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3 友愛以上溺愛未満(1)


 話し合いの後、リスノワール嬢はフォール辺境伯夫人として、すぐに屋敷に移ることを了承してくれた。

 冒険者の登録もすぐに解除手続きをしてくれた。

 領主邸に向かう馬車の中で、これからの生活に向けて、事前に用意していた資料を見ながら、優先して伝えておくべきことをリスノワールさんに説明をしていた。

「私はもう、あなたと夫婦なのだから令嬢ではないでしょう?」

 説明の途中でふいにリスノワールさんに指摘されて、僕はなんだかどぎまぎした。

「で、では…リスノワール夫人?」

「夫がその呼び方はおかしいでしょ。そうね…夫婦ってことだし、継承はなくていいわ」

「えっと…では、リスノワールさんと呼びます。その方が今はまだ呼びやすいし、こうやって呼びたいと思っていたので。僕のことは呼び捨てでお願いします!」

 もっと夫婦らしい関係になれた日には、愛称で呼びたいという夢を心の中に秘めてみた。

 今日この日までに会ったことがあるのはたった2回。交わした言葉の数も指で数えられる程度しかなかった。

 今はまだ書類上の夫婦でしかない関係だけど、ここから少しずつ親しくなっていくのも素敵ではないかと夢を見ている。

「そう?じゃあ、ドゥマンこれからよろしくね」

「はい!よろしくお願いします、リスノワールさん!」

 リスノワールさんに初めて名前を呼んでもらえて、ただでさえ落ち着かないと思っていた胸がさらに騒がしくなかった。

 好きな人を前にしてドキドキするっていうのは、こういうことなのか。

 挙動不審になりかけている僕に、リスノワールさんが見せてくれた笑顔が温かくて、僕の心臓が余計に強く脈打った。


 ドキドキで飛んでしまいそうになる記憶を必死に手繰り寄せながら、必要な説明を続けた。

「後、フォール領は僕の呪い対策として呪符があちこちに貼ってあります。領主邸は特に多いです。奇妙な景色だと思いますが、そのうちでいいので慣れていただけたらありがたいです」

「ドゥマンの呪いは周りに影響を与えるものだったの?」

「いいえ。僕の顔が黒くなるだけで、呪い自体は周囲には何の影響もありません」

「ならどうして呪符を貼ることになったの?」

「僕が領主になったことをきっかけに、領民が呪い対策に目覚めたみたいです。過去に魔物による被害への処置として呪術が有効だった例もあるみたいで、いい機会だと領内での研究が始まりました。最初は冒険者ギルド内に支部を立ち上げて、半年ほど前に専門機関の設立に至りました。僕は費用面や研究対象としての協力を主にしています。領主邸に呪符がたくさんあるのも研究の一環です」

「そう…なんとなく思ってはいたのだけれど、ここの人達は明るい気質の人が多いわね」

 どこか遠い目をして、リスノワールさんは馬車の外を眺めた。

 リスノワールさんはこの4ヶ月はほとんど人と関わらずに過ごしていたみたいだ。酷い噂を信じられないほどたくさん広められてきたんだ、他人を信用できなくてもおかしくない。

 僕のこともすぐには信頼してもらえないんだろう。それも仕方がない。少しずつ頑張ろう。

「はい、頼もしい人たちです。実際、呪符は僕の呪いに対しては気休めでしかありませんが、それで嫌気が差して研究を投げ出すこともありません。もしかしたら、思わぬところで役に立つこともあるでしょうから」

「確かに、あって悪いことなんてないわね」

 資料に視線を落としたリスノワールさんが、穏やかな顔で静かに「そういう考え方、とても好きよ」と呟いた。

 僕の聞き間違いじゃなければ、そう言った。

 僕のことじゃないと分かってるのに、その二文字が頭から離れなくて、心臓が痛くて、全身熱くて、手汗が止まらなくて、どうにかなってしまうのではないかと思った。


 その後のことはよく覚えてないけど、たぶん資料を頼って必要な説明はできたはずだ。

 これは僕の願望でしかないけれど、きっとリスノワールさんと僕の夫婦生活は順調に始まったと思う。




 人物調査をしても、実際のリスノワールさんの為人は全然分からなかったから、改めてリスノワールさんのことを色々知りたかった。

「リスノワールさんは好きな料理はありますか?料理長に食事のメニューのリクエストもできますよ」

「そうなのね。…ドゥマンのオススメをお願いするわ。私、自分が何を好きか、よく分かってないのよ」

「…それは、リスノワールさんは何を食べても美味しく感じないということではないんですよね?」

「そうね。これまではただ食事を楽しむなんて気になれない生活をしてたから…心穏やかに過ごせていけるなら変わるのかもね」

 リスノワールさんは遠くを見るように話していた。

 フォール邸で初めての食事の時、リスノワールさんは出された食事全てを鑑定魔法で確認していた。驚いて凝視してしまっていた僕たちの視線に気づいたリスノワールさんは、ハッとして罰の悪い顔をした。

 癖になっていて、やらなければ落ち着かないのだと、失礼なことをして申し訳ないと、謝られた。

 僕は動揺する心を抑えてどうにか絞り出して、よく知らない相手の家なのだから仕方ない、と答えた。

 リスノワールさんは少し目を見開いた後、泣きそうに微笑んだ。

 次の食事からは、リスノワールさんは鑑定魔法を使わなくなった。初めの頃は、食べ始めの時には手が震えていて、顔も強張っていた。

 そんなにも毒の存在にに脅かされる生活を送っていたのかと思うと、胸が苦しかった。

 ただ静かに見守ることしかできない自分の無力さが虚しかった。


 リスノワールさんがここでの食事に慣れた頃、食事を少しでも楽しめるようにと料理長の提案で、食事の時には毎回用意した料理の説明をしてもらうことにした。

 それが心穏やかな生活につながったかは分からないけど、リスノワールさんが料理について話を聞けるのは面白いと言ってくれた。

 食事の度に強張っていたリスノワールさんの表情が、少しずつ緊張が薄れていく様子が見てとれて、僕も含めて、屋敷の者みんな安堵していた。




 これまで自分のことに必死で生きてきた僕には、女性が生活するにあたって必要なものが分からなかった。

 リスノワールさんもまた貴族としての生活はよく分かっていないとのことだった。

 一先ず侍女長に相談してみた。色々確認していくと、リスノワールさんが礼儀作法などの教育を受けていないことが分かった。所作が綺麗だったから気づかなかった。

 実は知らないマナーがあったということがあってはいけないから、リスノワールさんの貴族教育の受け直しをフォール家で行うことにした。

 貴族教育の一貫として、着飾ることに慣れる必要もあるらしく、リスノワールさんは毎日ドレスや宝石で多様な美しさに彩られていた。

 僕の方は大事な奥さんを褒める訓練が必要だと言われて、リスノワールさんの貴族教育の中に僕がリスノワールさんを褒める時間を設けられた。

 侍女たちからは語彙が少なくてロマンチックさが足りないなど厳しい評価が多かった。参考図書として恋愛小説を渡されたりもした。

 後、貴族位の夫として、妻に素敵な贈り物をできなければいけないという指導もされた。

 エスコートの練習として、屋敷の庭園を一緒に見て回ったりもした。リスノワールさんに触れることもそうだけど、ちょっとしたデートみたいで毎回ドキドキしている。

 そんな僕をリスノワールさんがいつも優しい瞳で見てくれるから、僕の胸の奥はまた温かく疼くのだ。

 本当に貴族教育として必須な内容なのか疑問が浮かぶことも時にはあったけれど、使用人たちは僕たちが夫婦として仲睦まじくなれるようにと応援してくれているのを感じて、それは素直に嬉しかった。



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