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 塩を肴に水っぽい酒を飲む。ぽいというより水その物の味がする。

 ワインもビールもウィスキーも、すべて同様に水の味がした。

 朝一番に口にする物としては、非常に虚しいものがあるが、宿の食事には昨晩でこりた。

 肉、野菜、麺料理と素材製法の種類を問わず、出てくる皿という皿がことごとく、塩を入れ忘れた麦粥を一段と味気なくしたような、実に上等な代物だった。

 料理人の腕が悪いとかそういう次元の話ではなかった。

 見た感じ堅そうな物も、柔らかそうな物も、等し並みに、すべてが同じ食感であり味なのだ。

 軽やかに立ち働く食堂の給仕人たちは、自分たちが運んでいる物に対する一切の疑問を有しておらず、談笑する客たちも一様にその味に不満を懐いている風ではなかった。

 一人混乱し、百面相をする和装の美人は、酷く悪目立ちした。

 生来図太い人間なので、奇異の視線が集まったくらいでは、萎縮して逃げ去ったりはしなかったが、それでも、自分一人のみ食事を楽しめない事実には、段々といたたまれなくなってきて、ほどなく彼女は席を立った。

 樹里は自分の味覚が狂ったか、あるいは最初から備わっていないのではないかと怖れたが、サラダに振りかけた塩だけはきっちりと塩味を認識できた――下のサラダ自体は野菜の味ではなかった――ので、つまりは、この世界、少なくともこの近辺の食事がすべて等しくこの味なのだろうとする、心底嫌な結論に達した。

 というかアレは、殻粉[ふすま]を煮たブランマッシュ[フスマ粥]ではないのか? 家畜の飼料の。

 思い出すだに気が滅入る。

 さりとて、喉は渇くし、腹も空く。

 何かは口に入れないとならないのだが……。

「なまじ美味しそうな見た目の分、食べてていっそうみじめな気持ちになってくのよね」

 それくらいならば、まだ水の味がする酒の方がましである。

 茶腹も一時、湯腹で半時、酒腹ならば三時だって……持ちはしないだろうが、水よりは栄養豊富に違いない。

 そもそもこの体に果たしてカロリーだのビタミンだのミネラルだのが必要なのかは不明だが、体を張って確かめたいとは思わない。

 静かに考えたいこともあった。

 酒を幾壷か買い求め、自室で一人酒を嗜む。

 前述の通り、酒の肴は塩である。本当は焼き塩がよかったのだが、何か嫌な予感がしたので、煎るのは止めておいた。考えすぎかもしれなかったが、これで塩までもが塩気の足りない粥に化ければ、軽く心が折れそうだった。

 左の指先で摘んだ粗塩を口に運び、くいっと盃を傾ける。

――そろそろ二十四時間になるかな。セキガハラで目覚めてから。

 そして巨人を斬った。

 太刀を取り上げ、本身を鞘から軽く抜く。

 あの後、巨人だけで七体は殺した。古戦場を抜けて、山道に入ってからは、巨大な狼や、昆虫型の怪物、緑色の小人などと遭遇したが、一振り二振り、威嚇の太刀筋を披露すれば、こちらを恐ろしく思ったものか、尻尾を巻いて逃げていった。

 彼らが記憶にあるゲーム通りの性能であれば――という考え方は、足をすくわれる致命的な原因ともなりかねないので、早急な意識改革が必要だと思うが――〈緑小鬼[ゴブリン]〉の十や二十の群れ程度、全滅させるのはたやすい。

 けれど、衆寡敵せずの言もある。万が一を考えれば、多数を相手取るのは避けたいところだった。

 だというのに、どうして自分は山の中に踏み込んだのか。

 振り返れば自分は冷静さを欠いていたのだろうと樹里は思う。

 ここに来るまでに連なる山々を踏破してきたわけだが、そこがまずおかしいと気づいてしかるべきだった。少なくとも現実の関ヶ原から米原までは平地である。たとえ途中の道や町が残っていなかったとしても、基本的な地形まではそう変わりがないはずだ。

 距離感を修正するのと併せて心に留めておくべきだろう。

 樹里は反省した。そして今後どうするべきかを考えることにした。

 やはり〈冒険者[プレイヤー]〉の多い場所を目指すべきだろうか。それとも逆に、混乱が予想されるプレイヤータウンは、しばらくの間近づくのを避けるか。

 どちらも一長一短ある。

 仮に他のプレイヤー集団との合流を目指すとして、関西……もとい〈神聖皇国ウェストランデ〉にあってプレイヤーが一番集中しているのは、普通に考えれば『五大都市』の一つでもあるミナミだが、闘技場のあるナゴヤも捨てがたい。

 前者は数こそ多いが、言い換えれば玉石混交の見本である。

 対して後者は、数でこそ一歩も二歩も譲るだろうが、腕に覚えのあるプレイヤー、ギルドが、日本サーバー中から集まっている(単なる自信過剰の困った連中もその分多いが)。

 悩ましい。

 それと、これも重要だが、もし友人たちも巻き込まれていたとして、どちらに行った方が逢える可能性は高いだろうか。

 そこまで考えて、ふと重大なことに気づいた。

――そもそも、自分以外のプレイヤーは、この世界にやって来ているのか?

 当然のように居るものだとして考えていたが、自分一人しかプレイヤーは存在しないことも充分に考えられた。

 樹里は椅子から転げ落ちた。これは酔いのせいではない。とてつもない恐怖を感じて、しばし呆然と自失した後、頭を抱えた。

「そうだ〈フレンドリスト〉! って、これで連絡を取ればよかった」

 やはり本調子ではない。そう考えないとやってられなかった。

 意識を集中してメニューを呼び出し、〈フレンドリスト〉を選択、親しい友人たちのログインの有無を確かめる。

 ざっと眺めるや、樹里は慄然として凍りついた。予想外の人が居て、予想外の人が居なかった。この世界に居るであろう人たちと居ないであろう人たちを想って、喜びと悲しみと妬みと優越感に、希望と嘆きのすべてが入り混じった長い長い息を吐き出した。

 軽く震えながら、樹里が意を決して〈念話〉を送ろうとしたところで、耳元を流れたメロディーにはっとした。

「赤羽君!」

「ワンコールとは、こりゃ随分と速い応答だな」

 耳慣れた低い声が笑っていた。

「おう。俺だ俺。ところでお前、飯食ったか?」

「……は? え。あ。うん、今食べてる……というか飲んでるところだけ……ど」

「そうかそうか。知ってるか、果物とか野菜とか、加工しないでそのまま食べれば、ちゃんと味がするみたいだぞ」

 樹里はぽかんと口を開いた。そしてぽろりと涙をこぼした。

「その情報は、もう一時間早く欲しかった」

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