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勢いよく家を飛び出たものの行く当てもない。美咲が行きついたのは、結局近所の公園だった。料理人だった美咲の父伸一は、美咲が生まれてまもなく、交通事故で突然この世を去ったと聞かされている。念願だった自分の店を出す目前だったとも聞いている。父の料理に対する遺志を継ぐべく、母は素人がひとりでも切り盛りできそうな弁当屋を開いたという。
《なんでお洒落なカフェとかじゃないのかなあ》
ベンチに座ってスマホを手にとる。クラスの子たちは最新モデルで、おしゃれなワイヤレスイヤホン。いつも動画を見ている。あたしの家にはそんな余裕はない。美咲が中学生になったらと、やっとのことで持たせてもらっただけまだマシなのも分かっている。でも友達のなかには親ガチャしたいと云う人もいて、最近その気持ちがよくわかる。ひょっとすると自分もハズレの貧乏くじなのかもしれないと…。
「美咲ちゃん?」
声を掛けられて振り向くと、商店街の青果店店主、杉田紘一の笑顔がトラックの運転席にあった。配達帰りらしく、トラックの荷台には野菜や果物の箱が積まれている。
「どうしたんだい?ひとりかい?」
「あ、杉田のおじさん。こんにちは。うん、ひとりです。別に何にもないんだけど…。ま、ちょっと、外の空気吸いたくて…、みたいな、かな?」
美咲は微笑みながら頭を下げて、何となく視線を逸らした。杉田は小さくため息をついて、トラックのドアを開けて降りてきた。
「お母さん、いつもよく頑張ってるよなあ。朝から晩まで。店のなかではずっと立ちっぱなしなんだろ?」
「ええ、ま、そうですね。知ってます」
「でもな、あの人、瑤子さんな、美咲ちゃんの話をするときって、すっごくいい顔するんだぜ。何て云うか、ずっと笑顔で、ほんとうに嬉しそうな顔するんだよ」
「へー、そ、そうなんですか」
美咲は照れ臭そうに愛想笑いのような笑顔をみせた。
「そういえば、瑤子さん、こんなことも言ってたなあ。あの子は絶対に厨房に入れないんだって」
杉田は荷台の段ボール箱から、真っ赤なリンゴをひとつ出して、美咲の顔を見た。
「なんで?手伝わせればいいじゃんって言ったら、ダメなんだって、火傷とかさせられないからってさ。どんなに忙しくてもひとりでやるんだって」
美咲は言葉が出ず、微笑みながら黙って頷くしかなかった。
「ほら、これ持っていきな。今日入荷した青森産の富士だよ。糖度も高いけど、酸っぱさもあるから、かなりうまいよ。あ、そうだな、瑤子さんのも必要だな」
杉田は頷きながら、助手席から半透明の手提げ式のポリ袋を出して、美咲に渡し掛けたリンゴといっしょに、もうひとつ入れて渡してくれた。
「はやく帰って、それ一緒に食べて、つまんない親子喧嘩なんかするんじゃねえって、八百屋のオヤジが云ってたってなっ」
杉田は運転席に乗り込むと、2~3度手を振って、トラックのエンジンをかけると、それ以上何も言わずに去っていった。
杉田のいまの言葉が胸に残った。そういえば、母の笑顔をここしばらく見ていなかったような気がする。美咲は小さく頷き、去っていく杉田のトラックに向かって頭を下げて呟いた。
「おじさん、ありがとうございました」
いま帰れば、お昼に間に合うかなと思いながら、頭を上げて、リンゴが2個入ったポリ袋を顔の前に掲げると、甘い香りが漂ってきた。




