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十二
美咲は実母志津から自分宛の封筒を持ったまま、自分の部屋で寝転がって天井をながめていた。
《ていうか、本当のお母さんって…。そんなの覚えてないよなぁ…》
志津からの手紙には、びっしりと母の思いが書き綴られていた。読み進めていくうち、便箋に何度も涙が落ちた。
「ちょっと出てくる」
美咲は今度はゆっくりと階下へ降りた。
表に出ると、綿のような白いものがふわふわと落ちている。美咲はいつもの道を歩いて、そのまま通り過ぎるつもりだったが、足は自然にいつもの公園へ向かっていた。小さな広場の隅に落ちた雪が街灯の光でぼんやりと光って、すぐに溶けてなくなった。美咲はいつものベンチに座って、両手を大きく広げてから、灰色の空を見上げた。掌に、腕に、顔にも雪が落ちる。指先に雪が当たってじんと痛む。タートルネックのセーターを着ているにもかかわらず首筋に雪が入り、ぞくっとして、思わず声を上げたが、周りは誰もいない。美咲はベンチから腰を上げて、屋根がある場所へ移動した。屋根と云っても、藤棚が屋根の代わりをしているだけなので、完全に雪を防ぐことはできない。なおも降り続く雪と、藤棚の隙間から入り込んでくる雪が美咲の顔や胸にあたって、それと一緒に胸の奥の何かが溶けるような感覚があった。父のことを、母のことを、そしてまだ見ぬもうひとりの母のことも思った。
目の前が雪原のように積もり始めている。美咲はまた元のベンチに戻って、ベンチにうっすら積もった乾いた雪を丸め、小さな雪の玉を作ってみた。それをもうひとつ重ねて、小さな雪だるまにした。
「あたし、なんで?こんなの作ってるんだろ?」
美咲はその雪だるまを掌に載せて呟いた。掌の雪だるまがじっとこちらを見ているように感じた。ポケットのスマホが震えた。
《美咲、あの公園よね?迎えに行くから。そこで待ってて》
母からの短いメッセージ。顔を上げると、坂の下から瑤子が歩いてくるのが見えた。コートの肩には雪が少し積もっているようにみえる。懐中電灯を持っているようだ。薄暗い道を光が揺れながら近づいてくる。掌のなかの雪だるまをベンチに置いて、こちらへ向かってくる瑤子を見て呟いた。
「お母さん…」
美咲の声は少し震えていた。瑤子は息を切らしながら、美咲の前で立ち止まった。
「だめじゃないっ。こんなところで何してるのよ。風邪ひくよっ! 店閉めて、あちこち探したんだからねっ!」
瑤子の言葉は叱りつけるようだったが、声はかすかに震えて目には涙が浮かんでいた。
「ごめんなさい。でもよくここだってわかったね」
美咲は小さく息を吸ってから瑤子の目をみつめた。
「商店街を探していたら、杉田さんが声掛けてくれたの。美咲ちゃん、ちゃんと帰ってきたかって…」
「ああ、そっか、そうなんだ」
「あんた、テーブルにリンゴ置いたままだったでしょ?あの袋に杉田青果店って印刷してあったから、もしかして、杉田のご主人と会ったのかなと思ってね」
美咲はうなだれながらもう一度謝った
「ごめんなさい。杉田のおじさんにも親子喧嘩なんかするんじゃないって叱られちゃった…。でもね、あたし…、あの話、まだうまく飲み込めないんだよ」
美咲はたまらず声をあげて、瑤子の胸に泣きついた。
「いいの、いいのよ。そんなの。無理に分かってとは言わないから。ただ…」
瑤子は微笑みながら、美咲の肩をしっかりと抱いてから背中に両手を回して抱き締めた。その冷えた手にはわずかな油の匂いが混じっていた。
「ただね、美咲。もう二度と出ていってもいいなんて言わないから、お母さんのことも許してほしいの。ずっと、ここに一緒に居てほしい。今度、志津さんにも、二人で会いに行こうね」
美咲が黙って頷いたのを見て、瑤子の目から堪えていた涙が零れ落ちた。瑤子はゆっくり腕を伸ばすと、美咲をもう一度しっかりと抱き寄せた。美咲は肩のあたりで、瑤子の胸の鼓動が伝わってきた。
「あたしって、お母さんが二人もいるんだ」
美咲が涙を浮かべたまま笑って、上目遣いで瑤子を見上げると、瑤子の肩がわずかに震えた。
「そうね。ちょっと贅沢だよね」
横のベンチの上で、さっき美咲が置いた雪だるまがじっと二人を見ていた。その丸い頭の上に、綿を千切ったような、少し大きめの雪が落ちたが、すぐに溶けて見えなくなってしまった。




