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一
日曜日の朝、窓の外は薄曇りで、商店街の通りには人影もまばらだった。美咲はのろのろと起き上がり、乱れた髪を手で押さえながら廊下を隔てた台所兼居間へ向かう。食卓には朝食のパンと目玉焼き、それにヨーグルトが並び、その横には唐揚げの入った弁当セットが置いてある。
「美咲、お昼はそこの弁当食べてね。いつもお店の残り物で悪いけど…」
母瑤子がテーブルに着いた美咲の前に、カフェオレを注いだマグカップを置いてくれた。
「いつも唐揚げばっかり、もうやだっ!それからお母さん、もう学校へ来るのやめてほしいっ!」
美咲はふくれっ面でカフェオレを一口飲んでから、ヨーグルトのスプーンを手にした。瑤子は手を止めて娘を見たが、いつものように言い返すことはせず、わずかに眉根を寄せた。その沈黙が逆に美咲の胸をざわつかせる。母は手作り弁当店をひとりで営んでいる。美咲も十分、分かっている。母がどれほど忙しく働いているか、食卓にお店の残りものが並ぶのも無理のないことだというのは…。それでも不公平だという思いが、口をついて止まらない。
増井美咲は今年中学生になったばかりだ。この年頃になると、男女共、いろいろ悩み事はあるが、最近になってよく考えるのは、生まれた環境の不公平さだ。世の中には生まれたときから何もしなくても、輝かしい将来が待っている人がいる一方、あたしのように何ひとつ希望が持てない人もいる。人は皆、平等とかよく云うけど、中学校に入って、そうじゃないとつくづく思う。小学生のときはあの子の家は裕福でいいなって思うぐらいで、大した不公平感も持たなかったが、六年生から中学に上がる頃になると、あたしのように学区内の公立中学に入学する人もいれば、小学校であの子は頭脳明晰などと云われて、国立大学の付属中学に行く人もいたし、私の家の女子は代々その学校を卒業しているとかで、私立女子大学の系列中学に入る人もいた。結果的にどれが正解なのかわからないけど、これも不公平と云えば不公平に違いない。人生十年余りでこのような状況になるのだから、この先が思いやられると改めて気づくのだった。
美咲は朝食を食べ終えると、何も言わず急に立ち上り、玄関へ通じる階段を一気に駆け下りた。1階は母瑤子が切り盛りする弁当屋で、2階がふたりの住まいになっている。階段下の半畳ぐらいの土間で、スニーカーの靴ひもを結ぶあいだも、美咲の頭のなかには先週金曜日の帰り道、クラスの悪ガキ3人にからかわれた場面が繰り返し再生される。
「いいよなぁ、お前んとこ。毎日唐揚げ食べ放題だもんな。俺も弁当屋に生まれたかったぜ」
とりわけ、最後のこの一言がいつまでも頭のなかをグルグル回る。
「お前んとこのお母さんが来たら、すぐにわかるよな、唐揚げのいい匂いするからさあ」
《好きで弁当屋の子に生まれたわけじゃないし》
心でつぶやきながら帰途に着いた。
美咲はスニーカーを履いて表に出て、振り返り店先を見上げる。
【ますヰの弁当】赤地に白抜きで描かれた軒先テントの隅には、母が店のマスコットキヤラクターにした雪だるまのイラストがある。 そういえば以前、母と一緒に買物に出た帰り、家の前で訊いたことがある
。
「ねえ、店のテントに描いてあるこの雪だるまって、何か意味あるの?」
母は美咲の目を見て、一瞬驚いたような顔になって逡巡しながらも応えた。
「お父さんの…、思い出みたいなものかな」
「雪だるまで?」
「うん。あの人、雪が好きだったからね」
「ふーん…」
母は少し微笑んで、玄関ドアの鍵穴にキーを差し込んだ。美咲はもう一度軒先テントを見上げてそのマスコットを見つめた。どこか寂しげで、でも笑っているようにも見えた。そのときはまだ、この雪だるまのイラストにどんな意味があるのか知る由もなかった。




