3 友愛以上溺愛未満(2)
「あの、もしよろしければ、城下町でデートというものをしませんか…?」
リスノワールさんの貴族教育が滞りなく進み、並行して辺境伯夫人としての仕事も担ってもらうようになった頃、市政を直接確認するためにもどうかと、僕は緊張を隠しきれていないことを自覚しながら説明した。
リスノワールさんは、仕事の合間に騎士団の訓練の見学に来ることがある。見学をした時には、僕を見てかっこいいと言ってくれるんだ。だから、このタイミングなら快く承諾してくれるかもしれないと、勇気を出してみた。
僕がリスノワールさんの短い一言一言に浮かれていることは、周りにいる人たちには丸わかりで、みんないつも励まし応援してくれる。リスノワールさんにも知れられているのだろうか。
とりあえず今は、僕の提案に対して嫌悪を感じている様子は見られない。
「デート…」
「は、はい。その、僕はこの顔のこともあるので、お忍びというのはできないんですけど、代わりに堂々とするので安全面の対策はしっかりとできると思います」
「いいわね。行きましょう」
「は、はい!」
よかった。受け入れてもらえた。リスノワールさんも僕と親しくなろうと思ってくれているのかもと期待したくなる。
リスノワールさんがデートの行き先を一緒に話し合って決めたいと言ってくれた。
使用人たちにオススメのお店を聞いたりしながら、2人でデートの計画を立てた。話し合いの時に、リスノワールさんが笑顔を見せてくれると、胸がむず痒いようなそんな気持ちになった。
好きな人との結婚生活というのは、描いていた憧れよりもずっと心がざわめくものだと分かってきた。憧れていたものよりずっと、愛しくて尊いものだと思えた。
僕たちの初めてのデートは、楽しい思い出になったと思う。
デートだからとリスノワールさんの提案で歩く時はずっと腕を組んでいた。嬉しくてたまらなくて、心臓が痛くなるくらいドキドキした。そんな痛みも幸せ故だろうと思ったら、悪くなかった。
事前準備として、王都で広まっていたリスノワールさんが悪女だという噂が、領民にどれだけ浸透しているかを調べた。行く先々でリスノワールさんに悪感情を向ける人が居てはいけない。
調査の結果、辻褄の合わない悪女像は、フォール辺境伯領の民にはあまり広まっていないことが分かった。噂は聞いたことある人自体が少なかったようで、同じ国内でも王都と辺境では出回っている情報が大きく異なることも改めて確認できた。
リスノワールさんも安心してくれていたようだった。
実際のデートでは、どこに行ってもそれぞれよく対応してくれた。
リスノワールさんの美しさに見惚れる人も多くて、分かるよと共感する気持ちと、それ以上見ないでほしいという拒否的な気持ちとどっちも沸き上がってきて、一人複雑な気持ちになっていた。
「店オリジナルの野菜ソースが美味しかったわ。お肉がそこそこジューシーだったけれど、ソースのおかげでさっぱりとした感覚で味わえたのよ」
「図書室の本棚に並んでいる本を一つ一つ手にとりながら、次は何を読もうかと考えるのも案外楽しいのよね。今日は買う本を選ぶから、いつもとは少し違ったわくわく感があるわね」
「宝石を使っていないアクセサリーに新鮮な気持ちになるなんてね。少し前まで宝石自体に慣れてなかったのに。私も領主夫人として馴染んできたのかしら」
「お揃いのもの買う?」
「この街は、優しい感じがするわ」
話してくれる言葉一つ一つから、リスノワールさんが楽しんでくれていることが伝わってきた。それに加えて、リスノワールさんが自分の好きなものを持てるようになったことも分かって、少しずつでも穏やかな気持ちで暮らせているのだろうと思えて嬉しかった。
またデートをしようとリスノワールさんから約束もしてくれた。僕と夫婦になったことを受け入れてくれているのだと、改めて実感した。
その日の夜は歓びで涙が溢れてきた。
*
仲睦まじい夫婦へと少しずつ近づけていると思う。
とは言え、同じ部屋で夜を過ごしたことはない。きっとまだ枕を共にするにはまだ早い。夫婦それぞれの部屋をつなぐ中扉は未だ開かずの扉のままだ。
リスノワールさんの行方を探している時から、すぐに一緒に寝ようなんて考えてはいなかった。
リスノワールさんが優しい人だと信じていても、昔会った時よりも闇が広がってしまった僕のこの顔を見せることは正直怖かった。
真っ黒な顔は全てを呑み込んでしまいそうな闇のようで、何度鏡で向き合っても僕自身恐ろしいと思わずにはいられなかった。そんなものが顔にあるのだから、自分で自分を化物みたいだと思ってしまうのも仕方ないと思う。
親として優しく振る舞って、我が子のことを受け入れようと努めてくれていた両親でも、心の底では呪われた僕の顔が恐ろしくて堪らないと思っていることを本当は分かっていた。僕の顔を見る度に、見てしまう度に、歪みかけた表情を何でもないように必至に取り繕っていた。
僕が仮面をつけるようになった時、家族が安堵しているのが手に取るように分かった。本当はもっと前から仮面をつけてほしいと思っていたのかもしれない。けれどそれは、我が子を拒否していることになるのではないかと危惧して、自分たちの口からは言えなかったのかもしれない。
あの頃から僕は、リスノワールさんの提案に浮かれる心を盾にして、家族に心から受け入れてもらえない悲しみを見ないふりし続けていた。仮面で顔を隠して見えなくしたように、心の一部を見ないようにした。
でももう、自分で自分を誤魔化すこともできなくなってきた。リスノワールさんに僕の全部を受け入れてもらいたい。家族に受け入れられなかった悲しみを乗り越えなければいけない。
リスノワールさんに素顔を見せることができたら、改めてちゃんとリスノワールさんに好きだと伝えたい。そうすることでやっと僕は想いを伝える資格を得られる気がする。




