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十
瑤子は昨日忙しくて、郵便物を調理場に置いたままにしていたことに気が付いて、調理場から持って上がりながら、あの日のことを思い出していた。あれから何年になるだろうか…。瑤子は自室にしている六帖間の押入れを開けて、押入れ箪笥の隠し引き出しに保管している志津から美咲へ宛てたあの古い手紙を取り出して、独り言のように呟いた。
「そろそろ潮時なのかも…」
あの日、今日は水曜日だから脇田さんは来ないんだろうなとか考えながら、瑤子は志津からの手紙の封を切り、便箋を広げる。少し文字が乱れている。いつもは書道のお手本のような美しい縦書きの文字が連なっているのにどうしたんだろと、少々不安になった。
《瑤子さん、これが最後の手紙になるかもしれません。私の心臓はもう長くは動かないでしょう。美咲にこの手紙を残します。渡すか渡さないかは瑤子さんにお任せします》
そのあとは、志津が瑤子に出会ってから、瑤子に美咲を託すまでの経緯や、志津と瑤子それぞれが持つ美咲に対する愛情について、事細かに書いてあった。
《美咲、ほんとうにごめんなさい。あなたを育て続けられなかった不甲斐ない母を許してください》
自身で育て続けられなった謝罪が最後に記されていた。
雪が積もったあのホワイトクリスマスの朝、雪絵は旅立ってしまった。あの小さな雪だるまに触れて目覚めたのが最期だった。瑤子は夫を失い、今度は娘も失い、生き甲斐の何もかもを失って途方に暮れていた。そんななか、志津が夜勤明けの日、君島院長が志津の出産を機に設けてくれた院内託児所へ美咲を迎えに行った帰りには、必ず瑤子に会いに来てくれた。
「こんにちは~。調子どうですかぁ?何か困ったことはないですかぁ?」
志津はあえて元気そうにみせてくる。自分も夜勤明けで疲れているだろうに。
「うーん、大して変わりはないですねぇ」
瑤子もわざとおどけたように応えたりする。志津は来るたびに瑤子に寄り添ってくれる。その傍らには雪絵と同い年の美咲がいた。
「ねえねえ、志津さん。わざわざ託児所に預けるんだったら、美咲ちゃんのこと、あたしが見てようか?」
「え、そりゃあ、そうしてもらえるんだったら助かるけど、いいの?」
志津は師長という重責を担って、多忙を極めている。美咲を託児所へ預けることをなるべく避けて、志津の代わりに瑤子が面倒をみるようになっていった。瑤子は亡くした我が子と重なり、涙が出そうになることもあったが、逆に美咲の愛らしさに自身の寂しさを紛らわせて、救われていたのかもしれない。
しかし、そんな平凡な生活は長く続かなかった。今度は志津が仕事中に倒れてしまった。当初志津はただの過労だと笑っていたが、実際はそうではなかった。元々心臓が弱かったことと蓄積した疲労で、このままでは看護師の仕事はおろか日常生活もまともには送れない状態に陥ることを伝える手紙となっている。そして付け加えてあった。
《美咲をよろしくお願いします。これは瑤子さんにしか頼めないことです。勝手なお願いをご容赦ください。》
瑤子がこの手紙を受け取った翌日に志津の部下だった島田香苗から訃報を伝えられることになった。




