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1 静かなる死の音

 はMRIの映し出した映像に釘付けになった。死亡したのは三十半ばの大学准教授。先日、やっと昇進したという若者だった。


 突然死だった。運び込まれた時には、すでに心肺停止状態だった。事実上、何の治療も施すことなく、死亡の断定をするだけだった。


 それから死亡原因を手分けして探っていた。晶は脳のMRIを見て、体中から脂汗が湧きだし、ゾッと寒気を覚えた。体中の毛が逆立ったようにも思う。


「なんだこれっ」


 隣にいる先輩医師であるが吐き出すように口にした。


「脳が膨張しているとしか思えませんね。でも……こんな映り方は異常ですよ」


 黒か白かで映し出される映像。しかし脳の内部ははっきりしないグレーのように映り、うねっている。そして頭蓋骨いっぱいに広がっている。いや、広がりすぎて頭蓋骨を押し、わずかにズレが生じている。


 あり得ない現象だ。


「解剖しましょうか。実際に目で見ないことには、判断できませんね」


 横井が慌ててくれたおかげで、晶は冷静さを保つ事ができた。


 取り乱した者を見た時の反応として、それに同調してしまうケースと、逆に冷静になるケールがある。恐怖や悲しみ、あるいは喜び、それらの感情が、周囲に共鳴を起こすか、感情をクローズさせるか、影響を与える。


 晶も場合は後者で、冷静に慣れた。誰よりも先になにかを発していたら、恐らく取り乱して横井たちに叱責されていただろう。


「すぐに取りかかりましょう。横井先生、いいですか?」

「…………」

「横井先生」

「あ、あぁ。そうだな。すぐに取りかかろう」


 準備を整え、すぐに解剖に取りかかった。

 そして、間もなく。


「うげぇぇ!」


 横井が口を押さえて洗面に駆け寄った。そして苦しそうに吐いている。解剖を手伝っていた看護士たちの一人はその場に倒れ込み、もう一人は蒼い顔をして壁に凭れて座り込んでいる。


 晶はただジッと死体の脳から出てきたモノを見つめていた。そしておもむろに脳の中からソレを取り出し、ゆっくりと引っ張った。


 青々しいソレ。


 どこからどう見ても――


(植物の、蔓)


 小さな葉が所々から生えている。遺体の頭蓋骨の中にはギッシリと蔓がはびこっていた。それだけではない。脳の中にも入り込み、膨張させていたのだ。


 蔓によって絡み込まれた脳は、その機能を完全に失ったのだろう。おそらく息もできず、苦しみ悶えて息絶えたと考えられるが、その時間はわずかだったはずだ。


 晶はその植物の蔓を丁寧に取り出し、綺麗に巻いて箱に入れたのだった。


 それからが慌ただしかった。家族に「植物に殺されました」などと言えるはずもなく、心不全として説明することになった。もちろん警察も動いている。しかし事件性が極めて低いため、病死とされ、表向き手を引いた。


 晶もそれが妥当だと思い、この奇怪な出来事を理性的に処理しようと考えた。しかし現実は違っていた。警察はこの出来事を調査するため、決して口外することなく、内々で協力するように言ってきたのだ。しかも、挨拶したのは警察庁の刑事局だというのだから驚きだった。


 晶はイヤな予感がした。それはなんとも言えない気持ちの悪さだった。虫の知らせとはこういうものか、などと茫然と考えた。


「研究室の端にアマヅラという植物が飾られていまして、それが脳に入り込んでいたモノと一致しました」


 眼前の男はと名乗った。まだ若い刑事だ。三十になったばかりの晶より若いだろう。しかしその顔つきや口調はしっかりしていて、さすがに警察庁の人間、キャリアだと思わざるをえなかった。


「あなたは死因がアマヅラ以外に考えられないと?」


 晶の問いに岸野が力強く頷く。


「では先生、それ以外の死因を考えられますか?」


 晶は一瞬沈黙した。それから首を左右に振った。


「身体に異常はありませんでした。あの植物がなければ、起こらなかった事故だと思います」


 晶は慎重に言葉を選んで続けた。


「事故?」


 と、岸野が聞き返す。片側の口角が吊り上がっている。口元には笑みがあるが、目は笑っていない。


「植物が人間を殺したなど、口にしたくはありませんが」

「救急隊の話では、駆け付けた時、患者の体に一本のアマヅラの蔓が絡んでいたそうです。隊員がそれを手で千切ったと証言しています」

「…………」

「実は、これが初めてではないのです」


 晶は蒼い顔をしてその言葉を聞いた。


「完全には把握していませんし、実際、隠す病院もあるんですが」

「刑事さん」

「我々は怪奇現象と言って片付ける気はありません。その為に協力していただきたいのです。すでに院長の許可は取っています」


 晶は項垂れた。


「横井医師は不適任と判断しました。看護士のお二人も無理だと思われます。今回のケースでは大澤先生だけにお願いしたいのです」

「なにを?」

「なにを?」


 晶の力ない問いに、岸野は怪訝な顔をして反復した。


「なにを協力するんですか? 私は医者です。植物が人間を襲う理由も、植物の進化も、それらから身を守る術も知りませんし、調べる立場でもありません。せいぜい身体に与える影響ぐらいです」

「わかっています」

「植物を研究している機関に行かれた方が早いんじゃないですか?」


 岸野は小さく吐息をついた。


「死者はすでに多数出ているんです」

「え?」

「多数」


 岸野は睨むように晶を見つめた。


「もう相当数出ているのです。しかし事が事で、軽率な行動はできません。パニックは絶対に避けねばなりません。横井医師が不適任と言ったのはそのためです。決して他には漏らさず、冷静に対応できる方に協力いただきたいのです。大澤先生、なんらかの影響によって植物が進化し、我々の敵になろうとしています。それを調べなければなりません。関係機関への働きかけは済んでいます。あとは人材確保だけです」


「警察は……それを調べて、すでに動いていると?」


 岸野は頷いた。


「今騒がれているどんなウイルス感染よりも、遙かに上回る新たな脅威が発生していると思われます」


 晶は天を仰いだ。

 敵が〝植物〟であれば。


 それからなにがどうなったのだろう。晶は忙しい傍ら、岸野に応じて警察庁に出向き、植物によって死んだ人間の状況や、遺留品を見る日々を送った。しかし不思議と犠牲者は人間だけで、動物の被害例は耳にしなかった。


 日を追うごとに犠牲者の数は増えて行った。そしてとうとう事件が明るみに出る日がやってきた。マスコミが嗅ぎつけ、報道を始めたのだ。その過熱ぶりは異様なほどで、人々の恐怖を煽る結果となった。


 観葉植物を置く人や企業はなくなり、植物に対して異常な嫌悪感や恐怖感を抱く者が増加した。植物を見ると、所構わず放火して回る輩も到る所で現れた。また植物を置いている家に押しかけて暴力沙汰に発展するケースも激増した。


 だが皮肉なことに、テレビで流れれば流れるほど、恐怖が掻き立てられる程、その犠牲者は猛烈な勢いで増え始めた。毎日、数千人単位で死者が出ていた。そして騒がれる程に、植物達は爆発的に増殖していった。


 恐怖は日本だけに留まらなかった。植物が人間の体内に入り込み、脳を駆逐してしまう現象は世界中に広がりを見せ始めた。これによって犠牲者は毎日数万人に達しようとしていた。


 すでにパニックを起こしていた。



 RRRRRR。

 電話が鳴った。看護士が晶の名を呼ぶ。それを受け取り、晶は硬直した。


「え?」


 思わず受話器を落としかけた。そして慌てて病院を飛び出し、警察庁に向かった。


 そんな彼を待っていたのは、無残に息絶えた岸野の亡骸だった。


 外傷はない。その苦しげな様子から、世間を騒がせている例の事件だと容易に察することが出来た。


「我々は……滅ぶのでしょうか?」


 案内をした刑事が泣きそうな声で呟くように言った。


「さぁ。ですが、我々人類は、植物には勝てませんよ。仮にすべての植物を焼き捨てても、結局酸素が無くなって死んでしまうだけです」

「先日、九十になる祖母が亡くなりました。幸か不幸か、癌でした」


 晶は刑事の顔を見た。


「その祖母が今際の際に言いました。人間は地球に悪いことをしたから、罰を受けているんだって。これは粛正なんでしょうか? 私にはそう思えて仕方がありません」


「…………」


 晶は力なく頷き、その場を後にした。


 人々から笑みが消えた。世界中で起こっているのだ、逃げる場所はない。都会でも地方でも、その犠牲者は増える一方で変わりない。かつてない勢いで死者が出て、人口が激減する中、人々の生活はかつてのシステムを失い、まともな生活が送れなくなっていた。


 正常な精神状態を保てず、大騒ぎを起こす者も多い。恐怖に震えて部屋から出られなくなった者も数知れず。


 晶は病院に戻ってきた。とはいえ、患者もほとんどいなくなってきているし、医者も看護士も減ってしまって閑散としている。自分がなぜここにいて、なにをしているのか、それすらも混乱の中でわからなくなってきていた。


(俺も、頭がおかしくなってきたか?)


 茫然とそんなことを考えた。


(あの時に感じたイヤな感じ……大当たりだ)


 ふと、窓辺に目をやると、閉じられた窓の隙間から一本の蔓が入ってきていることに気付いた。


 晶の視線が釘付けとなる。


 それは見る見る伸びてきた。真っ直ぐ晶に向かってくる。文字通り音もなく忍び寄ってきた。


(背後からきたら、絶対気付かないだろうな。そうか、そういうことか)


 蔓の先がうねりながら近寄ってくる。


「そうやって人間を始末するのか? 俺たちは邪魔な存在か?」


 晶は茫然と言った。


「そうだよな。これからは……植物の世になるかもしれないな。人間の世は、終わったんだな」


 蔓の先が晶の腕に触れ、蛇のようにうねうねとうねりながら腕に巻き付いた。そして静かに登ってくる。


「もう、人類は滅びたも同然だ。生きていても仕方がない。まともな世ではなくなった。人間が人間同士で争って、殺し合っている世のほうがいいなんて思わない。けど、人間の敵が人間である時代までが、人間の栄華だったんだろう」


 呟く。


 蔓は晶の首に巻き付いた。


 いつの間にか窓は全開になっていた。爽やかな風が吹きこんでくる。優しい風を頬に受けつつ、晶はゆっくりと目を閉じた。


 明日は、来るのだろうか。


 明日は、あるのだろうか。


 それは、誰にとっての、明日なのだろうか。



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