8 呪いの跡地(2)
「フラグメント侯爵家に乗り込みたいの」
リスは侯爵夫妻はどうでもいいけど、ダリア嬢のことは心配らしい。ダリア嬢の様子を見に行きたいと言われた。僕の許しを得られるなら、フォール辺境伯領に連れて帰る選択肢も欲しいと言われた。
「ドゥマンは姉を許さなくていい。これ以上ドゥマンを傷つけさせないし、きっと姉はもうそんなことできないと思うから」
辛そうな顔をされた。ずっとリスに辛い思いをさせてきた人なのに、どうしてそんなに心を傾けることができるのだろうか。
「姉には恐らく呪い返しでできたたくさんの痣がある。そんな身体では、姉の価値観では生き続けていられないかもしれない。でももし子どもを産むなら、産んだのはいいとして、その後は?今のあの家の現状を考えたら、まともに子どもを育てられるなんて期待はできない。心配なの。生まれてくる子どもに罪はないのよ」
悲しそうな悔しそうなリスの表情に言葉が出てこなかった。リスの心の中にいろんな感情が溢れてきてるのだろう。僕自身も言葉に言い表しきれないいろんな感情が生まれてきたことは感じとれた。
なんとなくだけれど、リスの願いを受け入れることで誰もが救われるのではないかと、そんな気がした。
調べたところ、フラグメント侯爵夫妻は領地に戻っているけど、ダリア嬢だけは王都邸に残っていた。王都で王太子に手紙を送り続けているらしい。
リスがダリア嬢に会いたいと言うと、門番は簡単に屋敷に迎え入れてくれた。
フラグメント家の屋敷は、僕の記憶よりもやや荒れていた。見る限り侯爵家にしては使用人の数が少ないから、手入れが行き届いてないのかもしれない。
使用人が少ない理由は、いくらでも考えられる。悪行が知れ渡り事業がうまくいかなくなって雇えなくなった。評判の悪い家に仕えると自身の悪評にもつながりかねないと辞められた。身体中に痣のある醜い主人は敬う必要がないと思われた。
邸内を歩く僕たちの姿を見た使用人たちは驚いている。
リスは余計なものには目もくれない様子で、迷いなく足を進めていく。そして、一つの部屋の扉を開けた。
可愛らしい装飾で彩られた部屋だ。部屋の奥にあるベッドにリスによく似た容貌の女性が座っている。ダリア嬢だ。
「…リスノワール?」
「そうよ。顔を見に来たの」
「っ!?」
ダリア嬢は青褪めると同時に焦るように顔を隠した。
ダリア嬢の反応に構わず、リスはベッドに座っているダリア嬢に近づいて行った。僕はリスに言われた通り、部屋の出入り口で留まった。
顔を咄嗟に隠そうとするということは、ダリア嬢の身体には恐らく痣がある。ダリア嬢が元々自分の容姿に自信がない人だったとは考えにくい。リスが言っていた通り、呪い返しの痣なのだろうか。
聖女と呼ばれていたからには、ダリア嬢は清廉で優しい言動をとっていたはずだ。にも関わらず、リスを貶めた証があるとして、ダリア嬢は一体どんな罪を犯していたのか。僕に対してしたような酷い態度を令嬢は他の人にも何度もとっていたのだろうか。
「…王太子殿下の婚約者にはなれなかったのね」
「っ!!…アンリ様、帰国してすぐ会いに来てくださったの。でもその後はずっとお会いしてくださらなくて。私がアンリ様との子どもができたとお伝えしたら、怖いお顔をされて否定されたの。私のお腹の子の父親はアンリ様ではないって。そんなはずないのに。アンリ様の御子だと何度も手紙書いてを出しても返事をくださらなくて」
「王太子殿下は4年間の留学の中で、一時帰国をされたことは一度もないわ。あなたのお腹の子どもが王太子殿下の子どもということはあり得ないのよ」
「私が愛しているのはアンリ様だけなのよ?この子はアンリ様の御子だわ」
本当だ。王太子が言っていたように、ダリア嬢はお腹の子が王太子との子だと信じて疑っていないように見える。会っていない相手と子を成すなどあり得ないことだと分かりきっているというのに、どうにも聞き入れられないようだ。
その様子にこちらの方が薄ら寒さを感じてくる。ここまで信じ込んでいるということは、王太子が仰っていたように、魔法で騙されたのかもしれない。そうだとすれば、何と言う悲劇だろう。
「…愛し合っていなくても子どもはできるわ」
「お父様とお母様は愛し合うことで子どもを授かると言っていたわ」
「子を成す際の愛し合うというのは心の話ではないの」
「人を愛するのは心ですることでしょう?」
なんだか、不思議な会話だ。愛し合う云々言っているのに、少しもロマンチックには聞こえない。ダリア嬢の言葉は間違っているわけでもないのに、何故か幻想の世界にいるような感覚を覚える。
「…違うのよ…あの人たちは純真無垢な聖女様を作りたくてあなたに何も教えなかったの…」
リスの声が泣きそうに聞こえる。もう泣いているかもしれない。傍に行きたいけど、今は2人の会話を邪魔してはいけない。僕はここで耐えなければいけない。
「社交界に出ていなくたって、あなたが確かに誰よりも人気の令嬢であったことは私も知ってるわ」
「えぇ、きっと、そうだったわ」
「男性もたくさん声をかけて来たんでしょ。いろんな風に。きっと婚約者が居たとしても関係なかった」
「リスノワール?」
力を失ったように、リスは床に膝を着いた。そのままベッドに頭を伏せてしまった。
「望まれたんでしょう?持てる者は与えなければいけないからと全部、全部言われるがまま与えて…身体も差し出したのね…それが…子どもを成す行為よ…」
「……え?」
「優しい子であれと教わった価値観のまま、重要なことは何も知らず何もかも…!与えるだけが優しさじゃない。断らなければいけないこともたくさんあったのよ…」
「な…に…?え…?」
「まずは自分を大事にしなさいよ…」
リスが泣いてる。僕から見えるのはリスの背中や後頭部だけだけど声で分かる。リスもあんな風に泣くことがあるんだ。自身の呪いのことだって、あんな風にはならなかったのに。
「どうして、こんなことに…」
大事な話をしていたと言うのに、リスは僕のためにもあんな風に泣いてくれるのだろうかと、そんなことが気になってしまった。




