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 変わった人。それが樹里に対するアグニの感想だった。

 巫女ではなく神主の格好をしているはずだと聞いていたのだが、出会ってみれば洋服だった。

「古着だけど悪くないでしょ」

 悪くないどころかとても良かった。

 聞けば「いつもの服は戦闘用っていうのもあるけど、汚れたとして、普通に洗濯して良いのか分からないから、トヨサトで買った物をとりあえず着ている」ということで、ヨーロッパの古い民族衣装のような仕立ては、可憐だった。

 縞柄木綿のペティコートで成形された、エプロン付きの花柄のワンピース。木綿のスカーフに木綿の靴下。丈夫で頑丈な綿尽くしだった。それらを指して、十九世紀のフランスで農民の娘が着ていた服にデザインが似ていると樹里は語った。頭巾の形が、高原オーヴェルニュ辺りのそれに近いとも。

 ただし靴だけは木靴ではなく革製の長靴だった。

 そんな感じで、初対面で懐いた第一印象は「清楚なタイプのきれいなお姉さん」だったのだが、それは既に一日で上書きされていた。玄翁が語った人物評はもっともだったとアグニは思った。

「女の考えることは男には永遠の謎だと言うが、そういうのとはまた違ったベクトルで、妙な思考をする奴だ」

 実際奇妙である。本人は自明のことのように語っているが、メイン職業が〈神祇官〉であることと実際に神さまを祀って神主になることの間には、ものすごい飛躍があるように思われた。それを大真面目に語る姿は冗談ではないらしい。今回の騒動に巻き込まれて転移した〈神祇官〉は、日本――ヤマトだけでも何百人何千人という数に昇ると思われるが、「神社を建てよう」と発想する人はあんまり居ないだろう。と言うかそんなことを勝手にやっていいのかアグニには分からなかった。

「ハチマンって近江八幡ですか?」

 念のため確認した。八幡とつく地名は日本中に存在する。近い所で京都にも、読みは違うが八幡[やわた]市があった。また、有名な八幡宮の存在した場所で考えれば、うかつに同意したばかりに鎌倉まで連れて行かれてはたまらない。いや、付いて行くこと自体に問題はないのだが、散歩気分で歩ける距離と、数百キロメートルの旅路とではおのずから必要な覚悟が違ってくるし、何より心の準備という物がある。もっとも、少年は少し勘違いをしていた。彼は鎌倉の鶴岡八幡宮が八幡宮の総本社だと思っていた。実際は九州は大分県宇佐市の宇佐神宮である。その場合、さらに遠く、海を渡る必要もあったわけだが、幸いにそうはならなかった。

「そう。近江八幡。ここからだと南西になるわね。ガウディウス司祭から聞いた話だと、この街の西口を出て一旦北西に進めばヒコネとハチマンを結ぶ街道に出るそうだから、あとは道なりに南下西進すれば辿りつくはず」

 いわゆる朝鮮人街道に相当する道である。ヒコネ・オクテイト間を繋いでいる。アグニがヒコネから南下してきた道でもある。

「それとも私たちの脚力ならいっそ西向きに進んで川まで出て、橋のあるところまで川沿いに歩いた方が早いかも」

「ちゃんと街道を歩いた方が安心だと思います」

 すると樹里は微笑した。不意をうたれてアグニは内心どぎまぎした。ずるいと思った。たとえ変わった人だと思っても、美人であることに変わりはない。特に少年はあまり女性に免疫がなかった。

「私もそう思う」

 街道を行くことに決まった。それから二人は野菜と果物を中心とした早めの昼食をとり、宿を出て、正午前にトヨサトを発った。

 二人とも馬の類は所有していないので徒歩である。街道を行く旅人の姿は、アグニと樹里以外にもちらほらと見られた。

 こちらへと来る者、むこうへと行く者、旅の道の上を偶然に行き会った者たちは、自然と挨拶を交換し合い、お互いの道中の安全を祈り交わして、また離れて行った。

 舗装のされていない小道を歩いていると――もっとも、あくまでも現代人であるアグニの感覚で見た小道であり、往還する人馬によってしっかりと踏み固められた街道であるのだが――学校行事での遠足を思い出した。

 遠足の記憶といえば、リュックサックが重かったことである。それから考えて〈ダザネックの魔法の鞄〉は、本当に『魔法の鞄』だなと思われた。なんでも(は誇張だが)入って、しかし鞄以上の重さを感じさせない。

 ゲームとして遊んでいた頃にはなんとも思わなかったが、実際に手にしてみれば、これがとても不思議だし、便利だった。

 少年はここで樹里の神祇官姿を見た。たしかに男装である。

 左右に並んで歩きながら、樹里と自分のお互いの格好を頭の中で並べ眺めてみて、アグニは奇妙なおかしみを感じていた。

 方や腰に太刀を吊るした和装の女性、方や『180センチほどの杖』を持った軽装の男。

 彼は〈武闘家[モンク]〉だった。

 この職業は最低限の防具しか身につけられないので、一見して普通の布の服を着ていた。得物である棒の簡素な作りも相まって、遠目には〈妖術師[ソーサラー]〉などの魔法職に見えたかもしれない。もっとも、それよりは単なる杖を持ったただの旅人に見えただろうが。ならば樹里は護衛の〈武士[サムライ]〉に違いない。

 前衛と後衛があべこべである。

「本当だ」

 樹里も言われてくすくす笑った。

 近くの林の中から流れてくる鳥の声を聴きながら、気持ちの好い『五月晴れ』だとアグニは思った。雲は白く小さな物が遠方にぽつりぽつりと見られるくらいで、遥か彼方まで青空が続き、眺めていると、そのうちに、ふと、それらが少し魚っぽい形をしていることに気づいて、こいのぼりを連想した。

 そういえば、こどもの日(端午の節句)。今年はちまき食べ損ねたな。ちらりと脳裏をよぎった。特別に美味しいとも思わないのだが、そこは季節のお菓子である、やはり、ちょっと残念に思った。この瞬間、料理や菓子がみんな不味いということを、彼はすっかり失念していた。柏餅やわらび餅を連想的に思い出して、後で現実を思い出した時の傷を深くする。

 本来の意味での菓子である果物以外の甘い物を求めるならば、砂糖や蜂蜜に望みを託すしかないのだろうか。

 アグニが、そして彼の自爆に巻き込まれる形で樹里が負った心の傷を除いては、道中、事故も事件も何も起こらず、ハチマンへの道行きは平穏無事なものとなった。

「へえ。それじゃあ、まだ一年経ってなかったんだ」

「はい。去年の夏休みからだから……九ヶ月ですね」

 アグニの〈エルダー・テイル〉歴である。

「そっかあ。ほぼゲームから離れてた期間に相当するなあ」

「実際入れ替わりだったみたいですよね」

 実のところ、樹里はギルドの正式メンバーではなかった。玄翁もそうである。チャットやSNSを通じてプレイヤー同士の交流はあったが、ゲームの中、実際のプレイ現場では、乞われれば手伝いもしたが、過剰な干渉はしないように一歩引いていた。

 樹里にしろ、玄翁にしろ、良くも悪くも古参プレイヤーである。一方でアグニが所属したギルドは、ギルドマスターが中学生で、他の構成員もおおよそ中高生から成っていた。長くても二、三年の少年少女たちとでは、どうしても知識や装備に開きがあった。

 無論、単純に中高生と社会人とでは活動時間帯が合わないという現実的な問題もあった。

 その割に、こうして、細いながらも縁が繋がっているのは。

「赤羽君。あれで面倒見は好い人だものね」

 樹里は玄翁ほどに社交的ではなかったので、リアルとネットとを問わぬ、あの精力的な行動には一目置いていた。

「はい」

 アグニも心から頷いた。

 ゲームを始めたばかりの頃、開始したはいいがどうすれば良いのか分からず困っていたところを、偶然知り合った玄翁に助けられた。〈エルダー・テイル〉のイロハを教わるとともに、今のギルドを紹介してもらった。

「もっとも。世話好きを通り越して、お節介というか、うざく感じるくらいに踏み込んでくることが、時々あるから、何度引っぱたいてやろうかと思ったか。よね?」

「あはは。そうですね。って、あっ」

 しまったと慌てて口を閉ざす。

「……えぇっと、これ内緒でお願いしますよ」

「んーどうしよっかなー」

「えぇ!」

 大袈裟に困った様子を見せた。慌てて話を換えに行く。

「色々と樹里さんの噂は、玄翁[クロ]さんやギルマスたちから聞いてたので、いつか会える日を楽しみにしてました。流石にこんな形で出会うことになるとは思ってもみませんでしたけど」

 言ってアグニはお手上げとばかりに笑った。それに応じる形で樹里も苦笑を返したが、彼女の場合は「どんな噂が流れてたんだか」という意味での感情が色濃かった。

「どうせ赤羽君あたりが、あることないこと吹聴してたんだと思うけど、意外と姫ちゃん……おっとギルマスさんもノリが良いから、ひっどい話になってそうね」

「いえ、そんなことは」

 アグニは形ばかり否定したが、そのくすくすと笑う態度が、言葉を完全に裏切っていた。

 嘘か真かにわかには判断のつかない話が大量だった。

 例えば彼女が持つ逸話に『西国一の弓取り』という物がある。

 強力な弓使いという意味もあるが、ある意味〈武士〉より〈武士〉らしいという呆れ混じりの称賛の言葉だった。

「大袈裟な。筋力他のフィジカルな能力値の絶対量が違うから、同レベル帯の〈武士〉や〈暗殺者[アサシン]〉が叩き出せるダメージには到底及びもしないわよ」

「でも沢山の〈武士〉が挑んでは失敗したクエストに、単身挑んで見事幻想級の和弓を手に入れたんですよね?」

「ないない。単身は流石にないから」

 全力で打ち消す。というかありえない。尾鰭が付きすぎだと思った。実際は玉砕した先駆者たちの残した情報を充分検討した上で、仲間たちの篤い支援を受けたから突破できたのだ。

 むしろ『神託』から始まるあの一連のクエストは、導入こそ一見〈武士〉を対象にした内容に見えていたのだが、分析を進めて行くうちに「これ実は〈神祇官〉の方が向いてるんじゃないか?」と誰かが言い出した。「サブ職に〈戦司祭〉なんてどうよ」とも。それで彼女にお鉢がまわってきたとも言える。

 それで幻想級の和弓が出たのだから、瓢箪から駒どころではなかった。下馬評では秘宝級だろうと目されていたのだ。

 当然の如く大騒ぎになった。

 彼女の幸運(と見た者たちはそれ)を妬み、非難し、中傷する声を高々と発した。クエストに挑んで敗れた者たちよりも、軽く見て挑みすらしなかった者たちからより多くの非難が上がった。しかし一度所有者と定まったからには、その弓は彼女以外には使えないし、譲渡することも不可能である。それが分かっているからこそ、なおさら羨ましくて、憎たらしかったのだろう。

「棚ボタで手にした人間に使われる道具も可哀相に」

「後方支援が本分の〈神祇官〉が、そんな強力な武器を手にしたところで無駄にするだけだ」

『幻想級』という言葉だけが独り歩きし、特殊能力の内容までは、広く知られていなかったので、見当違いな非難も多かった。

 アグニは知らなかったが、その時玄翁が言い出したのが『西国一の弓取り』云々である。大仰で、時代がかった、阿呆らしい綽名。樹里に同情的な人間のうち意図を察した者たちは同調し、ピンとこなかった者もよく分からないなりに面白がって吹聴した。

 冗談ごとにして風化させてしまおうという腹だ。またアイテムに由来する二つ名が定着すれば、彼女がそれを持っているのは当然だと皆が思うようになる。そうなれば、非難の論陣を張っている者たちこそいい笑いものである。

 いつしか謗[そし]りの声は立ち消えた。

 樹里はその件に関して、玄翁らにとても感謝していた。

 生来負けん気な彼女は、中傷に負けてゲームを去るなど論外として、また正当性を欠く批判を甘んじて容れるを潔しとせず、自分を誹謗する声を真っ向から受けてたって動ぜずという様子を見せていたが、内心では傷ついていなかったわけではない。

 樹里が〈戦司祭〉であることにこだわる理由の一つには、弓を得るに至った理由がそれであり、そこから起こった騒動の顛末を善悪含めて大切な思い出だと心に定めているからだ。

 クエストは大きく三つの部分に分かれていた。

 まずは弓を作る素材となる特別な鉄を入手して、〈鍛冶屋〉がその鉄から和弓を作ること。これはある意味で最も単純であった。砂鉄を産出する川を占拠した大蛇を倒し、その腹の中から、ようするにドロップ品として鉄塊を取り出す。これは不思議な力の働きにより(ゲーム的御都合主義ともいうが)、既に鍛冶に使える状態になっている。その際に鍛冶を担当したのも玄翁だった。

「この大蛇は強かった。ただ、その後、多頭のヒュドラでこそなかったけど、ヤマタノオロチのイメージが投影されているのか、試しに酒樽を持ち込んだところ、酔い潰れて眠りに落ちるという特殊な行動パターンが組み込まれているのが判明して、高品質な鉄素材を入手する好機とばかりに乱獲されたわ」

 他人事のように言っているが、乱獲に係わった当の本人である。

 次に、弓を完成させるのに同じく必要となる〈人魚の膏油〉。

「人魚っていってもマーメイドじゃないわよ。〈水棲緑鬼[サファギン]〉よ〈水棲緑鬼〉。あの半魚人。あいつらの亜種っぽいとあるモンスターを倒すと、なんでか切り身と骨をドロップするのよ。これを〈調剤師〉ないし〈料理人〉が加工すると〈人魚の膏油〉が手に入るんだけど……うん、その気持ちは分かるよ。私もこの話を初めて聞いた時は詐欺だと思った。色んな意味で」

 それから〈調剤師〉が、〈不滅の薬練[くすね]〉を作り、準備しておいた弓とあわせる。

 この時、弓と薬練を用意する順番自体は、どちらが先でも構わない。要は弓を装備した状態で薬練という消耗品を使用することで、弓が変化するのだ。薬練とは松脂を油で煮た物で、弓の弦に塗ることで弦を丈夫にする物である。

 そして、その弓を使って海の彼方から攻めてくる常世の軍勢を返り討ちにすることが最後のクリア条件である。矢や魔法が海上を飛び交い、甲板上では盛んに白兵戦が繰り広げられた。

 だが、この軍勢は分類としてはアンデッドにあたる、幽霊船の大船団であった。ある条件を満たさない場合は、たとえ船団をすべて海に沈めたとしても、その軍勢は翌日には復活していた。

 その条件というのが、弓の持ち主が敵の総大将と一騎打ちによる矢の射掛け合いを行い、これを討ち取るというものであった。

 一騎打ちに応じず、集団の力で敵を殲滅した場合は、やはり軍勢は復活した。おまけに悪いことに、決闘の名誉を汚したということなのか、戦闘後に鉄の弓矢が錆の塊と化して、消滅する。

 最初に挑戦した〈武士〉たちが、ことごとく失敗したのは、敵将〈骸骨の提督[スケルトン・アドミラル]〉のHPを削りきる前に、彼ら自身が倒れるか、あるいは矢玉が尽きたからだ。

 後衛の支援を受けられない〈武士〉は意外と脆い。なおかつ、ここがこのクエストの設計者の意地の悪いところだが、弓矢で競わせておきながら、〈動く骸骨[スケルトン]〉の手合いは矢に対して非常に高い防御能力を持っているのだ。

 これが普段の陸の上での戦いであれば、多少の被弾を覚悟して、白兵武器を手に突っ込むという選択肢もあったのだが、両将の立つお互いの船の間には、海という越えられない壁(移動不可能地形)が立ちはだかっていた。

 そして遂に樹里に白羽の矢が立った。

 樹里は全ての矢を蟇目[ひきめ]の形で用意した。側面に四つの孔を穿ち、中を刳り貫いた樽状の道具で、音が鳴るように工夫された、いわゆる鏑矢の一種であるが、それよりもずっと大きく、また鏃[やじり]を使わない。現実世界では主に神事や魔除けに使われるものだが、それを反映してか、アンデッドや悪魔的なモンスターに多少有利な打撃が与えられる。もっとも鏃をつけない構造のため、素の攻撃力自体は通常の矢に譲る(その際、ダメージの属性も『打撃武器』に準じる物として扱われる)。結局は若干命中性能に優れるが、総合的にはトントンというところに落ち着く。

 これ自体は樹里(およびその仲間たち)の独創というわけではなく、早くも二人目が試し、以後は全てがそれに倣った。

 ただ一点異なるのは、〈神祇官〉が自動で取得する特技の中に、その効果を高める〈蟇目の射法〉が存在することである。更にその効果を上昇させる専用装備も存在する。

 敵を選ぶ上に、武器まで限定されることから、また「対死霊戦には〈施療神官[クレリック]〉」という『常識』もあり、お世辞にも人気のある特技ではなかったが、この場合に限っては、他の何にも増して重要な特技であった。

 巻物を調達し階級も奥伝にまで進めた。そのために別のクエストも攻略した。他にも考えつく限りの最適化に必要とされる装備品に消耗品を、八方手を尽くして、揃えられるだけ揃えて臨んだ。

 開戦と同時に、樹里は神に供物を捧げ、戦勝を祈願した。

 サブ職〈戦司祭〉に裏打ちされた、きちんとデータ的に意味のある行動である。支援の専門家である〈付与術士[エンチャンター]〉や〈吟遊詩人[バード]〉には、流石に質量共に遠く及ばないが、一時に(パーティーであり、レイドである)全軍にごく軽度の増強を施すことが可能であった。また先の二職による援護歌や付与呪文とは別の物として扱われるので、効果が重複する。

 仕事を終えた樹里は、後方に下がってその時を待った。

 敵将が一騎打ちを申し込んでくるまでは、あっけないくらいに簡単に事が運んだ。なにせレイドを構成する〈冒険者〉の半分くらいが過去の挑戦から続投する古強者である。実は樹里自身、過去の戦闘に『一般兵』として参加していた。応戦する様子も手馴れたもので、単なる殲滅が求められていたのであれば、彼らだけで軽くこなせるのではないかと思われた。

 敵影が半分を切った頃、樹里の眼前の甲板に矢が突き立つ。

 禍々しい短弓を携えた髑髏[しゃれこうべ]が、むせび泣くような異形の声音で(声優の怪演が光り、独特のフォントが使われた)〈冒険者〉の奮闘を称えると共に、生者への怨念を一くさり打った後、続けて「我と射交わす矢を持つ勇者はいるか」と啖呵を切った。

 一騎打ちの要請を樹里は受諾した。

 それと同時に全てのステータス強化系の魔法や消耗品の効果が一旦リセットされる。弱体化や麻痺などの不利なステータス異常も消え去るのだが――フェアプレイ精神の現われなのか、良好なステータス変化のみを対象とするよう設定する手間を嫌っただけかは意見の分かれるところである――そもそも弓の持ち主は一騎打ちの開始までは守りきるのが鉄則なので、こちらは実質的に関係がない。

 なお先ほどの祈願で消費したMPは、仲間の〈吟遊詩人〉による回復歌で最大値まで回復している。

 そして外野からの回復魔法や補助魔法、あるいは援護射撃は届かなくなる。ただし、通常は矢が減って不利なだけだが、弓の持ち主から提督配下の雑魚骸骨に射撃することは、可能であることが確認されていた。

 一騎打ちが始まるや、樹里は弓をあらぬ方に向け、あらかじめ見繕っておいた適当な〈動く骸骨〉に矢を放ち、これを血祭りに上げた。骨格がばらけて崩れ落ちるのを確認するまでもなく、一撃で仕留めていた。彼女が単なる〈神祇官〉であれば、それは意味のない行動であったろうが、樹里はこれを『軍神への供物』として、即座に〈血祭[けっさい]〉を発動させた。

 少し古風な響きこそあれ、現代でも使われる言葉に「血祭りに上げる」という物があるが、これは戦争の時に生贄を殺した血をもって軍神を祭った古代中国の故事に基づくもので、合戦の始まりの景気づけとして、敵方の者を殺害し、味方の士気を奮い立たせることである。本来は捕虜や斥候を開戦の前に殺していたのだが、やがて実際の戦場で最初の敵を倒すのに変わった。

 樹里が使った〈血祭〉は両方を混ぜたような特技で、戦闘不能になった敵が、消滅するまでの間に使用することで、味方全体の攻撃に係わる能力値をごく微量ながら上昇させることができる。

 だがその間、無防備であったのは間違いなかった。敵の短弓より放たれた矢が樹里を襲う……はずだったのが、突如として向きを変えて〈骸骨の提督〉を襲った。準備しておいた〈ニムロドの鏃〉の効果で、一度だけ射撃と投擲によるダメージを相手にはね返すことができる。ダメージがミソである。そのために敢えて攻撃関係のみ上昇させる〈血祭〉を最初に使用した。

 ただしこれで全て乗り切れるほど甘くはない。消耗品なのもさることながら、複数個を準備した場合、全てが一度に砕け散るので、どうしても一度しか矢は返せない。

 結局は真面目に攻略するしかないということである。『ダメージ遮断魔法』を発動する。そうでなければ、一騎打ちなど不可能であるが、このレベルのボスにしては、さほど攻撃力は高くなかった。過去の弓取りたちが、その身をもって割り出してくれた相手の推定攻撃力と樹里の防御能力とを比較すると、障壁を張り直すタイミングをさえ間違えなければ、残りHPが一定値を下回ると放ってくるようになる大技までは、ノーダメージを保てるはずだった。

 そこからしばらくは地味というか単調な展開だった。矢を射掛け合い、時々魔法の発動が挟まる。その間にも周囲では乱戦が続いているのだが、彼女たちには影響しない。

 与えたダメージはおよそ67%。そろそろ相手の残存HPには気をつけなければならない。HPが三割を切るや、攻撃のパターンが変化し、大技が混じりはじめる。またそれと同時に通常攻撃の間隔が短くなって、さらにこれはHPが減るほどに速さを増し、最後には文字通りの矢継早に繰り出してくるようになる。

 打たれるべき布石は全て抜かりなく打ち終えただろうか。指折り数えたい誘惑を振り切り、覚悟を決めて、ボスを本気にさせる一矢を放った。そこからの攻防はまったくの詰将棋だった。

 使用可能な全ての魔法。そしてそれら各々の再使用規制時間。食らっても良いダメージの限界。時には敢えて矢を無防備な状態で受ける必要もあった。ポーション・ホルダーの中のポーションを使うべきタイミングも決められていた。そしてその間に攻撃も行わなければならず、それによって変動する相手の攻撃パターンへの対応を間違えれば、一挙に戦況は致命的に傾く。

 樹里の集中力と敵のHPのどちらが早く尽きるかの勝負である。

 攻撃力と詠唱の補助を兼ね備えた愛用の太刀が恋しかった。あれさえあれば、ここまで曲芸染みた真似をする必要はなかったものを。

 やがてその時がやって来た。

 展開していた障壁が貫かれた瞬間、樹里は切り札の一つである緊急用の呪文を唱え、あらためて強力な障壁を張りなおすと、我武者羅に攻撃を加え始めた。一射、二射、三射。その障壁が砕け散り、ダメージを受け始めるのも構わずに、樹里は射撃を続けた。

〈骸骨の提督〉のHPが0になった。首領たる提督が倒れると同時に配下の骸骨たちも動かなくなった。

 最後のポーションを使用して、HPをある程度まで回復する。

 モンスターの中にはHPが尽きた瞬間に最後の一撃を繰り出してくる物も存在する。これまでの挑戦ではそういう物は存在しなかったが、今回は一騎打ちの末での敗北である。何か特別な物が用意されていないとは限らない。

 警戒し、そして少しわくわくもしていた。この後のイベントがどう進むかは未知である。

 冒険者たちの警戒は予想外の形であたった。

 提督は苦悶と怨嗟をたっぷりと篭めた途切れがちの哄笑をあげると、ふらふらと後退りに甲板から海に転落した。しばらく、もしやこれで本当に終わりかと一同が拍子抜けしそうになったところで、海中から巨大な白骨の左腕が飛び出した。手探りに冒険者たちの船の舷側を掴まえると、ぐぐっと残りの身体がせり出してくる。誰かが「がしゃどくろだ」と呟いた。歌川国芳描く『相馬の古内裏[そうまのふるだいり]』もかくやの大骸骨。あまりにも巨大すぎて、画面には肋骨[あばら]から上しか表示されなかった。

 開幕一番に巨大骸骨は右腕で船上を薙ぎ払った。

 そこからが本番だった。結局すべてが終わる頃には半数近くが討ち死にを果たし、「レイドコンテンツにしては敵が弱い」なんていう評価は、大間違いであったのだと誰もが痛感させられていた。

 もっとも、ある意味では初見でクリアーしたとも言えるので、巨大ボスにしては楽な方であったのも間違いではないのだろうが。

「そんなこんなでどうにか倒して、クリア報酬として手に入れたのが〈百合若神託弓〉なわけだけど――まあ、それの話はまた今度ということで。どうやら、ハチマンも見えてきたみたいだし」

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