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短くて、長くて、短くて

作者: りん




中学1年の秋、文化祭でとある演劇を観た。




3年生のその人が放つ声と立ち姿は、ただの演劇部員とは違うように見えた。


ライトに照らされ、髪の先まで光を帯びたその姿。

床に響く足音に空気が揺れ、台詞のひとつひとつが部屋の隅々まで届いているように感じられた。

目で追うだけで心が揺さぶられ、気がつけば先輩から視線をそらせなくなっていた。


最後のシーンが終わっても、周囲の拍手は遠くにかすみ、私の目は舞台の上の先輩から離れなかった。

その姿が記憶に鮮やかに焼き付いた瞬間、私ははっきりと思った。




あの人と同じ舞台に立ちたい。

私の人生に、新しい光が差し込んだ瞬間だった。



クラスメイトから高城先輩の名前を聞き、演劇部への入部を決めた。

両親も意外なほどすんなり許してくれた。

文化祭では3年生は引退しており、先輩と一緒に何かできるわけではなかったが、特に目標もなく流れていた日常が、せわしなくもかけがえのないものへと変わった。




学期最後の舞台練習の最中、3年生の先輩たちが近所のコンビニの袋を持って楽しげに部室に現れた。


私が先輩の大ファンであることは、3年生にも知られていたらしい。

憧れの先輩がまっすぐこちらを見つめる。

髪はサラサラで、くっきりとした二重が顔をさらに引き立てていた。

直視できないほどのまぶしさと恥ずかしさに、手が震える。


目をそらしながら高城先輩への想いを伝えると、先輩はかわいらしく微笑んでくれた。

誠実に私に頭を下げる様子を見て、さらに心臓の鼓動は早くなった。



昼休憩中、他の部員の計らいで先輩と2人で話す機会ができた。

先輩は隣の市にある演劇の強い高校に進学するらしく、高校でも演劇を続ける予定だった。

私の進学先が決まった1日になった。



その日から練習にさらに力を入れるようになり、2年生の文化祭では主要キャストに選ばれるほど演劇にのめり込んだ。

偏差値がやや高い高校だったが、部活動も勉強も手を抜かず取り組み、無事に合格を果たした。





高校入学1週間後、新入生向けの演劇部公演を観に行った。

舞台は、私の期待とは少し違っていた。


経験豊かな先輩たちの演技に圧倒される一方で、3年前に感じたあの輝きは感じられなかった。

それでも入部届を提出し、全体の新入部員挨拶に向かうと、見覚えのある顔がひとつ、確かにそこにあった。

それは、3年前の感動を味わえなかった理由だった。



全体の挨拶が終わった後、高城先輩は気まずそうに私の元へと向かってきてくれた。

同じ部で再会した先輩は、思ったよりも舞台に立てずにいた。

主要キャストには入れず、端役さえ安定せず、稽古場では床のきしみや反響がその存在をやさしく包むだけだった。


私はショックを受けた。

中学時代に抱いた憧れが、目の前で静かに揺らいだ。




しかし、一緒に稽古を重ねるうちに知った。

先輩は何も諦めていなかった。

台詞を噛みしめ、声を磨き、身の動きを繊細に積み重ねる。

その声は壁を震わせ、床に反射して私の胸に届き、心拍と重なって舞台全体を満たしていく。

私もその横で声を重ねることで、演技への意欲が自然と満ちていった。


稽古場の空気が、光が、音が、すべてが私たちの成長を映し出す鏡のようだった。


先輩の苦手な声の強弱を私がアドバイスし、先輩にも私の苦手な部分を教えてもらうことで、互いに成長していった。





やがて、3年生最後の公演となる文化祭で披露する作品が発表された。

その演目は、あの日私が初めて高城先輩の演劇を観た作品と同じものだった。



部活のあと、先輩と2人で下校し、今の想いを語り合った。

私が演劇に夢中になるきっかけになった作品の主役。

心の中で、次は必ず自分が主役を担うと決めていた。


先輩も主役を望んでいた。

私の演劇部では、オーディションに落ちた部員は他の役に挑戦できない。

つまり、2人で一緒に舞台に立つ道は完全になくなった。


そのために頑張ってきたのに。

でも、貴重なチャンスなのに。

でも。





本番直前のオーディション。

主役は一人しか選ばれない。

立候補した私は、他の役で舞台に立つこともできない。

候補は私と、憧れの先輩たち。


その中には、高城先輩の姿もあった。

それでよかった。


部員たちの視線、微かに揺れる息づかい、照明の熱、舞台の板の香り。

すべてが緊張を研ぎ澄ませる。



私の演技の番がやってきた。

今までに感じたことのない緊張、後悔が今でも私の周りを渦巻く。


先輩がそっと私の肩に手を置いた。

優しい微笑みに支えられ、今だけは不安を忘れることにした。


舞台の光が自身の輪郭を神々しく照らす。

声は柔らかく、けれど確かな重みを持つ。

心の奥で、私はただ頷いた。





オーディションが終わり、結果発表を待つ時間が訪れた。


本当にこれでよかったのだろうか。

そう思わない日はなかった。

もう、「先輩と一緒に」という選択はできない。

それでも、悔しさに引きずられてはいけないことは、心の奥で分かっていた。



名前が呼ばれた瞬間、挙がる多くの手。

選ばれたのは、高城先輩だった。


拍手の音が舞台を揺らし、ライトがその姿をまばゆく包む。

息をのむ熱気、部員の視線、光の粒子が舞う空気。

すべてが先輩を祝福していた。



先輩はまだ現実味を帯びていない表情で、友人に抱きつかれ、されるがままとなっている。

ふと、先輩と目が合った。


私は目に涙を浮かべず、心からの笑みを返した。

悔しさも嫉妬も、迷いも一切ない。

舞台を満たすのは、結果でも役でもなく、人の声と気配だった。



憧れの先輩が輝くその瞬間を祝福できる自分がいる。

それだけで、私は、胸いっぱいに満たされていた。





高城先輩と一緒に演劇をする私は死んだ。

私が殺した。




先輩が私に近づいて優しく頭をなでてくれた。


憧れの人がずっと大好きなままでいてくれた。

大好きなままでいさせてくれた。

それがどれだけ、私にとって支えになったか。



今は、この結末が一番幸せだと思うようにしよう。


先輩の肩に顔をうずめて、制服にほんの少しだけ涙の跡を付けた。





舞台の光が消えるその瞬間まで、心に刻まれたのは、声と気配の重なり合う世界。

私が追いかけたのは、役ではなく、この尊い空気そのものだった。




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