何らかの情報が入っているのではないかと思われたのだが、残念ながら、特筆すべき情報は得られなかった。

 逆を言えばガウディウス司祭の方でも、有益な情報は提供できなかったということである。

 そうとなれば長居は無用。

 所詮は一小寺院の主に過ぎない自分とは異なり、大巫女殿は大社の宮司であると同時に、高宮と門前町[トヨサト]に近郷の集落数ヶ村を含んだイヌガミの郡[こおり]の実質的な領主である。

 邪魔をするわけにもいかぬとガウディウスは宮を辞去した。

 この土地には郡司たる地方官、執政公爵家の代官も派遣されてきていない。一番の上位者で、隣郡を監理する代官の又代官に当たる木っ端役人止まりである。おまけに話題の当人は、幇間裸足の芸を駆使して、上役の得点稼ぎに常に多忙を極めている。

 その代わりに、建前としては、斎宮家の直轄領として、宮司がその代官を兼ねるということになっている。

 中央集権を国是とする神聖皇国ではあるが、実態と名分が異なるのは世の常である。

 実際のところは、住人の過半数を『半ば獣[けだもの]に近い亜人』たる狼牙族が占め、さらにはいつ怪物が湧き出るともしれぬ大洞窟が口を開いており、おまけに特別土地が豊かというわけでもない山がちな小郡に、好んで赴任したがる貴族など、今も昔もいなかっただけの話である。

 当代の宮司たる大巫女も、狼牙族の女であった。

 獣人の集落はどうしても一段低く見られる。変事が起きてキョウに救援を願ったとして、迅速な対応など望むべくもない。

 自衛の策を講じるにしても、常ならば頼むべき冒険者たちが、此度は懸念の材料なのだ。頭の痛い話だろう。

 どうにか力になってやりたいものだが。

 貴族時代の伝手を頼る算段をしながら、厩舎へ向かう途上、ガウディウスはふと胸騒ぎを覚えた。

 境内を見渡す。参拝者と神祇官たちがいるばかりで、普段と特に変わったところは存在しないように思われた。いや、違った。すぐに訂正する。一人変わった女がいた。

 見た目は、まあ、ありふれた神祇官装束である(男装だという点を除けば)。恐らく高宮に奉職する神祇官ではないだろう。

 随分と美しい女性だとガウディウスは感嘆したが、別段そこに気を取られたわけではない。動きだ。彼女の身の処し方に、司祭は確かな違和感を覚えた。

 あれは武器を執って戦う者の身ごなしだ。日々を祈りと芸能に捧げた者の身体の遣い方ではない。剣を祭具に持ち替えて久しいとはいえ、若き日には騎士としても知られたガウディウスである。両者の違いを見間違え、混同するはずがなかった。

 武士が神祇官の振りをしているのではないかと疑った。

 しかし、すぐにそんなことをする理由があるのかと疑問した。

 しばし考え、やがて答えに行き当たった。

 同時に、自分を凝視する視線に気づいたのだろう。あるいは最初から気づいていた可能性もあるが、振り返った女とガウディウスの視線が合った。

 司祭の背を冷や汗が流れた。あふれた唾を飲み込む。

 答えはすぐそこにあったのである。

 あれは〈冒険者〉だ。

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