終章
重い機材が肩に食い込む。
歩き慣れない凸凹道を、青年は進んでいく。スニーカーの底がきっとすぐにすり減ってしまうだろうな、と思いながら青年は木の根をまたいだ。
「迷わず、真っ直ぐ」
それは森を行くときの心得。そうすれば生きたい場所に着けると。
さあ、と風が吹き抜ける。
木々が葉をざわめかせ、妙な鳴き声の鳥が飛び立つ。
どことなく不気味な感じがして、思わず体を震わせた。ここで逃げ帰るわけにも行かない。青年は機材を背負い直し、再び歩を進めた。
――テノール
――来たよ
――テノール、来たよ
「ああ、そうだな」
膝あたりまで伸ばされた不思議な色の髪を揺らし、テノールは生欠伸をする。
「今度はどんな退屈なヤツだろうな……」
溜息混じりに漏らしながら、テノールは再び木の上で微睡む。
「あなたが、『小夜啼鳥』ですか?」
聞き慣れぬ声にテノールはわずかに目を動かし、下を見る。
「やっぱりそうだ。銀と緑の混ざった髪の色、深い碧の瞳。聞いていたとおりだ」
嬉々とした青年の声。
今までテノールに自ら声をかけてきた学者はいなかった。
訝しみながら木の枝に横たえていた身を起こし、青年を見下ろした。ひょろりと伸びる痩せた体に白い肌。青年は骨張った手で木の上から垂れるテノールの髪を掬い、テノールに告げる。
「あなたに伝言です。
『大陸の話、今でも聞きたいですか?』と」
鼓動が高鳴った。
知らず、笑みがこぼれる。
木の上のテノールを見上げてへらりと笑う青年に、テノールは懐かしい面影を見た。
「……身長は、アイツに似なかったんだな」
父親譲りの長身に、母親譲りの赤毛とソバカス面。
テノールはいつものように不遜な笑顔を浮かべ、高笑いをした。
――こんな籠の中でも、悪くない。
テノールは歌う。
森の中の限られた自由を謳歌して。
テノールは歌う。
受け継がれていく人の思いを感じながら。
テノールは歌う。
いつかこの森に多くの人が来る日を思い。
テノールは歌う。
今日も、明日も、明後日も、未来永劫朽ち果てるまで。
テノールは歌う。
永遠に連なる願いを紡ぎ。
テノールは歌う。
歓喜と悲哀を織り交ぜながら。
アルトもバスもソプラノも、
世界の広さを瞼に描き、
小夜啼鳥は今日も森で歌い続ける。