姪が他人の婚約者を寝取ったので最大限に活用いたします
「婚約者を親友に寝取られたので貴族の政略で徹底的にやり返しました」の公爵夫人視点でのスピンオフです。
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単体でも読めるとは思いますが、先にこちらを読んでいただいたほうが理解しやすいかと思います。
「左様ですか。では、そちらのおっしゃる内容で進めましょう」
エメリ・ラッドフォード公爵夫人は、そう言って微笑んだ。
向かいに座るのは、ウォード侯爵とそのご令嬢。確か名前はエレーナと言ったか。
ウォード侯爵家とラッドフォード公爵家は古い縁のある間柄であり、事業でも長らく協力関係にある。
協業というものは得てして役割の隙間が生まれる。今日はそのような事柄のひとつ、鉱山の管理主体についての相談であった。エメリにとっては日常の些末事である。
事業の話であったり、催し物であったり、ウォード卿がこのラッドフォード邸に参じる事は多い。しかしご令嬢を従えて来ることは珍しい。
「エメリ様、本日はお伺いしたい事があって参上いたしました」
仕事の話が終わり、エレーナが口を開く。
ウォード卿はさっさと帰り支度をしてエントランスホールの方へ行ってしまった。二人になれるタイミングを見計らっていたようであった。
「あら、なんでしょう」
エメリは笑顔で応じる。
公爵夫人たる自分へ子供が直接相談をするとはあまり類を見ない事ではあるが、両家の関係性は重要だ。
「素晴らしいアクセサリーをアイーダにご紹介くださりありがとうございます、ラッドフォード公爵夫人。私もそのご慧眼の恩恵に与れました」
エレーナは、そう言って髪につけているアクセサリーを見せた。その髪に輝く細かい作りの銀の髪飾りは、しかしエメリには見覚えのないものであった。
アイーダはエメリにとって姉の娘。つまりは姪である。ロックバード伯爵家の次女だ。
――この娘は、何かを含んで言わんとしている。直接この私に? 無垢なのか、あるいは相応の覚悟があるのか。
「あらあら、素敵な髪飾りですこと。アイーダに? そうですか」
エメリは相手の出方を待った。
こちらは待つ側で良い。立場がそうさせる。
「ええ、私の婚約者からいただいたのですが、アイーダが一緒に選んでくれたと聞きました」
きな臭い。
エメリは直感でそう感じる。
エレーナはよどみなく続ける。
「公爵夫人から以前お借りしたものと同じだと。素晴らしいものですのでマイスターに御礼申し上げたく、宜しければどちらでお買い求めになられたかお聞かせ願えませんか?」
――ほう。
私がアイーダへ貸したもの。その様な事実はない。しかし事実としてこの娘は語る。
つまりは事実かどうかを問うている。他の誰か……恐らくはアイーダが事実としたこの話を。
姪の嘘を暴きに来たということか。しかも自らの婚約者からの贈り物であるにも関わらず、我が姪の嘘を。
エメリはアイーダの良からぬ動きを察した。
横恋慕なのか、横取りの画策なのか。詳しくはわからないが、伯爵家の身空で侯爵家に仕掛けるとは、我が姪ながら呆れた話であった。
抑えられない表情の変化を悟られぬよう、扇で顔を隠す。幾分か、目元にも出てしまったかもしれない。
「まあ、そうですか。何分古いものですから、いつどこで手に入れたものか……。今度出入りの者にあたってみましょう」
エメリのなかで打算が働く。
ウォード家とは懇意にしているが、これだけのことで血縁のアイーダを売るには見合わない。
「ありがたく存じます。ちなみに、これをくださった私の婚約者はロイズ・バーンウェル。バーンウェル侯爵家の跡取りにございます」
エレーナはそう言って下がった。
――この娘は。
「対価」はあると。
バーンウェル家は、我が家の事業の商売敵である。ウォード家の娘がバーンウェル家の者と婚約をしたことはもちろん知っているが、アイーダの嘘と結び付け「対価」の結論に至るには、少々思慮を巡らす必要があった。
バーンウェル家がアイーダのために婚約を反故にしたという事にさせれば、その義をもって我が家は事業の圧力を強める事ができる。それは公爵家の利になるという意味だ。
この娘は、それをあえて申し出た。よもや忘れていないだろうなと言いたげに。
婚約者との復縁のための嘆願であればそのような事は言わないはずだ。
つまりは、婚約を捨てても良いという事。
大したものだ、その若さで。
エメリは自分の若い頃を思い出す。この歳で、目上の者にここまで言えただろうか。そして、余計なことを言わずに下がれたであろうか。
小娘と思っていたが、こやつは一端の貴族だ。
エメリは目の前の若者に素直に感心するとともに、一層の警戒を強めた。
「レナンド、ウォード侯爵令嬢を馬車までお送りしなさい」
「はい、お母様」
奥からエメリの息子のレナンドがやってくる。
そして、エレーナをエスコートして連れていく。
エメリは誰もいなくなった応接室のソファに座りなおした。
今の話について考えなければならない。
大人ぶろうと子供は子供。浅慮にて抜けがある事も考えられる。
安易な事はできない。
しばしの静寂の後。
「誰か。ローズウッド商会のエドワード様を呼んでくださる?」
エメリの中で、いくつかの道筋が浮かび、そしてつながったのであった。
*
「アイーダちゃん。あなた、最近バーンウェル家のご令息と仲がよろしくて?」
エメリは姉の家を訪れた。
そして、姪と二人きりになる瞬間を見計らい、尋ねた。
「あら、叔母様、よしてくださいませ。ロイズ様は仲の良い友人でございますわ。友人であるウォード侯爵令嬢の婚約者ですもの」
顔と口ぶりからその言葉が立場と遠慮から来る嘘であることは、エメリにはたやすく見破れた。
ウォード家の令嬢に比べれば、まだまだアイーダは子供であった。
「あら。私が応援して差し上げてもよろしくてよ?」
エメリの中には複数のシナリオがあった。
単純に考えれば、アイーダが正当な権利を得てロイズと結婚する道か、エレーナが正当にアイーダの横やりを排除し、ロイズと結婚する道になる。
いずれも侯爵家や伯爵家へ恩を売ることができる。悪くはないが、ウォード家の令嬢が示していたのはひとつ次元の違う話。
エメリにとって、そちらに転ぶことが最も望ましい。しかし、まだ不確実な部分が多すぎる。
そうであるならば、すべての道に行ける様に仕向ければ良い。それが今日のエメリの目的であった。
手の中に隠していたものをアイーダに見せる。
「叔母様、それは……」
「アイーダちゃんのためですもの」
エメリの手には、エレーナが見せたものと同じ髪飾りが握られていた。
急遽呼び寄せた商会の腕利きに似たような髪飾りを揃えさせ、瓜二つなものを購入したのだ。
「ウォード侯爵令嬢……エレーナさんとたまたまお会いしましてね、私があなたへ教えた髪飾りだと教えてくれましたのよ。あまり滅多な嘘は吐いてはダメよ。あと、きちんと手順は踏んでね」
エメリは、アイーダの髪に髪飾りを付ける。
アイーダはこれで嘘を真にすることができる。
それは、彼女の略奪を推し進めることに他ならない。
しかし、正当に婚約者を代わるという道はあり得る。両家の合意が必要なので簡単ではないが、その道を後押しすることに非はない。姪という血筋があるならばなおさらだ。
どちらに転んでも公爵家に傷はつかない。それこそがエメリにとって最も重要なことであった。
あとは、どの道を選ぶように仕向けるかだ。どうせ転ばすのなら、最も利のある道が良い。
エメリは、アイーダに耳打ちする。
「アイーダちゃん。私の後押しはきっと両家の話を進めるのに役に立つでしょう。婚約者さんにもお伝えしておいてね」
これで話が進む。押し付けはしない。
アイーダが栄光か、破滅か、どの道を自ら選択するか。ただ進む後押しをするだけ。
そこを越えれば、自らに火の粉が降りかかりかねない。今はこれで良い。
エメリにとって、姉やアイーダの将来は考慮の外にある。
なぜなら、自分はラッドフォード公爵夫人なのだから。
*
「レナンド」
エメリは、息子を自室に呼んだ。
「何でしょうか、母上」
息子のレナンドは、いつもよく言う事を聞く。
エメリにとって数少ない、信頼に足る存在であった。
「これを、ウォード侯爵令嬢まで届けてちょうだい」
レナンドは一枚の紙を渡される。
そこには、こう記載されていた。
刻印依頼書
銘 愛するアイーダのために
依頼主 ロイズ・バーンウェル
グノス細工師工房
「これは……アイーダというのは、従姉妹のアイーダでしょうか」
「ええ。先般買い求めた髪飾りの工房より伺いましてね」
伺った。
そんな簡単に顧客の情報を出すはずがない。
レナンドは、母が何かを新たに企んでいる事を察した。
「このロイズ・バーンウェルというのは、アイーダの良い人でしょうか。婚約はまだしていなかったと思うのですが」
「ウォード侯爵令嬢の婚約者です」
レナンドはその端正な顔をしかめる。
アイーダの行いを察したからだ。
「なるほど。どうされるおつもりでのこのご用命なのですか。ご承知の通り、ウォード侯爵令嬢……エレーナ嬢は僕の恩人なのですよ」
レナンドは、幼い頃に街でエレーナとその母に命を助けられたことがある。
それ以来、彼女はレナンドの大切な恩人なのであった。
「もちろん知っています。大変お綺麗になられましたね。……事の次第を見定める必要があります。方法はお任せします」
エメリはレナンドの実力を信頼している。外見も、中身も、素晴らしい息子に育てたと自負している。そしてレナンドがエレーナに長年にわたり恩を感じている事も知っている。だからこそレナンドにこの件を任せる。レナンドがエレーナに肩入れする事を承知の上で。
「アイーダやロックバード伯爵家については?」
「今は静観しておきなさい。ただし、悟られぬように」
――自力での問題解決ができない場合には見殺しか。
あるいは別の角度での関与をするつもりか。
レナンドは母の考えを読み切れなかった。だが、それでも良い。やっとエレーナへ長年思い続けた恩返しができる。それだけで彼には十分であった。
「かしこまりました」
レナンドは深く、そして優雅に頭を下げた。
*
数日が経ち、レナンドは母が旅行の支度をしているのを目にした。
「泊りで出られるのですか」
「ええ。アイーダちゃんからロックバード伯爵領での収穫祭に呼ばれましてね。バーンウェル侯爵のご令息もいらっしゃるそうなので、ちょうどよいので行ってまいります。三日で戻ります」
ちょうどよい。それぞれと何を話すつもりだろうか。
「エレーナ嬢も向かわれるのですか」
「いいえ、彼女は来ない様ですよ。私はアイーダちゃんの恋の後押しをしているのですよ。わかりますね」
あのような紙をエレーナへ渡しておきながら、アイーダの恋を後押しする。
矛盾するような動きであるが、レナンドにはその意味がわかった。
「では、僕はエレーナ嬢と共に」
「はい、お願いします。あなたはいつもお利口で助かります」
「……母上」
レナンドが改まってエメリの前に立つ。
こういう時は決まって頼み事。息子の事は手に取るようにわかる。
「はい。どうしましたか?」
「これはまだ、賭けです。しかし今のうちにお伝えしなければ賭けにもならないのでお話します。僕は全てが済んだら、エレーナ嬢へ婚約を申し込みます。宜しいですね」
エメリは無言で息子の顔を見る。
ウォード侯爵の令嬢、そしてあの歳に似合わぬ冷静さ。見た目も良い。
最愛の息子にはいずれ王女のどなたかをと考え動いており、これまで他の縁談は具体化してこなかった。しかし諸家の事情もあり現実的には難しくなってきている。
悪くはない。
「良いでしょう、主人にもお話ししておきましょう。ただし、公爵家に最大の利をもたらすこと。それが条件です」
「はい、もちろん承知しております。ありがとうございます」
「まだ転ぶ先は見えておりませんのよ。本当に賭けです。よろしいのですね」
「はい。もちろんです、母上。これから母上はアイーダの後押しをされるのでしょう? アイーダには悪いのですが、それでしたらもう賭けは僕の勝ちに決まった様なものです」
レナンドは、屈託のない笑みを浮かべた。
察しの良い坊や。
エメリもまた、息子の成長を見てわずかに笑みをこぼした。
*
ロックバード領への旅路は、のどかなものであった。
一人になれる貴重な時間。エメリは考えを巡らせる。
レナンドは、ウォード家のご令嬢とそこまで多くの接点を持っていないはずであった。学園でも歳の差から同じ学び舎で過ごすこともなかったはずだ。
古くの恩はあるが、何が息子を動かしたのか。エメリはそれが少々疑問であった。
これまで、公爵家の令息としてレナンドには様々な令嬢からのアプローチがあったはずである。エメリが知るもの、知らないものも含め。それでもあのような事を申し出たのは初めてであった。
そこまで考えてふと馬車に揺れる自分を思う。
そもそも、自分が旅に出ているのはあの娘の言から始まった事だ。
公爵夫人ともあろう者をここまで動かすあの胆力。そして生きる力にあふれ、それでいて冷静な目。
なるほど、レナンドの周りの令嬢にはいないタイプだ。
昔の自分の様な。
ロックバード領にまもなく到着する。
しかし、既にエメリの中で天秤は大きく傾いていた。
この旅は、うまく事を運ぶための準備に他ならない。
ただ、どのように運ぶかが、明確になった。
*
エメリがロックバード伯爵領から戻り、しばらくが過ぎた。
「後押し」は効果があったようだ。
なぜなら、バーンウェル侯爵令息が白昼堂々とウォード侯爵令嬢に婚約破棄を突き付け、その後正式にバーンウェル侯爵令息とロックバード伯爵令嬢が婚約したという話を聞いたからだ。
それも、レナンドではなく他の貴族のご夫人から。
そのような中で、レナンドはエレーナと上手く事を進めているようだ。
エメリは、レナンドから今夜重要な報告をすると聞いている。
すべてが整いつつある。
婚約は家と家の大事。決して子供の遊びではない。
だからこそ、子供たちはその重みを知ることになる。
エメリは、可哀そうだとは思わない。貴族として生き残る術を覚える前に生き死にの場に手を出してしまったのだから、責を負わなければならない。その様な子を育ててしまった家そのものにも当然責任がある。
今宵は公爵邸にてウォード侯爵ら事業の関係者を集めたパーティが催される。事業基盤をより強固なものとするため、王家から第二王子にもお越しいただく。
その最中にレナンドが報告を持ってくる。中身は聞いていないが、聞かずともわかる。今日聞く事が重要なのであった。
この日を選ぶあたりはレナンドも派手な余興が好きと見える。そこは父親に似たところだろう。
「ウォード侯爵、お忙しいところようこそお越しくださいました」
エメリはウォード侯爵を出迎える。
一連の騒動の渦中におり、疲れが見える。
「これは公爵夫人。お騒がせしており恐縮です。まったくお恥ずかしいことで」
「今宵は気のおけぬ仲間ばかりの宴。つまらぬことは忘れてお楽しみくださいませ」
「いや、お気遣い痛み入ります。楽しませていただくとします」
エメリは軽い嘘をついた。
貴族ばかりの宴、それも王族まで来る宴で仲間ばかりなど気休めにもならない世辞である。しかしそれはウォード卿も百も承知のこと。
エメリの嘘は、今日の主菜は「つまらぬこと」の方であり、忘れることなどできないという点だ。ウォード卿にはその悲劇を彩るキャストになっていただく。いや、あるいは喜劇なのかもしれない。
夜も更けたころ、レナンドが会場に入ってくる。
主要な人物たちが談笑しているその中、エメリではなく父、ラッドフォード公爵のもとへ向く。
「父上、ご歓談中にも関わらず申し訳ございません。急ぎご報告したい儀があり参上いたしました」
その様子に周囲の参加者たちも注目する。
「皆さん、息子が興を削いで申し訳ない。どうした、申してみよ」
「こちらを。従姉妹のアイーダについてです」
レナンドは、エレーナと共につかんだロイズとアイーダの不貞の証拠、調査証書を差し出した。
「む……これは。真か」
「はい。こちらは弁護人ギルドによる証書。事実でございます」
「エメリ。そなた、近ごろ姪の後押しをしておったな」
「はい、どうされましたか、あなた……まあ、これは」
エメリは寝耳に水という顔をする。
実際に証拠を目にするのは初めてとしても、とうに察しはついていた話。レナンドは顔には出さず、その役者ぶりを称える。
「どうされたか、伺っても?」
アイーダと聞いて、ウォード侯爵が口をはさむ。
「こちらを」
当事者であるウォード侯爵に黙っているのは不自然と、公爵が証書を渡す。
「どれ。これは……! なんたること! 度し難い奴らめ!」
証書を破りかねない勢いだったので、レナンドが回収する。
「エメリ、お前も知らぬことなのだな?」
「もちろんでございますわ。この始末は私の手でつけてまいります。ウォード卿も本件は私に一時預からせてくださいませ」
ウォード侯爵の顔は真っ赤に染まっている。酒のせいではないだろう。
「……バーンウェルのやつをどうしてやろうかと思いましたが、左様であればお任せいたします。ですが、娘のため、一刻も早くお願いできればと」
ウォード侯爵は一連の問題でバーンウェル侯爵に腹を据えかねていた。すぐにでも証書を持って飛び込んでやりたいくらいだが、公爵夫人にそう言われては一任するしかない。
「良いか皆の者。余の前での決め事は国の決め事となる。わかっておろうな」
第二王子がさしたる興味もなさそうに言う。
それでよい。そのために貴方がここにいるのだから。
「お耳を煩わせてしまい大変恐縮でございます、殿下。さ、こちらで飲みなおしましょう」
ラッドフォード公爵が第二王子を連れていく。
ウォード侯爵らも続く。
それを見送り、エメリは仕上げに入る。
「レナンド。場を整えなさい。早急に、しかし公な場が良いですね」
「かしこまりました、母上」
*
幾日かが過ぎ。
エレーナやアイーダが通う学園の舞踏会。
その会場にエメリとレナンドがいた。
エレーナに招待された格好だ。もちろんレナンドが招待状を書かせたのだが。
「お越しいただきありがとうございます。ラッドフォード公爵夫人」
エレーナがエメリに挨拶をする。
婚約を破棄された直後であり、エスコートされるお相手はいない。
しかし、赤いドレスを纏い、今日の主役であると主張する事を忘れない。
「あら、エレーナさん。素敵なドレスですことね。ご招待いただきありがとう」
本日の重要さを良く理解しているし、良い度胸をしている。
レナンドの決意の一件より、エレーナへの興味は尽きない。
しかし、エメリには本日は義理の娘候補の品定めよりも先にやるべき事があった。
「レナンドと仲良くしてくださってありがとうね。私も貴女のお陰で助かりますわ。本日は姪に少し用もあって、ちょうど良かったわ」
「もったいないお言葉でございます。レナンド様には大変良くしていただいております」
エメリが「姪の用」のために来た事は、目の前の娘も十分に理解している事だろう。
しかし、不必要には口を開かない。できた娘だ。
「エレーナ嬢、僕もお礼を言わせてほしい。卒業以来久しぶりの学園のボールルーム、懐かしいよ」
会話するエメリとエレーナを見つけたか、少し離れたところにいたレナンドがやってくる。今日は黒い正装に身を包んでいる。
「レナンド様もありがとうございます」
「どうですか、一曲踊っていただけませんか?」
レナンドのこういった軽口をたたくところも父親譲り。
「まあ。踊るのは事が済んでからですわ」
エレーナがレナンドの手を軽く叩いた。
当然の事であるが、エレーナが物事の順序を理解している事がわかる。もっともレナンドも本気で言ったのではないだろうが。
「叔母様!? レナンドお兄様!?」
――来たか。
エメリは声の方にゆっくりと向きなおす。
アイーダとバーンウェル家の令息がやってくる。
アイーダには今日の参加は伝えていない。驚いた顔をしている。
「叔母様、いらっしゃっていたのですね。紹介いたしますわ、こちらが私の婚約者となりました、ロイズ様ですの」
「お初にお目にかかります、ロイズ・バーンウェルでございます」
二人がエメリに礼をする。
「アイーダちゃん」
エメリはゆっくりと二人の元へ歩み寄り――
パァン!
パァン!
両人の頬を力強く叩いた。
「恥を知りなさい! ご友人が婚約者であることを知りながら不貞を重ね、あまつさえ公爵家の名を使いその立場をウォード侯爵家から強奪するとは!」
会場が静まり返る。
全員の注目が一点に集まる。
「お、叔母様、何を……」
エメリの手が痛むほどの力で叩かれ、アイーダは衝撃でよろけて倒れる。
その顔は、まさか、という愕然の色に染まっている。
エメリが口を開こうとしたその時、エレーナが前に出た。手には証拠の証書の写しが握られている。
――お手並みを拝見しましょう。
エメリは場を譲ることとした。
「アイーダ、ロイズ。正式な調査証書よ。婚約破棄前のあなた方の不貞の証拠。帳簿の筆跡鑑定によると、数十回も。私が嘘つきで嫉妬していたですって? 他人の婚約者を盗んでおいてよく言えたものですわ。汚らわしい」
証書の写しを投げつける。
「ああ、これもお返しします。貴女の使い古しなんていりませんわ」
銀の髪飾りをアイーダに放る。
「こ、これは叔母様が……」
「確かに貴女も同じものを持ってたわね、私より新しいやつを。それで、ロイズ、これは何でしょうか?」
エレーナが一枚の紙を取り出す。
レナンドへ渡した、アクセサリーへの刻印依頼書だ。
「婚約者がありながら他の女へこんなもの贈っておいて、いいがかりですって? あなたなどこちらから願い下げです!」
紙をロイズの顔に叩きつける。
エメリはその様子を眺めていた。
感情を露にするエレーナを初めて見た。それは粗さではあるが、年相応の若さの発露でもあった。理性を失うような激高ではなく、年齢を考えれば合格と言えるだろう。
エメリは静かに話し始める。
「アイーダちゃん。手順は守りなさいと言いましたわよね」
二人の目を交互に見る。
「私になぜこの事を言わなかったの。これでは私は悪しき横取りの片棒を担がされてしまったようなもの。ロイズさん、あなたも当然ご存知のこと。お家の方に何と申すおつもりですか」
「いえ……それは……」
そして、予め準備していた結末を伝える。
「ラッドフォード公爵家、ウォード侯爵家はバーンウェル侯爵家ならびにロックバード伯爵家を正式に告発いたします。代償は高くつきましてよ」
ウォード家ならびに各所への調整は既に済んでいる。
取返しは、つかない。
「そんな……そんなぁ!」
アイーダの悲鳴がこだました。
*
それからしばらく経った。
私欲のために不貞をもって他者の婚約の略奪を企てたロックバード伯爵家は、正式な裁判の後に主犯として辺境へ移されることになった。現在の領地は縁者であるラッドフォード公爵家のものとなった。
濡れ衣で婚約を一方的に破棄し、ウォード侯爵家への不義理を働いたバーンウェル侯爵家は、莫大な賠償金を背負うことになった。その上で家業はラッドフォード公爵家から容赦のない攻勢を受けることとなり、命脈は尽きようとしている。
「母上」
エメリがお茶を嗜んでいると、レナンドがやってくる。
「あなたも飲まれますか」
エメリはレナンドが来た理由の察しはついていた。
「いただきます」
紅茶を一口飲むレナンド。
一息おいて、続ける。
「これだけの成果が出ました。ウォード侯爵にも裏から話を通し、事業の拡大にも合意を取り付けました。僕はエレーナ嬢に婚約の申し入れをしてこようと思います。お許しいただけますね」
予想通り。わかりやすい子だ。
エメリはカップを置き、答える。
「まだ最後にひとつ、公爵家にもたらされる事が決まっていない利があります」
「それは……なんでしょう」
これだけの結果を残し、レナンドにはほかに思いつくものがなかった。
しばしの間をおいて、エメリが続ける。
「エレーナさんの心を掴んで参りなさい、レナンド。それが最後の条件です。貴族の結婚とは確かに家と家を繋ぐもの。しかし、それは実際には一介の男と女の繋がりでもあります。切り離すことなどできないのです。彼女を愛し、愛されなさい。そんな事もできずに本当の利を得られましょうか」
エメリの、貴族らしからぬ本心であった。
公爵家という場所へ嫁いだ自らだからこそ言える教訓でもあった。
これがレナンドへの最後の子育てと言えるかもしれない。
「かしこまりました。ありがとうございます、母上」
レナンドが深々と頭を下げる。
「もう一杯いかがですか」
「はい、いただきます」
レナンドは、子供のころと変わらない、屈託のない笑みを浮かべた。
お読みいただきありがとうございました。
前作では公爵夫人に言及いただく感想をいくつかいただいたので、逆視点を書いてみました。
お気に召しましたら反応や評価をいただけると嬉しいです。




