婚約者に浮気されて公開処刑のように捨てられた私ですが、隣国の最強皇太子に拾われて溺愛されつつ全員まとめて地獄に落とします
——その日、私は全てを失った。
煌びやかな舞踏会の中央で、婚約者だった男は、私の手を振り払った。
「リシェル・アルディア。お前との婚約は、ここで破棄する」
ざわり、と空気が揺れる。
貴族たちの視線が、一斉に私へと突き刺さった。
……ああ、始まったのね。
予感はあった。
ここ最近の彼の態度、そして妙に得意げなあの女の視線。
全部、繋がっていた。
「理由は明白だ。お前は嫉妬深く、陰湿で……何より——」
彼は隣に立つ女の肩を抱き寄せる。
柔らかそうな金髪を揺らし、勝ち誇ったように微笑む女。
「彼女、エリーナをいじめたからだ」
……ああ、来た。
典型的すぎて、笑えもしない。
「違いますわ」
私は静かに言った。
「私が何かをした事実はありません」
「嘘をつくな!」
彼——ディルクは声を荒げる。
「エリーナは泣いていた! お前に嫌がらせを受けたと!」
泣いていた、ね。
そりゃそうでしょう。
あの女は、人前で泣くのがとても上手い。
「……その前に、一つ確認してもよろしいですか?」
「何だ」
「あなたはその方と——いつから関係を?」
一瞬、空気が止まった。
そして、エリーナがわざとらしく顔を伏せる。
「……もういいわ、ディルク様……私のせいで……」
「違う、君は悪くない!」
——ああ、確定。
私は、ゆっくりと笑った。
「つまり、浮気ですのね」
場が凍りつく。
「なっ……!」
「婚約者がいる身で、別の女性と関係を持ち、その女性の言葉だけを信じて私を断罪する」
私は一歩、前に出る。
「それを、世間では——不誠実と呼びますわ」
ざわざわと、周囲が揺れる。
ディルクの顔が赤く染まった。
「黙れ! 俺はもう決めたんだ! お前のような女は——」
「はいはい」
私は手をひらひらと振った。
「もう結構です。あなたに期待など、していませんから」
「……は?」
「婚約破棄、受け入れますわ」
ざわり、と空気が揺れる。
ディルクが一瞬、言葉を失った。
……少しだけ、面白い顔をしている。
「ただし」
私は微笑む。
「この場での発言は、全て記録させていただきました」
「なに……?」
「後ほど正式に、公的機関へ提出いたします」
彼の顔色が、さっと青ざめた。
——遅い。
もう遅いのよ。
「それでは、ごきげんよう」
私は踵を返した。
誰も、止めなかった。
止められるわけがない。
——だってこれは、まだ序章なのだから。
* * *
屋敷を出た私は、そのまま馬車にも乗らず歩いていた。
夜風が冷たい。
けれど、頭は妙に冴えていた。
……さて、どうするか。
実家に戻る?
いいえ、あそこも味方ではない。
私は、完全に一人だ。
「——それは違うな」
低い声が、背後から響いた。
振り向く。
そこにいたのは——
黒髪の男。
夜よりも深い色の瞳が、まっすぐに私を見ていた。
「君は一人ではない」
「……どなたですの?」
「名乗るほどの者ではない……と言いたいところだが」
男は苦笑する。
「一応、名乗っておこう」
一歩、近づく。
「俺はカイル。隣国ヴァルディアの皇太子だ」
——は?
一瞬、思考が止まる。
「……冗談はおやめください」
「本気だ」
即答だった。
そして彼は、懐から紋章を取り出す。
——本物。
血の気が引いた。
「なぜ……そんな方がここに……」
「君を迎えに来た」
「……は?」
「ずっと見ていた」
さらっと、とんでもないことを言う。
「君が不当に扱われていることも、あの男の愚かさも、全部な」
カイルは、私の前に立つ。
「だから決めた」
その瞳は、狂気的なほどに真っ直ぐだった。
「君を、俺のものにする」
「……意味が分かりません」
「簡単だ」
彼は、私の手を取った。
「俺と来い。全部取り返させてやる」
——ぞくり、とした。
その言葉は甘いのに、どこか冷たい。
「復讐も、名誉も、未来も」
彼は微笑む。
「ついでに、愛もな」
……危険だ、この男。
でも。
「……条件があります」
「言ってみろ」
「容赦しませんよ?」
私は、静かに笑う。
「裏切った者たちは、全員潰します」
カイルは一瞬だけ目を細め——
そして、楽しそうに笑った。
「上等だ」
その瞬間、確信した。
——この男は、味方にすれば最強で、敵に回せば最悪だ。
* * *
数週間後。
王都は、騒然としていた。
ディルク家の不正が暴かれたのだ。
横領、賄賂、違法取引。
そして——婚約破棄に関する虚偽告発。
「そんな……そんなはずは……!」
牢の中で、ディルクは震えていた。
「全部、お前がやったことだ」
低い声が響く。
彼の前に現れたのは——私だった。
「リシェル……!」
「久しぶりですわね」
私は微笑む。
彼は、かつての威厳など欠片もない顔で縋ってきた。
「助けてくれ……! 俺は騙されていただけなんだ!」
「へえ」
「エリーナが……あいつが全部……!」
その名前に、私は少しだけ笑った。
「ご安心を」
「え……?」
「彼女も、すでに処理済みです」
彼の顔が凍りつく。
「……ど、どういう意味だ……」
「そのままの意味ですわ」
エリーナは既に社交界から追放され、行方不明。
——もちろん、偶然ではない。
「あなたはここで、ゆっくりと罪を償ってください」
「やめろ……!」
「では、ごきげんよう」
私は背を向ける。
もう、振り返らない。
* * *
その後、私は正式にヴァルディアへと渡った。
そして——
「リシェル」
背後から抱き寄せられる。
「……仕事中です」
「知っている」
カイルは構わず頬に口付ける。
「離してください」
「嫌だ」
即答だった。
……本当に、この男は。
「一応、皇太子としての自覚を持ってください」
「持っている」
「どこがですの」
「君を溺愛することが最優先だと理解している」
……ダメだ、この人。
「はぁ……」
「ため息も可愛いな」
「仕事しますよ?」
「なら膝の上でどうだ」
「しません」
ぴしゃりと切ると、彼は少しだけ不満そうにした。
——でも、その目は優しい。
「……満足しましたか?」
「いや、足りない」
「でしょうね」
私は小さく笑った。
全てを失ったあの日から。
私は、全部を取り返した。
地位も、名誉も、そして——
「リシェル」
「なんですの?」
「愛してる」
迷いのない言葉。
「……知っています」
私は静かに答える。
「それくらい、見ていれば分かります」
彼は満足そうに笑った。
——復讐は終わった。
でも、この幸福は。
きっと、一生終わらない。
——これが、私の新しい人生だ。
◆ ◆ ◆ ◆
——結論から言おう。
この男、仕事は完璧なのに私生活が壊滅的である。
「リシェル」
「嫌な予感しかしませんが何ですか」
「朝から君を愛でたい」
「却下です。仕事してください」
執務室。
机の上には山のような書類。
その横で——
皇太子カイル、私の膝の上に座ろうとしている。
「ちょっと待ってください」
「なんだ?」
「なぜ乗るんですか」
「落ち着くからだ」
「犬ですか?」
「君専用の大型犬だ」
「やめてください、噛みそうで怖いです」
「噛むぞ」
「言うな」
ぐい、と本気で乗ろうとしてくる。
重い。
普通に重い。
「重いです!!」
「愛の重みだ」
「物理です!!」
私は全力で押し返す。
が、びくともしない。
なにこの人、戦場ではなくここで筋力使ってるの?
「諦めろリシェル。俺は一度決めたら退かない」
「その意志を政治に使ってください!!」
結局——
「……はぁ……」
「勝った」
「勝ち負けじゃないんですよこれ」
私は、皇太子を膝に乗せた状態で仕事をすることになった。
なにこれ。
どんな罰ゲーム?
「リシェル」
「静かにしてください」
「いい匂いがする」
「仕事してください」
「好きだ」
「書類見てください」
「愛してる」
「サインしてください」
会話が成立していない。
* * *
そして、別の日。
「リシェル」
「今度は何ですか」
「いいものを持ってきた」
嫌な予感しかしない。
「じゃーん」
差し出されたのは——
「……それ、何ですか」
「ペアの鎖だ」
「却下です」
一秒で拒否。
「なぜだ」
「なぜだじゃないんですよ」
キラキラした鎖。無駄に高級そう。
「これで常に一緒にいられる」
「牢屋ですか?」
「愛の証だ」
「監禁です」
私は額を押さえる。
「そもそも、普通に一緒にいますよね?」
「足りない」
「何がですか」
「距離が」
「今ゼロ距離ですよ」
物理的に。
「心の距離だ」
「十分近いです」
「もっとだ」
「どこまで詰める気ですか」
最終的に融合でもする気なの?
「大丈夫だ、長さは三メートルある」
「そういう問題じゃないです」
カイルは真剣な顔で言う。
「嫌なら一メートルでもいい」
「妥協そこなんですか!?」
* * *
さらに別の日。
「リシェル、事件だ」
「今度は何ですか」
「君が足りない」
「知りません」
即答。
「朝から三時間しか一緒にいない」
「十分です」
「不足だ」
「栄養みたいに言わないでください」
カイルは深刻そうな顔をする。
「このままでは死ぬ」
「死にません」
「精神的に」
「気合でどうにかしてください」
すると——
「仕方ない」
なぜか彼は机の下に潜り込んだ。
「何してるんですか!?」
「ここなら常に近い」
「邪魔です!!」
足元に皇太子がいる。
しかも満足そう。
「落ち着く……」
「私は落ち着きません!!」
* * *
そんなある日。
「リシェル様!」
侍女が慌てて駆け込んできた。
「どうしました?」
「皇太子殿下がまた変なことを……!」
また、ね。
「今回は何ですか」
「自分を贈り物として箱に入っております!!」
「……は?」
急いで向かうと——
そこには巨大な箱。
そして中から声。
「リシェル、開けてくれ」
「帰ります」
「待て」
仕方なく開ける。
ぱかっ。
「どうだ」
ドヤ顔で入っている皇太子。
「サプライズだ」
「帰ります」
即閉めようとしたら内側から止められた。
「待て! 評価を!」
「0点です」
「厳しい」
「当たり前です」
彼は少し考えてから言った。
「じゃあ、次はリボンをつける」
「方向性を間違えています!!」
* * *
——そして。
「リシェル」
「なんですか」
「結論が出た」
「嫌な予感しかしません」
彼は真剣な顔で言った。
「常に一緒にいれば問題は解決する」
「最初からそうです」
「だから」
がしっ、と手を掴まれる。
「仕事も風呂も睡眠も全部一緒だ」
「極端すぎます!!」
私は深くため息をついた。
「……もういいです」
「いいのか?」
「ただし条件があります」
「なんだ」
私はじっと彼を見る。
「仕事をサボったら即引き離します」
一瞬の沈黙。
そして——
「……それは困る」
真顔だった。
「じゃあ働いてください」
「分かった」
素直か。
その代わり——
「終わったら倍甘える」
「ほどほどにしてください」
「無理だ」
でしょうね。
——復讐は終わった。
でも。
このポンコツ皇太子との戦いは、
まだまだ終わりそうにない。
……いや、たぶん一生続く。
でもまあ。
「リシェル」
「はいはい」
「好きだ」
——悪くない。
そう思ってしまうあたり、もう手遅れなのかもしれない。




