5 穏やかな目覚め(1)
馴染みの呪術師が解析して明かしてくれたリスノワールさんの呪いは、実親であるフラグメント侯爵夫妻がかけたものであることが分かった。正確に言うと、フラグメント侯爵夫妻が依頼して、呪術師がリスノワールさんに呪いをかけた、ということだった。
一族に対して生まれたあらゆる怨嗟の矛先が、全てリスノワールさん一人に向けられる。そんな呪い。狂乱するほどの悪夢は人々からの恨み辛みに襲われて起こるもので、リスノワールさんの社交界での混沌とした悪評も呪いによるものだった。
ただ、フォール辺境伯領がそうだったように、王族や高位貴族は日頃から呪いに対策している傾向がある。だから、リスノワールさんと直接接して、リスノワールさんのそのままをみな受け入れることができた。
同じように、呪いの影響を受けにくい人間がリスノワールさんと直接関わっていれば、おかしな悪評は間違いであると理解することができたはずだった。
でも、侯爵夫妻の指示でリスノワールさんが社交界に出ることはほとんどなかった。だから、悪評を否定できる人は現れにくいし、誰もがどこからか伝え聞いた噂でしかリスノワールさんを知ることができなかった。
領地で呪いの研究が進んでいてよかった。呪符を領地で広く扱っていてよかったと、心から思った。
不特定多数の精神に半永久的に作用し続けるという相当に強力な呪いを、リスノワールさんは赤ん坊の頃かけられていた。
無情な真実があまりにも悲しくて、僕は言葉が出てこなかった。
「だから私を生かしていたのね」
リスノワールさんは静かに納得していた。感情が死んでしまったかのように見える表情に、僕はまた悲しくなっていた。
正確な解呪の方法は、呪術師が調べても分からなかった。
呪いが強すぎて解析が難しいらしい。
でも、決して全く分からなかったわけではない。
リスノワールさんの呪いを解くためにはまず、誰かと愛し合うことが必要条件であり、その条件をクリアできたら次に何をしたらいいのか自ずと本人たちに分かるという仕組みになっているらしい。
「フォール辺境伯夫人には、まず愛し合う相手を見つけてもらう必要があります」
「私にはドゥマンがいるのだから、態々探す必要はないわよ」
本来なら慎むべき言葉を躊躇う素振りを見せずに呪術師が言って放った。理解が追いつかなくて凍っていた僕に反して、リスノワールさんは迷うことなく言葉を返した。
呪術師はリスノワールさんの返答に面食らった様子で、けれど何事もなかったかのように話を続けた。
付き合いがそれなりにある人にも、僕は誰かと思い合うことは不可能だと思われていたのか。そんな現実に動揺せずにはいられなかった。
リスノワールさんは本当にすごい。世界の誰にとっても僕は化物なのに、リスノワールさんの前なら僕もただの人であれるんだ。
もう何度目か分からないけど、この人のことが好きだと心から思った。
*
闇に覆われている顔を受け入れてもらえた。リスノワールさんは誰かと愛し合うなら、相手は僕だと思ってくれている。歓びが溢れてくる。
リスノワールさんが好きだと、愛しているという気持ちが止まらない。
今のリスノワールさんは自分が呪いをかけられていることを知ったばかりで、心が闇で覆われかねない状況だというのに。
でも、だからこそ、伝えたいという想いがある。
夕食後、話をする時間を設けてもらった。
呪いのことを知ったリスノワールさんは、いつもと変わらないように見えた。それが逆に使用人たちを心配させてしまっているようだった。
「呪いをことを聞いて、どう思われましたか?」
「色々と合点がいった、というところよ。双子の不吉な方として、親から忌み嫌われているのは分かっていたの。それこそ、生まれてすぐに殺してしまっても不思議ではないくらいに。でも、決して殺そうとはしなかった」
「リスノワールさんお一人で辺境伯領へと旅立たせたのは、とても危険だとは思いますが」
「私が何かに傷つけられて死ぬことはないと確信していたのよ。そう思わせたのも私だけど」
ただ事実を並べているだけのように、淡々とリスノワールさんは話す。でも、僕の気のせいでないなら、少しだけいつもより瞳の色が暗い気がする。なんとなく、リスノワールさんは辛いと思うことを拒絶しているような、そんな気がした。
「呪いを、完全に解くことが僕にできるかは分かりませんが、リスノワールさんの悪夢を和らげることならできます」
「それは、夜の間ずっと私の側にいて、私に解呪の魔法をかけてくれるってこと?」
「はい」
「それじゃあ、ドゥマンが眠れないでしょ」
「元々リスノワールさんに僕の全てを捧げたいと思って生きてきました。リスノワールさんの役に立てるなら本望です」
リスノワールさんは静かに僕を見つめる。僕の気持ちが少しでもリスノワールさんに伝わってくれたら嬉しい。
「僕はリスノワールさんのことが好きです。だから、どんなことでもリスノワールさんの役に立てるなら嬉しいです」
やっと好意を伝えることができたことへの喜びもさることながら、好意を伝えたことでの緊張も沸き上がる。心臓の鼓動があまりにも早い。時間も共に早く動いているのではないかと、そんな錯覚をしてしまいそうになる。
「ドゥマンは私をまるで聖人かのような優しい人と思ってくれてるけど、実際はそんなことはないのよ」
「そう、なんですか?」
僕の告白を受けて、別の話を切り出したリスノワールさんは、今までに見たことのない、どこか不安そうな表情をしていた。
想いを受け取ってもらえないかもしれないという文脈を感じて、不安が込み上げてくるけれど、まずはリスノワールさんの話を聞こうと静かにすることにした。
「私は物心ついた時から、自分の身を守るためにもありとあらゆる魔法を独学で鍛えたわ。そして、私に腐った食事を用意したコックには、食べようとしている料理を腐らせた。私に手が悴むような冷たい水を用意したメイドには、入浴時の湯を凍えるほどに冷やした。私の頬を手の平で叩いた父には、その頬を手形で焼いた。私の洋服を引き裂いた母には、お気に入りのドレスやジュエリーたちをボロボロにしてあげた。襲ってきたとある公爵令息を火だるまにしたこともあるわ」
リスノワールさんは過去の出来事として淡々と話していた。そこには傷つけられた苦痛も仕返しを遂げたことへの達成感も見えなかった。
でも、僕は悲しい。リスノワールさんのこれまでの人生が身近な人に傷つけられることが多かったことが悲しくて堪らない。呪いのこともある。どれも理不尽な仕打ちばかりだったはずだ。
「私は私を傷つけるものを許さない。だから、忌み子と呼ばれている状況を利用して、私に手を出せば痛みが倍以上で返ってくるっていう、本当は存在しない呪いの効果を周りに信じ込ませた」
リスノワールさんから少しの怒りを感じる。身に降りかかる理不尽に確かに怒りを感じてたんだ。リスノワールさんは決して泣き寝入りをせずに、反撃をしてきたんだ。
僕と初めて会った時、リスノワールさんはもう反撃を始めていたのだろうか。
顔が黒いだけなら強く生きていけると言ってくれた、あの時の言葉は、本当に偽りのない言葉だったんだ。ただ僕を慰めるために考えついた言葉ではない。きっと信念に従った言葉だったんだ。
「こんな風にね、私は別にそんなに優しい人なわけじゃない。…それでも、あなたは私のこと好きでいられる?」
僕に問いかけたリスノワールさんは、弱々しく笑っている。
僕の勘違いでなければ、リスノワールさんは僕の好意が失せてしまうことを不安に思っていると、そう理解できてしまう。リスノワールさんが僕の気持ちを快く思ってくれているということだ。
泣きそうだ。涙が込み上げてくるほどに嬉しい。
「はい。僕はリスノワールさんが好きです。愛して、います」
喜びのまま、伝えたくて声に出したのに、愛していると言うのは少し恥ずかしかった。
「この屋敷や領地で、リスノワールさんが呪い子ではないかと疑いを持つ人はいません。リスノワールさんは理由もなく誰かを傷つけることはされないでしょう?」
「そうね。この屋敷は私によくしてくれる人たちばかりだから、どんな手を使ってでも自分の身を守らなければと気を張り詰める必要はなかったわ」
「何かを守るためには優しさだけでは成し遂げられないことも分かります。僕は、その強さも含めてリスノワールさんのことが好きです」
2回目でもドキドキする。きっとしばらくは慣れないんだろうな。
眉尻が下がっていることに変わりはないけれど、リスノワールさんの瞳の色から少し不安が和らいだ気がした。
「…私もね、ドゥマンを好ましく思っているのよ」
「は…はいっ…!」
「解呪の魔法、お試し期間を設けてお願いしてもいい?」
「もちろんです!ではまず、1週間やってみましょう。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
リスノワールさんと再会する前に口元まで届いていた顔の闇は、鼻の下辺りまでに減った。




