「夏のホラー2026」【予兆の音】
音にまつわる話というのは意外と多い。
誰もいない部屋で聞こえる足音や、不意に混じるノイズ、壁の向こうの呻き声。
だが、本当に恐ろしいのは単なる『耳の錯覚』ではなく、その音が現実の死と直結していると知った瞬間ではないか。
これは、ある男性が長年苛まれている不快な『音』の怪異である。
今夜もし、あなたの耳に説明のつかない奇妙な音が響いたなら注意したほうがいい。
それが何の訪れを告げているのかは、誰にも分からないのだから。
【予兆の音】
これは、弘前市に住む男性『木暮さん』が、高校生の頃から体験しているという現在進行形の話である。
その夜、木暮さんは実家の二階にある自室で、うたた寝をしていた。
突如、耳をつんざくような奇妙な音が部屋中に響き渡った。
その凄まじい音量と異質さに、木暮さんは弾かれたように跳ね起き咄嗟に耳を両手で塞いだという。
それは、この世のものとは思えない不快極まりない音だった。
巨大な鳥が狂ったように叫んでいる様でもあり…
黒板を硬い金属で鋭く引っ掻いた時の音でもあり…
電車が急ブレーキをかけた際の発狂したような金属摩擦音にも似ていた。
それらの悪意ある音を集めて増幅させた様な、人間の生理的な限界を容易に踏みにじる音だったという。
木暮さんはベッドの上で身を縮め、丸くなったまま歯を食いしばって耐え続けた。
強烈な音圧に鼓膜が破れるという恐怖と、全身を駆け巡る寒気で体の震えが止まらなかった。
どれほどの時間が過ぎただろうか。
不意に、ふっと音が途切れた。
室内には静寂だけが戻ってきたが、木暮さんの心臓は激しく鐘を打ち、全身は嫌な汗で湿っていた。
その夜は恐怖のあまり、一眠りもできなかったという。
翌朝、階下に下りた木暮さんは、朝食の準備をする母親に思わず尋ねた。
「おふくろ、昨夜のあのすごい音、聞こえた? なんか電車のブレーキみたいな、変な音…」
しかし、母親はキョトンとした顔で首をかしげた。
「音? ううん、何も聞こえなかったわよ
それより、田中さんちのおじいさんが昨夜急に亡くなったんですって!
今日がお通夜だから、あとでお手伝いに行かないと…」
その言葉を聞いたとき、木暮さんの背筋を冷たいものが走り抜けた。
それ以来のことである。
数ヶ月に一度、あるいは半年に一度といった不規則な間隔で、忘れた頃にあの『音』が訪れるように
なった。
どれほど深く眠り込んでいても、その音が聞こえた瞬間に心臓が跳ね上がり、無意識に飛び起きて
耳を塞いでしまう。
音の不快さと恐怖は、何度経験しても慣れるようなものではなかった。
そして、音が止んだ翌朝には必ず決まって『近所の誰かが亡くなった』という知らせが家に届くのだ。
あの不快な音は、死の訪れを告げる予兆なのか、それとも死そのものが立てる音なのか。
ある夜のことだった。
またしてもあの音が部屋を包み込み、木暮さんは必死に耐えた。
音が止んだ後も動悸が収まらず、眠ることなど到底できない。
木暮さんは這うようにしてベッドを抜け出し、気休めに自室の窓から外の夜道を眺めた。
家の前には、ポツンと立つ街灯がひとつある。
黄色い光がアスファルトを照らしているその真下に、何かが立っていた。
真っ黒い、人影だった…
街灯の光を頭上から直に浴びているにもかかわらず、その影はまるで空間を切り取って
墨で塗り潰したかのように漆黒だった。
服を着ているのかすら分からず、顔も…性別も…体つきの年齢すら判別できない。
ただの『人の形をした黒い何か』だった。
木暮さんが息をのんで見つめていると、街灯の下の影が、ゆったりとした動作で二階の窓辺に立つ
木暮さんの方へ顔を向けたという。
視線のようなものを感じた瞬間、木暮さんは悲鳴を噛み殺してカーテンを閉め、布団に潜り込んだ。
それ以降、あの不快な音が夜中に響くたび、木暮さんは耳を塞ぎ、震えながら思ってしまうのだという。
今夜は、近所の誰が連れて行かれるのか…
そして、いつかあの黒い影が自分の元へやってくるのではないかと…
「音」の怪談は決して珍しくない。
だが、その多くは「そこにあるはずのない音」を聞く恐怖にとどまる。
木暮さんの話が示唆するのは、音そのものの不快さ以上に、それが死という現象の「前兆」あるいは「排泄物」のような形で表出しているという点だ。
人は日常的にさまざまな生活音や環境音に囲まれて生きている。
その中には、ごく稀に「聞いてはいけない音」が混ざり込んでいるのかもしれない。
木暮さんの場合、幸いにして(あるいは災いして)その周波数を拾ってしまう体質だったのだろう。
街灯の下に立っていた「黒い影」が、音の発生源なのか…
それとも音に引き寄せられてやってきた収穫者なのかは定かではない。
もし今夜、あなたの部屋の静寂を破って、不揃いな金属音や異常な鳴き声が聞こえてきたとしたら…
どうか耳を塞ぎ、カーテンを固く閉ざして夜が明けるのを待ってほしい。
それが誰の訃報を告げる音なのか、確かめようと窓の外を覗くことだけは、決してお勧めしない。




