4 夜を切り裂く
「あ゛あ゛あ゛あ゛ああああっっっっ!!!!」
警護番の兵士以外は眠りにつき、夜が静寂に慣れた頃、突然、屋敷中に響き渡りそうなほどの叫び声が聞こえた。
声がするのはすぐ隣、リスノワールさんの部屋からだった。
何があったのかと急いで、中扉を開けると、リスノワールさんが悲鳴を上げながらベッドの上をのたうち回っていた。その表情は恐怖に染まっている。
「リスノワールさん!!」
側に駆け寄って名前を呼んでも、聞こえている様子がない。目の前にいる僕の姿も見えていないように見える。
咄嗟に、暴れるリスノワールさんを抱きしめた。本当は許されていないけれど、今はそうしなければいけない気がした。
「リスノワールさん、落ち着いて。大丈夫です。何があっても僕がお守りしますから。恐ろしいことは全て僕が取り除いてみせます。だから、大丈夫です」
リスノワールさんが落ち着く様子はない。目の焦点も合っていない。僕の声が届いてる気配もなく、大層な言葉を必死で伝えたところで、何の慰めにもならない。精神を安定させられる癒しの魔法をかけても、リスノワールさんの混乱が落ち着く様子が見えない。何がどうしたら、人がこんな恐慌状態に陥るんだろうか。
「旦那様!!呪符が燃えております!!」
「え?」
「奥様のお部屋の呪符が燃えているのです!!」
「廊下の呪符もです!!」
「奥様の部屋に近いほど激しく燃えています!!」
複数名の大声でようやくリスノワールさんの部屋に使用人たちが集まっていることに気づく。
「呪符が燃えてる…?じゃあ…!」
呪いだ。リスノワールさんは呪いを受けている。なら、効果があるのは解呪の魔法だ。
すぐさま僕はリスノワールさんを抱きしめたまま解呪の魔法をかけた。けど、これはきっと気休め程度にしかならない。
火急の報告からだけでもかなりの数の呪符が燃えていることが予想される。ということは、リスノワールさんがかけられている呪いは、それだけ強力なものということだ。完全な解呪をするためには、決められた手順を踏む必要がある。
「あ…あぁ…」
叫び声が静まり、リスノワールさんの身体から少しずつ力が抜けていく。一時威力を鎮める程度でも効果はあるみたいだ。
リスノワールさんが完全に脱力したところで魔法を止める。
「リスノワールさん、分かりますか?」
改めて声をかけた数秒後、虚ろな瞳が僅かに動く。
「…ドゥ、マン…?」
「はい、リスノワールさん。もう大丈夫ですから、ゆっくり休んでください」
「朝…なの…?」
「いえ、まだ夜です。ですから、まだこれからゆっくり休めますよ」
「…だめ…」
ほんのりとリスノワールさんの身体が光る。回復魔法で自己治癒をしている。身体の内外の傷を治す魔法が、今リスノワールそんに効果があるのだろうか。
嗚呼、でも、顔色はほんの少しだけよくなった。
「ドゥマン」
「はい」
「私、うるさかったのよね?だから、私の部屋に来たんでしょ?ごめんね」
「リスノワールさんの苦しそうな声が聞こえたからです。心配で勝手にお部屋に入ってしまいました。ごめんなさい」
リスノワールさんのこえが、さっきまでの消え入りそうなものから、まだ疲労は感じるけれども意志の込もったものに変わった。多少は回復魔法に効果はあったみたいだ。
でもやっぱり、暴れて疲弊した身体は脱力したままで、本来回復するはずの体力は戻らなかったようだ。たくさんの呪符が燃えていたんだ。リスノワールさんにかけられた呪いは相当強いもので間違いない。
「また朝お話しましょう。必要なものがあれば用意します。どうか休んでください」
「ごめんね。いつもは防御魔法を張って音が外に聞こえないようにしてるんだけど」
「いつも?」
「今日は魔法をちゃんと張れてなかったのかも。ごめんね」
僕の声が聞こえていないのだろうか、と思うくらいにはリスノワールさんが僕の言葉に応えてくれない。いつも丁寧に僕と会話をしてくれるから、違和感を抱かずにはいられない。
実際に耳が聞こえにくくなっている可能性だってある。あんな錯乱状態に陥ったなら、身体のどこかに支障をきたしていてもおかしくない。
「リスノワールさん、お身体は大丈夫ですか?」
「ドゥマン」
「はい、何ですか?」
「ごめんね」
らしくない。リスノワールさんがこんなに弱々しく謝罪の言葉を繰り返すなんて今までなかった。弱音吐きたくなることくらい誰だってあると言われればそうだけど、あんな姿を見た後だ。呪いの影響かもしれないと思う方が普通だろう。
そもそも、リスノワールさんは自分か呪いにかかっていることを知っているのだろうか。
「謝らなくていいです。むしろ、ずっと苦しい思いをされていたのに、今まで気づけなくて申し訳ありません」
リスノワールさんはいつも防御魔法を張っていると言っていた。一体、いつからこんな辛い思いをしていたのだろうか。
「ベッドに横になりましょう。おろしますね」
「ドゥマン」
「はい」
「ドゥマン」
「はい、リスノワールさん」
僕の名前を呼ぶばかりで、リスノワールさんはそれ以上言葉を紡がない。いつもよりはるかに弱っているのは明白だけれども、縋るような瞳で僕を見る姿に心配ばかりが募る。
「いつもは、魔法でもっとちゃんと回復できるのよ」
言い訳のような声だった。弁明なんて何も必要ないのに。
「ずっと辛い思いをされてたんですね。朝まで時間がありますから、ゆっくり身体を休めてからお話しましょう」
リスノワールさんの不安そうな表情は変わらない。僕が頼りないのだろう。リスノワールさんを守りたくて頑張って強くなったのに、僕は何の力にもなれていない。
落ち込みそうになる表情を耐えていると、リスノワールさんが僕のシャツの袖口を掴んだ。
「防御魔法、今は上手く張れないから、たぶんまたうるさくて迷惑をかけるから」
「…リスノワールさんが嫌でなければ、僕がずっと側にいて、リスノワールさんが呪いでうなされたら解呪魔法をかけます」
「それじゃ、ドゥマンが眠れない。疲れるでしょ」
リスノワールさんは僕に迷惑をかけないようにと気遣う言葉を口にしながらも、僕から身体を離そうとはしない。本当は離れたくないと思ってもらえてる気がして、こんな時なのに嬉しくなってしまう。
リスノワールさんをベッドに寝かせるのではなく、僕の方がベッドに体重を預けて、改めてリスノワールさんが僕に寄りかかれるようにしたら、リスノワールさんの身体は素直にそれに従った。
心臓が煩くなる。ドキドキするのは許されるだろうか。
「でしたら、今夜は僕とお話しませんか?静かな夜に、リスノワールさんと2人でお茶を飲みながらゆっくりお話するのもとても素敵です」
「…ありがとう」
リスノワールさんは安心したように、改めて僕の胸に身体を預けてくれた。
その後は、急な指示にも関わらず侍女が手際よく飲み物を用意してくれた。リラックスできるようにと注文がなくともハーブティーを選んでくれる気遣いもありがたい。
再び屋敷が静かになった頃、リスノワールさんが呪いにかかってること、呪符が反応して燃えていたことを伝え、解呪の方法を呪術師に相談することを提案した。リスノワールさんは迷うことなく同意してくれた。
続けてリスノワールさんからも自身の身に起こっていることを話してくれた。物心ついた時には毎夜悪夢を見てうなされるようになった。魔法も使って朝まで寝ずに過ごそうとしてもどうしても眠ってしまい、数年前からは悪夢を見る度に錯乱するようになったらしい。
僕のことを救ってくれて、生きる希望になってくれたリスノワールさんがずっと苦しい思いをしていて、僕が何の力にもなれていなかったことが悲しい。今こうして僕に身体を預けていることも、僕を気遣うリスノワールさんの優しさなのではないかと思えてくる。
どうか、リスノワールさんの呪いを解くために僕ができることがありますように。
リスノワールさんのことに必死で忘れていたんだけれど、この夜の僕はずっと仮面を着けていなかった。そんな重要なことを、日が昇ってからようやく気づいた。
みんな、闇に包まれたような黒い顔を化物を直に目にして驚いただろう。リスノワールさんなんて触れ合う距離で向き合わせてしまった。
でも、誰も僕のことを怖がっていなかった。いや、僕がリスノワールさんを心配なあまり他の人の様子を気にしていなかっただけかもしれない。
これから朝食をとろうかという今更なタイミングで、僕の顔が怖くなかったのか、リスノワールさんに尋ねた。
「ドゥマンの顔が黒いことは元々知っていたし、優しい声と温もりが心地よかったから…一人で夜をやり過ごそうとしてたけど…でも本当は、ドゥマンの腕の中から離れたくないとも思ったの」
淡い桃色に頬を染めながら答えるリスノワールさんの姿を目の当たりにして、心臓が爆発したかと思った。




