9 願ったいつか(2)
優しく頬を撫でられる感覚で目覚めると、薄明かりの中、優しい瞳で僕を見つめるリスが目の前にいた。
「苦しそうにしてたけど大丈夫?」
「リス?」
「おかえりなさい、ドゥマン。お迎えできなくてごめんね」
リスが申し訳なさそうな声で謝って、僕の目元らしきところにキスをする。
嗚呼、ほら、やっぱりリスも本当なら討伐から帰ってきた僕の出迎えをしたかったんだ。
会いたかった。ずっと、ずっと、会いたかった。リスに会いたかった。僕を見て、愛おしそうに微笑んでくれるあなたに会いたかった。やっと会えた。この時を、この日々をずっと待っていた。
胸が歓喜で満ちて震えている。
愛している。あなたを愛している。血のつながりとか共に暮らした時間なんて関係ない。僕が世界で一番、リスのことを愛している。
「ただいま、リス」
ずっと側にいてほしい。ずっと、ずっと、この人生の先もずっと、他の誰よりも僕の側にいてほしい。
わがままだなんて言わないでほしい。望むことを許してほしい。欲張りだなんて呆れないでほしい。強欲だなんて蔑まないでほしい。
「寂しかった」
「私も。お疲れ様」
「リスがずっとダリア嬢の側にいるのが寂しかった」
リスの目が丸く開いた。今はまだ外が暗いから、リスの瞳が輝く星に見える。その煌めきに惚けて、そのまま蕩けてしまいそうな、そんな心地がした。
驚きが咲いた瞳には再び優しさが灯り、感動したようにも見える微笑みで、リスは僕のことを抱き締めた。全てを包み込まれているような温かく柔らかな感覚が、身体にも心にも現れた。
「ありがとう、ドゥマン。伝えてくれて、ありがとう」
不思議なことに僕はリスに感謝を告げられている。会えなくて寂しかったことを伝えたら、リスは嬉しいと思ってくれるんだ。僕もリスが寂しいと思ってくれたら嬉しい。でも一番は、寂しいと思わせてしまうことがないようにしたい。
離れたくない。このまま隣にいてほしい。そんな気持ちで、リスをゆっくりと抱きしめ返した。
「確かに私は姉の所に行き過ぎてたわ。心配が先走って、本当にこれでいいのかを考えないまま動いていた。この先ずっと私がお世話できるわけではないし、使用人たちに任せていくわ。寂しい想いをさせてごめんなさい」
「うん、好き、リス」
「ふふっ、眠いのね。目がとろけてる。眠いから素直に言えたの?」
リスの甘い声。2人きりの時にいつも僕を甘やかしてくれる時の魅惑的な声。そう、いっぱいリスに甘えたい。甘えて、それでリスに可愛いって言われるのは嫌いじゃない。
ここに確かにリスがいることを確かめるように、リスの首元にすりすりと頭を撫でつけた。くすぐったいとリスが小さく笑った。好き。愛しい。こんな人、奇跡だ。
溢れる想いに揺蕩いながら、キスがしたいと顔を上げると、リスの方から喰むようなキスを贈ってくれた。嬉しくて、僕からも柔らかなキスをした。リスの唇に触れることが気持ちよくて、そのまま少しキスを繰り返していた。
「私を愛してくれてありがとう。ドゥマンと夫婦でいられて幸せよ」
「僕こそ、夫婦になってくれて、愛してくれてありがとう」
微睡みの中、抱きしめ合ったまま、気づかない内にまた眠りについていた。
夢を見た。
将来を約束していた愛する幼馴染が、他国の皇子に見初められた。国力で敵わない相手なため、国は貢物のように幼馴染を差し出した。
『もし生まれ変わってまた出会えたら、今度こそと願っているわ』
愛する人との別れの言葉だった。気持ちは一緒だったのに、結ばれることは叶わなかった。
気が狂いそうだった。多くの民の命を背負っている立場の一人であるため、そんなことが許されるはずもなく、溢れ出す激情を毎日のように宮廷魔道士に数名がかりで抑えつけられていた。
なんとか魔法をかけられなくても生活できるようになった僕は、似たような境遇の令嬢と結婚した。想い合っている婚約者が隣国の王女に気に入られて、召し上げなければなかったのだ。なんと立場の弱い国だろうか。
新しく公爵位を賜ることもあり、貴族の義務として結婚を粛々と受け入れていた。後継ぎには恵まれて、人生で最も願ったことは叶わなくても、順調に生きていた。
けれど、結婚相手に不貞の疑惑が上がった。子を成さなければそれが証明になると僕は告げていた。元々子どもが生まれてからは、夜を共にすることはなくなっていた。お互い生涯愛する人は変わらずただ一人で、耐えられなかったのだ。それでも、公爵夫人の立場である人の行動として看過するわけにはいかなかった。
ある日、若い令嬢に告白をされた。当然丁重に断った。しかし、初めて優しくしてくれた人だからと、その令嬢は中々諦めることができないようで、僕に迫り続けてきた。
『あなたを愛することができるのは私だけだと証明いたしますわ』
煮えを切らしたのか、そう言って令嬢は僕に呪いをかけた。頭頂部から額にかけて黒くなった自分の頭を見て動揺していると、人生に絶望するほどに顔が黒く染まっていくと令嬢に説明された。その途端結ばれなかった幼馴染のことを思い出して、僕の顔は真っ黒になっていた。
公爵を害した罪で令嬢は幽閉された。隔離されたことに安堵した。
その後は呪いが解けるわけでもなく、親しくしていた人の多くは、僕の黒い顔を気味悪がって距離を置いていった。僕に同情して僕に非はないからと変わらず接してくれる者も少数ながら確かにいた。
けれど残念なことに、結婚相手は顔の黒い僕に対して蔑むような目を向けてくるようになった。
『容姿がどうなろうと、父上が素晴らしい方であることを知っています。父上を誇りに思う気持ちに変わりはありません』
息子たちの言葉に救われながら、成すべきことをしようと生きていった。顔がどうなろうと、身体は健康で、公爵に与えられた責務がなくなることはない。
できる限りを尽くしても、僕の人生は長くは続かなかった。
ある夜、食事に毒を盛られた。当主の異変に屋敷内が騒がしくなる中、呻き苦しみながら頭に浮かんだのは、幼馴染のことだった。死の間際に思い出すのが家族以外人間なのだから、僕はそれなりに薄情な人間だったらしい。
それでも、あの人に会いたかった。ずっと側にいられる人生を送りたかった。愛し合って生きていたかった。幸せでいてほしいと願っても、笑い合う相手が僕ではないことが悲しくて苦しくて辛くて堪らなかった。
そんな嘆きに苛まれながら、僕はそのまま息をひきとった。
「ドゥマン?泣いてるの?」
リスの声が聞こえる。優しい、愛しい声。
ゆっくりとまぶたを開くと、水でぼやけたような視界の中で心配そうな顔が目に入った。僕の腕の中にリスがいる。
「リス…」
「ドゥマン、大丈夫?」
「うん…なんか…どうしようもなく悲しい夢を見た気がする」
「そう…」
「よく思い出せないんだけどね」
そう言えばさっき寝ぼけたままま弱音を吐いてた気がする。でも、リスはそんな僕を優しく包み込んでくれた。
悲しい夢なら無理に思い出す必要もない気がする。こうしてリスが僕の側にいてくれる以上に大事なことなんてない。そうだ、きっと僕はそんなことを思っていた。
「きっと僕はリスに会うために生まれてきたって、そんなことを思う夢だった気がする」
「私もドゥマンと愛し合うために生まれてきたわ」
優しい瞳。愛と熱を感じられる視線。リスと僕は手をとり愛し合う人生を送っている。
幸せだ。これ以上、何があると言うんだろう。僕は何を不安がっていたのだろう。リスは確かに僕と共に在ってくれてるのに。
遠くない未来、きっと僕の呪いは解けるのだろう。だって、リスがこうして僕と共に生きてくれている。心臓を焼き尽くすような苦しみなんてどこにもない。
人生への祝福を感じながら、僕たちは




