3
半日後、トヨサトの入口に樹里の姿があった。
しかしこれは実は計算違いをした結果であった。セキガハラを立ち去った樹里は、西のマイバラを目指していたのだが、変貌した自分の脚力と、この世界の縮尺が現実の地球と比べて二分の一である事実を考慮しなかったために、気付けばかなり南に寄って〈イヌガミの高宮[たかみや]〉つまり現実では多賀大社に相当する辺りまで来てしまっていたのである。
ちなみにこのトヨサト。設定としては上古の夫婦神を祀る神殿の門前町なのだが、距離が微妙に離れていること、2010年発売の拡張パックで突如後付的に追加されたこと、そしてまた神殿の学寮が置かれているのだが、そこに所属する学僧や、ひいては神殿の僧兵に妙に〈吟遊詩人[バード]〉が多いことなどから、某ガールズバンド・アニメにのめりこんだフシミ[F.O.E]の一部スタッフが、情熱を暴走させた産物だとまことしやかに囁かれている。
特にこの吟遊詩人の件は後々まで影響を及ぼし、半ば冗談交じりにではあるが、ある種の主客転倒を引き起こした。曰く「イヌガミ神殿の祭神は夫婦揃って音楽を加護する神である」。そして運営もまたそれに乗っかった。積極的な肯定はしないまでも、暗にそれを匂わせるような内容のクエストを幾つか実装したのである。
また、おそらくイヌガミというのはモデルの在地する犬上郡から来ているのだが、これも大方が『犬神』と解した結果――天照が狼の姿で登場する某ゲームの影響もあろう――狼牙族の一部からは氏神扱いをされていた。
あくまでも非公式のお遊びとしてであるが、中には『巡礼』と称して、この〈高宮〉や秩父の三峯神社(相当)他の聖地と定めた場所を順に巡って行く者たちも存在した。
それはノリの良いプレイヤーのお遊び……だったはずなのだが、通りを行く人間に妙に狼牙族が多く感じるのは気のせいだろうか。
――非公式設定が反映されている?
ちらりとそんなことを考えかけたが、あえて今は考えないことにして、思考の隅に追いやった。
肉体の疲労は――呆れたことにあれだけ歩いてなお――それほどでもないのだが、幸いにして(そう幸いである)精神の方はそうもいかず、正直この状態で頭を働かせようとしても、碌な成果は見込めないと断言できるくらい気疲れをしていた。
今日はもう宿を取ってそのまま眠ってしまいたい。その旨を告げて、途中で道連れになった旅人と挨拶をして別れる。
神殿に参拝するためにオバマから来たという狼牙族の巡礼者とその護衛の二人組である。表示された職業がメイン十二職のどれでもなかったので、〈楽師〉と〈戦士〉だ、二人ともノンプレイヤーキャラクタ[NPC]だと判断した。
しかしながら、話せば話すほど、プログラムに従って動くゲームキャラクタだとは思いがたかった。彼らはあまりにも人間的に過ぎた。特にその念を強くさせたのが、トヨサトが目視できる距離まで来たところで起きた事件だった。
ところで〈エルダー・テイル〉は全年齢対応のゲームである。
中には娼婦として設定されたキャラクタも存在したし、プレイヤーが選択できるロール系のサブ職業の中には〈娼姫〉なる物も存在する。性的な要素が完全に排除されているわけではない。しかしそこはあくまでも演出として、暗に示唆するにとどまるのが通例だった。全年齢に許される範囲でのお色気要素は行われても、実際の性行為を描写したり――プレイヤー同士が合意の上でチャットでエロいことを言い合って遊ぶのは別として――露骨に言及したりするのはNGもいいところである。
にもかかわらず、樹里は楽師から性的な意味での誘いを受けた。
道で行き逢った時から、女の一人旅は危険だ、街まで同行しないかと熱心に誘ってくれるのが、単なる親切心から出たものではないことは、その際向けられる好色な視線もあって、最初から明らかだったが、街が近づくにつれて段々と誘いが露骨になっていった。
樹里は自分が美人である自覚がある。と言うよりも、彼女たちプレイヤーキャラクタは、意図的に崩さない限り、誰しもが自然と整った顔になるのだ。口説き甲斐があるだろう。
とはいえ、いいかげんしつこいなと思いはじめた頃、向こうも向こうで業を煮やしたようで、あからさまに聞いてきた。
「まったく大した手練手管だ。焦らされるのは嫌いじゃないが、それも過ぎれば流石に白ける。それで結局、幾らなんです?」
最初何を言われているのか解らなくて唖然としたが、少し考えて「ああ、なるほど」と合点が行った。
――自分は遊女か白拍子の類だと誤解されているのか!
驚きはしたが、不思議と腹は立たなかった。それよりも納得したのが大きかったし、言われて考えれば、たしかに誤解させる要素を自分が沢山持っていることに気づかされた。
樹里は巫女服ではなく水干に似た服を好んでいた。ようするに現代の装束が制定される以前の女子神職の略装だった掛水干、そのモドキである。つまるところ男装だ。これが現代日本ならば、個人の趣味嗜好で仕舞いなのだが、この世界では異常なこと、性倒錯としてうつらないとは限らない。なんとなれば、現代の地球ですら、国によっては女性が足の形が明らかとなる服を着ることが、猥褻罪に当たることもあるのだから。
もっとも、ゲーム時代のNPCの中には、男装の麗人やミニスカートの魔女っ子(魔法都市ツクバの学生という設定)も存在したので、まったくのタブーではなかろうと思う。
そして、高宮に所属する巫女かと聞かれた際、深く考えずに「違う」と答えたことも誤解を助長したに違いない。地球の歴史を見ても、門前町という場所には、参拝者を客とする娼婦が集って色町が形成されがちである。そこへ他宗派の『巫女』が向かっているのを見た男が、この女は『仕事』に来たのだと考えても不思議はない。
もともと、巫女や尼僧、修道女が春をひさぐ女であることは、けして珍しい話ではない。
ハムレットがオフィーリアに投げつけた「尼寺へ行かれよ![Get thee to a nunnery!]」が、超俗の女子修道院なのか、売春窟なのか、演出家や観客を未だに悩ませ続けている。
最終的に誤解は解けたが、気まずい空気は残った。
これも二人と離れる理由だった。別れる時には、彼らも明らかにほっとした顔をしていた。
顔を見るのに使っていた鏡を放り出す。
両手を持ち上げて手の平を、次いでひっくり返して甲の側を、じいっと見つめる。記憶にある物よりも遥かに綺麗な、乙女という言葉が似合わしい繊手[せんしゅ]であり、まさしく白魚のような指である。とても軽々と太刀を振り回し、一刀で巨人の首を刎ねる力を宿しているとは思えない。
ふと思いついて、ちからこぶを作ってみる。ぷにぷにしていた。
「人間離れした手だこと」
今なら重量挙げで日本記録が軽く叩き出せそうだ。
見た目の筋量と実際の膂力とが一致していない、ゲームキャラらしい腕であり体だった。
脱力し、ベッドに仰向けになって寝転がり、樹里はハァーと大きく息を吐き出した。
まったくおかしなことになったものだ。ゲームの中に入り込むだなんて、小説や漫画の中だけで十分だというのに。
「それとも私は、自分では気づいていなかったけれど、どこかの三文小説に登場する、作中人物だったりするのかしら」
言ってから、冗談になってないなと苦々しく思った。
この世界をあくまでもゲームの中だと考えるか、ゲームに酷似した別世界だと考えるか、それによって変わってくるが、前者だとすれば、こうやって考えている自分はすなわち電子的な『情報[データ]』である。ならば、どこかのサーバー上を走っているはずの電子情報と、紙面に印刷された、あるいはディスプレイに描出された文字情報の間にどれほどの違いがあるというのか。
自我。自意識。自由意志。
そんな言葉が思い浮かんだ。たしかに自分は確固たる自我をもって思考しているつもりだ。しかし創作物の作中人物たちが、自我を持っていないとどうして言えよう。
そうだ。自分が現実世界と認識していた世界を含めて、そこからすべてが小説なのだというのはどうだろう。ゲームかもしれないし、漫画かもしれない。映画、演劇、あるいは自分の想像の及ばない未知の表現形式で語られているのやも。そんな妄想を働かせたことは何度もあったが、今日ほど真実味を覚えた日はなかった。
現実とは、虚構とは、物質とは、情報とは、それらの差は自分が信じていたよりも、だいぶ微小であるのかもしれなかった。
少なくとも自分の世界観は著しい修正を余儀なくされている。ペンローズの階段かと思いきやメビウスの輪だった。そんな気分だ。かつて読んできたメタフィクション作品の登場人物たちに今更ながらの共感を覚える。
「ねえ篤美。もしかして、あなたは今も樹里を操作していたりするのかしら」
もう一度溜息をついて目を閉じる。
「『優しい煉獄』や『順列都市』くらい技術の進歩した世界に自分が生きていたなら、ファンタジーRPGーー〈エルダー・テイル〉をモデルにした仮想空間で自分の『コピー』を走らせているんだって自分を誤魔化せたんだろうけど」
そうだったらそうだったで現実の自分はおそらく死んでいることになるのでショックには違いないのだが、生憎と二十一世紀前葉の技術は未だそこまで至っていない。
「それとも実際の私は九十歳のおばあちゃんで、コピーに失敗したか、意図的に制限を掛けているかして、三十歳の頃の記憶と人格が表に出てきているのかもしれない」
そんなこと信じているわけではないのだが、まだしも慣れ親しんだ現実世界の延長線上にあるような気がして、そのちょっとした思い付きに、しがみつけるものならばしがみついていたかった。
「まあ。無理だけど」
そっけなく呟いて目を開く。
電脳空間[Cyberspace]に入りこんだとは思っていない。実のところゲームの世界というのも疑っている。
鏡を引き寄せる。アイテム名を〈柄付化粧鏡〉。要は柄のついた円い金属鏡である。裏面に唐草模様[アラベスク]が施された中東風のあしらいで、ゲーム的には何の効果も持たないただの手鏡だが、鏡としては十分な機能を持っていた。
道すがら装備と所持品の簡単なチェックを行った際、現実に使えることを発見したそれで試しに自分の顔を見た時確信したのだが、ここは〈エルダー・テイル〉の中ではない。
今一度のぞいた鏡の中には見慣れた雰囲気の美人がいた。
基本的には樹里である。当たり前だ、この身は樹里・グリーンフィンガースなのだから。ベースとなっているのが樹里の顔であることは納得が行く。むしろそうでない方が驚きである。けれど、完全に樹里そのものではなく、そこかしこに篤美の面影が見つけられた。
そういう意味ではそこにいたのは樹里とは違っていた。もちろん篤美そのものでもなかった。ただ、なんであれ、それは間違いなく『私』だった。
しかし、だ、ここで疑問が生じる。この世界がゲームの中だとして、篤美の顔をどこで参照したのか。ネット上に自分の顔写真を公表したことはない。〈エルダー・テイル〉には、プレイヤーの顔を表示してのビデオチャットは、デフォルトでは備わっておらず、長寿コンテンツとして、運営も顧客のプライバシー保護にはいっそ神経質なほどに気を使っていた。
昼間の二人のこともある。
やはり、ここは、異世界なのだろう。
世界の壁は思ったよりも脆かったようで、それとも壁なんて物は最初から存在していないのか。
ある時は竜巻が、ある時は洋服箪笥の奥の森、そして小説に没入した時、公園は続いているのだ。
さりとて、たまたま〈エルダー・テイル〉と酷似した世界に、自分の使用していたキャラクタとそっくり同じ能力と財産を備えた、それでいて顔だけは現実の自分の面影を感じさせる存在として移動する。馬鹿な。それくらいならむしろ『ラッセルの思考実験[世界五分前仮説]』的な次第で、あの瞬間に世界が創造されたのだと言われたほうが、まだ納得が行く。
もっとも、こんなものは結局のところ、視野がひらけて分別のついてきた小学生が、夜寝る前に死について考えるようなものなのだ。
結論なんて出やしない。
そうとも、若い頃に流行ったネットミームにあったじゃないか。
「こまけぇこたぁいいんだよ!!」
そして彼女は眠りに就いた。