6 愛を知る(リスノワール視点)(3)
21歳になる年、姉の元に久し振りに婚約の申込書が届いた。
王太子に合わせて婚約をしていない者が多い世代だから、婚約の打診はかなり珍しいものらしい。
相手は、ドゥマン・プリエール・フォール辺境伯。婚約を申し込んできた相手が何者か分かるやいなや屋敷中の人間が、嫌悪感を浮かべながら騒ぎ立てた。
呪いで顔が黒くなっている公爵令息だった人物。生家とは別の爵位を賜りながら、生家の名をそのまま残している。呪いはまだ解けていないらしい。
醜い分際で聖女と呼ばれる姉に婚約を申し込むなど身の程を弁えろと皆が憤っていた。
呪いを受けているからこそ、聖女とのつながりが欲しいのだろう。そんな考えに至る人間はいないようだった。
当の姉は、恐ろしい姿をした人が婚約を申し込んでくるなんて酷いと泣いていた。人の容姿を恐ろしいと言ったり、切実な婚約の申し込みを酷いと嘆いたりすることは酷くないのか。
他の人間と結婚させれば、姉のことは諦めざるを得ないだろうと両親は考え、姉の代わりに私を辺境伯と結婚させることを決めていた。顔が似ていれば文句も出ないだろうと言っていたが、そんなことあるわけがない。
向こうが所望したのは聖女と呼ばれる人間だ。悪女と噂をされている人間ではない。納得できるとはとうてい思えない。
「1人で辺境伯領へ行け!お前に護衛をつけるなんぞもったいない!そもそもお前を傷つけられるものなど存在しないのだから不要だろ!」
父親が叫んだのを皮切りに、母親や使用人までも嬉しそうに私が婚約者となって辺境伯領に行くべきだと騒ぎ始めた。
憎たらしいのに、怯えなければいけない存在が側にいるのは屈辱なのだろう。正当な理由で追い出せる、またとない機会だと喜んでいるのが伝わってくる。
とりあえず、父親には脚に刺すような痛みを与えた。守る価値がないと言われたようなもの。暴言と捉えて差し支えない。
「リスノワールなら大丈夫。どんな場所でも生きていけるわ」
励ましの言葉をかけるなどなんて優しいのだと、皆が褒めそやす。泣くほど己が嫌がった婚姻を別の人間に押しつける行為は、心優しい人間がすることか?
ここで問答をしたところで何の生産性もない行為にしかならない。それよりも、この馬鹿馬鹿しい屋敷から出られる機会が私に生まれたことが重要だ。
生きるための必要最低限の世話をされる環境に甘んじて生きてきた。別の生き方など考えたこともない。けれど、今ここで選択をするべきだということだけは直感的に分かる。
先行きなど何も分からないが、どうにかはなるはずだ。ずっと私は、何にでもなれるだけの力を十何年と蓄え続けてきたのだから。
「私がフォール辺境伯領に向かいます」
私は血のつながった人間に、その一言だけを告げた。
*
フォール辺境伯領に着いても、領主邸には向かわなかった。
婚約を申し込んだ聖女の代わりに悪女がやってきたなど、ろくな扱いを受けない。それでは侯爵邸での生活と何も変わらない。
一先ず思いつく生き方は冒険者。容姿は魔法で変えて、侯爵家のメイドたちの姿を参考にどこにでもいそうな女性になってみた。
女性1人の冒険者というのは、邪な心を持った人間に狙われやすいという心配がある。できるだけ気配を消して、あまり多くの人間に認知されないように過ごすことにした。
屈強な戦士に成り代わることが理想だけれど、実際の身体の大きさと異なる体格になった場合は、身体の扱いが難しくなる。動きの不自然さから魔法で姿を変えていることをすぐに知られては、身を隠すことにはならない。
冒険者生活は、波風立てないようにするだけで、神経が擦り切れていくような気がした。日中は面倒な輩に目をつけられないようにして、夜は騒音で追い出されないように気を使っていた。
私はこんな風に生きたかったのだろうか。肩身を狭くして生きることが私の望みだっただろうか。そもそも理想の生き方なんてものもなかった。何を目指したらいいのかも分からない。
一先ずはコツコツとお金を貯めた先に、やりたいことや行きたい場所が見えるかもしれないと考えるしかなかった。
息を潜める生活を始めて4ヶ月ほど経ち、高貴な人物からだとギルドから手紙を渡された。
手紙には、私と姉に婚約を申し込んだ人の婚姻が成立したと書かれていた。婚約を飛ばして婚姻が結ばれている。あの両親は辺境伯を他の人間と結婚させるというのを実現させてしまったのか。
辺境伯も可哀想な人だ。報われてほしいと願っていたが、こんなことになるとは。幸福を願っていたのが私だからこんなことになったのだろうか。
手紙には話し合いたいとも書いてある。
私の行方を調査して突き止めて渡された手紙だ。これ以上はきっと逃げようがない。腹をくくるしかない。
罵倒されることも覚悟して向かった話し合いは、夫となっていた人にただ歓迎されるものだった。
取り繕わない話し方をしてみたら嬉しそうにされた。恐らく辺境伯は私を攻撃してこない。気を緩めることにした理由はそれだけ。気を遣うことに疲れてしまった。そんな弱さを誰かに見せるつもりは毛頭ないけれど。
辺境伯が結婚したかったのは、聖女ではなく2回挨拶を交わしただけの令嬢だった。辺境伯が真に望んでいたのは、姉ではなく私だった。
生家を継げずとも、2回会っただけの相手を想い続けて、ここまで真っ当に生きてきたとは、本当に健気な人だ。
恐ろしいのが、あの公爵令息がまだ私と結婚しようとしていたことだ。まさかそんなに執念深い人間だとは思わなかった。
辺境伯は期せずして、私にとって救世主になっていた。
感謝の気持ちも含めて、すぐにでも領主邸に移ってほしいという願いを聞き入れた。冒険者もそのまま辞めた。
*
リスノワール・フォール辺境伯夫人となった私の生活は優しいものだった。辺境伯邸の人々は、私にまつわる一つ一つのことを大切に丁寧に扱ってくれた。
夫であるドゥマンが私を想ってくれて、使用人たちは主人の想いを尊重していた。
「リスノワールさん、おはようございます!」
「おはよう、ドゥマン」
ただの朝の挨拶。一瞬で終わってしまうような些細なやりとりを心から嬉しそうにしてくれる。
小さな優しさや心遣いが積み重ねられていく生活。喜びは共有され、悲しみがあれば寄り添い合う。
心が浄化されていく心地がした。
私自身が忘れていた“私”が少しずつ取り戻されていった。
私もドゥマンのことを知りたいと思った。
愛しいと思わずにはいられなかった。
こんなにも温かな日々は今世で初めてだった。
ずっと側にいられたらという想いを誰かに抱くのは初めてだった。
この歓びを愛しさを感動を誰かに聞いてほしいと思った。でも、私だけのものにして、誰にも教えたくないような、そんな気もした。
この感情が恋の芽生えとして、望まれて既に夫婦となっている私は、ただの幸福な人間だろう。
悪夢さえなければ、夫婦になるために関係を深めようと踏み出せるのに。そんな悩みができた。
言い訳だとも思った。けれど、叫びのたうち回る姿を見せる勇気は出なかった。
特別優しい人間のように思われているのも、少しだけ気まずい気持ちがした。
自分がしてきたことを後悔するつもりはないし、これから先も傷つけられることがあれば、私は相応の報いを受けさせる。それを変えるつもりはない。
健気に私のことを想い続けてくれたドゥマンなら、どんな私でも受け止めてくれるのではないかと、都合のいいことを考える。
ドゥマンが仮面を外して私に素顔を見せられないでいることが、猶予期間を与えられているような気分だった。結局、隠し切ることはできなかったのだけれど。
ドゥマンは、私の悩みをものともしていなかった。私の苦しみが和らぐための力になりたい。ただそれだけだった。
両親にかけられたという呪いもドゥマンが徐々に解いてくれている。もうすぐ解呪が完了するとお互いなんとなく分かってる。
生まれてすぐに両親に呪いをかけられたことは、傷つかないわけではないけれど、納得が勝った。
生まれた瞬間、殺してても不思議ではないと思うくらいには、両親は双子を嫌っていたから。
呪いが解けたら、きちんとかけた人間に返るようにっているのだと教えてもらった。呪いをかけた人間だけではなく、呪いで恩恵を受けた人間もそうだと言う。
悪夢も悪評も呪いだった。私が自力でどうこうできるものではなかった。ドゥマンが嫌な素振り一つせず、解呪に取り組んでくれた。
ドゥマンの呪いも少し解けていた。ドゥマンの呪いを解く条件は、生きていることや生まれてきたことに心から歓びを感じ続けることらしい。今回の私の呪いの一件で初めて教えてくれた。
解呪が進んだのは生まれてから初めてのことらしい。
嬉しかった。大切な人が私と過ごす日々に幸福を感じてくれている。いつか、私はドゥマンの笑顔をちゃんと見られる日が来るのだろう。
日課のようになった、朝のドゥマンのちょっとした二度寝。私の膝の上で眠るドゥマンの頭を撫でる。
「生きててよかった」
ドゥマンに出会えてよかった。ドゥマンがいる世界に生まれてこれてよかった。
「愛してる」
眠るドゥマンの頭を抱きしめながら呟いた。濡らしてしまったドゥマンの頬をそっと拭った。




