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故郷

作者: koyak

彼を一言で表現するとしたら、「職人」が適切かもしれない。


特別力が強いわけでもなく、

身のこなしが素早いわけでもなく、

特殊な技能を身につけているわけでもない。


ただ、「人が人に向ける悪意、敵意、殺意」といったものに

人並み外れて敏感だった。

先天的なものなのか育った環境による後天的なものなのかは

彼自身にもわからないが、

特異体質とも言えるこの点を活かす術を

ごく自然に身につけていた。

活かせる場も今はよく理解していた。


その場所において彼は、

木こりが木を切り倒すように、

彫刻家が石を彫るように、

漁師が魚を獲るように、

料理人が野菜を刻むように、


黙々と人を殺し続けた。


別に罪にはならない。


彼がいたのは人を一番多く殺した者が皆の尊敬を集める。

そんな場所だったからだ。


その活躍ぶりは化け物じみていた。

まず剣も槍も矢も罠の類も当たらない。

刃を振るう先には必ず相手の急所が存在する。


彼にとっては相手や周りが動く直前に発する「敵意」を感じとり

それに合わせて最小限の行動をしているだけなのだが、

周囲から見ればそれは亡霊のような何かが

ゆらゆらと揺らめいているようにしか見えなかっただろう。


「大軍に戦術なし」と言われることがあるが、

これといった作戦を立てずとも補給にさえ気をつけていれば

彼が所属する部隊は常勝無敗だった。

正面から戦った場合は彼が一騎当千、いや当万の勢いで敵を殲滅し、

罠や奇襲も敵が作戦を開始した途端に彼が勘付いてしまうからである。


その部隊の指揮官に最も求められる要素は

戦術眼やカリスマ性、管理能力といったものではなく、

"作業"にのめり込むあまり指示を無視して突出してしまうことが

多々ある彼の振る舞いに対しても胃に穴をあけることなく

寛容に接し、上層部に言い訳をすることができる能力だった。


いつしか彼がいる部隊は「最も戦果をあげている最精鋭部隊」として扱われ、

戦略上最も重要な地点に配備されるようになっていった。


彼が所属する国(仮に甲国としよう)は破竹の勢いで拡大を続け、

誰の目にもこのまま大陸全土を支配するのは時間の問題に見えた。


甲国に抵抗する国がまた一つ陥落を目前にしていた頃、


彼は、突如姿を消した。


************************************************************************


話は少し前に遡る。


とある占領地にて食料を徴収したときのことだった。

その肉を口にした時、

彼を猛烈な懐かしさと違和感が襲った。

脳裏にどこかの丘と樹、草原が一瞬浮かび、

彼は激しく嘔吐した。


毒が盛られていたわけでも

痛んでいたわけでもなかった。


その肉は、彼の故郷周辺に生息する獣に

極めて近い品種のものだった。

長い戦いの毎日の中ですっかり忘れ果てていたが、

彼の身体はまだその味を覚えていた。


彼は元々は甲国の人間ではない。

丁国という小さな国で、

「人の敵意に異常なまでに敏感」という特異体質に

本人も周囲も気づくことがないまま冷や飯喰らいを続けていた。

ある日、その丁国を甲国が侵略。

あっさり捕らえられた後、無理矢理前線にたつ兵士に

仕立てあげられ、戦い続けるうちに徐々にその力を発揮、評価されて

現在に至っている。


彼は微かな記憶を頼りにその肉を改めて調理した。

違和感は大分減り、嘔吐することもなくなった。

しかし、何かが違う。


初めてこの肉を口にしたときに

頭の中に浮かんだあの風景。


知っている。

自分は多分、あの場所を知っている。

あそこに行けば、きっと何かがわかる。


しかし、あの場所がある方向は恐らく進軍方向とは真逆。

甲国領内だ。

そこへ行くには、ここを抜け出す必要がある。

脱走は極刑に値する。


逃げきれるか?


彼はしばらく考えた。


逃げきれる。


彼は確信した。


もう彼の中では目の前の戦争など

どうでもよくなっていた。

これまで敵を倒すことに向けられていた

彼の職人気質は、この瞬間から「あの場所」へ

行くことにのみ向けられた。


決めた後の彼の行動は疾かった。

夜陰、気配を消して見張りを始末し、

最も脚が速く体力のある馬を奪うと、

疾風のように「あの場所」がある方向、東へ向かって

駆けだした。


夜が明ける頃、彼がいた部隊は

彼の失踪に気がついた。

当然、追跡隊が組まれ、すぐに出発した。

しかし数日後、追跡隊は消息を絶った。


この時点で指揮官は上層部に報告をし、

彼はいないものとして陣容の立て直しをはかるべきだった。

彼の力が無くとも任務の遂行は十分に可能なはずだった。

だが、それをしなかった。

指揮官は元々は決して無能ではない、むしろかなり優秀な

部類に入る人間だったが、長いこと彼の戦力を

あてにし続け、また自らがそれなりの

地位と名誉と財産を手にしてしまっていたせいで

弱気になっていた。

他の幹部、兵士もそれは同様だった。


何とかして内々でこの問題を処理しようと考え、

第二、第三の追跡隊を派遣した。

しかし、どの隊も戻ってくることはなかった。


この間、部隊は大きく動揺し、

その進軍速度は大きく鈍った。


甲国への反撃の機会を求めて血眼になっていた

周辺諸国は、その小さな異常を見逃しはしなかった。


************************************************************************


脱走から二ヶ月後。

彼は夢の中で見た地へたどり着いていた。


紛れもなくそこは彼の故郷だったのだが、

甲国の侵略以来、この地に生きていた部族は全員が

捕まるか逃げるか殺されるかしていたため、

人の気配は皆無だった。


しかし、獣は、いた。

手持ちの食料が尽きかけていたのもあり、

彼はその中の一頭を仕止め、その身を捌いて食べた。

間違いなかった。

間違いなくそれは、彼の記憶に残っていた味だった。


それからというもの、彼はその獣の縄張りや

習性、繁殖力などを調べることに熱中した。

その結果、獲りすぎることなく安定した

狩りの成果をあげることができるようになった。


彼は今、自分が生きていることを実感していた。

命令されるままに人をひたすらに殺すのではなく

生きるために獣を必要な分だけ狩る生活。

かつては仲間の中にいても我関せずとばかりに

無表情で独り過ごすことが多かった彼だが、

その顔には生き生きとした笑顔すら浮かぶようになっていた。


そんな生活が続いたある日。

ヒュッ、という音が聞こえたかと思うと、

彼の右肩に一本の矢が刺さっていた。


彼には何が起こったか理解できなかった。

混乱のあまり、痛みすら他人事のように感じていた。

何故なら、彼はこれまで一度も敵に攻撃を

受けたことがなかったからだ。

通常であれば敵が矢を放つ前に敵意を感じ取り、

回避できていた。


状況を把握できないまま、やがて聞こえてきた

喚声に彼が気づく頃にはその身に更に

十本の矢が刺さっていた。



甲国の前線は既に随分前に崩壊していた。

彼の脱走をきっかけにした精鋭部隊の動揺。

そのことに気付いた周辺諸国は

呆れる他ないような早さで同盟軍を結成し、

一点突破に的をしぼった反撃を行った。


頑強な壁も、どこかに綻びがあれば

そこから一気に崩れることがある。


向かうところ敵なしだった甲国は大きくよろめき、

その様子を見た占領下の国々は次々に蜂起。

連鎖的に力関係は逆転していき、

今や、彼がいる地まで同盟軍は迫っていた。


彼が脱走して以来ずっと、元いた隊から以外にまともな

追っ手がかかっていなかったのは何のことはない。

脱走者一人を相手にするような余裕が、

甲国にはもう残されていなかったからというだけの話だった。


甲国への恨みと自分たちが勝ち馬に乗っているという

高揚感、集団心理。

同盟軍の兵士たちの頭の中には甲国内にいる

人間から自分たちが奪われたものを何倍にもして

奪い返すことしか存在していなかった。

理性のタガなどとうの昔に外れていた兵士たちは最早、

人ではなく獣としか言いようがない状態だった。

人が人に向ける悪意、敵意には異常なまでに敏感な彼の感覚は、

獣が獲物に向ける動物的な欲望には適用されなかった。


薄れゆく意識の中で、そのことに彼が思い至った頃には、

更に数十本の矢と刃がその身体に突き立っていた。



数ヶ月後、甲国は嘘のように跡形もなく滅び去った。

甲国を滅ぼした同盟軍も、共通の敵を失ったその瞬間から

瓦解を始めていた。


混乱を収束させ、最終的に大陸をまとめる盟主と

なったのは、南方の新興国、丙国だった。


丙国は甲国に滅ぼされた彼の故国・丁国の遺民、

つまりは遠い同胞が集まって作り上げた国だった。



彼が軍を脱走してまで求めた獣は、

今でも同じ地で食材、観光の名物として

のんびりと生息し続けている。


(完)

ここまでお読みいただき、有難うございました!

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