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特別編:誰かのクリスマス


「ひい〜、さぶさぶっ」


 中央図書館が入居している駅前の複合ビルから出ると、わたしと一緒に建物の自動ドアから出てきた胡桃が身震いする。


 コートにマフラーにイヤーマフを身に着けている胡桃だけれど、それでも氷でできたナイフのように吹きすさぶ風は、彼女の骨の芯まで貫いているみたいだ。


「こんな寒いなかを家まで歩いて帰んなきゃいけないのイヤすぎるって」


「図書館で勉強したいって言ったの、胡桃でしょう? 自分で言い出したのにそんなこと言わないでよ」


「だって閲覧室が全部埋まってて追い返されるなんて思わなかったもん!」


 外に出て建物のなかで外していた手袋を嵌め直すわたしに、胡桃は喚くように言った。


 十三階建てのこの複合ビルは三階から七階が図書館になっていて、六階の大部分が全部で百五十席以上ある閲覧室として設けられている。


 だけど閲覧室の全ての席は予約利用制となっており、使う前には館内にある端末か携帯電話から図書館のWebサイトで座席の予約をしなければならない。


 そして携帯電話を持っていないわたし、胡桃、そして……わたしたちと一緒にいる不知火渚の三人は席の空きがないか判らないままわざわざここまで来て、そして現地で全席ソールドアウトを知ってすごすごと退散する羽目に陥ったというわけだ。


「学校は昨日が終業式で、みんな今日から冬休み。満席なのも納得だ。仕方ないよ」


 悟ったような物腰で白い息を吐きながらそう口にする渚の首もとには、前の誕生日にわたしが送った手編みのマフラーが巻かれている。


「でも今日はクリスマスイブだよ? みんなクリスマスにマジメに勉強すんなよな。クリスマスなんだから遊んどけよ!」


 昼間の駅前の街並みに被せられている、まだ電気の点いていないクリスマスのイルミネーションを指さしながら、胡桃は意味の判らない怒りを発露させる。


「自分もここに勉強しに来た人間のひとりなのに?」


「別にあたしだって好きで勉強してるんじゃないもん」


 わたしの指摘に、胡桃は腕を組んで膨れっ面をした。


「推薦が通ってたら受験勉強なんかしなくて済んだのに」


 数ヶ月前までわたし、渚、胡桃の三人は学校で生徒会役員をやっていた。そのおかげでわたしたちには入試に有利な内申点が与えられることになり、そのまま渚は進路希望先の高専の推薦枠を得られたのだけど、わたしと胡桃に関してはちょっと事情が違った。


「お願い! 西吾妻高の推薦枠、あたしにちょうだい!」


 手を合わせてわたしの前に膝をつく胡桃にそう懇願されたのは半年前、生徒会の任期が終わる少し前のことだ。


「凛音って、勉強超得意でしょ。ほら、前にやった模試で出た合格確率、A判定だったじゃん。だから、あたしと違って推薦なくても大丈夫かなー、なんて」


「……ダメだよ、胡桃。勉強がイヤでもそういう(よこしま)なやり口、どうかと思う」


「そう言わないでよお。あたしの学力じゃ筆記試験なんて到底受かんないってえ。だからあたしに推薦枠渡して、一緒に西吾妻に行こうよお」


 胡桃はわたしの腕に抱きつくようにして泣きつく。


 別に筆記試験だろうがどんな試験があろうが、わたしが今までと同じように毎日勉強をするのに代わりはないのだし、推薦枠に未練も何もなかったので、わたしは推薦を辞退して筆記試験を受けることを選んだ。


 問題はそこからだ。生徒会役員に所属していたという内申点だけでは、そこまでの胡桃の授業における成績と査定のまずさはカバーできなかったのだ。


「どのみち勉強から逃げずに頑張れっていう神様からのメッセージだと思いなよ」


 推薦枠に入らなかったことを告げられ、激しく落胆して途方に暮れていた胡桃に渚はそう言った。


「大丈夫。今から頑張ればどうにかなるって。僕が胡桃の勉強、教えるから」


 そこから渚と胡桃は毎日放課後はふたりになって勉強を教えて、教わるようになりった。


 そして近くでその光景を眺めていたわたしにとって、それはまるで胡桃に渚を奪われたようで、癪だった。


「それでこれからどうする? あたしの家に場所を移す?」


 図書館のあるビルの前で立ち尽くすわたしたちのうち、ここからいちばん家が近い胡桃がそう提案する。


「そうだね。だけどその前に、一旦近くでお昼を済ませてからにしようか」


 渚が左手首に着けている腕時計に目をやった。


「まだ早くないかな」


 ソーラーパネルと小さい液晶画面が搭載されている渚の時計にわたしが覗き込むと、時刻は十一時を少し過ぎた頃だった。


「いや、今くらいがちょうどいいんだ。もう少ししたらお昼ご飯の時間になって混み合うだろうし、早めに行って損はないと思うよ」


「よし! そうと決まったら早速行こう! マックにしようよ。渚と胡桃も、それでいいよね?」


 胡桃が渚とわたしの顔を交互に見る。


「僕はいいけど、凛音は?」


「わたしもそれで構わないけど」


 何の滞りもなく胡桃の意見が通った十分後には、わたしたちは近くのマクドナルドで店内のテーブルに腰掛けていた。


「あたしの家に行く前にさ、ちょっとお店に寄り道しようと思うんだ」


 紙の容器から出して、トレーの上に広げられているフライドポテトのうちの一本を摘むと、胡桃はそのまま熱いポテトを口に入れた。


「ふたりに送りたくってさ、クリスマスプレゼント。ほら、凛音と渚には勉強やら何やらいつもお世話になってるじゃん? だからふたりが気に入りそうなもの、直接二人がいる前で選びたくって」


「いいよ、僕は好きでやってるだけだし」


 渚は苦笑すると、胡桃と同じようにポテトの山から一本とって口の中に突っ込んだ。


「……そうだね。わたしも、同じく」


 わたしは少し言い淀みながら答えた。


 確かに好きでやっているのかもしれない。胡桃に勉強を教える渚に、わたしは協力するという体でいつも付き添っている。でもそれは胡桃への親切心ではなくて、単に胡桃と渚を二人きりにしたくないという嫉妬心によるものだ。


 勉強を教わるようになってから、胡桃が渚に対して特別な感情を抱くような素振りを見せるようになった。


 勉強嫌いだったはずの胡桃が、次第に渚に対して今日は一緒に勉強をしないのかと積極的にせがむようになったり、勉強会をするとき遅れてやってくる渚が来る前に、胡桃がこそこそと髪を櫛で整えたりするのを見て、わたしはある種の焦りと危機感を覚えずにはいられなかった。


 今日もそうだ。わたしが同行しなければ、渚と胡桃はふたりだけでクリスマスの街に出て一日を過ごしていたはずだ。そしてわたしはそれを阻止したいがために、二人に対して自分も一緒に行くと言ったのだ。


 もしわたしがいなかったら? 今わたしの目の前にいるふたりはわたし抜きでふたりきりで昼食を食べ、この付近の街並みにいるカップルたちに混じって肩を並べて一緒に歩き、そして胡桃の家でふたりきりで勉強会をしていたはずで──


 やはり正解だったのだ。わたしが今日、ふたりと一緒にここに来たのは。


 逆に胡桃はどう思っているのだろう? わたしの存在を疎ましく思っているのだろうか? 人の心を読むことができなくても、わたしにはそう感じられた。


 なぜなら、わたしならそう思うからだ。


「気持ちだけ受け取っておくよ」


 胡桃が渡すというプレゼントを、わたしは上辺だけの微笑みを返して断る。


 そして渚とわたしにプレゼントを渡したいという胡桃の言い分に、わたしは少し苛ついた。本当に渡したい相手は渚で、わたしなんて本当はどうでもいいと思っているんだろう。ただ一緒にいるからついでに渡してあげようと思っているだけなんだ。


 もちろんこれが今の胡桃が考えている本当のことかは判らない。結局のところこれも自分ならこう思うって憶測でしかない。


「えー、素直に受け取っておけばいいのに。まあいいや。これからも受験勉強やら何やら、よろしくね! 一緒に試験、頑張ろう!」


 そう言って、胡桃がテーブルの上に腕を伸ばして拳を突き出す。わたしは意味がわからずにそれをぽかんと見ていると、横で渚が胡桃と同じように拳をテーブルの上に突き出して、こつんと胡桃と当てて小さく笑った。


「ほら、凛音も」


 渚に促されて、わたしも同じように拳を突き出してふたりの手に拳を当てる。


 指の付け根が触れ合い、わたしが胡桃の顔を見ると、胡桃はわたしに向かって満面の笑みを浮かべた。


 ──胡桃の姿を見るたびに、わたしは自分のドス黒い本性を浮かびあがらせてしまう。聖なるクリスマスにはふさわしくない、屈折した真っ黒な本性。


 そしてその数ヶ月後、わたしはその本性によって、大切にしていたもの全てを自分でぶち壊してしまったんだ。



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